第59話 「恥ずかしいんですけど」Bパート
「うわっ!」
ぬいぐるみのような風貌の茶色い物体は、息を荒げて廊下を跳ね回っている。よく見ると、あ、犬……。ぬいぐるみではなくプードルだ。主人の帰宅にひどく興奮しているようね。
「こら、ユウ!」リナちゃんは犬を叱りつけ、「ごめんなさい。私が帰ってくるといつもこうなんです」と屈んで犬をなでながら言った。
リナちゃんは床に伏せるようプードルに指示した。すると相手は息を荒げて地面に伏せながら、大人しくこちらを見上げている。
「へぇ。賢い」と足立が呟くと、「そうなんです」とリナちゃんは自慢げに答えたが、「でもこの子かなり甘えん坊で、たまにわざと悪戯して気を引こうとするんですよ」と言った。
可愛い子って、動物にも溺愛されるのね。
部屋に入ると、予想以上に家具が少なかった。どちらかといえば、ペット用品の方が多いくらいだ。毎日会社で見るあの華やかな衣装たちは、一体どこに眠っているのだろうか。
「私、パパッとご飯用意しちゃうんで、先輩はユウの面倒見ててもらえますか?」
「あ、うん。りょーかい」
ペットくんは部屋の中をわんぱく小僧のように歩き回っているが、足立のことが気になるようで、時おり匂いを嗅ぎにやって来る。
リナちゃんはご飯を作る合間に冷えたグラスとビールを丸いテーブルの上に置き、「すぐに用意できるんで、飲みながら待っていてくださいね」と言った。
なんて気の利く娘なのかしら。嫁にほしい……。
彼女はてきぱきと調理を済ませ、テーブルの上には次々と出来上がったお皿が配膳されていく。和え物と、彩り豊かなビーンズサラダと、それにメインディッシュのアクアパッツァ! 何とも洒落た献立か。
「すごい! お店で見るやつ!」
「わりと簡単なんですよ」などと謙遜しつつ、リナちゃんは白ワインのボトルを優雅に開封すると、ワイングラスに注ぎ始めた。
早速乾杯をすると、足立は出来る限りお行儀よく”いただきます”の挨拶をした。
「あ、このワイン美味しい」
「そうでしょ? ずっと先輩におすすめしたかったんですよ」彼女もワインをひとくち飲み、「駅の近くのワインショップで買ってきたんです。店員のおじさんがワイルドで格好良いんですよ」
「へぇ、そうなんだ。私も今度行ってみようかな」
「ぜひぜひっ」
料理を頂いてみると、これまた絶品だった。どれを食べても足立が「旨い旨い!」とはしゃぐものだから、リナちゃんは照れたように苦笑いを繰り返した。
ペットくんは彼女の近くに陣取り、専用の器に盛られたご飯をむしゃむしゃと貪っている。まったく。あんたは幸運な犬だよ。
「それにしても、リナちゃんがペットを飼ってたなんて知らなかった」
「去年から飼い始めたんです。本当は飼うつもりなかったんですけど――」と、彼女はペットくんを見つめ、「偶然通りかかったお店にこの子がいたんです。遊び疲れて眠ってたみたいなんですけど、私が通る時に突然起き上がって。それで、お腹見せてきたんですよ。何だか可愛くって」
「へぇ。何だか運命的だね」
当の本人は、食べ終わった途端に眠っているけれど。
「先輩も飼ってみたらどうです? すっごい癒されますよ」
「うーん、可愛いけど、……私には無理かなぁ」と、足立は困った顔で答えた。「旅行とか結構行く方だし、その度に預けたりするのも大変そうだもん。他人に預けるのって、何だか気が引けるしね」
それを聞いたリナちゃんは「そうなんですよ!」と鋭い口調で答えると、「実は先輩をわざわざお呼び立てしたのは、そのことなんです」と言って姿勢を正した。
「実は私、ゴールデンウィークに海外旅行の計画を以前から立てていまして……」
「うん」
「それで、友達にこの子を預かってもらう約束をしてたんですけど、最近になってその友達に彼氏ができたらしく、急に予定を入れちゃったと言われてしまったんです」
「えぇ、ひどい」
「預かってもらえそうなお店も探したんですけど、近くはもうどこも予約でいっぱいで……」
そこまで話したリナちゃんは、足立を正面から見つめ、「勝手なお願いだとは思うんですけど、できたらお家も近くて信頼できる先輩に預かってもらえないかと思って」と言った。「どうでしょうか?」
「え、どうって……」
「もう先輩しか頼れる人がいないんですぅ!」
必死な様子でお願いしつつ、上目遣いを忘れない後輩の姿が何だか妙に面白かった。同時に、真剣さも伝わってくる。
「私で良ければ、別に預かってもいいけど」と足立が答えると、「本当ですか!」と声を上げたリナちゃんは、「ご飯はコレを! トイレはこれで! あとあと、#%$%’&――」などと弾丸のように説明を始めた。
「あぁ、……うん。名前はユウちゃん? で良いのかな」
「あ、ユウは男の子です。呼んでみてあげてください」
試しに名前を呼ぶと、彼は顔を伏せたまま尻尾をゆらゆらと揺らせている。ちゃんと自覚はあるようね。
「ユウって名前は、どこから取ったの?」と足立が何気なく尋ねると、彼女はプードルさながらに顔を伏せながら、「実は……、元彼の名前なんです」と小声で答えた。
「へ、へぇ」
「別に未練があるとかではないんですよ? この子の顔が、何となく彼に似ているように思えたんです。彼、すごく甘えん坊なところもあったから……」
取り繕うように説明するリナちゃんは、顔を仄かに赤らめている。
甘えん坊の彼……。彼女が一途に彼氏の面倒を見る姿など、会社で見てきた印象からは到底想像できなかった。ペットに元彼の名前をつける女子は少なからずいるとは思うし、悪いことだとも思わないけれど、まさかあのリナちゃんが……。
当然教えてくれないだろうと思いつつ、「へぇ、どんな人だったの?」と足立は試しに尋ねてみた。
「…………」
あぁ、やっぱり。と思っていると、おもむろに立ち上がった彼女はタンスの引き出しから写真を取り出した。
「自分も写ってるから、ちょっと恥ずかしいんですけど」と言いつつ、彼女は写真を見せてくれた。
「ほう、どれどれ」などと言いながら野次馬根性丸出しの気持ちで覗き込んだ足立だったが、写真に映った人物を見た途端、彼女は言葉を失った。
うそでしょ。この人って……。
彫刻のように整った顔、浮世離れした妖艶さ、人形のように美しい――イケメン!
リナちゃんと肩を並べ、少し翳りのある表情でこちらを見つめていたのは、足立の隣室の住人、――石田だった。




