14話 王様の仕事は大変です
アンナ様は後見人である私達の母親に当たるクロエ様の力を借りることもなく、立派に国を動かしていた。クロエ様もすっかり引退気分で、今日も観劇に向かっている。もうすっかり王権はアンナ様が握っていた。
「陛下、そろそろ納税の確認をしていただかないと」
春も間近に迫ったある日、執事長が言い、アンナ様が玉座で「あぁ」と伸びをする。
「じゃあ明日行いましょう。各地の政務官をお呼びなさい。『鳩』も忘れずに」
「かしこまりました」
一礼して出ていく執事長を見送った後、私はアンナ様にこっそり訊ねる。
「アンナ様、『鳩』ってなんですか?」
それを聞き、アンナ様は少し驚いた顔をする。けれど、詳細に説明してくれた。
「あら、コームから習いませんでしたの? ……まぁ、あなたが王家の血を継いでいないと思っていなかったら教えなかったのかもしれませんけれど。『鳩』は王家直下の各領地で目を光らせている密偵ですわ。領主が悪どいことをしていないかだとか、脱税したりしていないかだとか、細かに調べ尽くして王に報告するのが仕事。表向きはただの民間人として領土に紛れ込んでいますけれどね」
それを聞いて頭の中に思い浮かんだのは、時代劇に出てくるような密偵の姿だった。
「はぁ……忍者みたいですね」
私が口に出すと、アンナ様は首を傾げ、興味深そうに訊いてくる。
「ニンジャ? なんですの、それ」
……そういえば、忍者ってなんだろう。私も漫画や時代劇なんかでしか見たことがない。それでも、自分の知識をフル動員させて説明した。
「んーと……大昔に私の育った世界にいたらしい密偵のことです。嘘みたいな術を駆使して、敵軍を撹乱したりしたとか、聞きました。本当にいたのかも定かじゃないですけど、伝説みたいな感じです」
それを聞き、アンナ様は「ふぅん」と一言漏らすと、続けて言った。
「あらそうなの。やっぱりこの世界とあなたの育った世界は似ていますのね」
それを言われて、私は少し困ってしまう。確かに歴史の辿り方は似ているだろう。けれど、私の育った世界のこの国は、こんなゲームの世界みたいな空気じゃなかった。西洋文化が定着したのだって、明治時代になってからだし。
「……私の世界には魔法なんて便利な術、なかったですけどね。その代わりに科学が発展していましたけど」
そう私が言うとアンナ様は驚いたような声を上げる。
「まぁ、科学ですって? あんな世界を汚染するだけの学問が発展するだなんて、あなたの世界は不便でしたのね」
確かに不便といえば不便だったのだろう。あっという間に遠くの国に行くなんてことも出来なかった。でも、こっちには皆が皆すぐに情報を入手できる手段もないし、どっちもどっちだと私は思う。
「でも、便利なものもありましたよ。スマートフォンっていって、個人の間で簡単に話したり、メッセージのやりとりができたり、情報を見られる機械がありましたし」
「あら、それは便利ね。こちらでは新聞や魔法使いの伝達頼みですもの」
魔法で情報を伝え合うのも凄いと思うが、それでもどうしてもタイムラグは生まれる。速報のニュースを伝えるには、私の世界の方が勝っていただろう。私は少しだけ自慢げに説明を続ける。
「その機械で動く映像を伝達できたりもできました。音楽を携帯して聞きながら歩いたりする人も多かったです。情報の伝達速度は、多分私の育った世界の方が早かったと思います。その機械さえあれば誰とでも話ができましたから、緊急の時に警察……憲兵に報告することもできましたし、怪我人や病人もすぐに医療施設に運べましたから」
アンナ様はうんうんと頷き、思案を始めた。
「それは素敵ね。……こちらでも魔法を駆使して、同じような仕組みが作れないかしら」
「魔法は便利ですから、アカデミーの魔法学科に研究を頼むのもいいかもしれませんね。きっと技術そのものを作り出すのは難しくはないと思います」
「そうね。でも便利すぎるのも考えものよね。そもそも、その技術を開発するには莫大なお金がかかりそうですもの。技術を圧縮させたマジックアイテムを庶民に普及させるのも大変そうですわ」
「……そうですね、私の世界でもスマートフォンって高かったですし、しっかり使いこなせてる人も少なかったと思います」
「やっぱりこちらではこちらのやり方、あちらではあちらのやり方があるのでしょうね。でもそのお話、頭の片隅には置いておきますわ」
そんな事を話している間に執事長が戻ってきた。
「陛下、『鳩』が全て戻りました。すぐに報告を聞きますか?」
「えぇ、私がそちらに向かいますわ。アンヌ、あなたもいらっしゃい」
「はい」
『鳩』と呼ばれる人たちは、城の会議室に集められていた。様々な服装をした人たちがいる。涼しそうな格好をした人もいれば、まだ分厚いコートを着た人もいた。この国は南北に細長いから、南から北まで住む人間が集まればこうなるのも納得できる。
「アンナ女王陛下の御前である、皆、礼!」
私たちを連れた執事長がドアを開けて言い放つと、『鳩』と呼ばれた人たちは一斉に騎士敬礼を取った。アンナ様がそれを解かせると、椅子のひとつに腰掛けて悠々と言う。
「皆様、いつもご苦労様ですわ。さて、じゃあエゾノの者から報告をしていただけるかしら」
「はっ! かしこまりました!」
一層暖かそうな格好をした男の人が礼をしてアンナ様に耳打ちする。
「……なるほど、わかりました。彼に報奨金を」
『鳩』たちから報告を聞いては、アンナ様がそう言われて、執事長が金貨の詰まった袋を手渡していく。私はそれを見てぎょっとした。あの大きさ、おそらく五百万イェン以上は入っている。けれど、密偵としての仕事をこなしているのだから、報酬としては少ないくらいなのかもしれない。そして最南のリュキューの『鳩』からの報告を聞き終わり、アンナ様はわざと乱雑にメモを取ると、立ち上がった。
「皆様、今日はご足労ありがとうございました。もしも虚偽の報告をしたと発覚すれば、それなりの罰が与えられることをお忘れなく、また来年まで民に潜み、領主の監視をよろしくお願いしますわね」
「はっ、全ては我がルジャの国の安寧と王の為に!」
『鳩』たちは一斉に騎士敬礼を取り、各々転移魔法で消えていく。自分の担当する領土へと帰っていくのだろう。
「さて……と」
それを見届け、アンナ様はメモに再び目を落とす。
「相変わらずクーシャとヤグーの民はいがみ合っていますのね。いつまでも過去の遺恨を引きずっても仕方ないですのに……。あら、こちらの地方では治水工事を行ったのに大水の被害がまだ残っていますのね。去年は雨が多かったですから仕方ないですわね。それじゃあ改めて補助金を出さないと……」
ぶつぶつと言いながらメモを辿る。そしてアンナ様は立ち上がった。
「あとは『鳩』たちの報告と領主の報告に虚偽がないか確認するだけですわね」
「あの……アンナ様?」
私は恐る恐る訊ねる。アンナ様は不思議そうにこちらを見ている。
「『鳩』の皆さんの言うことを真に受けていいんですか? 領主と結託して、虚偽の申告をしているとは……思わないんですか?」
私の問いは、アンナ様の高笑いでかき消された。
「心配いらなくてよ、アンヌ。『鳩』たちは魔法使いに呪いをかけられているから『鳩』なのよ。王に嘘がつけなくなる呪いよ。これは『鳩』の一族の血に脈々と受け継がれる血の魔法ですわ。世代の交代と同時に、転移の魔法と共に受け継がれるものよ」
「それは、アンナ様の使える王だけが使える魔法と同じようなものですか?」
「そうね、千年以上前の大昔に偉大なる賢者たる魔法使いにかけられた魔法ですわ。そういう意味では王として生きるのもまた呪いなの」
王であることが、呪い。
彼女はなんでもないようにそう言ったけれど、そのせいで彼女は自由を奪われている。そう考えると、まさしく呪いとしか言いようがない。
「領主の方がよほど身軽でしてよ。権力も持ちながら、民の血税で生き、そして自由に婚姻をすることもできる。……まぁ、その代わり、王に偽りの報告をすれば、即座に首に縄をかけられることになりますけれどね。この国もなかなか悍ましいでしょう?」
「はは……」
私は乾いた笑いを返すことしか出来なかった。オーブルであり、最下層に近い身分でもある自分が最も命の危険に晒されていると思っていたが、どんなに身分が高くても命の危機に晒されているのは同じらしい。そういう意味ではとても平等にも思える。
そんなことを考える私をよそに、アンナ様は語り続けた。
「『全てはルジャの民の安寧の為に』。これが『王』と『鳩』に課せられた血の魔法。私も、領主も、『鳩』たちも、ルジャの民を幸福でいさせてあげる為に存在しているの。民を苦しめる王は愚王として殺される。領主もね。そして、その橋渡しをする『鳩』たちは自分が『鳩』であることは次の世継ぎ以外に明かすことも許されない。私たちはこの国が建国された時から、民たちの為に生きる肉人形に過ぎませんわ。けれど、それを呪ったり悲しんだりすることすら許されませんのよ。血がそれを許しませんから」
だから、良き王でいられるのですけれどね。そう付け加えてアンナ様は玉座へ戻っていく。王様っていうのは、とても重大な仕事なのだと、彼女は理解している。だからこそ、他の人間に玉座を譲ることも許さなかった。私という影まで駆使して、玉座を守りきった彼女は、どれ程強く、気高く、立派なのだろう。改めてそう思い、せめて私だけは彼女の運命を呪おうと思った。
翌日。午後の謁見は休止になり、各領土から領主たちが集められた。長い机に着席した各地の伯爵と呼ばれる君主たちは年老いたおじいさんに見える人もいれば、まだ若そうに見える人もいる。男もいれば、女もいた。領主は領土に暮らす者の選挙で決められるのだという。彼らが民に選ばれた、その土地を守る存在。民にとっては王よりも身近で、自分たちを導く存在なのだ。
……王たるアンナ様の暮らすヤマト領の領主である、ディディエ伯爵以外は。
私がアンナ様の座る席の隣でそわそわしていると、つま先にアンナ様の履く靴のヒールが飛んできた。思わず顔をしかめそうになるが、必死で平静を保つ。私は妹姫である前に女王陛下を守る人間なのだから、しっかりしないと。
「さぁ、ではエゾノ領の守護者たる者から、順番に今年の収益と損失を教えていただけるかしら?」
アンナ様がそう言うと、毛皮のマントを羽織った貴族めいた服装の男性が立ち上がり、報告書を読み上げる。アンナ様は提出された報告書の写しと、昨日『鳩』から聞いた報告をまとめたメモを見比べながら、頷く。
「把握しました。申告に嘘偽りはなくて?」
アンナ様がそう言うと、エゾノの領主は背筋を伸ばし、騎士敬礼を取る。
「この命と、神と王の名に誓って嘘偽りはありません!」
アンナ様はそれを聞き、大きく頷く。
「よろしい。では次、オーモリ領の守護者たる者……」
そうして次々に領主たちの報告を聞き、誓いの言葉を述べさせていく。その度にアンナ様は『鳩』たちの報告書と見比べていく。そして、最後。リュキューの領主の誓いの言葉を聞き、すくっと立ち上がって報告書をぱんと叩いた。
「皆様、今日はご足労ありがとうございました。これより報告を元に税と保証金の計算をさせます。お渡しできるようになるまでゆっくりお寛ぎ下さい」
そう言ってアンナ様は側に控えていた税務官長に報告書の写しを手渡す。どうやら今回は虚偽の申告はなかったようだ。領主たちも肩の力を抜き、挨拶をしたり、話をしたりしだす。
「さぁ、アンヌ、私たちも少し休みましょう」
「は、はい」
アンナ様が自ら水差しから水を注ぎ、私に渡してくる。これは毒味だ。私が水を飲み干し、何も異常がないことを確認すると、アンナ様も同じグラスで水を飲む。
私はアンナ様に耳打ちした。
「アンナ様、これまでに首に縄をかけられた領主はいるんですか?」
アンナ様は肩をすくめる。そして同じように私にそっと耳打ちした。
「お祖父様の代にひとりいたと聞きましたわ。民から莫大な税を徴収し、虚偽の報告をした領主がいたと。確か、ナニワだったかしら。税は自分の懐に入れて、金に変えていたらしいですわね。それからは聞いていませんし、私が知る限りもいませんわ」
「……本当にいたんですね、そんな人……」
「実際に首を括られた事が広まってからは、一切失くなりましたわ。皆、それまで口約束程度にしか思っていなかったんでしょうけれど、実際に領主が死んでからは恐れをなしたんでしょう、きっと。今日だって皆、真面目に申告してくださりましたわ」
「それは良かったです」
「えぇ、これからもこうであり続ければいいと思いますわ」
やがて、税務官長が金貨の入った包を持ち、アンナ様に手渡す。領土の維持費と無事に税を払った報奨金だ。その量は『鳩』に渡した何倍も多い。
領主のひとりひとりに金貨の詰まった包を渡していく。
「此度の水害、心が痛みます。どうかこのお金で民に平穏を」
「はい、この生命にかけて」
「これからもよろしくお願いしますわ」
水害のあった地域の領主にはそんな言葉をかけ、地震被害のあった地域にも優しい言葉をかけていく。そして、全ての領主に包みが渡され、アンナ様は声を上げた。
「今年は水害が多く、皆、税を徴収するのも心が傷んだことでしょう。ですが、王たる私はそれを責めることはありません。皆、例年と同じく、正しく税を収めてくださりました。神の糧たる我が国の米は各国の餓えを満たすことでしょう。我がルジャの国に栄光と繁栄を!」
アンナ様に続き、領主たちも声を上げた。
「ルジャの国に栄光と繁栄を!」
徴収された『税』は米だった。良質な米を作る領土は報奨金が多く、水害であまり米が取れなかった領土にもまた、保証金として多く金貨が支払われた。アンナ様の王としての最大の務めはひとまず終わった。だが、これから毎年これを続けなくてはいけないのだ。
税として徴収した米は一部は輸出され、一部は備蓄米として保存される。コーム先生が言っていた。ルジャの米は世界中で見ても良質な高級品で、全領土でも収穫が見込める最大の輸出品なのだと。だから税金として米を納品させ、ルジャは国庫を蓄えているのだ。
領主たちが城を立ち去り、アンナ様は深く椅子に腰を掛けて大きく伸びをした。
「お疲れ様でした、アンナ様」
「えぇ、本当に疲れましたわ……。でも、これでまた一年安泰ですわね」
そう言って、各地の領土の名札の貼られた納税された米を見る。山のように積まれたそれは、国民たちの努力の証でもある。
「……アンナ様、私の育った世界では……少なくとも、私の家では、お米には一粒一粒に神様が宿っているのだと教わりました。だから、大切に残さず食べなさいって」
「あら、面白い教えですわね」
「でも、こうして見ると、神様なんかじゃなくて、この国の人々の魂が宿っているように見えます」
「えぇ、そうね。……大切に扱わないといけませんわ」
今はまだ金色の衣を纏ったままの、脱穀もされていないそのお米は、まさにこの国の金であり、宝だと私は思った。