Practice3 もう一つの顔
最新話を更新します。最後まで読んで頂けたら幸いです。藤波真夏
Practice3 もう一つの顔
弦と七海のトラブルから翌日。
本日稽古はおやすみである。しかし、劇場には弦の姿があった。ハジメの提案である他五人の様子を観察することになっている。
ハジメが劇場から出てくる。弦は挨拶をした。じゃあ早速行こうか、とハジメはメモ帳を取り出した。そこには弦を含めた六人の情報がびっちり書かれている。
夜と瑠衣は大学生ではあるが、大宙と鈴に至ってはまだ高校生だった。親御さんとの信頼確率にするためにこうして連絡先などを控えている。
「ハジメさん。それ職権乱用なんじゃないですか?」
「僕が見るぶんにはいいんだ。今回だけだよ」
ハジメはウィンクをした。弦は不安になった。一方的な相互理解の場をこうして設けているため文句の使用がない。
「この時間帯だったら学生組は全員学校。さすがに学校まで行ったら怒られるからね。七海のお弁当屋さんのほうが近いからそっちの方行ってみよう」
ハジメと弦はまず七海が働いている東弁当へ向かった。
劇場からバスに乗って数分後、バス停を降りると星川町の人たちに愛されているお弁当屋、東弁当が見えてきた。
時間はちょうどお昼時。弁当屋は嬉しい悲鳴を上げていた。
「繁盛してるねえ」
「すごい・・・」
ずっと見ているとお弁当をテイクアウトしていったお客さんを見送る七海が見えた。三角巾をして割烹着を身につけていた。まさに東弁当の若女将だ。稽古では見られない姿だ。
舞台を降りれば七海も若女将としての職務を全うする日々を送っているのだ。
「東・・・」
七海はハジメと弦が隠れて観察していることに気づかず、そのまま店の中へと戻って行った。
ハジメと弦が店の前へ向かう。東弁当はお客さんが店内に入る扉、その隣には窓枠が設置され、そこで毎日七海がコロッケを揚げていた。
この日も七海はいつものようにコロッケを揚げていた。網の上には揚げ上がった出来立てホヤホヤのコロッケが置かれていた。弦とハジメの腹の虫がコロッケの香りで刺激されてお腹が鳴りそうになった。
早く立ち去ろうとした次の瞬間、弦の耳に聞き覚えのある台詞が聞こえてきた。
『そんなにこの世界のことが知りたいか?』
『ここは少年王と名高いツタンカーメンの都。少年王の誕生に民衆は騒ぎ倒したものだ』
『カルミオン。私を絨毯に包み、カエサルの屋敷へ持って行きなさい』
クレオパトラの台詞だった。
声は紛れもなく七海のもの。よく見ると七海はコロッケを揚げながらクレオパトラの台詞を迷惑にならない程度に声を出して自主稽古を行っていた。
「東・・・」
昨日は悪かった。
そんな言葉をかけようとしたがハジメに声をかけられて東弁当を後にした。
次に向かったのは星川町駅。
そこから電車に揺られること数分。電車を降りるとそこはもう星川町の面影ゼロの大都会。弦の地元である星川町とは全然違った。改札を出てそこからさらに徒歩十五分ほど歩いたところに大学のキャンパスがあった。
「透名大学?」
「瑠衣が通っている大学だよ」
大都会のど真ん中に現れた白い建物。
大学前にはたくさんの人が行き交い、学生たちもキャンパス内を歩いていた。ハジメの事前情報によると、瑠衣は授業を受けていて時間的にはもうすぐ終わって家へ帰る頃であることが分かっている。
しかし大変なことがある。
「大学って人がたくさんじゃないですか。その中からどうやって綾瀬を見つけるんです?」
「待ち伏せ作戦」
「本気ですか? ハジメさん」
少しどころではないドン引きをする弦。別の方法を探すことを提案しようとした瞬間、ハジメは弦の腕を引っ張り、視界の入らない場所へ隠れた。
「瑠衣が来たぞ」
タイミングよく瑠衣が大学正門の前へやってきた。こっそりと覗くと長い髪を一つに結い上げ、メガネをかけている。どうやら誰かと話しているらしい。
「誰と話してるんでしょう?」
「わからん」
誰と話しているのか、そこまでハジメはわからない。これ以上踏み込めば、プライバシー保護が聞いて呆れるほどではなく、不審者として警察に突き出される未来が見える。
二人は他人のフリをしながら、瑠衣を観察し続けた。
瑠衣は話している男性に頭を下げた。そして門の方へ向かってきた。
二人は雑談してる風を装ってその場をやり過ごそうと決めた。瑠衣はハジメと弦がいることに全く気付かずに歩いて行ってしまった。
「ビビった・・・」
「瑠衣の鈍感に感謝だね。多分、あの方向は駅だな」
ハジメと弦は瑠衣と一緒に電車に乗り込み、再び星川町へ戻ってきた。
星川町駅の改札を出ると、瑠衣は家とは別の方向へ歩いていく。不思議に思ったハジメと弦はついていくことにした。時刻は午後。西日が辛い時間だ。
暑さに耐えかね、ハジメは自動販売機で飲み物を調達してくると弦に言った。迷子にならないようにGPSをオンにしておく。
瑠衣が入って行ったのは星川町にある公民館。弦は瑠衣の後を追うように公民館の中に入って行った。瑠衣は公民館窓口に入り、部屋の使用許可をとって部屋の中へ入った。
さすがにこれ以上は入れない。
弦が諦めて公民館から出ようとした次の瞬間、
『ツタンカーメン。あなたはこの国のファラオなのですよ? それらしい振る舞いをしてください。私は心配でなりませんよ?』
『エジプトに栄光を! 繁栄を! 王妃として、この国を繁栄へと導こう!』
明らかに聞いたことのある台詞が耳に入った。
瑠衣が演じるネフェルティティの劇中台詞だった。七海のようにはっきりは聞き取れなかったものの、頭の中にある台本が「これはネフェルティティの台詞」と教えてくれている。
弦はその場に立ち尽くしてしまった。
「綾瀬・・・」
そんな沈黙を破るように弦のスマホに搭載されたGPSを頼りに、ハジメが飲み物を持って公民館へ駆けつけた。
「弦! 飲み物!」
「シッ!」
弦が人差し指を自分の唇に当てて制した。ハジメはごめん、と呟くと何かわかった? と聞いた。
「綾瀬はここで稽古してました」
「そうか・・・」
「家にも帰らずに直で・・・」
弦は言葉に詰まった。
それを覆い隠すため、ハジメにもらった炭酸飲料をゴクゴクと喉に流し込んだ。炭酸特有の弾ける泡が喉に刺激を与えた。いつもは刺激などほとんど感じないが、今日ばかりは喉が少し痛かった。
公民館を後にして次に向かったのは、高校生組二人だ。
ハジメは事前に今日の予定を聞くことに成功していた。ハジメは二人をこのように把握していた。
「大宙は陸上部、鈴はバイト。帰ってくるのは少し遅くなっちゃうらしいな」
弦はそうですか、とため息をついた。大宙と鈴は役者の前にまだ高校生なのだ。優先順位が弦とは異なっている。それこそが考え方のすれ違いを生んだのである。
ハジメと弦は諦めて次の目的地へ向かった。
再びバスに乗って揺られること数分。停留所を降りるとすぐに朱色の大きな鳥居が出迎えてくれた。ここは弦でも知っている場所だ。
「ここは桜田神社じゃないですか」
「ここが、夜の家だよ」
弦は本当ですか? と返した。しかしよく考えてみれば、夜の苗字は桜田なので何の不自然もない。二人は少し暗がりの境内へ入って行った。
桜田神社の境内は人っ子ひとりいない。太陽はすっかり沈んで、夜空に変わっていた。こんな時間に参拝する人間はほとんどいない。二人は手水舎で手を洗って身を清めて、神社の祭神に手を合わせた。
「厳かだね」
「桜田神社の祭神は出雲阿国なんです。出雲阿国は歌舞伎の祖とされていて、芸事の神様として祀られている場所があるんです。だから、歌舞伎役者や演劇に関わる人間は必ずっていいほどに参拝しているんです。桜田神社もその一つって、だいぶ前に聞いた気がします」
弦が言った。
そうして帰ろうとした時、神様にもっと近い社に光が灯る。弦とハジメはそれに気づいてそっと近づいた。そこには動きやすいジャージに身を包んだ夜の姿があった。
「何をしようと?」
弦が呟くと夜は台本片手に動き出す。
『我が名はオクタウィアヌス。ローマ帝国の将軍だ』
『その美しさ、まさにエジプトの至宝。数々の男どもを手玉に取ってきたのだろうな』
『クレオパトラ、お前をローマ帝国の繁栄のために利用させてもらうぞ!』
オクタウィアヌスの台詞であった。
芸事の神様の祀られている社近くで行う自主練習。下手したら罰も当たりかねない。
「桜田も・・・」
「帰ろうか」
ハジメは弦を連れて桜田神社を後にした。
バスに再び揺られて劇場前へと戻って来た。ハジメは弦にどうだった? と聞いた。弦は少し反省していると話した。
「あいつらはあいつらなりのケジメをつけて工夫をして台本を読んで、役を落とし込んでいたことが分かりました。俺が真剣なように、あいつらも真剣なんだなって・・・」
「演劇経験者の俺にも弦の気持ちはわからないわけじゃない。だけど、真剣なのはみんな同じだってこと。それを弦にわかってほしい。きっとあの五人は弦の最強の仲間であり、最強の味方になってくれるはずだよ」
ハジメはそう言った。
それを聞いて弦は過去を思い出す。地位と順位にこだわりすぎて仲間が離れ、一人ぼっちになってしまった「孤独な独裁者」だった弦。「孤独」も「独裁者」も全てを取っ払ってくれる仲間がいるということを実感させた。
「孤独な独裁者」が抜けないまま、チームポラリスに入り、仲間になるはずの五人を突き離し、さらに準主役で支え合わなければならないはずの七海を突き飛ばして怪我もさせてしまっている。
その後悔がとめどなく溢れた。
「弦。明日は稽古がある。その時には・・・」
「わかってます」
弦はうつむいたまま言った。ハジメはそれ以上のことを言わなかった。そうか、とだけ言うと気をつけて帰るように告げた。
弦は礼をして歩いて行った。弦の後ろ姿を見守った後、ハジメは鍵を開けて劇場の中へ入った。
弦は歩きだながらしゃくりあげていた。目からは今まで経験したことのない大粒の涙がとめどなく溢れた。
悔し涙か、悲しい涙か、嬉し涙か、それは弦本人にもよく分からない。知らないままに溢れる涙を止めることはできなかった。涙で視界が滲み、物を判別できる状態ではない。
しかし心の中は不思議なほど穏やかで、濁流のような激情は一切感じなかった。
自分を理解してくれる、そして支え合える仲間がいる。仲間でありライバルでもある五人は、最強の味方になる。
その言葉が弦の心に突き刺さったまま。
弦の中で「孤独な独裁者」がどんどん消えていくのであった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。感想&評価等よろしくお願いします。藤波真夏