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夜空に飛来する卵  作者: 扇谷 純
住人たち
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第8話 「桜が綺麗だから」 Bパート

 石田という男は、容姿に恵まれていた。


 彫刻のように美しい骨格に涼しげな目つき。それが印象としては優しくもあり、妖しくもあった。本人さえその気になれば、異性の正気を狂わすのに十分な効果を発揮できる。


 あとほんの少し身長が高ければ非の打ち所のない高スペックとなり得たが、成長期に170センチへ到達し損ねたところで、彼の身長を伸ばすための発育システムはしくも停止した。もう二度と動き出すことはないだろう。


 白を基調としたシンプルな服装を好み、普段からタイトな黒パンツに大きめの白いシャツを着ることが多い。艶かしい黒髪は長く伸びた前髪を片方の耳にかけている。


 類を見ない童顔ゆえ、転任して日が浅い頃には登校時に正門で教師から生徒と間違えられてシャツをズボンに入れるよう注意された経験もあった。それについては時間が解決してくれたものの、口下手で言葉足らずの彼は、現在も職員室内で浮いた存在になることが多かった。


「先生。一度見て頂きたいんですけど――」


 振り返ると、部員内で唯一の男子生徒が石田のそばに立っていた。


 背が高く、体格の良い彼は、女子生徒の間では”ロダン”と呼ばれている。確かに考える人のブロンズ像に似ていなくもないが……。


「どれ?」


 石田は、男子生徒のキャンバスの前までゆっくりと移動した。


 描かれていたのは、大胆に配色された油絵だった。横一列に並んだ四体の石膏が、同じ方角を見上げている。


「綺麗に描けていると思うよ」


 石田は素直に感想を述べた。すると男子生徒は唐突に俯き、人差し指と親指で眉間の辺りに触れてから顔を上げた。


「先生は、この絵を見てどう感じますか?」


「石膏が四体並んでいるね」


「それだけですか?」


「何か意味があるのかい?」


 男子生徒は真剣な表情のまま、再び眉間の辺りを触った。考える際にそうするのが癖なのだろう。


 ――なるほど、確かに”ロダン”である。


「実はこの四体の中には、一体だけ人間が混ざっているかもしれないんです」


「…………」


「それが誰なのか、四体とも分かってない。だからお互いに疑心暗鬼になって、心の中を探り合っている。この絵はその一場面なんです」


「そういうコンセプトなんだね?」と石田は言った。「けれど、自分が人間だと認識している一体は、そもそも他者を疑う必要がないのではないか?」


「嘘をついているんです。みんながどこかで隠し事をしている。だから話がややこしくなってしまった。やがてどこからか綻びが出るのを、四体はじっと待っているんです」


「なるほど」


 石田は改めて、目の前の絵画をじっくりと観察した。「そうだね。問題があるとすれ――」


「なんでしょうか?」


「コンセプトに対するアプローチが、少し甘いかな。現状では伝わりづらいかもしれない。例えばこの――」


「分かりました。もう少し考えてみます」


「…………」


 ――子供は話を聞かない。熱量は、人一倍だが。


 騒々しいラジオ放送も終わり、下校した石田は自宅へと向かう電車に乗った。


 学校から最寄駅まで、通勤快速を利用しても一時間ほどかかる。彼はその間、音楽を聴きながら移り変わる景色や座席に座る人々を見るともなしに見ていた。


 最近はもっぱら、ジャズに心を奪われている。お気に入りはソニーロリンズのサキソフォーン。果てしなく広がる田舎道の合間に突如として現れる都会じみたロータリー、それら全てを分け隔てなく颯爽と通過するこの電車にはよく似合っている。


 昔はクラシックにも興味を持ったが、ジャズを聴いて以来は、少し物足りない気分になってしまった。


 最寄駅に着くと、スーパーに寄って夕食用に食材を買い足した。ワインショップにも寄ろうか悩んだが、腕時計を見ると帰宅すべき時刻が迫っており、その時間はなさそうだった。


「帰らないと……」


 静かに呟いた石田は、商店街を後にした。


 大通りを真っ直ぐ進むと、派手なランニングウェアを着た背の高い男がマンションの敷地内に入っていくのが見えた。この時間になると必ず見かける男である。彼は石田の前を足早に進み、エントランスでエレベーターに乗り込んだ。


 遅れてエントランスに着いた石田が見ると、エレベーターは四階に止まっていた。郵便ポストを手早く確認した彼は、再びエレベーターを呼び、四階のボタンを押す。上昇する鉄の箱の中で、彼は腕時計で時間を確認した。この調子なら、今日もタイミングを逃さずに済みそうである。


 扉が開き、石田が四階の廊下を右手突き当たりまで進むと、自室のドアノブに紙袋がぶら下がっているのが見えた。ゆっくりとそれを手に取り、中を覗き込むと、手書きのメモが入っていた。今日引っ越してきた隣人からの贈り物だと記載されている。


 つぶらな文字には愛嬌があり、菓子のパッケージは洒落たデザインをしていた。メモの一番下には隣人の名前も記載されている。


 ――足立さんというのか。丁寧な人だ。


 石田は扉の鍵を開け、室内に入った。

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