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13話 王として生きるのは大変です

 アンナ様が王位に就かれてから、ディディエ伯爵からのオーブルはたしかに減った。まったく来ないという程に減ったが……アンナ様には新たな悩みが増えたようだ。


「アンナ様、面談のご依頼が来ておりますが」


 ある日の昼食が終わった後の短い休憩時間に、執事長が恭しく礼をしながら言う。

 自室で読書をしていたアンナ様は鬱陶しそうに手を振った。


「午後の謁見の時間まで待たせなさいな。あと三十分程度でしょう?」

「それが、……ジュール様がお相手で」


 その言葉を聞き、アンナ様は眉をしかめる。私は部屋のドアを薄く開き、その様子を伺っていた。


「……三十分だけですわよ。客間に通しなさい」

「かしこまりました」


 執事長は一礼し、部屋のドアを閉める。


「さぁ、アンヌ、あなたも同席してくださる?」


 私が覗き見していたのを知っていたのだろう、アンナ様はこちらを見て言う。私は慌ててドアを開けて騎士敬礼を取った。


 アンナ様と私が別人と公表してから揃いのドレスを着ることは少なくなり、華美なアンナ様とは対照的に私はシンプルなドレスを好んで身に纏っていた。足にはもちろんいつものブーツ。私はアンナ様の妹であると同時にアンナ様直近の護衛でもあるのだから。

 けれど、ジュール様とのお話に私が同席するのにはもうひとつ理由があった。


「まったく、ヤマトール家の方々はしつこくて困りますわ。お父上が暗殺者を放つのを止めたと思ったら、今度は息子さんからの求婚が絶えないんですもの。どこまで煩わせてくださるのかしら」


 ぶつぶつ言うアンナ様は心底嫌そうに見えた。『ヤマトール』はディディエ伯爵の姓で、ヤマトの領土を守る者が名乗ることができる者の証だった。

 ディディエ伯爵にもご子息はジュール様しかいない。もしもジュール様がアンナ様と結婚したら、新たにヤマトの領主を選定しなくてはいけなくなる。それはおそらく、ディディエ伯爵の奥様の親族が継ぐことになるだろうが奥様は正当な継承権を持たないので、それにも色々と手続きが必要になり、王としてのアンナ様はそれも面倒なのだろう。


「そうですね……。アンナ様も早く特定の婚約者をお決めになればこんなこともなくなると思うんですけど」


 私が何気なく呟いた一言に、アンナ様はじろりとこちらを睨む。


「そうですわね。あなたみたいに特定の方がいらっしゃれば話も変わるでしょうね?」


 それを見て、私は慌てて撤回する。


「あ、べ、別にそういう意味じゃ……!」

「あら、私が僻んでいるとでもお思い? あんなトマト男と交際するくらいならば、潔くジュールと婚約しますわよ」


 絨毯が引かれているにも関わらず、カツカツとヒールの音を立てて先導するアンナ様の後を静かに歩く。

 ……前にアンナ様は言っていた。自分が王になればジュール様と結婚する可能性が限りなく高くなる、と。

 ……彼女は、もう諦めているのだろうか。王としての血統を守るために、従兄弟と結婚すると決めているのだろうか。私はそんな考えを持っていたが、同時にいや違うと首を横に振る。それなら、私がジュール様と自分の間に立つ必要はないだろう。アンナ様はジュール様と二人っきりになりたくないから、私を側に置くのだ。


 客間の前に着き、アンナ様が小さくノックする。そして返事も待たずにドアを開けると、そこには初めて出会った頃より背の伸びた、少しだけ大人びた少年がバラの花束を携え待っていた。


「姉様、お会いできて光栄です」

「あら、そう」


 アンナ様はそっけなく言うと席に着いた。ジュール様は花束を持ち、アンナ様に差し出し、詩人ぶった口調で言う。


「さぁ、僕の想いを受け取って下さい」

「あら、お土産なんて結構でしたのに。アンヌ、メイドの内の誰かに生けておくように伝えて頂戴」

「は、はい」


 満開のバラの花束の香りを味わうこともなく、アンナ様は私にそれを渡してきた。ドアの外で待機していたメイドのひとりに花束を預けると、再び部屋に戻る。ジュール様はニコニコと笑っているが、アンナ様はすました顔を崩さない。

 やがてメイドがワゴンにティーセットを乗せてやってきて、ふたりの前にカップを置くと静かに茶を注ぐ。偶然なのか、嫌味にもそれはローズティーだった。


「それで、今日は何のお話かしら?」


 アンナ様がお茶を飲みながら冷ややかな声で訊ねると、ジュール様は笑顔を崩さないままで言う。


「いい加減、覚悟を決めて、僕との婚約を受け入れて下さい、アンナ様」


 やはりその話だったか、と言わんばかりに、アンナ様は乱雑にカップを置く。少し気品に欠ける音がしんとした部屋に響いた。


「ジュール、あなたはいくつになられて?」

「もうすぐ十五です」

「ならばもう、社交界にも出ているはずですわよね? 社交界にはそんなにつまらない女性しかいらっしゃらないの? そこまで私に固執する理由は? どうせ王家の血統目当てなんでしょう?」

「そんなことありませんよ、アンナ姉様。僕はひとりの女性として、あなたを愛しているつもりです。王の血統なんて興味もありません」


 そう言って、ジュール様もお茶を一口飲む。アンナ様は酷く疲れた顔で呆れたように言い放った。


「よくお聞き。あなたは刷り込みされた雛鳥に過ぎませんわ、ジュール。身近にいた年頃が同じ異性である私に固執しているだけでしょう? よく周りを見てご覧なさい。私なんかよりよほど素晴らしい姫君が多いはずですわよ」


 しかし、ジュール様も反論する。


「僕はいつだって真面目だし、本気で言っているでしょう? 姉様より美しく、気高く、気品あふれる女性はいない。僕に相応しいのはあなただけだ。アンナ様、あなたは僕の妻になるべくして生まれた方だ」


 大真面目な顔で言うジュール様に、アンナ様はお茶を飲みきり、飽くまでも冷ややかな声のままで言う。


「後から生まれたのはそちらでしょうに」


 その言葉がジュール様に火をつけた。畳み掛けるようにジュール様は声を荒げた。


「それなら、僕が男として生まれ落ちたのは、神があなたの夫にと定めたからでしょう。アンナ姉様、僕は嘘も偽りも打算もなく、あなたを愛している!」


 しかし、アンナ様も負けじと言い返す。


「だから、それこそが刷り込みだと言っていますのよ。私はこの国の王。王配にふさわしい殿方は自分で決めますわ!」


 それでもジュール様は言い放った。


「だから、それが僕だって言っているんだ!」


 それを聞き、アンナ様がテーブルに手を叩きつけ、立ち上がる。衝撃でカップが小さく跳ね、ジュール様も驚いたように身を引いた。

 アンナ様がジュール様を鋭い目で睨みつけ、怒りにも近い声を叩きつける。


「しつこくてよ、ジュール! 私だって自由に恋がしたい。例え、それが夫になるのがあなたが相手だと神が定めたのだとしても、今の私はあなたを殿方としては見られないわ。もっと大人になってから出直しなさい!」


 そしてドレスを翻し、ドアに向かって歩き出す。


「もうすぐ謁見の時間です。私には王としての執務がありますの。まだ子供のあなたと違ってね。失礼致しますわ、ジュール」

「アンナ姉様……」


 目に見えて消沈するジュール様を見て、何故か自分の心が傷んだ。ジュール様は、きっと本当に、心からアンナ様を好きなのだろう。それをあんな断られ方をして、傷つかない訳がない。私はドアを開けてアンナ様の道を作ると、ジュール様に一礼してドアを閉めた。


「……アンナ様、あそこまで言わなくても良かったんじゃないですか?」


 恐る恐るそう訊ねると、アンナ様はそっけなく淡々と答えた。


「あのくらい言わなくては、わかりませんのよ、あの子は。まだ本当の恋にも気がついていないのに、結婚相手を決めるなんて早計にも程がありますわ」


 アンナ様はそのまま玉座へと向かう。私は付かず離れず、それを追った。道すがら、独り言のようにアンナ様が呟いた。


「……アンヌ、あなたはいいわね。恋人がいて。心から愛した相手に愛されて。……私ならばあんなトマト男、御免被りますけれど、それでも自分が好きだと思った相手と結ばれるなら、それ以上の喜びはないでしょう?」


 アンナ様の顔は見えない。けれど、声はとても沈んで聞こえた。私はアンナ様になんと声をかければいいのかわからない。……でも、アンナ様には、もしかして……。

 私は、その疑問を口にせずにはいられなかった。


「アンナ様、恋しい方がいらっしゃるんですか? ……ジュール様ではなく、別に……?」


 アンナ様は何も答えない。けれど、それが一番の答えな気がした。しばらく沈黙したまま長い廊下を歩く。人の気配がなくなった頃、アンナ様はようやく口を開いた。


「……もしも、いたとしても。私がその方と結ばれるなんて許されませんわ。私が、ルジャの王たる私が、……異種族であるエルフを恋しいと思っているなんて、許されませんもの」


 エルフ。アンナ様はエルフに恋している。そう言われて、思い浮かんだのはあのお喋りなエルフの宰相だった。私がアンナ様と接点があるエルフは彼しか知らない。アンナ様は……ビビが好きだったのか。


「……いつから、ですか?」


 私がそう訊ねると、アンナ様はちらりと振り返る。悲しげな笑みを浮かべて、ぽつりと答えた。


「……見初めた殿方でもないのに、支援なんてしませんわ」


 ……初めからだ。アンナ様は、十才の頃から、ずっとビビを……あの不思議なエルフを、異性として意識していたのか。けれど、それを態度に出すこともしなかった。自分は王にならないといけないと定められていたから。


「ジュールとはいつか婚約します。でも、それはまだ先。ジュールにだって、本当の恋を知る日が来るかもしれませんもの。そうなれば、婚姻の約束なんて邪魔にしかなりませんわ。……ジュールが成人するまで、本当にこのまま私を想い続けてくれるなら……ジュールが成人した時に、その日は来るでしょう。彼にだって、自由に誰かを愛する権利があるのだから、猶予を与えないと可哀想じゃないと思わなくて?」

「アンナ様……」


 私はなんと声をかければいいのかわからない。私たちは双子なのに、どうしてアンナ様にだけそんなに辛い使命を言い渡されたのだろう。

 どうして私は自由に恋をすることを許されて、彼女にはそれが許されないのだろう。……どうして、彼女は森の精霊に恋をしてしまったのだろう。

 せめてビビがヒュームなら良かったのに。そうすれば結ばれる可能性だって少なからずあったのに。せめてアンナ様がただの町娘なら、ビビと結ばれる可能性だってあったのに。


「この世界の神様って、残酷ですね」


 零れ出た私の言葉に、アンナ様は普段と変わらない笑い声を上げた。


「えぇ、本当に」


 その笑い声はいつもと変わらない高笑いだったのに、私には痛々しく聞こえて……思わずアンナ様を抱きしめた。後ろから羽交い締めにされる格好になってしまい、アンナ様は少し困惑していたようだけど……黙って抱きしめられていた。

 彼女を抱きしめる腕を包むドレスの袖にぽたりと涙が落ちてくる。けれど、それはほんの一雫だけで、アンナ様は鼻をすすり、背筋を伸ばす。 私の腕を払い、凛とした声で言った。


「さぁ、仕事をしなくてはいけないわ。アンヌ、今日も護衛を頼みますわよ」


 この方は、どこまで強くあれるのだろう。許されない恋に身を焦がし、伝えることすら許されず、愛しているわけでもない男との結婚も視野に入れて。

 私に出来ることは、そんな彼女を支えることだけだ。だから、私も声を返す。


「当然です、女王陛下」


 私は玉座に座る彼女の側に立つ。彼女を守る為に。それが私が彼女にできる、僅かなことだ。

 ……ビビ、ビビはアンナ様をどう思っているのだろう。ふとそんな事を考えた。けれど、同時に心の中のビビが言った。


 ――僕はアンナを愛しているよ。とても大切な親友だ。僕を支えてくれた、僕の夢を叶えてくれた友人だ。だから、僕は、アンナをとても愛している!――


 きっと、ビビはそう言うに違いない。その愛しているは、恋しいという感情はこもっていない。

 何百年と生きる精霊であるエルフと、数十年で寿命が尽きるヒューム。エルフの宰相とヒュームの王。なにもかもが違いすぎて、なにもかもが近すぎる。

 アンナの想いは、一生叶うことはないのだと。そう改めて実感する。

 私は零れそうになる涙を堪え、まっすぐに前を見据える。やがて大広間から玉座に向かう扉が開かれ、執事長の声が高らかに響いた。


「午後の謁見を開始します。市民の皆様、王に失礼のないように!」


 今日もアンナ様は国王としての仕事を見事にこなす。次々と訪れる民の声を丁寧に聞き、書記官にそれを書き留めさせ、民に優しい声をかける。そして夕刻になると、民たちの声を詮議し、叶えられるものは出来る限り叶える。夕食の後も、その為の会議を何度もする。

 横でそれを見ていると、アンナ様は神が定めた、正当なルジャの国の王なのだ。嫌でも、そう実感せざるを得なかった。


 ……彼女が王である限り、彼女の恋が叶うこともないのだと、実感せざるを得なかった。

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