Practice1 始まりの始まり
最新話を更新します。最後まで読んでいただけたら幸いです。藤波真夏
Practice1 始まりの始まり
チームポラリス正式発足から数日後。
劇場内の清掃及び整備が完了し、ようやく六人を本格的な稽古を始められるようになった。稽古場は劇場の奥に併設されたレッスンルームだ。
かつて全盛期を迎えていた劇場である。元々は本番前のウォーミングアップに利用されていた場所だ。ハジメが劇場に初めて来たときにはそのレッスンルームも埃をかぶっていた。それをハジメたちが清掃を行い、チームポラリス専用のレッスンルームに変貌した。
チームポラリスの劇団員六人が続々とレッスンルームに入ってきた。荷物は楽屋に起き、全員が動きやすい稽古着に着替えてきた。
「ここがレッスンルームかー」
弦以外の未経験者が同じようなことを口々に言う。しかし経験者の弦はレッスンルームには驚かない。それどころか五人が集まるよりも前に来てウォーミングアップをしていた。
弦はレッスンルームの余韻に浸る五人に準備体操をするように促した。
五人は弦の指示に従い、準備体操をする。しかし弦がやるような細かいウォーミングアップができるわけではなく、全員が学校の体育の授業で行うような典型的な準備体操を行った。
準備運動を終わらせて待っていると稽古着に身を包んだハジメが入ってきた。
挨拶を済ませると集合の号令をかけた。
「今日から基本的なことを稽古していくよ。弦は普段通りに、未経験者の五人は無理せず自分のペースでやってくれ。分からなかったらすぐに声をかけて」
ハジメはそう言った。
最初は声出しレッスン。
演劇をやる上で基本中の基本である腹式呼吸のレッスンを行った。肺呼吸ではなく腹呼吸に変えるというもの。五人は四苦八苦していたが、最初に腹式呼吸を会得したのは意外にも瑠衣であった。弦よりはうまくできていないが形にはなった。
鈴と七海もなんとかできるようになった。夜と大宙はなかなか思うようにできない。そこでハジメと弦が個別に指導を始めた。
「さあ夜。お腹に空気を送り込む感じだ」
ハジメと弦の指導がいい方向に働き、夜と大宙も会得できた。しかし腹式呼吸で腹がだいぶ動いたため、腹筋が痛くてたまらなかった。
「腹式呼吸だけでこんなに疲れるなんて・・・」
「これは腹筋しないとダメかも・・・」
床に大の字に寝た夜と大宙。するとハジメが覗き込むように見ている。
「腹式呼吸は僕たちが寝ているときに無意識にしてるし、それこそ赤ちゃんの頃なんか腹式呼吸なんだよ。でも成長していくにつれてしなくなっちゃうんだよ」
「それはどうしてですか?」
「小さい頃に親御さんと電車とかに乗ったときに口うるさく『静かにしなさい!』って言われたと思うんだ。腹式呼吸は大きな声を作り出すから、静かにしなきゃいけないって潜在意識で感じてしまうんだ。声の大きさを調整できる肺呼吸にシフトチェンジしちゃうんだ」
夜と大宙はへえ・・・と声を漏らした。つまり幼い頃に腹式呼吸という生まれ持った本能を消し、社会を生き抜くための機能を生み出したのだ。今自分たちがやろうとしているのは失った本能を呼び覚ますようなものだった。
「それってまるで僕たちの本能を復活させる、みたいなものですよね。僕たちにできるのかな?」
夜が不安な声を上げる。しかしハジメはそこまで心配しなくてもいい、と言った。
「できないってわけじゃなくて、腹式呼吸が社会の中になかなか適応できないから隠しているだけなんだ。ちゃんと訓練すればできるようになるから安心しな」
はい・・・、と夜が返事をした。
その様子を静かに傍観している弦の姿があった。
「ったく・・・。お気楽なやつだ・・・」
その呟きを聞いたものはいなかった。
滑舌練習を行い、未経験者勢が疲弊していた。
「顎が痛い・・・」
「乗り越えなきゃいけない壁ね・・・」
瑠衣と鈴が汗をぬぐいながら顎を抑えた。稽古初日にしてハードである。厳しい稽古の覚悟はしていたがその予想は打ち砕かれた。
するとハジメは再び全員を呼び寄せた。レッスンルームに長机とパイプ椅子が置かれる。全員が楽屋から筆記用具を取りに向かい戻ってきた頃にはハジメが待っていた。
何をされるのかと構えているとハジメは口を開いた。
「早速だけど報告があります」
ハジメは机の下から紙の束を取り出した。紙の束の正体に誰も気がつかない。ハジメの言葉をじっと待っている。その待ち焦がれたハジメの声が聞こえた。
「早速ですがチームポラリスの第一回公演の演目が決まりました!」
ハジメが一人で拍手をするが全員が突然すぎてポカンとしている。
「ハジメさん! 早すぎます! まだ基本習ったばっかりですよ?! もうホン読みなんですか?!」
弦が立ち上がりハジメに言った。弦の言葉の中には演劇用語が飛び交い、初心者勢は理解出来ず首をかしげる。しかしハジメは弦に言った。
「確かに早い感じはする。だけど、僕は君たちの能力を信じている。演目をするなかでの成長に期待したい」
ハジメの言うことも一理あった。もしかしたらハジメは未経験者の隠れた能力を引き出すためにこのような手を打ったのかもしれないと考えた。弦もわかりました、と椅子に座り直した。
ハジメの重大発表から今目の前にある紙の束の正体がようやく分かった。紙の束の正体は人数分の台本である。台本を配るぞ、と一人ずつ台本が配られた。綺麗に製本された台本。表紙は薄紫色の紙。そしてその紙には演目のタイトルが印刷されている。
「み、みすて・・・りあす? あどぶぁんちゃあ?」
「どくたーけーる? ず、じょにー??」
高校生の二人は英語が読めず、ローマ字読みと己の勘を頼りにタイトル解明に挑む。しかし結局読めずに撃沈する。すると弦が少しため息混じりでタイトルを話した。
「Mysterious adventure〜Dr.Kyle's journey〜だな・・・」
直訳すると「摩訶不思議な冒険」。タイトルからは冒険物であることはなんとなく察せるが話の中身がなかなかつかめない。
むしろ英語のタイトルがカッコイイという理由でそのタイトルに呑まれそうになった。
「いつこんな台本を・・・。これ、宮原さんが作ったんですか?」
「え?! ま、まあ・・・」
夜が聞くとハジメは少しはぐらかした。ハジメはすぐに話題を変えて演目のおおまかな内容とキャスティングを発表した。
Mysterious adventure〜Dr.Kyle's journey〜。
物語の舞台はエジプト。
エジプト考古学を研究している若き学者、カイル博士。彼はいつも発掘に明け暮れ、古代エジプトの謎を解明しようと研究に没頭していた。
しかしカイル博士はとあるピラミッドを発掘中に絶世の美女と呼ばれていた古代エジプト最後の女王、クレオパトラの亡霊と遭遇してしまう。カイル博士はクレオパトラに導かれて摩訶不思議な冒険に出る。
ハジメが演目のあらすじを話し終えると全員が黙り込んだ。そしてワンテンポ遅れてどっと反応する。
「すごい! 第一回目公演にふさわしい演目ですね!」
「確かに。フィクションだが素晴らしい」
口々に反応する。ハジメが用意した演目はすぐに六人の心をつかんだ。弦に至ってはすぐに稽古したくてたまらない様子だった。そしてハジメはすでに役を決めたという。全員の雰囲気などを考慮して考えた結果に決めたという。
ハジメの口から配役が発表される。
「主役のカイル博士役を弦。準主役のクレオパトラ役を七海」
最初に発表されたのは主役と準主役。この二人が物語の中で大きな役割を果たす。そして主役は座長も務める。この場合、弦が座長ということになる。この発表に弦は身が引き締まる思いだった。
「私が準主役か・・・。ハジメ、正気?」
「僕は至って正気だよ」
七海が少し笑いながら言った。しかしどこかで不安があるのは隠せなかった。
「東」
「何?」
「完璧な舞台にするぞ」
「お、おう」
七海に弦が突如として話しかけてきた。七海には弦が舞台にかける思いというのが横目で見た視線で察した。燃える思いが七海にも伝わる。笑顔は消えて圧倒され変な返事しかできなかった。
しかも主役と準主役はともに二十四歳と劇団員最年長ペアだ。年上パワーで頑張ってもらいたいものだ。
そしてハジメから他四人のキャスティングも発表した。
「ツタンカーメン役に大宙。ネフェルティティ役に瑠衣。カルミオン役に鈴。オクタウィアヌス役に夜。以上だよ」
どれも古代エジプトに生きた実在の人物たちだ。
実在の人物たちが織りなすフィクションの世界観。それがこの演目の面白いところだ、とハジメは説明した。
「以上だよ。明日から本格的に読み合わせをするからストーリーを頭の中に入れてきてね。今日の稽古は以上!」
ハジメはそう言って稽古を締めた。
しかし劇団員たちは自分の手の中にある台本から目が離せなかった。すぐに帰るのかと思いきや全員が席に座ったまま、ずっと台本にかじりついて見ていた。
自分の役のセリフに蛍光ペンでマーカー線を入れたり、ブツブツとつぶやきながらストーリーを頭の中に入れる者も多い。
弦も一日で全てのセリフを入れるほどの勢いで台本を目で追い始める。その日は夜になってもレッスンルームに明かりが灯っていた。
劇団員たち全員が家路に着いたことを確認するとハジメは劇場の施錠を済ませ、自室である楽屋へ戻っていった。布団を敷いて眠りにつく。
「演劇経験が豊富な弦。初心者だけど姉御肌の七海。年上の力が試されるといっても過言ではないな・・・」
無意識に呟いた。
弦が家に戻ってきた。
弦が部屋の電気をつけると人の気配は一切なかった。ただシンプルな色を基調とした家具が並んでいるだけだ。
弦は実家を出て一人暮らしをしていた。
劇場のある星川町から電車で二駅行った場所にあるマンションで暮らしていた。弦の部屋の本棚には大量の演劇に関する書籍、トレーニング雑誌、俳優雑誌が収められていた。
そしてベッドの横にあるブックストックには大量の台本が置かれていた。シャワーを浴びてベッドに座り、台本を読み始めた。弦は今回の公演に全てを賭けているように思えた。
「俺は・・・絶対に越えてみせる・・・!」
レッスンルームで見せた冷静さとは真逆の熱い闘志が弦の瞳には宿っていた。そして部屋の壁にはまだ現役だった頃のハジメの写真が貼られていた。ハジメが出演した舞台の一場面を切り取ったもので、カメラでズームしてハジメの繊細な表情を捉えたベストショットだ。
弦はポスターの中のハジメを見据えながら台本を頭の中に入れていった。
稽古二日目。
レッスンルームに続々と劇団員たちが集まりだした。稽古前のストレッチを念入りに行い、怪我防止に努める。
「今日は早速読み合わせから始めるよ。台本を開いて」
ハジメはそう指示を出して読み始めた。
『不思議なピラミッドだ。中の劣化も申し分ない。もしかしたら世紀の大発見かもしれないぞ?』
弦がカイル博士の冒頭台詞を言った。たくさん読んで頭に叩き込んだおかげで口元は流暢に動いた。今目の前にカイル博士がいるかのようだった。
そして準主役のクレオパトラの台詞が発せられた。
『そんなにこの世界のことが知りたいか?』
『古代エジプトの謎を解き明かすこと。それが俺の夢だ』
『ならば・・・、その願い、この私が叶えてあげよう。私の愛したアレクサンドリアへお前を連れて行こう』
カイル博士がクレオパトラの亡霊と出会い、クレオパトラの性格が災いして古代エジプトに連れて行かれるワンシーンだ。
しかし弦と比べるとやはり初心者であることが浮き彫りになってしまう七海。ハジメはそのことにすぐに気がついた。
「七海。ここのシーンはクレオパトラが主導権を握る。もう少し奔放にしていいよ」
「わかった」
七海は台本に書き込みをして言われたことを忘れないようにする。
この演目に登場するクレオパトラは主役であるカイル博士を好き勝手に連れ回す、ある意味自由奔放な姿で登場する。
七海という人間とはどこか違うため、彼女の人格を捉えようと必死だ。弦はすでにカイル博士がどういう人なのかを大まかに把握できていた。なかなか役を掴めない七海に少し苛つきさえ覚えていた。
ハジメは苛ついている弦を横目で確認した。
七海には少し難しいな。初心者ならばここまで成長できたのは上等だな・・・。後は弦と合わせられるかによる・・・。
ハジメは弦と七海の稽古を一旦終わらせ、他のメンバーの稽古に入る。
カイル博士がクレオパトラに見せられている幻想の一場面で、少年王のツタンカーメンが王宮を走り回り、それを憂うネフェルティティの場面だ。
ハジメは二人を所定の位置につけて手打ちをした。
『今日は風が気持ちいー! ずーっと走ってられるぞーっ!』
『このエジプトのファラオともあろう方がこんなのでは・・・嘆かわしい限り・・・』
『あ! ネフェルティティさま!』
『ツタンカーメン。あなたはこの国のファラオなのですよ? それらしい振る舞いをしてください。私は心配でなりませんよ?』
『今だけです!』
大宙が再び走りだそうとした瞬間にハジメが手打ちをして止める。瑠衣と大宙はハジメの元へ寄る。ハジメは大宙に言った。
「大宙。もう少し走り回ってみようか。大宙が疲れない程度に多めに走れないかな?」
「やってみます!」
「あともう少し無邪気さを出して欲しいかな。王様といえどまだ遊びたい盛りの子供だからね」
ハジメの言葉を一字一句逃さずにメモを取る。そしてハジメは瑠衣の方を見直す。
「瑠衣は台詞回しも申し分ないね。初心者にしては上出来だよ」
「他にはないですか?」
「そうだな・・・。ネフェルティティは女王様だからもう少し自信を持って演じればいいと思うよ」
「そうですか、わかりました」
瑠衣は答えた。どこか欲求不満を思わせるが瑠衣はそれを飲み込んだ。
稽古が終盤に差し掛かると、七海が立ち上がった。
「ハジメ。ごめん、そろそろ店に戻らないと・・・」
「もうそんな時間? わかったよ、お疲れ様」
七海が実家のお弁当屋さんへの仕事に戻るため早退していった。本業の合間を縫って七海は稽古に参加しているのだ。ハジメは七海の出した条件を飲んだ上で、チームポラリスへの参加を承諾している。
弦は七海を睨んでいた。
ハジメと七海はそれには一切気がつかなかったのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。感想&評価等よろしくお願いします。藤波真夏