外伝1話 継承
1536年8月某日。
春日山の山頂に築かれた春日山城、城というよりは屋敷と言った方がいいくらい大きさの建物の広間ではとある評定が行われていた。
上座となる上段に座るのは50よりも少し手前の壮年ほどの口髭を生やした男。瞳は何処までも鋭く深い皺が口元には刻まれている。手入れされていない口髭は男の内面の荒々しさを表している様だ。
向かうは青年ほどの少し肌色の悪い優男。歳は30よりも少し手前ほど、体の線はとても武将とは思えないほどに細い。目尻はやや下がり気味で表情はとても穏やかである。
二人はともにきっちりと襟元を僅かな乱れも無くきちっと揃え皺一つない。この日の為に態々揃えたのかこの戦国の世では間違いなく一級品の輝きを放っている。
広間の脇に控えるのは家老や中老、宿老などの重臣たちだ。これだけの家臣を態々呼び出し、さらに嫡男を呼び出すなど普通ではない重要な案件を話すに決まっている。しかしその顔には不安などは見られない。寧ろ未来に向けての決意の様なものがそこにはあった。
この場にいる皆が主君である上座の男の言葉を待っていた。
「晴景よ、国内の国人衆は未だに抵抗を続けている者が多いのは知っているな。色部勝長や本庄房長ら揚北衆は儂の元を離れ、上田長尾氏も上条上杉家の上条定憲に着いた。先の4月の三分一ヶ原の戦いでは景家が戦中上条家に反旗を翻し、後方より叩いてくれたお陰で何とか勝てた。それは分かっているな?」
「はい、父上。こちらも多くの将や兵を失いました事、昨日の事の様に覚えております。もしもあの時、柿崎景家殿が此方に寝返ってくれなければ勝敗は逆になっていたとも思えます」
越後における天下分け目の大合戦、それが三分一ヶ原の戦いである。
主君であり越後守護の上杉房能を討たれた上条定憲は家臣の柿崎景家と共に保倉川に掛かる三分一橋付近で上杉為景率いる軍団と激突した。当初長尾軍は劣勢であったが、柿崎景家が突如寝返り上条定憲の本陣を背後から襲撃した。突然の寝返りで慌てた上条軍は瞬く間に制圧されて行き、長尾軍が勝利を収めたのだ。
もしも柿崎景家が長尾軍に寝返らず上条軍のまま戦っていたら、敗走し討たれていたのは長尾為景の方だっただろう。
「しかしあれで上条定憲や揚北衆が父上討伐という方針を変えたとは思えません。あちらも大打撃を受けましたが、それはこちらも同じ事。再び同じように父上を良く思わない者と手を組み、こちらに対し行動を起こすやもしれません」
「その通りだ。確かにあの戦いでは儂らは勝った。が、未だに揚北衆や上条上杉家の抵抗は強い。このままでは越後国内の安定など無理かもしれない程にな。儂自身も国人衆鎮圧の方に力を注ぎたいがそれも出来ない状況だ」
越後国の守護は現在、上杉定実が任命されているが権威は一切なく、守護代である長尾為景が傀儡にしているのが実情である。そして守護代は長尾為景が拝命している。
先代守護を自刃に追い込み、その後継を傀儡にする。主君を主君とも思わない様なその行動や言動は多くの越後国内領主の反感を買っている。だからこそ守護代として官位を拝命しているのにも関わらず、為景には味方と言われるものが少ないのである。
「そこで儂は国人衆を抑えるためにも、情勢が優勢下に居る今こそ隠居しようと思っている。国内領主たちの反発は今後も起きる可能性が高い、それに揚北衆の様に長尾を離れて行く者も多いかもしれない。だからこそ長尾を残すためにも今は儂が家督を晴景に譲り表向きは実権を全て譲ったという形をとる事にした。良いか」
「はっ。この晴景、今後は長尾家の当主として粉骨砕身、全身全霊を込め発展に努めまする」
「よく言った。ではこれより長尾家の当主は晴景とする。今後表向きの案件は全て晴景に任せる、そして儂は国人衆鎮圧の方に力を注ぐ事とする。すぐに国内領主どもに伝えよ。為景は嫡子の晴景に家督を譲った、とな」
広間に居た晴景や家臣たちは為景の言葉と同時に深く礼をし、越後国内へ触れ回るための準備へと散って行った。
先ほどまではあれ程厳たる雰囲気であった部屋も今は上座となる上段に座っている為景一人となった。夏の暑さと虫たちの鳴き声だけが為景の耳には届いている。
「これで国内領主が少しでも静かになってくれればありがたいんだがな……。国内領主が静かになるまで、この体、持ってくれよ」
誰に知らせることなく、為景の体は病に蝕まれていた。
色部勝長
1493-1569/2/7
揚北衆の一人で越後国岩船郡小泉庄平林村(新潟県村上市平林)の平林城主。
長尾為景・晴景・景虎の三代に仕えた宿老であり、上杉氏の重臣である。
為景を隠居に追い込んだ上条の乱では長尾を裏切ったが、晴景の代には帰属を果たした。
天文の乱や第4次川中島の戦いでは多方面で活躍した。
謙信からその武功を称賛され血染めの感状を頂戴している。