ー序ー
いきなり思い付いたので。あと、復讐もの書いてみたかった。
昔々、そのまた昔。メロスと言う単純で、正義感が強く、たった一人の妹と、たった一人の親友を持つ男が居た。
ある時、メロスは、かの王ディオニスの邪知暴虐を止めるため、殺害を企てた。そして、メロスは国家反逆の罪で磔刑に処されかけた。
しかしメロスは妹の結婚式を見届ける為、暴君ディオニスに「必ずや、正義の力を証明してみせます!」と、友人のセリヌンティウスを人質として差し出し、三日の内にここ、シラクスの市へ戻り、処刑されると約束を交わした。
◇◇◇◇◇
メロスはその日の内に、数十キロ離れた村へ夜も眠らず走り続けた。一晩で村へ着くと、夜明けと共にメロスは車軸を流す豪雨の中、村で妹の結婚式を挙げさせた。
そして、少しの仮眠を取り、メロスはシラクスの市へ向け、出立した。
◇◇◇◇◇
メロスは走った。ひたすら走った。雨は止み、太陽は空高く炎々と照りつけ、かの勇者の体力を容赦なく奪う。拳で汗を拭い、自身を鼓舞しながらメロスは走り続けた。
そして、シラクスまであと半分の距離に来た時、メロスに立ちはだかる災難。それは前方に現れた。
昨晩の豪雨の影響で荒れ狂い、流水が幾百の大蛇を織り成すかの様にうねる。
轟き響く激流が、
渡す舟を喰らい、
架かる橋を木っ端微塵に打ち砕き、
今にもメロスをも呑み込まんとしている。
メロスはその場に立ち尽くし、茫然自失とばかりに、荒れ狂う川を見据える。
「あぁ・・・あぁ、神よ・・・!私はどうすればよいのだ・・・橋はなく、舟もなく、あるのは私を呑み込まんとする荒れ狂う川のみ。神よ、これは私への試練だと言うのか!それとも、愚かにも王に歯向かった私への罰と云うのですか・・・ッ!!」
どちらにせよ、残された選択肢は二つ。
──逃げるのか、それとも、立ち向かうか。
遂に、メロスは決断した。
──立ち向かうことを。
「あぁ、神よッ!誠の愛と正義を携え、荒れ狂う川に挑みし我が勇姿、しかとその目で見届けられよッ!!」
メロスは天に向け、高らかと叫び、激流を轟かせ、己が命を喰らわんとする川へ飛び込んだ。
幾百の大蛇の如き流れをその身一つで掻き分け、掻き分け、何度も溺れながらも終には対岸の岩へと着くことが出来た。
岸辺へ着くと、馬のような胴震いをし、先を急ぐ。まだシラクスへの道は残っている。結果としてはたかが一つ、川を渡ったに過ぎないのだ。
また、川を過ぎれば冷え身体と乱れる呼吸を整える事無く、ボロボロの身体に鞭を打ち、峠を越えた。
そして、峠を越え、安堵の息を吐くメロスを囲うように一隊の山賊が躍り出る。
「待て。持ち物全部置いていって貰おうか」
「私に持ち物など無い、有るのは命のみ。その命でさえ、これから王にくれてやるのだ」
「持ち物全てと言っただろう?その命、頂戴しよう」
下卑た笑みを浮かべながら、山賊は棍棒を握り締める。
「さては、お前達。王の命で待ち伏せしていたな。私をシラクスへたどり着かせない為にな。どうせ目先の金に目が眩んだのだろう」
しかし、山賊は言葉を返さず、一斉に襲い掛かってきた。
「すたないが、先を急いでいるのだ」
腕に撓りを付け、山賊の顔に一撃を叩き込むと、その反動で体を回転させ、その勢いで続く二人目を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた山賊が三人目を巻き込み峠を転がり落ちる。
メロスによって瞬く間に三人を倒された山賊達は思わず動きが止まる。
その一瞬の隙を突き、メロスは山賊の間を走り抜け、逃げ仰せた。
◇◇◇◇◇
シラクスを目指し、走って、走って、走って──メロスは走り続けた。帰りを待つ友の顔、そして、かの暴君の間違いを正すことを思い浮かべながら走った。
しかしメロスも人の子。遂に身体は限界を向かえる。そして、目眩と共に道半ばでメロスは倒れた。
耳が痛く鳴るほどの静寂に包まれる中、身体の節々から悲鳴が上がり、
──ブチッ、ブチッ、
と、筋肉の引き千切れる音が鼓膜を揺さぶり、辛うじてメロスの意識を保たせていた。
途切れ途切れの意識の中、メロスは思う。
あぁ、すまないセリヌンティウスよ。私はこれ以上、前に進めそうに無い。幾ら動かそうとしても、幾ら願っても、蟻一匹程も動かぬのだ。
心と身体は密接にリンクしている。心が駄目なら身体も、身体が駄目なら心も駄目になって行くもの。
ふと、メロスの心にかの王の言葉が蘇る。
──人の心はあてにならない。
──人間は元々、私欲の塊さ。
──口ではどんな清らかな事でも言える。
──お前の心は、わかっているぞ。
次々と浮かぶディオニスの言葉に、メロスは毒されていった。少しずつ、少しずつ。まるで病が蝕むように、メロスの心を染め上げて行く。
あぁ、そうか、そうだったのか。
私は、私は正義の為に走ってなど居なかったのだな。
妹に結婚式を挙げさせた事も、セリヌンティウスを人質として差し出した事も、全て。
そうかそうか、私利私欲、私の自己満足を満たす為だったのか。なんだ、そうだったのか。思えば愛だ正義だなんて、とってみればなんと下らないことか。所詮は綺麗事をほざいている自分自身に酔っていただけ。
王よ、自惚れていたのは、どうやら私の方だったようだ。見抜かれていた。私の奥底にある醜い欲望を。いや、私だけではないか。人間そのものの醜くさを見抜いていたのか。
メロスは大きく高笑いを上げる。
「はっはっはっはっ!!そうか、わたしも所詮は私欲を満たすだけの下らぬ人間。ならば私欲を満たす為、今は寝るとしよう」
メロスは仰向けに寝転がり、高い空を見上げる。
後悔、諦念、自虐、懺悔、失望・・・様々な感情によって、酷く濁った彼の瞳には、煌々と輝く太陽が映っている。
そこに、勇者の面影を垣間見ることはできない。
◇◇◇◇◇
ふと、メロスの耳に、水の細流が聞こえた。
メロスは鉛のように重い身体を動かし、音の原因を探る。
どうやら、岩のり裂け目から清水が滾々と囁くように湧き出ている。
メロスは身を屈め、両手で清水を掬い、一口飲んだ。
瞬間、身体へ染み渡る。冷たく、清らかなその水は、疲れ果てた身体の隅々まで行き渡り、癒していく。まるで、蝕んでいた穢れを浄化する聖水のように。
「・・・行こう・・・」
メロスの顔は何処か晴々としており、また、憑き物がとれたかのような清々しさを感じられた。
今此処に、誠の勇者メロスは再起した。
◇◇◇◇◇
それからのメロスの速さは、村を出た時の比ではなかった。その勢いは、馬をも追い越さんばかりの気迫と決意に溢れていた。
沈みかけの太陽を横目にメロスは走り続ける。今か、今か、とメロスの帰りを待ち続ける友の顔を思い浮かべながら。
そして、遂にメロス太陽の沈む十倍の速度で走った────訳もなく、シラクスの市が見えたころには、すっかりと日が沈み、月明かりが、静かに大地を照らしていた。
◇◇◇◇◇
結局メロスが刑場に辿りたのは、夜が更けてからだった。
満身創痍で刑場へ辿りたいたメロスの目に写ったのは、
柱に貼り付けられ、
串刺しにされ、
最早原型を留めていない物言わぬ友だった者の肉塊だった。
その肉塊から滴り落ちる血潮が風に舞ってメロスの頬に飛沫する。まるで、
「お前のせいだ・・・お前のせいで・・・」
と、間に合わなかったメロスを責め立てるかのように。
「あ"あぁ・・・あ"あぁ、何て事だ・・・私は、私は、唯・・・唯、正義を示したかっただけなのに・・・あ"あ"ぁ"ぁ"・・・すまぬ・・・すまぬ・・・すまぬ──」
メロスは絶望した。自身の力の無さに、意思の無さに、身勝手さに。そして、この世の不条理さに絶望した。分かっていたのではなかったか、この世の理不尽さを、冷酷な理を。
下らぬのではなかったか、
知っていたのではなかったか、
真実や愛、正義など"力"の前には塵と同義であることを。
絶望にうちひしがれるメロスに最早かつての面影はなく、勇敢さも、純真さも、"誠の勇者メロス"を構成していた全てが崩れ去っていた。
──今此処に、"誠の勇者メロス"は死んだ。
◇◇◇◇◇
メロスは謝る。
謝る、謝る、謝る。
ひたすらに、
永遠に、
肉塊と化した友へ向けて。
町の人間は一様にメロスへ侮蔑や蔑み、嫌悪や嘲笑を含んだ眼差しを向けながら物珍しそうに通り過ぎていく。
そんな中、一人の人間がメロスの前で足を止めた。その者、メロスの友人であり石工であったセリヌンティウスの弟子だった。
弟子は唐突に、地に頭を擦り付け、謝罪を繰り返すメロスの頭を蹴り飛ばした。
突然の事に受け身をとることすら出来ず、メロスは地を転がる。頭から血を流し、飛び散らせながら、メロスは転がる。
「いったいここで何をしている?ここはお前のようなゴミ以下の下衆が居て良い場所ではない」
──路傍の石のような・・・いや、それ以下のまるで踏み潰された虫の死骸を見るような視線をメロスに向けながら、弟子は続ける。
「お前は言ったな?「必ずや正義の力を証明して見せる」と。
結果お前の求めた正義の果てに得たものは何だ?変わり果てた我が師の肉塊と国民の嘲笑か?巫山戯るなッ!!冗談はその醜く歪んだ根性だけにしてくれよ、なぁ?
我が師はお前の言葉を信じた。唯一無二の親友の言葉を信じつづけたッ!!
磔刑に処されるその瞬間までお前は来る、俺は信じてると笑顔で笑って処刑台に向かっていった!!なのにッ!!なのにッ!!お前が来たのは何時だ?日が沈むまでと約束をしていたお前が来たのは来たのは何時だったッ!!」
──そう言って、メロスの髪を掴み持ち上げると、吐き捨てるように言った。
「今すぐ失せろ。お前が生きているだけで虫酸が走る。二度と俺の前に現れるな、次に遭ったら間違いなくお前を殺すだろう。お前のような屑の為に手を汚したくないからな。分かったなら今すぐ消えろ」
そう言って弟子はメロスの顔に唾を吐き、ゴミを捨てるかの如くメロスを放すと、セリヌンティウスの死体の前に花束を置き、去っていった。
◇◇◇◇◇
メロスが市内を歩けば、ありとあらゆる罵詈雑言が投げ掛けられ、石を投げられることに始まり卵や、生ゴミ、果ては糞尿まで引っ掛けられる始末。
メロスは市内から追い出された。
出ていけとは言われていない。
しかし、居ても良いとも、生きていろとも言われなかった。
唯ひたすらに、"裏切り者"、"偽善者"と言われ続けた。
メロスの心はすり減り、摩耗する。
何故この様な目に遭わねばならぬ。
何故友を殺されなければならぬ。
何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故───。
既に彼の心は限界だった。
約束を果たせず、自身を信じた友を殺され、
しかし、それを自身の罪だと認めたくはなかった。
故に。彼は罪を周りに求めた。
──あんな約束を結ばなければ、
──王が友を殺さなければ、
──周りが"俺"を嘲笑ったから。
そうだ、"俺"は悪くない。俺のせいじゃない。王が悪い、町の奴等が悪い。
──ならば、果たさねばならぬ。
仇討ちだ、仇討ちをするのだ。
あの悪辣極まる暴君を。
ただ従うだけの愚かな民達を。
こいつらを生んでしまった世界を。
俺が、俺が正すのだ。正義の勇者として、あるべき姿に奴等を、世界を正すのだ。
「・・・そうだ、俺がやらねばならない。誰かがやらねばならないのだ」
その口許を優越と嗜虐に歪めながら、メロスは反芻する。
「そうだ、俺が、俺が勇者だ。俺が成し遂げるのだ・・・嗚呼、神よ。愚かな民と王を生みし愚かな神々よ。その腐りきった眼でしかと見届けられよ。貴様等の過ち、この"勇者メロス"が正そう。セリヌンティウスよ。お前の仇、必ずやその者の首をお前の墓に供えようぞ」
今ここに、王国史上最大の大罪人が誕生した。後の世に、"不倶戴天"と怖れられ、語り継がれる者が。
ー続ー
一応、序・破・急、の三部構成にする予定。とくに流れを決めてませんでしたw