第64話 「どこで目撃したんだ?」Aパート
いざ連休に入ると、四階の面々は自室で好きに時間を過ごしていた。けれど、各々が何をしているのか、そのすべてを把握する者は誰ひとりとしていない。
机に向かって素早くキーボードを叩く前野は、何時になく集中力に満ち溢れていた。この一ヶ月、どれだけの時間を無駄に費やしてきたことかと後悔の念に駆られつつ、それでもこの瞬間がようやく訪れたことに対する喜びの方が遥かに上回っていた。心地よく鳴り響く風鈴の音色ですら、今の前野には届かない。
駆け出しの頃、手首が腱鞘炎になるまでひたすらタイプした日々が今では懐かしい。手首が痛いことよりも、タイプする内容自体が浮かばない瞬間、その一瞬の連続が最も心を苦しませるということを今では知っている。
ヒントは思いがけないところに転がっていることが多い。思考は常に回転させる必要があった。会議室で会議を行うことが不毛な結果を生み出すように、机に向かって悶々とし続けるだけでは、一向に転機は訪れない。
馬鹿げた連中とつるんだおかげで、新たな人物設定が浮かんできた。無駄な時間など、本来どこにもないのかもしれない。
「おぉ、手が止まらん!」
誰彼構わずに感謝を捧げたい気分だった。人は誰かに支えられて生きている。一人の力で獲得出来うるものなど、何一つ存在しない。全ては連続体の中にある個々にしか過ぎず、その自覚こそが、新たなステージへの扉を開くのだ。
……なんて。調子が良い時はすぐ感傷的になる。これも、悪い癖だ。
カチャッ!
力強くエンターキーをタッチすると、室内には唐突に静けさが舞い降りた。
ようやく、風鈴の音色が耳に届き始める。
「……できた」
前野は出来上がった原稿を読み返しつつ、自らの創作物に向かってにやけ面でこう言い放つ。
「ははっ。こりゃ非常に、――まずいな」




