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その手に取るもの  作者: 佳景(かけい)
7/22

神降ろし

ご注意下さい!!

この物語には女体化(憑依)シーンが出てきます。

大丈夫という方のみ、本編へどうぞ。

 黒水晶の城の奥深くにある宝石の保管庫で、魔王は一人宝石を眺めて過ごしていた。


 光も闇もない虚無が支配する広々とした空間に、夥しい数の宝石達が浮かんでいる。


 赤、青、緑、他にも様々な色の宝石達が星のように輝きながら、虚空を彩っていた。


 気が向いた時に少しずつ集めていただけなのだが、長い時を存在し続けているため、今や収蔵数は相当なものだ。


 人間の領土で買い物をする時には換金するために宝石を手放すものの、蒐集において希少性には特に拘っていないこともあり、その数は増え続けている。


 原子と分子の配列が規則正しく、美しく並んでいる様が好きなので、これまで蒐集した宝石はダイヤモンドやサファイヤ、エメラルドといった結晶質の物ばかりだ。

 

 美しい物を時を忘れて眺めるのは楽しい。

 

 虚空の中を漂いながらしばらく宝石を眺めていた魔王は、不意に世界の境界を超えて自分を呼ぶ声を聞いた。


 

   万物をしろしめす、いと高き者



 声は若い女のそれだった。


 少女と言ってもいいだろう。


 いくつもある世界の内側のどこで自分を呼ぶ言葉が紡がれたとしても、その響きは必ず世界の外側に在る自分の元まで届く。


 ここは世界と薄皮一枚を隔てて存在する場所。


 いくつもの世界の一部であって、同時にいくつもの世界から独立している場所。


 そして自分は神と共にこの場所を満たす意志であり、力である存在だ。


 望みさえすれば、世界の内側における力の法則に取り込まれ、人間に招喚されることで世界の内側に現出することができる。


 世界の外側に生まれ落ちた者は本来負荷なしに世界の内側に下りることはできないが、招喚された場合にはその限りではなく、招喚者である人間と契約を交わし、力の及ぶ範囲でその願いを叶えることになっていた。

 

 神は己の力を殺傷に使われることを嫌い、世界の内側の法則に縛られてはいないが、自分は稀に現れる招喚者と既に幾度か契約を交わしている。


 自分と契約する者は大抵人間の力ではどうにもならないような大望を抱いていて、その願いを叶えることで招喚者の人生が狂っていく様を見ているのはなかなかに面白かった。


 人間はそれなりの知能もあるし、弱く、脆く、愚かしく、玩具にするには丁度いい。

 

 神は悪趣味だと言うが。


 

   我は汝に仕える、汝の下僕

   汝の慈悲と寛容を求むる者


 詠唱はまだ続いていた。 

 

 人間にとって善なる者と見做されれば『神』と呼ばれ、悪だと見做されれば『魔王』と呼ばれることが多いが、今自分を招喚しようとしているのは自分を『神』と呼ぶ者だ。


 巫女と呼ばれる聖職者が、古くから『神降ろし』と呼び習わされている招喚の儀式を行おうとしている。


 肉体に囚われないがために、時空を超えてあらゆる知識を得ることができる自分には、わざわざ招喚の時を待つまでもなく、詠唱をしている者を知ることなど容易かった。

 

 この巫女にとっては初めての招喚だが、果たして成功するだろうか。

 

 招喚の条件は世界によって異なるため、招喚者自身の力や代価といったものが必要となる場合もあるが、この世界ではどちらも必要なかった。


 この世界における人間達は自分の力の端末をその身を介して使っていて、『神降ろし』の場合には力だけでなく主体ごと呼び寄せて体に留めておくことになる。


 基本は普段使っている術とそう変わらないが、それなりの知識と強靭な精神がなければ、自分を招喚することは叶わなかった。


 そのため、初めての試みで成功させられた者は今までにいない。


 たとえ招喚の言葉を正確に知っていたとしても、『神』を招喚することを本能的に恐れて中止するか、最後まで正しく詠唱できたとしても心を乱して術がきちんと発動しないのだ。

 

 さて、この巫女はどうだろう。


 

   世界に存する律の一つ

   その律により、汝が声に耳を傾け給え

   我、今汝に祈り、汝に願い、この身を捧がん

   その力と言の葉を示し給え

   この身に降り立ち給え!

 

 詠唱は完璧だった。

 

 そして巫女の意思は強く静かで、術は確かに発動し、魔王は依代である巫女の肉体に降りる。

 

 眠りに落ちた巫女の意識と入れ違いにその肉体を完全に支配した途端、ずしりと重さを感じた。


 体型はふくよかどころか、寧ろほっそりしているのだが、肉体を持たない自分にとってはどうにも重たく感じられる。


 決して負担ではないが。

 

 巫女は目を閉じたままだったが、肉体に縛られている者と異なる知覚を持つ魔王には、巫女の姿がはっきりとわかった。

 

 彫りの深い顔立ちの、美しい少女だ。


 年はまだ十三、四歳といったところだが、この地域の平均寿命は短いため、既に成人していてもおかしくなかった。


 夜のように黒い肌はその多くが剥き出しになっていて、小ぶりではあるが形のいい二つの乳房も惜しげもなく晒されている。


 黒く縮れた短い髪。


 目の色は黒に近い茶色だった。


 赤と黄色のビーズでできた額飾りと、山羊の皮で作った赤い腰巻きが巫女の身分を示している。


 華奢な足をこれもまた山羊の皮でできた靴がしっかりと包み込んでいた。


 一年を通して温暖な気候の土地ではあるが、そろそろ秋になろうかという時分に加えてすっかり日が暮れているため、体は寒さを感じている。

 

 魔王は閉ざされていた瞼を、ゆっくりと押し上げた。

 

 銀色に輝く満月とその美しさを引き立てる小さな星々の下に、遮る物のない大地が広がっている。


 月明かりにしっとりと濡れた草原に、木がまばらに佇んでいた。


 少し離れた集落には布と木で出来た質素な家が並び、その近くには家畜と火の番をする者達の姿がある。

 

 そして依代の巫女のすぐ近くには、平伏している年嵩の巫女達。


 『神』との接触を許されているのは巫女だけであるため、村人の多くは皆家に篭っていて、外にいる者達は決して巫女の方を見ようとはしない。


 否、一人だけ例外がいた。


 家畜の番をしていたであろう依代の巫女と同じ年頃の若者――成人の証である長く縮れた髪を結い上げている――が、草にその身を隠しながら静かに、だが素早く近付いて来ている。


 その手には槍がしっかりと握られていた。

 

 一体誰を殺すつもりか知らないが、たかが人間に襲い掛かって来られたところで、全く問題にはならない。

 

 魔王は男の存在を無視して、平伏している巫女に語り掛けた。


「信託を受けた者は、願いを言うがいい」


 何とも不条理な話ではあるが、依代となっている以上、招喚者である巫女自身が自分と契約を交わすことはできない。


 そのため信託を受けた代理人から願いを聞くことになっていた。


 信託を受けていない者が嘘偽りを口にして、願いを我が物としようとしたとしても、招喚者との間に術的な繋がりがあるかどうかはすぐにわかる。

 

 今回信託を受けたのは、年嵩の巫女だ。


「……恐れながら」


 巫女が頭を地に付けたまま願いを口にしようとした時、その小さな背中に草むらから飛び出した男が容赦なく槍を突き立てた。


 年嵩の巫女は小さく呻いて体を震わせ、槍を引き抜こうと震える手を背中に伸ばそうとしたが、男は返り血を浴びながら槍を引き抜くと、再び巫女の背を貫く。


 異変に気付いた他の巫女達は訝しげに顔を上げた途端に悲鳴を上げて後退ったが、男は構うことなく執拗に年嵩の巫女の背中を刺してその命を絶った。

 

 信託を受けた者が殺された場合、その信託は命を奪った者に移譲される。

 

 魔王は顔色一つ変えることなく、返り血に塗れた男に言った。


「信託を受けた者は死んだ。よって、願いは其方のものだ。願いを聞こう」


 男はその場に跪くと、迷うことなく願いを口にする。


「どうか、僕とあなたの依代となっているその巫女を、遠く離れた地まで逃がして下さい」


 どうやら駆け落ちをするつもりらしい。


 男の声はいくらか掠れてはいたが、その言葉には決意があり、眼差しはどこまでも真摯だった。


 精神体である魔王には特に意図しなくても男の感情を自然と感じることができるため、男の心に恐れや不安はあっても、邪なものがないことがはっきりとわかる。


 簡単過ぎる上に退屈な願いだが、邪心のない願いは悪くなかった。


「いいだろう」


 悲鳴を聞き付けた村の者達が駆け付けて来る前に、魔王は依代の巫女と男の身柄をその場からかき消した。






 現出したのは夜に包まれた森の中だった。


 人間の背丈程の高さの植物から、その数倍もある大きな木まで様々なものが雑多に生い茂り、濃厚な香りを放っている。


 遠くから鳥の声が響いていた。

 

 かなりの時差が生じる距離を移動したため、こちらは同じ夜でも夜明け前だ。


 招喚された土地とは海を隔てたそれではあるが、緯度はそれ程変わらず、気候は温暖だった。


 日が出ていなくても寒さを感じない程度に暖かいのはいいとして、湿度が高いせいで服や空気が肌に張り付いてくるような感覚を覚えるのはあまり快いとは言えないが。

 

 魔王は頬をくすぐる葉を軽く押しやりながら、すぐ側にいる男に言った。


「ここは海を渡らなければ辿り着けぬ地だ。村の者達が其方等を見付けることはできないだろう」


 男は膝を付いたまま、返り血を拭うこともせずに頭を垂れて訊いてくる。


「恐れながら、『うみ』とは何ですか?」


 何とも物知らずな問いかけだが、内陸部で暮らしていたのだから海を知らなくても仕方がなかった。


 あの村の者達はあの土地で何千年も変わらぬ暮らしを続けるばかりで、外へ出て行くことはない。

 

 魔王は男が理解できるように、できる限り丁寧に説明した。


「海とは陸地を隔てる、大量の塩水で満たされた場のことだ。あの村から海まで辿り着くのも一苦労だろうが、長らく海を知らなかった者達が海を渡るのは至難の技だろう。仮に渡ることができたとしても、たまたまこの大陸に辿り着く可能性は極めて低い。現在『神降ろし』ができるのはこの巫女だけであるし、追手を気にする必要はない筈だ」

「では、ここは安全なのですね」

「一面的に見ればな。雨が多く、気候も温暖だが、獰猛な獣に加えて先住民もいる以上、決して安全な土地という訳ではない。今ならまだ余所の土地に運ぶこともできるが、どうする?」


 男は少し考えてから問い返してきた。


「……絶対に安全な土地、というものはこの世界にあるのでしょうか?」

「そのようなものがあれば、既にその地に運んでいる」

「では、ここで構いません。本当にありがとうございました」


 男は更に頭を低くして、地面に額を擦り付けるようにしてから続けた。


「それから、申し訳ありません。あんな穢らわしいものをお見せしてしまって……でも、僕達はどうしても一緒になりたかたったのです」


 願いを聞いた時点で察しは付いていたが、やはり駆け落ちだったようだ。


 巫女は未婚の女でなければならないと定められているため、愛する者と生きることを望むなら村を逃げ出すしかない。


 聖職者でもない男が信託者から権利を奪う方法を知っていたことからして、全ては巫女の計略なのだろう。

 

 いくら『神』である自分の力を借りるのが最も簡単で確実な方法とはいえ、知己を殺せと唆すとは相当腹黒い女に違いなかった。


 尤も、このまま巫女として神降ろしを続ければ、その度に負荷に耐えかねた肉体が壊れてゆくので、使い潰される前に逃げ出したくなるのも無理からぬ話ではある。

 

 巫女の心根がどうであれ、自分が叶えた願いの先にこの二人の幸福な未来があるとは限らなかったが、そこまでは知ったことではなかった。

 

 自分はただ、望まれるままに願いを叶えるだけだ。

 

 冷めた目を向けている魔王に気付くことなく、男は面を伏せたまま続けた。


「本当にありがとうございました。何かお礼ができればいいのですが……」

「不要だ。この巫女は既に代償を支払っている。我が受け取った訳ではないがな」

「どういうことでしょう?」

「其方も知っているだろうが、巫女は我を招喚する時にその身に降ろす。有限の身で我を受け入れる代償として、その都度肉体のどこかが壊れる訳だが、それは我が望んだ訳でもなければ、我が何か得をする訳でもない。そもそも、我をわざわざ人間の体に降ろす必要はないのだ」

「え?」


 男がわずかに身じろぎした。


「では、何のために巫女は自分の体を犠牲にして神をその身に宿すのでしょうか?」

「一つには周囲の人間の気休めだ。我は無限に近い存在なのでな、有限である人間の体に入ることによって、揮うことができる力はかなり制限される。人間は我の力を利用したいと思う一方で、恐れてもいるからな。この体から出ることは我にとっては容易いことだが、人間の体に押し込めておけば多少は安心できるのだろう。もう一つには、巫女の虚栄心だ。最初に我を招喚した巫女は、我とその身を一つにすることで人間達の信仰心を高め、自らも神格化されることを望んだ。たった一人の女の虚栄心から生まれたしきたりが、連綿と今日まで続いている。ただそれだけのことだ」

「そんな……」


 男は立ち上がると、顔を上げて声を荒げた。


「そんなことのために巫女が犠牲になるなんて、間違っています! どうして間違いを正して下さらないのですか!? あなたは神なのでしょう!?」


 魔王はぶつけられた言葉を冷ややかに受け止めた。


 今までに人間から似たようなことを言われたことが幾度かあるが、その度不思議に思わずにはいられない。

 

 自分を『神』と呼ぶ人間は、何故無条件に自分を人間にとっての善なる者だと思うのだろう。


 言葉を交わしたことはおろか、面識すらもない相手だと言うのに。


「人間が我を『神』と呼んでいるのは事実だが、我は決して人間に都合のいい存在ではないし、どれ程の巫女が使い潰されようが興味もない。過ちを正したいのなら、其方が自らやることだ」

「あなたは、人間があなたを誤解して、あなたの望んでもいないことを望んでいると考えていても構わないのですか?」

「ああ、解釈は自由だ」


 人間に招喚されるためには、まず才ある人間の前に姿を現して存在を認識させる必要があるが、その都度細かい自己紹介などはしない。


 人間にどう解釈されようが、そんなことはどうでも良く、ただ多少の暇潰しができればそれでいいからだ。

 

 そのため自分がどういう存在なのか、人間が自分に対してどう接するべきかは、大抵その土地で最初に自分と接触した人間が好きなように決めることになる。


 既存の宗教がある場合、一神教なら唯一神になり、多神教なら最高神ということにされた。

 

 そして、これからもそれは変わらないだろう。


「……あなたは一体人間をどうしたいのですか? 人間を愛していないのなら、何故人間の願いを叶えるのです?」

「我に対して敵対行動さえ取らなければ、特にどうこうしようというつもりもないが? 全ては只の気紛れだ。我にとって、人間の願いを叶えることはそれ以上でも以下でもない」


 男はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、その唇が言葉を紡ぐことはなかった。


 男から伝わる感情は悲しみや怒り、失望や困惑が混ざった複雑なもので、話す気になれないと言うよりは、言葉に迷っているのだろう。


 このまま待っていればまだ会話は続くのかも知れないが、最早その必要性を感じなかった。

 

 自分には語るべきこともないし、何よりこれ以上ここに留まるべきではない。

 

 既に願いは叶っていて、契約は終了しているのだから。


「我はそろそろ在るべき場所へ戻るとしよう。ではな」


 魔王はそう言い残すと、巫女の体の制御を手放し、空間を超越して自らの城へと戻った。






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