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その手に取るもの  作者: 佳景(かけい)
2/22

婚礼の儀

 神は魔王が創った扉を通り、今や配下となった人ならざる者達が住まう島の上に現出した。


 同時に力が失われ始め、かなりの痛みに精神を苛まれる。


 世界の外側に生まれ落ちた者が本来在るべきでない世界の内側に立ち入ることは、己の存在に相当な歪みを生むことなのだ。

 

 神は苦痛を堪えて知覚範囲を水平線以上に広げてみたが、人間の舟は発見できず、そのことに安堵した。


 魔王が人間の軍を追い払ってくれてから半月程が経ったが、あれ以来軍は現れていない。


 だがこの先も何事もないとは言い切れず、配下達は交代で昼夜を問わず島の見回りを続けていた。


 魔王と共にずっとこの島を見張っていられればいいのだが、世界の外側に生まれ落ちた者が世界の内側に干渉し続けることはできないので、どうしても配下達の協力が欠かせない。


 もし何かあれば速やかに世界の外側にいる魔王に知らせを送って、魔王が敵を一掃する手筈になっていた。


 配下達自身で敵を撃退するより、その方が犠牲が出なくていいだろうと魔王が言ったのだ。


 本当はもう魔王に人殺しなどさせたくなかったが、しかし配下達を死なせてしまうことも耐え難い。


 せめて自分の手で配下達を守ることができればいいのに、一度力を使うだけで星を砕いてしまう上に、殺すことを恐れる自分にはそれも難しかった。

 

 だから、結局魔王の厚意に甘えてしまっている。

 

 良くないことはよくわかっていても、今は他にいい方法が思い付かなかった。

 

 神は心の重さを持て余し気味にしながら、ゆっくりと人気のない高原へ降りて行く。


 空は晴れているものの、雲が多くなってきていた。


 もう少ししたら雨が降るかも知れない。


 この島は天気が移ろい易いのだ。

 

 神は生い茂る草にドレスの裾が触れそうな所まで降りてみたが、特に何か用があるという訳でもなかった。


 ただ、少し気分転換がしたかったのだ。


 世界の外側にいると、配下の者から若く力のある男との結婚話を持ち込まれたり、直接口説かれたりで、最近気疲れすることが多い。


 断っても断っても同じことの繰り返しで、正直なところ少しうんざりしていた。


 嫌われるよりはいいが、ついこの間まであれ程気味悪がっていたのにここまで手の平を返されると、打算が働いているとしか思えない。

 

 自分だけでなく、魔王も同じような状況で、このところ不機嫌なことが多かった。

 

 王になったのだから、身を固めて一族との結び付きを強めた方がいいと言われても、とてもそんな気にはなれない。


 配下達と親しくはなりたいが、恋愛がしたい訳ではなかった。

 

 溜め息というのはこういう気持ちの時に吐くものなのだろうと神が思っていると、人間で言うなら二歳から五歳程度の子供達が五人ばかり、きゃっきゃと楽しげな声を上げながら駆けて来る。


 その後から、面倒を見ているらしい娘が赤子を抱いて小走りで追い掛けて来ていた。


 配下達は繁殖力がそれ程強くないので、全員兄弟という訳ではないのだろう。


 親達が働いている間、弟妹を含めた近所の子供達の面倒を見ているに違いない。


「こんにちは!」


 子供達は神の前で足を止めると、元気いっぱいに挨拶してきた。


 神がにこりと笑って挨拶を返すと、一番年長らしい幼い娘が訊いてくる。


「ねえ、お姉さんって王様でしょ?」

 

 子供達に追い付いた娘が慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません! この子がとんだご無礼を!」


 神は「構わないよ」と言って膝を折ると、娘に目線を合わせて答えた。


「そうだよ、私は王だ」

「王様はもう一人いるんだよね?」

「よく知っているね」

「一緒にいるところ、この間見たもん。もう一人の王様とは仲良し?」

「……仲良しだよ」


 神は一瞬悩んでからそう答えた。


 一緒にいるのが当たり前過ぎて、仲の良し悪しなど今まで特に考えたこともなかったが、喧嘩もしたことがないのだから仲がいいと言って差し支えないだろう。


 だが娘は疑り深く問いを重ねた。


「本当?」

「本当だよ。どうして?」

「だって、王様が二人いたらいつか喧嘩になるかも知れないって、お父さんとお母さんが話してたから……」


 娘にそう言われ、神はひどく驚いた。


 自分達はたった二人しかいない同族で、敵対することなど考えたこともなかったが、配下達にはそれが理解できないのだろう。


 なまじ同等の力と権限を持っているだけに、意見が対立した時のことを恐れているに違いない。


 同族でもない者が統治するよりは、同族の者がこれまで通り統治した方が波風が立たなくていいだろうと魔王が言うので、統治は一位の男に任せて基本的に政には干渉しない方針を打ち出していたが、配下達はそれでも不安なようだ。


 その気になれば実力行使でどんな無理も通せてしまう以上、それも当然というものだろう。

 

 この幼女の両親だけでなく、もしかしたら自分達のせいで他の多くの配下達をも不安にさせてしまっているのかも知れなかった。

 

 神が深刻な顔になりかけた時、娘が言う。


「せっかく王様が人間をやっつけてくれて、みんなこれからも仲良く暮らして行けるって喜んでたのに、王様達が喧嘩になったら嫌だよ。だからずっともう一人の王様と仲良くしてね」

「わかった。約束するよ」


 神が心からそう言うと、娘は満足そうに笑って手を振った。


「じゃあね」


 神は手を振り返して子供達を見送ると、とりあえず近くの村へ向かって飛んだ。


 配下達が現状をどう思っているのか、もっとよく聞いてみたい。

 





 世界の外側にある魔王の領域には、以前にはなかった巨大な城が聳えていた。


 魔王が己の力の一端を物質化させて創り出したその城は、人間が造るそれとは大分趣が違っていて、巨大な黒水晶でできている。


 黒水晶とは言っても、実際のそれより透明度が高い似て非なる物質で、黒水晶と言うべきではないのかも知れないが、しかし他にどう言えばいいのかわからなかった。


 ともかくもその黒水晶の城は虚空を四方に突き上げるような姿で、黒水晶の先端を繋げると大きな楕円を描くようになっている。


 虚空を飾るかのように美しいその城は、魔王によく似合っていた。

 

 百位までの配下達とその家族に加えて、彼等の世話をする者達が今この城で自分達に仕えている。


 神もこの城に部屋をもらって、そこで過ごすようになっていた。


 それぞれの領域に城を構えてしまうと、配下達の行き来が大変なので、自然と同居しようという話になったが、魔王の領域に居候することになったのは、魔王自身がそう望んだからだ。


 魔王からすると、配下達の前で満足に力を使えない自分はひどく危なっかしく思えるらしい。


 自身の領域内でならもし何かあってもすぐに察知できるからと、魔王はこの城を創って、皆と共に招き入れてくれたのだった。

 

 中は肉体がある者ならば見上げなければ視界に入らない程天井が高く、廊下もとても広い。


 部屋と部屋の間隔も空いているため、配下達は専ら飛んで移動していた。


 世界の外側から帰って来た神もまた配下達と同じように廊下を飛び、城の一番奥にある魔王の居室の前に降り立つ。


 だがそこには壁しかなかった。


 配下達に出入りされることを嫌った魔王が、扉を創らなかったのだ。


 有事の際とどうしてもの時以外は引き篭もると言っていた魔王は本当に引き篭もっていて、自分以外の誰も側に近付けようとはしない。


 扉がない以上、空間を転移しなければ入ることはできないが、自分はただそれだけで力の一割を使ってしまうため、用がある時は壁に触れれば入れてやると魔王に言われていた。

 

 神が言われた通りに壁に手を付くと、魔王によって居室の中に転送される。

 

 魔王の居室はおよそ部屋らしくなく、茫洋たる空間が広がるだけの場所だった。


 自分達以外の誰も立ち入らせるつもりがないので、壁もなければ天井もなく、踏み締めるべき床もない。


 居室の外のように重力や引力が働くこともなく、空気も通っていなかった。

 

 光と闇さえ存在しない絶対零度の虚空の中に、魔王は何をするでもなく優雅に腰掛けている。

 

 人間で言うなら二十代半ば程の男の姿。


 僅かばかり色味があるだけの白い肌は、肌理が細かく滑らかだ。


 その白さに、腰よりも長く艷やかな髪の、見たこともない程美しい漆黒がよく映える。


 意志の強さを感じさせる眉。


 目に落ちかかる癖のない前髪の間から、細長い瞳孔も虹彩も髪と同じ漆黒の瞳が理知的な輝きを放っていた。


 絶妙な線を描く鼻梁。


 品良く整った唇。


 美しいが決して女性的ではない、彫りの深い高貴な美貌は冷たく冴え渡って、完璧としか言いようがなかった。


 長身の痩躯に纏うのは、長い長い裾の漆黒の長衣。


 銀細工と深い青を湛えた石、銀糸の刺繍が施された長い飾り布で華やかに彩られていた。


 白く長い指を青い石の指輪と共に飾る黒く長い爪と、皮膜でできた黒く大きな二枚の羽は禍々しく見えないでもなかったが、それでもやはり美しい。

 

 神は魔王の美貌を独占できる喜びに浸りながら魔王と精神を繋げると、言語ではなく概念で語り掛けた。


――ねえ、私達結婚しない?


 あまりに唐突だったので、魔王からは少なからず驚きの感情が伝わってきたが、顔にはほとんど出ていなかった。


 魔王は感情をあまり表に出さない。


 意図的にそうしていると言うより、これまで姿形を持っていなかったせいで表情を動かすことに慣れていないだけなのだが、魔王は表情を動かす必要性を特に感じていないようなので、多分ずっとこのままなのだろう。


 愛想良くしていた方が親しみを持たれやすいのに、少し勿体無いような気もしたが、そもそも引き篭もっている時点で親しみなど持たれようもないのだった。

 

 求婚の意図を図りかねた魔王は、その涼やかな眼差しにやや訝しげな色を乗せて問いかけてくる。


――突然どうした?

――ほら、私達は同等の力を持っていて、二人で王をしている訳だけど、皆私達が本当に共同統治して行けるか不安みたいだから……。


 あの後全ての村を回って配下達の話を聞いてみたところ、皆はっきり口にすることこそなかったが、王が二人いることについては不安を感じているようだった。


 そもそも同族以外の者が王となり、しかもそれが一人ではないという、これまで前例がないことが重なっているのだから、無理もない。

 

できることなら少しでも配下達を安心させたい一心で、神は言葉を継ぐ。


――このままだとお前に付くか私に付くかで派閥もできかねないし、もしかしたらもう既にそういうものができ始めていて、最悪一族が二つに分かれてしまうかも知れない。だから私が王位を返上して、お前の妃になるよ。持っている力の強さは変えられないけれど、社会的な地位だったら変えることができるから。結婚すれば只の友人より結び付きも強くなるし、皆も安心すると思うんだ。一番権限を持っているのがお前で、私がその次ということにして、私がお前の補佐に回ろうと思うのだけれど、どうかな?

――構わぬぞ。夫婦になったところで困る訳でもない。


 魔王は事も無げにそう言った。


 自分と魔王との間には恋愛感情はないし、これから先もそんなものが芽生えることは決してない。


 そのことはお互いよくわかっているが、そんなことはどうでもいいことだった。


 互いに友情しか抱けないとしても結婚はできる。


 不死に最も近い存在である自分達は子を為す必要も能力もないし、結婚しても社会的な肩書の他には何が変わることもないだろう。

 

 これで多少なりとも結婚しろという圧力が減るといいのだが、十位以上は伴侶を五人まで持つのが当たり前なので、それはあまり期待できそうになかった。


 お互い愛し合っていることを口実に、他の結婚を断り易くはなるだろうが。


――ところで一つ確認しておきたいのだが、其方が我を補佐する側に回るのか? 其方が王を務めればいいだろう。

――でも、私はお前の力を借りないと皆に何もしてあげられないし、ましてや皆を守るために戦うことなんてできないし……私が王では説得力がなさ過ぎるよ。きっと同じことの繰り返しになってしまう。


 それでは意味がなかった。


 魔王にやる気がないのはよくわかっているが、魔王でなければ駄目なのだ。


 どれ程強い力があったとしても、誰にも頼らずに自分自身の力で皆を守れなければ、配下達は自分を王とは認めないだろう。


 あの島は長らく外敵に脅かされることはなかったが、狼はいて、配下達はその力を揮って狼を退けてきた。その中で力ある者は有事の際に同胞を守って戦うことを自らに課し、それを誉れとしたからこそ、皆は力ある者に従うのだ。

 

 だから、王は魔王でなくてはならない。


――そうは言うが、我はただ其方に付き合って王になっただけなのだぞ?

――それでも、お前でなければ駄目なんだ。もう王になってしまったのだから、もうしばらく私に付き合ってくれてもいいだろう?


 魔王は少し考えてから言った。


――……今のやり方を変えるつもりはないからな。

――うん、それでいいよ。ありがとう。


 神はわずかに瞳を笑ませた。


 最近知ったが、魔王は結構自分に甘い。


 精神を繋げたことで思考の一部を共有していた魔王が、神の思考を読み取って冷ややかに言った。


――あまり調子に乗るなよ。手を貸すにも限度があるぞ。

――わかっているよ。

――それからもう一つ言っておきたいことがある。


 魔王はそう前置きして続けた。


――婚礼の儀はやりたくない。


 きっとそう言うだろうと思った。


 引き篭もり生活を送る者にとって、人前に出なければならないのは結構な苦痛だろう。

 

 神はどうしたものかと思いつつ、呆れを含んだ響きで言った。


――できればお前の望む通りにしてあげたいけれど、流石にそれは無理だよ。こういうことは皆の前ではっきり言葉にしないと、結婚したところで意味がない。社会通念上、夫婦になる者達は婚礼の儀を行うものだとされているし。

――では、婚礼の儀を行う慣習を禁止するとしよう。


 魔王は冗談半分にそう言った。


 半分冗談ということは、半分本気である訳で、神は冷たい目を魔王に向ける。


――基本的に配下達のやることに口出ししないようにしようと言ったのは、誰だったっけ? こんな下らないことで権力を濫用しないでくれ。

――禁止したところで、誰が迷惑する訳でもないだろうが。

――確かに迷惑は掛からないだろうね。でも王が率先して配下の持っている文化を否定するものではないよ。私達は只でさえ同族ではないのだから、余計に反発が起きるだろうし。第一、お前のおかげでせっかく皆と親しくなれそうなのに、そんな命令を出したら絶対に嫌われる。それでは意味がないだろう?


 理屈っぽい魔王は、やはり正論で諭すのが効果的なようで、魔王が反論することはなかった。


 だがまだ大人しく出席する気にはなれないようで、別の案を出してくる。


――ならば、其方一人で行うというのはどうだ? 要は婚姻関係を結んだ事実を知らしめればいいのだから、我がいなくても特に問題はないだろう。

――ちょっと! そんな花婿に逃げられた花嫁状態で婚礼の儀をやれなんて、いくら何でも酷過ぎだよ!


 神は強い調子でそう言った。


 魔王不在で婚礼の儀を行ったりすれば、悪い噂が立つに決まっている。


 第一、惨め極まりなかった。


 夢見がちな乙女ではあるまいし、婚礼の儀に憧れや拘りはないが、それでも相手のいない婚礼の儀は嫌過ぎる。


――仮にも結婚するのだし、もう少し私の気持ちも考えてくれ!

――その台詞、そのまま其方に返してやろう。其方は婚礼の儀を行うことができる上に、我は出席せずに済むのだから、いい案ではないか。

――いい案どころか最悪だよ! とにかく婚礼の儀には出てもらうからね! それじゃ!


 神は精神の繋がりを絶つと自力で居室に転移しようとしたが、その前に魔王によって廊下に転移させられた。

 

 と言うより、追い出されたのだろう。


 そう思うと余計に腹が立ったが、ともかくも結婚が決まったことを早く配下達に知らせた方がいい。


 日取りなど、いろいろと相談しなければならないことがあるのだから。

 

 神はふわりと体を浮き上がらせると、配下達の元へ向かい始めた。



 



 婚礼の儀は十日後に行われることになった。

 

 思ったよりも早く行われることになったのは、恐らく配下達がそれだけこの現状に対して不安を感じていることの表れだろう。

 

 婚礼の儀の次第については特に決まったものがある訳ではないにしろ、よく使われるそれはある。


 新郎新婦入場、結婚の誓約、誓いの口付け、結婚成立の宣言がされて終わりだ。


 時間はそう長くは掛からない。


 気の乗らない魔王にとっては、とにかく早く終わらせるのが一番だろうということで、とにかく最低限のことだけで済ませることにした。


 立会人の代表は、元は王であった一位の男が務めてくれる。


 婚礼の儀の後には一日中宴が催されるのが常で、饗される料理は新郎新婦とそのごく近しい親族で用意するのが倣いだが、自分にも魔王にも親族はいないため、全て配下達が用意してくれることになった。


 できることなら一品くらいは自分達で用意したいと思いつつも、生き物を切り刻んだり焼いたりするような真似は自分にはとてもできないし、魔王にはとても頼めない以上、あきらめるしかない。

 

 儀式の次第も決まり、宴の準備もしなくていいとなると、他にすることと言えば誓いの言葉を考えたり、魔王と衣装合わせをしたりすることくらいなもので、神はゆったりとその日を迎えた。

 

 五位以内の者の娘達の手を借りて支度を終えた神は、大広間に隣接する控えの間にいた。


 広い部屋だが、黒水晶の椅子以外には何も置かれてはおらず、がらんとしたものだ。


 その部屋で、神は一人椅子に腰掛けて、時間になるのを待っている。

 

 娘達によってすっかり清められた体に纏うのは純白のドレス。


 胸元を薄紅色の石と金糸の刺繍で飾った、四つに重なる裾が優美な襞を描く豪奢なドレスで、一番下の段の裾は大輪の花のように床に大きく広がっている。


 婚礼の儀で纏う服の色は男女共に自由だが、今日は揃って白を纏うことにしていた。


 いつも通りの黒と白より、色を揃えていた方が夫婦らしく見えるだろう。


 敢えて黒ではなく白で揃えたのは、互いの新たな関係の始まりを示すには白の方が適当だと思ったからだ。


 いかなる色にも染まっていない白だからこそ、これからどのような色にも染まっていくことができる。

 

 ドレスと同じ純白の、床に届く長い髪はそのまま流して、白百合をあしらった金の冠で飾っていた。


 普段は化粧などしないが、今日ばかりはした方がいいと皆が言うので、白粉をはたいて唇に紅を差している。


 だがどうにも不快感にも似た違和感があった。


 つい顔に触りたくなるのを我慢していると、魔王が現出してくる。

 

 纏っているのは純白の長衣で、左右の肩当てや肩口から下がる飾り布に輝く紫水晶が鮮やかだ。


 魔王のしなやかな体を覆い隠す長衣は優雅に襞を作って、床の上まで長く流れている。


 腰より長い黒髪は銀糸の紐できっちりと束ね、頭上には透き通る水晶と紫水晶の小さな柱が連なる銀の冠が輝いていた。

 

 日頃からそれなりに着飾っている魔王だが、今日はまた一段と盛装していて綺羅綺羅しい。

 

 神は目を細めると、魔王と精神を繋げて概念で言った。


――よく似合うよ。

――其方もな。

――ありがとう。でも化粧なんて初めてしたから、何だか落ち着かなくて……。

――そう言うな。この方が普段より唇の美しさが際立っていいぞ。


 魔王はその長く白い指で神の細い顎を捕らえると、間近で神と見つめ合いながら甘やかな響きで続けた。


――このまま二人きりで婚礼の儀を行うというのはどうだ?


 神は一瞬雰囲気に流されて、魔王の言う通りにするのもいいかも知れないと思いかけたが、すぐに我に返った。白けた目を魔王に向ける。


――……お前、どうせ婚礼の儀に出席したくないから、私を適当に丸め込もうという魂胆だろう。

――穿った見方をするな。心外だ。

――心外? じゃあ、どうして思考を閉ざしているの?


 先程精神を繋げた時から、魔王はずっと思考を閉ざしたままだ。


 普段は全てではないにしろ思考や感情を共有して会話をしているのに、それをしていないのは知られては都合の悪いことを考えているからだろう。

 

 魔王は問いかけに答えることなく、視線を逸らして言った。


――……其方はもう少し単純だと思っていたのだがな。

――私はそこまで馬鹿ではないよ。それこそ心外だ。いい加減にあきらめてくれ。

――仕方がないな。


 魔王はやっと観念したらしく、優雅に神の手を取ると、立ち上がらせた。


 神が差し出された魔王の腕にそっと自らの手を添えるようにすると、魔王が言う。


――行くぞ。

――うん。


 神が小さく頷くと同時に、魔王は神を連れて大広間の前へと空間を転移した。






 魔王が手を使わずに黒水晶の扉を開け放つと、一位の男の声が大広間に響き渡った。


「王、ご入来!」


 大広間の中に窓は一枚もなく、明かり一つもないが、明るくも暗くもない。


 一面黒水晶でできた大広間には哨戒中の者を除くほぼ全ての配下が正装で揃っていて、黒水晶の長椅子の前に起立したまま一様に礼を取った。


 魔王が早くも帰りたがっているのが精神を介して伝わってくるものの、見事に顔には出ていない。


 何とかこの調子で最後まで頑張ってもらいたいところだった。

 

 神と魔王は大広間を貫くように敷かれた純白の絨毯の上をゆっくりと進み、その先で待つ一位の男の眼前で足を止める。

 

 一位の男は配下達を着席させると、神と魔王に向かって厳かに言った。


「本日はおめでとう存じます。配下たる我等全てが、あなた様方の婚礼の立会人となりましょう。それではどうぞ誓いの言葉を」


 一位の男に促されて、神と魔王は揃って配下達を振り返った。


 途端にあちこちで感嘆の溜め息が漏れ、陶然とした眼差しが注がれて、魔王が不快感を強くしたが、それでも表情を変えずにその美しい唇を開く。


「我等が夫婦となるこの佳き日に、配下たる其方等がこうして集ってくれたことに心より感謝の意を述べる。我はこの者を妃とし、これからも妃と共に王として其方等を守っていくことをここに誓おう」

 声を張り上げることこそなかったが、魔王のよく通る低い美声は大広間の隅々にまではっきりと届いた。


 魔王が打ち合わせ通りの言葉を口にしてくれたことに安堵しつつ、神も唇を動かす。


「私は王位を返上し、これより王の妃となる。王の傍らで王を補佐し、これからも変わりなく王と共に皆を守っていくことをここに誓おう」


 神は強い決意を込めて、その声を高く響かせた。


 これで配下達が余計な心配をせずに済むようになるといいのだが。


 自分達は決して敵になることはないし、ずっと配下達を守っていくつもりなのだから。

 

 それぞれの誓いの言葉を聞いた一位の男は、満足そうに一つ頷いてから言った。


「それでは誓いの口付けを」


 神は魔王と向かい合うと、束の間見つめ合い、そして目を閉じた。


 魔王の顔がゆっくりと近付いて、その美しい唇が己のそれにそっと重なる。


 初めての行為に言いようのない感覚を覚えたが、柔らかな唇の感触は嫌いではなかった。

 

 魔王の唇がゆっくりと離れると、一斉に割れんばかりの拍手が湧き起こる。


 一位の男が高らかに言った。


「我等立会人一同はあなた様方の結婚を承認し、ここにあなた様方が正式に夫婦となられたことを宣言致します! 願わくば、幸多からんことを!」


 これで婚礼の儀は終了だ。


 あっさりとしたもので、特に感慨も何もない。


 それは魔王も同じだった。もし愛し合って結ばれていたら、これだけの儀式にもっと喜びだとか感動だとか、そういうものがあったのだろうか。


 どうにも想像できないが。

 

 神は差し出された魔王の手を取った。

 

 これから場所を移して一日中続く宴があるが、用意が整うまでしばらく控えの間で待つことになっている。


 魔王は神を連れて控えの間へと転移した。






 控えの間に現出した魔王が黒水晶の椅子に神を腰掛けさせると、神は申し訳なさそうに言った。


――すまなかったね。本当は嫌なのに、無理に出席させてしまって……でも、お前のおかげで上手く行ったよ。ありがとう。

――もう当分、配下達の前には出ないからな。


 不機嫌に言う魔王に、神は細い眉を寄せて困惑を露わにした。


――そうは言われても、まだ宴が残っているのだけれど……。

――同じことを何度も言わせるな。


 魔王はあくまで頑なにそう言った。


 どうあっても、今日はこれ以上頑張るつもりはないらしい。


 神はどうしたものかと困り果てたが、これ以上無理強いはしないことにした。


 最低限の役目は果たしてもらったことであるし、あまり付き合わせても気の毒だろう。


 自分にとっては特に苦にならないことでも、魔王にとっては相当に苦痛であるのは先程の婚礼の儀でよくわかった。

 

 神は眉間の皺を消して言う。


――わかったよ。後は私一人でどうにかするから、お前はもう行ってくれ。今日は本当にありがとう。お疲れ様。

――ああ、ではな。


 魔王は言うが早いか、その場から消えた。






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