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その手に取るもの  作者: 佳景(かけい)
8/22

奉仕

 神は黒水晶の城の奥深くにある、魔王の宝石の保管庫の前にいた。


 配下達の居住区域からかなり離れた廊下は静まり返っていて、誰の姿もない。


 今の自分にとっては好都合だ。


 いつもと違うこの姿は、できれば魔王以外には見られたくなかった。

 

 神がそっと黒水晶の壁に手を付くと、自分の存在に気付いた魔王に空間を超越して保管庫に招じ入れられる。

 

 中は広かった。


 空間を仕切る壁や天井などはなく、無限とも思える虚ろの中に様々な色や大きさの宝石達がその美しさを競うように浮かんでいる。


 その中にあって、虚空に腰掛けて宝石を眺める魔王は一際美しかった。


 もうすっかり見慣れてはいたが、その冷たい麗しさは心が震える程だ。


 彫りの深い顔立ち。


 色素のほとんどない白く滑らかな肌によく映える、新月の闇にも鮮やかな漆黒の瞳。


 瞳と同じ色の癖のない髪は腰よりも長く、銀細工を彩る紫水晶と長い飾り布が美しい漆黒の長衣に流れている。


 背中には蝙蝠に似た大きな羽があるが、只の飾りも同然なので、広げられることはほとんどなかった。

 

 魔王は神と精神を繋げると、その漆黒の瞳に珍しく困惑の色を浮かべて概念で言う。


――その姿はどうした?


 魔王がそう訊きたくなるのも無理はないだろう。


 今の姿はいつものそれとは違っていた。


 基本的な姿は同じだが、鳥に似た白い翼はなく、代わりに猫のような耳と尻尾が生えている。


 服装も着慣れた白いドレスではなかった。


 体の線がくっきりと出た赤い服は肩や背中、太腿が剥き出しで、胸元も大きく開いている。


 肘より上までをすっぽり包む手袋と長靴も赤く、首には赤く短い首飾りがあった。


 少し気恥ずかしくて、神は落ち着きなく尻尾を動かしながら答える。


――別に、どうもしないよ。たまにはちょっと気分を変えるのもいいかなと思ってね。


 神は恥ずかしさを振り切るように魔王へ近付くと、持っていた宝石を差し出した。


 世界の内側に行って、自分で取って来た物だ。


 肉体がないために知覚範囲にある物全てを在るがままに知覚でき、また知覚範囲を自由に操ることができるので、地中に埋まっている宝石の原石を探し出すくらいのことは造作もない。


 魔王のように力を細かく使うことができないため、掘り出すに当たっては鋼以上の硬度を持たせた髪で地中を掘り進むことになるが、研磨まで行なっても時間はそれ程掛からなかった。

 

 魔王にはいつも迷惑を掛けてばかりいるので、せめてもの礼に時々こうして魔王が好きな宝石を贈っている。


 特に難しいことをしている訳でもないため、魔王の労苦に全く見合っていないのが心苦しいが、何もしないよりはいいだろう。


 今回持って来たのはルビーだ。


 大きさは飴玉にも満たない程だが、透明度の高い澄んだ赤を湛えている。


 人の世ではルビーは色が濃くなる程美しいとされていたりもするが、魔王は色の濃さより透明度の高さを好むので、きっと喜んでくれるだろう。


――あげるよ。

――では、有り難く受け取っておこう。


 魔王はルビーを手に取ると、わずかに目を細めた。


 気に入ってくれたのが、繋げた精神から伝わってくる。


 魔王をもっと喜ばせたくて、神はその唇に自らのそれを重ねた。


 そのまま魔王の心の奥深くに入り込もうとしたものの、魔王にやんわりと精神ごと体を押し返される。

 

 神は離れた唇の感触を名残惜しく思いながら、魔王に問いかけた。


――嫌?

――そういう訳ではないが、今の其方は明らかにおかしいだろう。

――いつもと同じだよ。

――どこがだ? 妙に積極的な上に痴女紛いの服装で言っても、説得力が全くないぞ。

――私はただ、お前に楽しんでもらいたいだけだよ。いつもと違った服装をすると新鮮でいいと聞いたし、気持ちのいいことはお前だって好きだろう? お前がしたいなら、私を虐めていいし、玩具にしてもいい。だから続きをしようよ。


 神は魔王の思考を優しく撫でながらそう言ったが、魔王はあまり気が乗らないらしく、精神の結び付きを深くすることはなかった。


 今は感情はともかく、思考は一部のみを共有しているだけなので、魔王が自分の意図が理解できずに戸惑っているのがわかる。


――先程から一体何なのだ? あまりに普段と違い過ぎて、どうにも落ち着かないのだが。

――悪いけれど、その質問には答えられないよ。答えたら、お前はきっと私に遠慮するだろうから。とにかくしよう?

――そんなことを言われてその気になれるか。とにかく質問に答えろ。どの道交われば筒抜けになるのだから、隠し通せるものでもないぞ。


 確かに魔王の言う通りで、神は仕方なく答えることにした。


――……いつもお前に手助けしてもらってばかりで悪いから、今日は徹底的にお前に奉仕しようと思ったんだよ。私がお前にしてあげられることなんて、宝石をあげることと快楽を与えることくらいだから。

――そんなことはないと思うが……。

――じゃあ、私が何かお前の役に立ったことがある?


 力の程度は魔王と同等なので、魔王ができることは大体自分にもできるが、人間に神とも呼ばれる程の力を持ち、尚且つ力を細かく使うことができる魔王が自分に頼らなければならない状況に陥ることなどまずない。


 反対に、一度力を発現させるだけで星を壊してしまう自分は、魔王に頼らなければいけないことだらけだった。


 配下達の怪我や病を治そうにも、魔王に力を抑えてもらなければ皆を助けるどころか殺してしまう。


 おまけに生き物を殺すことが恐ろしくてできないので、人間の侵攻の際にはいつも魔王に戦わせてばかりいた。


 配下達と関わりを持ちたい自分に付き合って、王としての務めも果たしてもらっているし、魔王には本当に世話になっているというのに、自分は全く魔王の役に立てていない。

 

 それがどうにも歯痒かった。


――気を遣わなくていいよ。お前の役に立つどころか、お前がいないとほとんど何もできないのは、よくわかっているから。

――……確かに其方に助けられた覚えはないが、だからと言ってそのことに引け目を感じる必要はないだろう。我は己の問題を自力でどうとでもできるのだからな。

――それでは私の気が済まないんだよ。こんな風に私が一方的にお前に頼ってばかりいるのは、やっぱりおかしいと思う。

――そうか? 我は助けを必要とせず、其方は助けを必要としていて、其方の手助けをすることは我にとって大した労苦ではないのだから、何も問題はないだろう。相手の役に立てなければ関係を維持できないのなら、それはただ利害で結び付いているだけだ。だが、我等の間にあるものはそうではないだろう?

――勿論わかっているよ。わかっているけれど、このまま私ばかりがお前に負担を掛け続けていたら、いつか私のことを嫌いになってしまったりしない……?

 

 ずっとずっと不安だった。

 

 このままでは、いつか魔王に見放されてしまってもおかしくない。

 

 永遠に近い時を在り続け、自分と最期までいてくれるのは魔王しかいないのに。


 この先もずっと魔王の側にいたいと思っていても、今のままではいずれその願いを自分で壊してしまうことになるのかも知れなかった。


 魔王はただ自分が側にいる以上の何かを求めることなくこれまで一緒にいてくれたが、その優しさが時々どうしようもなく辛くて堪らなくなるのだ。

 

 自分は魔王に迷惑を掛けてばかりいるから。


――お前が見返りなど望んでいないのはわかっているよ。私はただ自分の不安を消し去りたいだけなんだ。お前のために何かしてあげたいと言っても、私は結局自分のことばかりなんだ……っ!


 こんな自分が、本当に大嫌いだった。


 だから尚の事不安になる。


 自分が嫌いな自分を、魔王がいつまでも大切に想い続けてくれるとは思えなかった。


 だができることなら、この不安を打ち消したい。


 魔王がこんな自分をそれでも必要としてくれていることはわかっているが、今以上にもっと必要とされたかった。


 こんなことを願うのはおこがましいとわかってはいるが、それでも願わずにはいられなかった。

 

 自分はそれ程までに魔王のことを――。

 

 神の想いに応えるように、魔王が神をきつく抱き締めた。

 

 繋がった精神から、魔王の温かな心が伝わってくる。


――もうしばらく、ここにいてくれ。一人ではいたくない気分なのだ。

――……うん。


 神はそっと魔王の広い背中を抱き返した。


 自分を安心させようとしてくれる魔王の腕の力強さを心地良く感じていると、魔王がわずかに体を離して優しく口付けてくる。


 唇はすぐに離れ、魔王は間近で神と見つめ合いながら言った。


――其方がいなければ良かったと、そんなことを思ったことは一度もないぞ。一人ではこんなこともできないしな。

――じゃあ、他に何かしたいことはない? 何でもいいよ。

 

 神の問いかけに、魔王は少し考えてから答えた。


――では、その耳を触らせてもらおうか。

――構わないけれど、そんなことでいいの?


 今は魔王と思考の一部を共有しているため、魔王がこの程度なら自分を困らせずに済むだろうと考えているのが神にはわかる。


 これだから理由など訊かずにさっさと交わって欲しかったのだ。


 自分の都合など考えなくていいのに、魔王は自分のことを考えてばかりで、ただ自分の側にいるだけで満足している。


 こんな簡単なことでは結局自分は何もしていないも同然なのだから、どうせならもっと我儘を言って欲しかった。


――全く、お前は甘やかし甲斐がないね。


 神が少し拗ねると、魔王は少し困って言った。


――「何もない」と言わなかっただけいいだろう。

――まあね。お前なりにいろいろ考えてくれたのはわかるし、これでも一応お前に喜んでもらおうと思ってこういう姿になった訳だから、多少の手間が無駄にならなかっただけ良しとするよ。好きなだけ触ってくれ。

 

 神がそう言うと、魔王は早速両手を神の猫に似た耳に伸ばした。


 全くと言っていい程顔には出ていなくとも、猫を愛でている気分を味わえてそれなりに喜んでいるのが、繋がった精神を介して伝わってくる。

 

 猫の要素を取り入れた姿にして良かったと、神はそう思った。

 

 魔王はこう見えて子供や動物が好きだったりするのだが、それなりに懐いてくれたりもする子供はまだしも、動物には逃げられてばかりいる。


 それは自分も同じだった。


 獣は感覚がとても鋭いので、自分達が異質な存在であることを感じ取っているのだろう。


 人間の姿をしている時でさえ、絶対に近寄ろうとはしない。


 特に犬や猫などは愛玩動物などと言われるだけあってとても可愛らしいが、魔王が触ってみたいと思いつつもなかなかその機会を得られずにいることを知っていたので、今日は敢えてこういう姿にしてみたのだった。

 

 所詮紛い物ではあるが、それでも魔王が楽しんでくれることが嬉しい。


――猫は可愛いよね。いっそ、すっかり猫の姿になった方がいい?

――これはこれで悪くはないぞ。いい手触りだ。


 魔王はその長い指で、耳を覆う白く短い毛の感触を味わいながらそう言った。


 神としても猫は好きだったが、自分で自分に触れたところで面白くも何ともないので、少しつまらない。


――せめて、この城で獣が飼えたらいいのだけれどね。そうしたら、抱いたり撫でたりできなくても、毎日猫や犬を眺めて暮らせるのに。

――同感だが、こればかりは仕方がないな。如何せん場所が悪い。


 この魔王の城があるのは世界の外側。


 薄皮一枚を隔てて世界の内側と繋がっているとはいえ、世界の内側とはあまりに違うこの場所に、獣はどうしても馴染めないらしい。


 自分も魔王も獣を飼ったことはないが、配下達が飼っていた獣達は尽く不眠になったり、餌を食べなくなったりで、とてもこの城では暮らせなかった。


 配下達の中にさえ、長く城で暮らす内に時折心身の不調を訴える者が出るくらいなので、無理もないのだろう。


 神は首輪にも似た赤い首飾りを弄りながら言った。


――ねえ、どうせ一緒に暮らしているんだし、猫の代わりに私を飼ってもいいよ?

――其方は我の伴侶であって、愛玩動物ではないだろうが。

――今まで散々迷惑を掛けて来たのだから、それくらいのことは受け入れるよ。ずっとお前と一緒でも、この姿はいくらでも複製できるから、配下達とも今まで通り交流できるし、何も困らない。悪くない案だと思うのだけれど、どうかな?

 

 神は小さく首を傾げてそう問いかけた。


 自分にとって何ら負担にならないことなら、魔王も受け入れてくれるかも知れない。


 だが魔王にはやはりそのつもりはないようで、呆れを含んだ響きで言った。


――よくもそんな気色の悪い提案を平然とできるものだな。我等はあくまで対等であって、支配したり、されたりするような関係ではないだろう。今の関係を壊すような真似はしたくない。


 魔王は本物の猫にするように神の顎を撫でながら、茶化すように続けた。


――それに、こういうものはたまにやるからいいのであって、これが当たり前になればすぐに飽きると思うぞ。


 魔王はもうこの手の話をしたくないのだと察して、神はそれ以上何も言わなかった。


 魔王に負担を掛け続けていることに拘っているのは自分だけで、何とかしたいと食い下がっても、それは魔王を困らせるだけだろう。


 そんなことをしたい訳ではなかった。

 

 だがせめて魔王に知っておいて欲しくて、神は言う。


――もしも、もしもの話だけれど、いつかお前が私の助けを必要とする時が来たら、その時にはちゃんと私を頼ってね。

――ああ、そうしよう。

――うん、きっと力になるから。

 

 魔王が見返りを望まないなら、せめて魔王が助けを求めている時には自分が持てる全ての力で助けてあげたい。


 そんな時は永遠に来ないかも知れなくても、何もできない自分にはそうしたいと願うことしかできなかった。


 魔王が見返りを求めてくれればいいのにと思いはするが、そんな魔王だからこそ大切で、側にいたいと思うのだろう。


――絶対だからね。

 

 神は魔王の唇にそっと己のそれを重ねた。






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