10話 混乱と納得とが押し寄せてきました
こちらに来てどのくらいの時間が経っただろう。少なくとも私は十六才になろうとしていて、アンナ姫も私と同じ誕生日だから、豪勢なバースデーパーティーの影でそっとエミリーやビビ、それにラマトゥやルクトォさんにお祝いされて。命を狙われ続けていることには変わりはないけど、それなりに平穏な生活を続けている。続けてはいるんだけど……。
「甘いッ!」
「がっ……はっ……あ……」
私が男を蹴り上げると、男は喉から血を流し、呻きながら倒れた。
その日もディディエ伯爵のオーブルに狙われて、またひとり撃退した。相変わらず刃物や銃器を使った『仕事』はできない私だけど、足なら充分『仕事』に使える。ドレスの裾を捲り、延髄蹴りや飛び蹴りを駆使して弱らせて、マジックアイテムのブーツはフィニッシュに使っている。もうひとりでも充分自分の身は守れるようになっていた。
遺体の処分はラマトゥがしてくれている。
「やれやれ、ディディエ伯爵は何人の手駒がいるんだか。……こいつは新人だな。向こうももうこんな育ちきっていない若いヤツを使わなきゃいけない程度には暗殺者がいなくなっているんだろうが」
そう言ってさっきまで動いていた名前も知らない暗殺者を麻袋に詰めてラマトゥが担ぐ。私は恐る恐る聞いてみた。
「……じゃあ、これからは追手も減るのかな……?」
それを聞いてラマトゥは首を横に振る。
「ディディエ・オーブルのルクトォが出てくれば話は別だが、向こうのルクトォはまだ顔を見せる様子もない。……頭を叩かないと、いくらだって新人は用意できるんだろうさ。心配するな、アンヌ。向こうのルクトォが出てきたら、俺が始末する」
そう言ってラマトゥは歩き去ってしまう。取り残された私は小さくため息をつく。一体いつまでこんな生活が続くのだろう。元の世界に戻れたって、きっともう死亡届が出されていたって不思議じゃない。……私はこの世界で生き続けることになるのだろう。
そんな毎日が続いていた、秋のある日、私の部屋のドアが乱雑にノックされた。
「アンヌ!」
部屋に飛び込んできたのはアンナ様だった。
「アンナ様、どうされたんですか!」
青ざめた顔のアンナ様は息を切らせて私の腕を引く。
「アンナ様、どちらへ……!?」
「お父様に告白したの、アンヌのこと。そしたらすぐに連れてくるように言われて……! とにかく、来て頂戴!」
私の手を引くアンナ様が向かうのは私が立ち入るのは禁止されていた国王陛下の私室。そのドアを開けると、待ち受けていたのは豪華なベッドに横たわる真っ白な髭を蓄えたおじいさんと言っていい年の男性だった。
「お父様、連れてまいりました。彼女が私を守っていてくれたオーブルのアンヌです」
私は騎士敬礼を取るが、国王陛下から震える手を差し伸べられ、思わずその手を取った。そうしたいと、何故か思った。大きく、皺まみれの手を握っていると涙が溢れてくる。これは何の涙だろう。ただ、会いたかったという気持ちだけが溢れてくる。どうして私はこの人に……国王陛下に、アンナ様のお父様に会いたかったと感じているのだろう?
「……アンヌ、そうか……お前はそう名付けられたのか」
「……はい。国王陛下。私はアンナ様の影で……」
「……いや、違う。お前は『帰ってきてくれた』んだな」
低くしゃがれた声でそう陛下が言う。……帰ってきた?
「アンナ、お前には伝えていなかった。お前は……双子として生を受けたのだ」
「え……?」
アンナ様が声を失う。国王陛下は言葉を続けた。
「だが、国に世継ぎが生まれたと発表されるよりも前、お前たちが生まれて間もなく、双子の妹はこつ然と姿を消した……。どこを探しても行方は知れず、拉致されたのかと疑ったが、誰に訊ねても怪しい人影すらなかった。だから、初めから妹はいなかったことにされて、お前は姉妹はいないと言われて、育てられた。元々お前はひとりで生まれたのだと、国民には伝えられ……今日まで経った」
「私に、妹が、いた? ……それが、このアンヌだって、お父様は仰るの?」
呆然というアンナ様に、私も声を失う。国王陛下は、何を言っているのだろう。
「アンヌ……。お前は……生まれてすぐに、名もつけられる前に消えた……もうひとりの王女だ。自分の子だ。見間違えるはずもない」
ベッドサイドに置かれた写真立て。まだ幼いアンナ様と、年若い王妃様、それに王様が毅然と立つ写真立てを取ると、その裏蓋を外す。その裏には、もう一枚の写真が隠されていた。生まれたばかりの女の子の双子を抱く、国王陛下と王妃様がそこに写っていた。
「アンヌ、お前はこの子だ。生まれて間もなく、奇妙なことに姿を消した、私のもうひとりの愛しい我が子だ」
突然の告白に呆然とする。
私は、平田安奈。日本で生まれて、育った、平凡な子供だったはずだ。……けれど、今考えると、お父さんとお母さんは、私とはあまり似ていなかった。もしも、もしも国王陛下が言っているのが本当だとすれば、私の疑問に全て合点がいく。
お父さんとお母さんが私と似ていないこと。
半分成人式の時に見せてほしいと強請った、私の母子手帳がなかったこと。
それでも、私は、日本で育って……。でも、生まれたのはどこの産婦人科で、だとか、そういう話を、お母さんは私を産んだ日の思い出を一切語ろうとしなかった。
私が生まれたのがこの世界で、生まれてすぐに私がこちらに来た日のように時空の歪みに飲み込まれて、お父さんとお母さんが私を拾って、育ててくれた? ……私は、元々こちらの世界で生まれていた?
国王陛下が大きく咽る。お付きのメイドたちが慌てて介抱に駆け寄ってくる。私とアンナ様は部屋の外に出され、ただ、呆然とそこに立ち尽くしていた。
「……アンヌが、私の妹……?」
「そんな、まさか……」
けれど、不思議なことにそれに違和感を感じなかったのだ。
この世界に来て、すぐに言葉を覚えられた。この世界の風習に馴染めた。この世界のしくみを理解できた。
私の世界と、アンナ様の住むこの世界がもしも表裏一体で、私の身になにかが起きて、私の育ったあの世界に飛ばされ、ただの子供として育てられただけなのだとすれば、この世界にすぐに馴染めたのも納得できる。
けれど、今すぐにそれを飲み込めと言われても、難しい。
「私、私は平田安奈。日本で生まれて、育った、ただの女の子だった……そのはず……」
混乱する私とアンナ様の元に、悠々と歩いてくる存在がいた。それは、アカデミーを卒業して、無事にエルフの宰相となったビビだった。……なぜエルフたちはこんな変わり者を宰相に据えたのかは、永遠に謎のままだろう。
「やぁやぁ、これはこれは、アンナにアンヌじゃないか! こんな所で呆然として、どうしたんだい?」
「ビビ」
アンナ様がビビに駆け寄り、詰め寄った。矢継ぎ早に喋りだす。
「ビビ、あなた魂の色がみえるのでしょう? 私とアンヌが双子だって、お父様が言われたの。アンヌは生まれてすぐに姿を消した、私の妹だって! お願い、ビビ。違うと言って。私とアンヌの魂は、まったく違うものだって言って!」
そう言われ、ビビは「あぁ」と声をこぼした。
「なるほど、それならば納得だ。君とアンヌは魂の色は違うけれど、その形はそっくりそのままだ。魂の色は育った環境で変わるけれど、形が同じ人間はふたりといない。君とアンヌが魂を分け合った双子ならば、何も不思議はない。そういうことだったんだね。顔がそっくりなのも、納得できるというものだよ!」
それを聞いて、アンナ様が崩れ落ちた。
「わ、たくしは……、実の妹に、影をさせていた……?」
「アンナ様……」
私はどう声をかければいいのかわからない。……私だって混乱しているのだ。急にお前たちは双子だったと言われても、急に「そうだったんだ」なんて思えない。
踞るアンナ様と、呆然と立ち尽くす私を見渡し、ビビは言う。
「実は僕も不思議だったんだ。血の繋がりもないのに、こんなにそっくりそのまま、魂を分かち合うように同じ形の者がいるのだろうかって。けれどね、アンナ、アンヌ。君たちが何故絶望しているのか僕にはわからないよ。姉妹の再会を祝い、喜び歌うことをせずに、どうしてそんなに暗い影をおとしているんだい?」
私は震える声を堪えながら言う。
「だって、そんなこと急に言われても受け止められないよ、ビビ。私、いつかは元の世界に帰れるかもって、ずっと思ってたから……」
「あぁ、アンヌが妹なのだとしたら……私は、実の妹になんて酷な仕打ちを……」
別々のことを嘆き合う私達を見てビビは首を傾げていたけれど、アンナ様の腕を取り、立ち上がらせて、私と並んで立たせる。そしてじっと見つめて、うん、と頷いた。
「運命というのは時に残酷なものさ、ふたりとも。けれどね、僕はこう思うよ。この世界に表と裏があるとして、アンナがアンヌを必要とするまで裏に……アンヌからすれば表かもしれないけれど、まぁとにかく、別の時空にアンヌを隠し、それまで大切に育ててもらっていたんじゃないかって。アンヌは生まれた瞬間から、王となるべきアンナの影として生きることを運命付けられていたんだろう。血の魔法がその証さ。けれど、王女として生まれたばかりのアンヌにそれが出来るとは限らない。だから、神はアンヌを隠したんだ。安全な世界で、アンナを守れるようになるまでね。その場所が厳しくも優しい世界だったことで、アンヌは純粋に育つことができた。現に素直なアンヌは、自分の才覚を活かし、アンナを守れるようになったじゃないか。真実がわかれば、後はシンプルな話さ。ふたりで協力しあい、この国を守り、育てればいい。これまでと何が違うんだい? 君たちが双子だったことは驚くべきことかもしれないけれど、絶望することはないさ。今までと同じ。姉姫であるアンナは王として、妹姫であるアンヌはそれを支える。今までとなにか変わることかい? アンヌは間違いなく、神からのギフトさ。アンナを守る使命を持って生まれ、アンナを守れる心の強さを持つように優しく育てられ、そして今、こうしてアンナを守っているだろう? それが神の定めた君たちの運命だっただけさ」
霊峰に守れた森で生まれ育ったエルフにそう言われると、そういうものなのかもしれないと思った。私はアンナ様を見る。私と同じ顔をしたお姫様。私はその影。何も変わらない。それなら、私は……
「アンナ様。私は何年も前に決めました。この生命の続く限り、アンナ様を守ろうと。それが双子の姉であろうと、まったくの他人だとしても、私の気持ちは変わりません。アンヌはアンナ様の影として生きます。これからも、変わることなく」
そう言って、アンナ様の冷えた手を取る。
「アンヌは、アンナ様のものです。私には好きな人がいますが、アンナ様が望まれるなら、その方よりもアンナ様を優先するでしょう」
「アンヌ……」
アンナ様が私に抱きついてくる。分かたれた魂。育った環境の違う魂。けれど、同じ魂だ。
「……これからも、私を支えてくださいまし。影として、友人として、そして、妹として」
「勿論です。それが私の定められた運命ならば。私も、あなたを守り続けたいと思います。たとえ、それが運命でなくても、変わりません」
涙を拭い、アンナ様が身を離す。その時だった。国王様の……本当のお父さんの部屋のドアが開かれ、メイドのひとりが言った。
「アンナ様、国王様がお呼びです。その影も、同行するようにと」
言われ、私達は慌てて部屋に戻る。国王様が身を起こし、真剣な目でこちらを見つめていた。
「お父様、お体は大丈夫なのですか?」
「あぁ、癒やしの術で随分楽になった。だが、私はもう長くないだろう」
「お父様、そんな……」
「アンナ。よく聞け。私の話を。私はお前に、王位を譲渡する」
周囲で息を飲む音が聞こえた気がした。
「お前はまだ未熟だ。しかし、神が定めた次の王はお前の他にはいない。……アンヌが戻ってきたのは、お前を守り、支えるためであろう。これから先、姉妹ふたりで手を取り合い、この国を守ってくれ。お前達ならば、それが出来る。成人するまでの後見人は妻であるクロエに任せよう。この父の意思、継いでくれるな、アンナよ」
アンナ様は膝をつき、深々と頭を下げる。
「はい。このアンナ・エトワル・ルジャース、謹んでお受け致します」
そして、国王様は私を見て言った。
「アンヌ、アンナを頼む。アンナに出来ぬことは、きっとお主ならば出来るであろう。これからは影としてだけではなく、アンナの妹として、しっかりと守ってやってくれるな?」
「はい、……お父さん」
「この私を父と呼んでくれるか。……ありがとう」
国王様は再び咳き込む。口の端から赤い血が滴るが、凛とした表情を崩さぬままに、言った。
「譲位式は明日執り行う。アンヌのことも公表しよう。しかし、アンヌはこれまでどおり、オーブルとしての任務を全うせよ。皆の者、良いな?」
ざわめきが広がる。執事長が慌ただしく動き出し、そして激動の一日が始まろうとしていた。
アンナ様が女王陛下になられるまで、あと二十数時間。