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夢の舞台はポラリスで  作者: 藤波真夏
Program No,03「色の妖精」
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Practice3 募る感情

Practice3 募る感情

 稽古二日目。

 変わらずに瑠衣と鈴はボリュームアップ稽古に励んでいた。まだ稽古の成果は見られない。そしてエンドレスに声を出し続けて、体は激しい運動をした後のようにどんどん疲弊していった。

 持っていた水筒の中身がなくなり、瑠衣は劇場を出て外にある自動販売機に飲み物を買いに向かった。冷えた水の入ったペットボトルを手に取ると大きなため息をついた。ハジメが励ましてくれたが、完全に焦りが消えたわけではない。むしろ、肥大するばかりだ。それは瑠衣だけではなく、鈴も同じだろうと瑠衣は思った。

 レッスンルームへ戻ると鈴がつかつかと瑠衣の前へやってきた。何事か? と瑠衣は身構える。恐る恐る聞いてみる。

「鈴。どうしたの?」

「遅いですよ! 早く稽古しましょう!」

 催促の言葉だった。瑠衣はなんだ、とどこか安堵の気持ちになった。ペットボトルの水を喉に流し込む。少しぬるくなった水が喉を通る。カラカラだった喉は一瞬で潤いを取り戻した。

 そして再びお互いで向かい合い、ボリュームアップ稽古を再開した。

 午前中からぶっ通しでその稽古だけを続けている。そのおかげか、瑠衣に稽古の成果が所々見え隠れし始める。不安だった距離を楽々クリアし、さらに記録を伸ばした。ハジメが提示していた合格ラインに近づいた。

 しかし一方の鈴はなかなか合格ラインに近づけなかった。瑠衣も協力して合格ラインに少しでも近づこうとするが一歩も動けなかった。

 次第に鈴の表情は曇り始めて、最初のような元気は一切感じられなくなってしまった。瑠衣は鈴に話しかける。

「鈴。大丈夫?」

「・・・」

「鈴?」

 鈴に話しかけたが返事がない。瑠衣はもう一度名前を呼んだ。すると鈴は瑠衣をギッと睨む。瑠衣はその瞬間、背中に氷のように冷たい何かが吹き去る感覚を覚えた。この感情を瑠衣は知っている。冷たくて、鋭くて、心をえぐる刃物のような---。

「なんで瑠衣さんはそんなにできるんですか?! このままじゃ、演技に進めないのに!」

「鈴。落ち着いて。まだ時間はあるんだし、焦らなくても」

「私だって忙しいんです! バイトだってあるんです! 時間を割いているんですよ?! それなのに・・・。主演なのに・・・!」

 鈴が溜まっていただろう怒りを瑠衣にぶつけ始めたのだ。瑠衣は鈴が放った鋭い感覚にえぐられないようにしながら、心を落ち着かせて語りかける。瑠衣が鈴の肩に触れた次の瞬間だった。

 パンッ!

 鈍い音がレッスンルームに響いた。その音はすみで読み合わせをしている四人にも聞こえるほど大きな音。四人が音のする方向を見ると、鈴が瑠衣の手を振り払っているのが見えた。

 瑠衣は振り払われた腕を押さえながら鈴を見ていた。

「瑠衣さんには・・・私の気持ちなんかわからない!」

 鈴がレッスンルームから出て行ってしまった。瑠衣はその場に立ち尽くし、追うことができなかった。鈴に振り払われた腕には鈍い痛みが走る。その痛みはどんどんと腕の感覚を麻痺させていった。心理的な意味でも瑠衣の心を刃物でえぐったのだ。その影響が現れている。

 瑠衣の元へ駆け寄ってきた四人は何があったのか、と聞く。すると瑠衣は無理やり笑った。

「私がしっかりしてないから・・・。ごめんなさい」

 声はすでに涙声に近いが、涙を落とさないように無理やり押さえつけている。しかし、瑠衣は悔しさと悲しさで気道が徐々に閉鎖され喉が閉じられるような感覚に陥る。すると夜が瑠衣の手を取る。

「瑠衣ちゃん。怪我、大丈夫?」

「大丈夫だよ。そんな心配しなくても・・・」

 瑠衣がその場を取り繕うとすると今度は七海が割り込んでくる。

「それは夜の言う通りよ。手当しないと。経験者の言うことは聞くもんだよ?」

 七海に言われてしまうと瑠衣は反論をすることはできない。瑠衣はわかりました、と素直に従った。するとハジメがやってきた。

 ぶつかり合い待ってました、とばかりに少し苦笑いをする。瑠衣の腕を見てふうっと息を吐いた。

「チームポラリス恒例のぶつかり合いだね・・・。七海は瑠衣の手当。男子は全員稽古に戻って。鈴のところには僕が行く」

 ハジメがそう言うと瑠衣が待ってください! とハジメを止めた。その理由をハジメが聞くと瑠衣は答えた。

「私は準主演です! 鈴のところには私が・・・!」

「ダメだよ。今瑠衣が行ったら火に油を注ぐようなものだ。僕に甘えなさい」

 ハジメはそう言って笑った。ハジメは逃亡した鈴のところへ、男子三名は稽古へ、七海は瑠衣の手当を行った。

 七海は瑠衣をパイプ椅子に座らせた。そして長机を組み立てて、瑠衣に叩かれた腕を置くように指示をした。瑠衣が机に腕を置くと、鈴に叩かれたところは真っ赤に腫れ上がっていた。肌の下に煮えたぎったマグマがあるように熱い。血液が沸騰しているのだろうか。

 これには七海も驚く。まずは冷やそう、とタオルにスポーツ用冷却スプレーを吹きかけて患部にあてた。しかし熱はなかなか逃げない。まさにマグマだ。七海は何度もタオルに冷気を吹きかけて冷やし続けた。

 ところが熱は引かない。ついには稽古中の男子たちと交代で冷やし続けた。

 そして夜に交代になり、タオルに冷気を吹きかけて患部にあてていると夜は瑠衣に話しかけた。

「何があったの?」

「・・・」

「瑠衣ちゃん!」

 夜が強く迫る。すると瑠衣はその気迫に勘弁して口を割り始めた。

「鈴、自分がなかなか声量上がらないことにヤキモキしてたみたいなの。うまく励ませなかった・・・。私が悪いの。もっといい言い方があったかもしれないのに・・・」

「自分を責めたらダメだよ。瑠衣ちゃんにも罪があるかもしれないけど、鈴にだって罪がある。だから自己責めはダメだよ。闇に引きずり込まれて、大変なことになる」

 夜がそう言った。瑠衣は静かに頷くことしかできなかった。そうこうしている間に瑠衣の腕でマグマのように発していた熱は収まり始めた。夜は七海を呼んで、あとはお願いします、と稽古に戻っていった。

 七海は薬用シップを貼り、包帯で巻いた。

「まずは応急処置。家に帰ったら新しいものに取り替えてね」

「はい。ありがとうございました」

 瑠衣は頭を下げた。腕に巻かれた包帯。違和感以外の何物でもない。知らない間に重りをつけられた気分だった。瑠衣は違和感を抱えたまま、稽古へ戻った。



 一方のハジメは通し稽古や本番の時のみ開放される鈴専用の楽屋にいた。

「鈴?」

 ハジメが楽屋の扉を開けると、椅子に座って机に突っ伏す鈴の姿があった。ハジメが近づくと鈴は微動だにしなかった。

「鈴。稽古に戻ろう」

「嫌です」

 鈴はそう言った。するとハジメは少し困り顔になる。まるで駄々をこねて出てこない娘を外に連れ出そうとする父親のようだ。ハジメは鈴に言い聞かせる。

「鈴。瑠衣には『私の気持ちなんかわからない!』って言ってたよね? 確かに鈴の気持ちはわかる。でも、その時の瑠衣の気持ちは今の鈴にはわからないとも言える」

「何が言いたいんですか?」

「それぞれに事情があるってことだよ。鈴はたくさんアルバイトを掛け持ちして、学校も言って、チームポラリスにも所属して頑張ってる。これは誰にも真似できないし、僕だって真似できない。気持ちをわかってあげられない、というのも辛い。でも、瑠衣だって事情がある。大学生活の合間を縫い、アルバイトの合間を縫い・・・頑張ってレポートも終わらせて来ている。瑠衣だって同じ」

 ハジメはそう諭す。

 チームポラリスの誰もが様々な過去を抱え、さらに事情がある。その過去は美しい思い出だけではない。今すぐにでも消し去りたい思い出や今を生きたくてもその思い出が鎖となって動けない人もいる。

 過去が暗いあまり記憶を失ってしまっている人もいる。夜がいい例だ。

「全てを理解しろ、なんて言わない。でも、鈴も瑠衣もみんな頑張ってるのは僕が知ってる。もし、鈴が声量小さいってバカにされてても努力を重ねて稽古は必死にやっていました、って弁明できる」

「宮原さん・・・?」

 鈴が顔を上げた。ハジメは笑顔を作る。

「いいかい、鈴。前も言ったけど、焦りは時に心を破壊する引き金になる。感情が爆発してそれが弾丸となって人を殺していく・・・。すぐにできることを僕は望んでいない。稽古の中で発見をして、そこからヒントを得て着実に成功していくのがいいよ」

 ハジメは言った。完璧を求めてない、と何度も鈴に言い聞かせる。焦りという紐で縛られていた鈴を解いて解放していく。

「もう稽古は終わる。今日は頭を冷やすんだ」

「・・・はい」

 鈴は小さく返事をした。するとハジメは振り向かずにそういえば、と思い出して言った。

「瑠衣と会うのが気まずいなら、鈴が先に帰ったって言っておく。もう帰りなさい」

 鈴は返事すらしなかったが、鈴は稽古着のまま荷物を持ってハジメだけが出入りする関係者専用出入り口からそっと帰っていった。



 ハジメがレッスンルームへ戻ってきた。その瞬間、静かになる。そのそばに鈴の姿がないことに瑠衣が動揺している。ハジメが集まるように言った。

「今日はもう遅いし、もう稽古は終わりにしよう。鈴は疲れていたみたいだから先に帰らせたよ」

 五人は静かに頷いた。しかしそれでも瑠衣だけは表情は浮かない。まだ自分を責めているのか、と。するとその感情を汲み取ったハジメが瑠衣に言う。

「瑠衣。君に全責任を押し付けたりはしないよ。二人とも焦りで感情が乱れておかしくなってただけなんだ。家に帰ったらゆっくり休みなさい」

「・・・はい」

 瑠衣はそう返事をした。

 全員着替えた後、少し暗い夜道を歩き出す。街灯の下を一人で歩く瑠衣。暗い表情でとぼとぼと歩き、時たまにため息を漏らす。

 すると背後からドン! と押される。

「・・・?!」

「瑠衣!」

「七海さん?」

 七海だった。七海は瑠衣の暗い表情を察して瑠衣を自分の店へと誘った。瑠衣は申し訳ないからと断ろうとするが、七海は半ば強引に店へと連れてきた。

 七海は瑠衣を店の席に座らせた。もう弁当屋は店じまいをしている。七海はすぐに割烹着をきて冷蔵庫から様々な材料を取り出して料理を行う。包丁で刻む音、油を注いだフライパンに何かが投入され弾ける音。その音を聞きながら瑠衣は待った。

「お待ちどうさま。東七海特製野菜炒めとサービスのご飯。さ、食べて」

 瑠衣の目の前にはキャベツやニンジン、ピーマン、豚肉の入った即席野菜炒め。瑠衣は手を合わせていただきます、と言うと箸を持って野菜炒めを掴み、ご飯と一緒に口の中に入れた。

「おいしい・・・」

 野菜の旨味が口の中で広がる。そして醤油で味付けがされている豚肉もいいアクセントとなってご飯が進んだ。七海はでしょ! と笑った。すると七海は瑠衣に話しかける。そして瑠衣は口の中にご飯を含めたまま声を出さず首をかしげた。

「瑠衣」

「?」

「準主役は主役を支えてなんぼよ。そしてぶつかり合いは悪いことじゃない。それを乗り越えた時に鈴も瑠衣も今まで以上に見える景色が変わってくると思うわ」

「七海さん」

「大変だったらいつでもおいで。即席おかずだったらすぐに作ってあげるわ」

 七海の言葉がじわじわと染みるのを瑠衣は感じた。準主役という大役を乗り越えたからこそ言える言葉だ。それが瑠衣にとってどれほど心強いか。

 瑠衣は礼を述べて野菜炒めを口の中に運び始めた。



 一方、団地の一室。そこに鈴は住んでいる。寝室らしき部屋に閉じこもっていた。鈴のため息が聞こえてきた。すると襖が開く。そこには少し鈴の面影が残る少女だった。鈴よりも長い髪の毛を持って中学校のジャージを着ている。

「お姉ちゃん。ご飯できたって」

アヤか。うん、わかった」

 鈴の妹・綾が呼びに来たのだ。鈴が立ち上がり、家族全員が集まる。そこには鈴と綾だけではなく、鈴と綾よりも小さい子供達が大勢いた。

 及川家はまさかの六人兄弟だ。

 長女は高校一年生の鈴。次女は中学一年生の綾。三女は小学五年生のユメ。長男は小学三年生のイツキ。四女は四歳のサキ。次男で末っ子のタクにいたってはまだ三歳。及川家は上は高校一年生から下は三歳を要する大家族だった。

 及川家は毎日が賑やかだ。長女の鈴は毎日大変な日々を過ごしていることが想像がついた。鈴は兄弟たちの面倒を見終わるとハジメの言った通り早めに眠った。



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