第57話 「あなただから、お話したんです」Bパート
前野は黒電波に見つからぬよう車の陰に身を潜め、やり過ごすことにした。奴はゆっくりと一台ずつ車を調べている。上手く移動すれば、避けることは容易だ。
しかしながら、今度は通りの向こうから二人組の女が歩いて来るのが彼の目に入った。一人は昨晩にも見た顔で、もう一人は背が低い。あれが後輩とやらか。
黒電波も彼女たちに気づいたようで、ゆっくり方向転換すると入口付近を眺め、気味悪く口元を歪ませている。
「……仕方ねーな」
前野は屈んだまま走り出し、黒電波のそばまで一気に距離を詰めた。
「あんた、何やってんだ?」
振り返った男は、無機質なガラス玉を彼の方に向けて微笑んだ。
「おや。あなたですか」驚いた様子もなく答えた黒電波は、おかしな装置のスイッチを切った。「あなたからお声掛け頂けるなんて、珍しいこともあるもんですねぇ」
男は前野の全身をひと舐めするように眺めると、「はて、前回はこの時間にランニングを終えられていましたが、今日はまだのようですねぇ」と言った。「あなたはタイプ的に見て、毎日同じ時刻に走る方かと思っておりましたが」
「俺がいつも同じ時間に走るとは、限らんだろ」
「いやはや、あなたはそういう事にとことんこだわるタイプでしょう。分かりますよ」
男は手に持った端末を大事そうに撫でている。
「仮にそのルーティンが崩れる事があるとすれば――」と言いながら歩み寄る男は、前野の匂いをくんくん嗅ぎ、「よほど、重要な用事でもできましたか?」
「…………」
相も変わらず、妙に頭の回る男だ。
「まぁ、あたしも今は職務中ですので、関わっている暇はありませんけども」
「職務?」
「えぇえぇ。これでも仕事熱心なんですよ」男は嬉しそうに答え、「やっと、本格的な探索装置を試す許可が降りましてねぇ。まぁ、これのことなんですが」
黒電波は愛おしそうに装置を眺め、「宇宙船が見つかるのも、これで時間の問題ですよ」
さすがに、警察を呼ぶとするか。
「くれぐれも内密に頼みますよ。《《あなただから》》、お話したんです」
「感謝のあまり、涙も出ないな」
前野はポケットから携帯電話を取り出そうとした。すると男はさっと彼の前から離れ、「この辺りはもう良いでしょう」と呟いた。「まだ調べていない地域に赴くとしましょうか。楽しみですねぇ」
そう言うと、男はあっという間に路地の中へと姿を消してしまった。
「確かに。働き者だな」
安堵とともにため息を漏らした前野は、敷地の入口に目を向けたが、すでに女どもの姿はなかった。観測すべき機会を完全に見逃してしまった。日も沈み始めており、周囲は少しずつ光を失いつつある。周囲に人がいないことを確認すると、前野は急いで先ほどのポイントまで移動してみた。
身を屈めながら単眼鏡を構え、ベランダにピントを合わす。
ベランダの窓が閉まっていた。カーテンも。さらに先ほどまでは支柱の横に見られた黒い影も消えている……。
「やれやれ」
観察する対象を失った惨めな探偵は、用なしになった単眼鏡をしまうと、のそのそと自分の部屋に帰って行った。




