釣り合い
ご注意下さい!!
この物語には所謂淫語プレイが出てきます(あくまで台詞のみで、実際に十八禁な行為をしている訳ではありません)。
大丈夫という方のみ本編へどうぞ。
黒水晶の城の奥深くには、魔王と神の居室の他に、魔王が蒐集した宝石の保管庫と書庫がある。
歩いて回れば数時間は掛かるであろう広さの書庫には、高い高い天井まで届く黒水晶の書棚が無数に並んでいた。
本を傷めないよう、適度な湿気を帯びた空気が静かに書庫を満たしている。
魔王は取り立てて読書が好きという訳ではなかったが、暇潰しに様々な本を買い求めている内に、蔵書はかなりの量になっていた。
中には最早世界の内側においては永遠に失われてしまった、歴史的に貴重な資料もある。
専門書から文学まで適当に目に付いた本を買い、全く分類をせずに適当な並べ方をしているせいで雑然としてはいるが、どの本がどこにあるのか全て把握しているため、特に整理する必要性を感じなかった。
その書庫で、虚空に腰掛けた魔王は一人本の頁を繰る。
読んでいるのは詩集。
とある世界で劇作家として名を馳せた作家のものだ。
読むのはこれが初めてだが、しかし肉体を持たないおかげで時空を超えて世界の全てを知ることができるため、内容は一字一句まで暗唱できる程に知っている。
例え知らない内容の本だったとしても、本を開くまでもなく全ての内容を把握することができるので、本当に只の暇潰しでしかなかった。
わざわざ地道に頁を繰り、一瞬で全ての文字を読み取って、また次の頁を開く。
領土の見回りでもしていた方が有意義というものだが、今は世界の内側の散策と見回りで失った力を回復させている最中だった。
世界の外側に在るべき身で世界の内側に干渉すれば力を失うことは避けられず、現在力は総量の半分以下まで減少してしまっている。
力とそれを司る精神から成る者にとって、力を失い過ぎることは消滅の危険を伴うことだ。
世界の外側にいれば力は自然と元に戻るので、もうしばらくはこのまま読書でもして大人しくしているつもりだった。
静かに頁を捲り続けていた魔王は、程無くして居室の壁が叩かれるのを感じる。
この城がある空間とこの城は全て自身の一部であるため、主体である精神がいない場所で生じた事象でも容易に把握することができた。
魔王が意識を廊下に向けると、居室の前に一人の男が立っている。
年は人間で言うなら二十代前半くらいだろう。
肩まで届く緑がかった青い髪を後ろで一つに束ねた、実直そうな面持ちの男だ。
身に纏うのは青から緑へとグラデーションしていく縫腋袍で、腰には独特の結び方の帯が結ばれている。
袖口と裾はゆったりと広がっていて、二本の線によって縁取られていた。
足は体の線に沿う下衣と、作りのしっかりしたブーツに覆われている。
報告すべきことがある時は神を通すように配下達に言ってあるので、こうして直接自分の元にやって来る者は大概愛の告白が目的だ。
男の姿をしていても、構わず言い寄ってくる男はそう珍しくもない。
いちいち主体を男の眼前に移して応対する気になれず、魔王は自身の端末にそっくり姿を写し取ると、居室の外に転送した。
男は現出した魔王に恭しく礼を取ると、ひどく緊張した様子で言う。
「お邪魔をして申し訳ございません。少々ご相談申し上げたいことがありまして……」
「そういうことはまず、妃を通すことになっている筈だが?」
「重ねてお詫び致します。ですが、これは陛下に直接ご相談すべきことでしたので」
「そこまで言うなら聞くだけは聞いてやるが、そもそもその相談とやらは具体的に何の相談なのだ?」
「その……王妃殿下に恋をしてしまいまして」
男は躊躇いがちに、しかしはっきりとそう言った。
少々長い話になりそうだったので、魔王は近くに急遽新しい部屋を創出すると、そこへ男を誘った。
わざわざ新しい部屋を作らずとも居室を使うこともできたが、神以外の者を個人的な場所に入れたくないがために私室には全て扉を付けていないので、空間を弄ることで多少力を使うことになっても、新しく部屋を創った方がいい。
主体たる魔王は一足先に室内に現出すると、黒水晶のテーブルと二脚の椅子、ティーセットを創り出した。
空気も通しておく。
自分に空気は必要ないが、半分だけとはいえ肉体を持つ配下の者には必要であるし、何より真空では音声言語が使えない。
精神を繋げれば会話はできるが、精神体である者にとって他者との精神的接触は肌や唇を触れ合わせるようなものなので、神以外の者とのそうした会話は極力避けるようにしていた。
端末の魔王に連れられて入ってきた男がもう一人の魔王を見てぎょっとした面持ちになると同時に、主体の魔王は端末の魔王を消す。
「あの、今のは一体……?」
「気にするな。あれも今こうしている我も、我であることに変わりはない。掛けろ」
「は、はあ……」
男は腑に落ちない様子だったが、促されるまま魔王に続いて椅子に腰を下ろした。
魔王はティーポットの中に水を現出させると、一瞬で沸騰させる。
湯をカップに注いで温め、ポットに入れた茶葉を蒸らしていると、男がじっと見つめてきた。
睨まれているのかと思ったが、どうも違うらしい。
刺々しいと言うより、寧ろ陶然としたものを感じる視線だった。
こういう視線を向けられるのは好きではない。
魔王がわずかに眉を皺めると、男ははっと我に返って恐縮した。
「も、申し訳ありません。不躾に見つめてしまって……あまりにお美しくていらっしゃるので、つい見惚れてしまいました」
「面白い男だな。あれに気があるということは、其方からすれば我は恋敵ということになる筈だが」
「それでも美しいものは美しいと思います。それに、正直申し上げて嫉妬や羨望を感じはしますが、私は決して陛下を悪く思ってはおりません」
男の物言いは少々意外で、魔王はわずかに片眉を上げた。
「ほう、何故だ?」
「陛下はその……少々特殊な方で、口さがない者は悪く言ったりもしますが、陛下は私達をずっと人間からお守り下さっている大恩ある御方ですから。こんなことを申し上げるとご気分を害されるでしょうが、あの方を奪いたいと思っていることを心苦しく思います」
男の言葉を聞きながら、印象通りの実直な男のようだと魔王は思う。
配下の者で、自分が肉体の束縛を受けない異端者であることを『特殊』という言葉でずばり口にしたのはこの男が初めてだ。
異端であることなど全く気にしていないので、どう言われても全く構わないのだが、誰もが怒りを買うことを恐れて口にしようとしないことをわざわざ言う辺り、良くも悪くも嘘が吐けない性質なのだろう。
友人以上の仲になりたいと思うかはともかく、神には気に入られそうだった。
魔王がカップを温めていた湯を消して静かにティーポットを傾けていると、男は続ける。
「決して、私の方が陛下より優れているなどと思い上がっている訳ではございません。陛下は私など及びも付かないような強い力をお持ちですし、その上大層お美しく、性別を問わず人気がお有りで……私の友人も男なのですが、「並の女性よりも余程妖艶でお美しいから」と『陛下の美しさと御力に忠誠を誓う会』の会員をしているくらいでして」
魔王は高過ぎる自身の評価と特に聞き慣れない会の名を聞いて、思わずげんなりする。
先日まで『陛下を愛し、愛でる会』という名称だったのだが、また改称したらしい。
神の愛好会はともかく自分の愛好会など気色悪くて仕方がないので、幾度も解散させているのだが、何事もなかったかのようにまたすぐにこうして別の名前で発足して活動を続けていた。
主催しているのは、自分達に変わって一族の者を統治している女。
これが異常なまでに図太い女で手を焼いていた。立場上神に容易に近付けるのを利用して友人の一人に収まり、神の後ろ盾があるのをいいことに好き放題活動しているのだ。
直接苦言を呈すれば大人しくなるかと呼び付けてみたこともあったが、萎縮するどころか「お美しいお姿を拝見できて眼福ですわ」と言い放ち、改称して会の活動を続けていることに関しては「それを禁じる法はありませんわ」と開き直った。
自分が何者であるか知りながら、ここまで物怖じしない女は初めてだ。
当然王の権限で解散した団体が事実上活動を存続させることを禁止しようともしたが、神が「配下達の楽しみを奪わないで欲しい」と言うので、仕方なくその都度会を解散させるだけに留めている。
魔王は湯気を立てるカップを、力を使って男の目の前に置きながら言った。
「相変わらずのようだな、あの女は」
「ええ、精力的に会報も配ってらっしゃいますよ。時々あの方のお言葉を聞けることがあるので、友人と共に拝見させて頂いております」
会報と言ってもこの世界の配下達は文字を持たないため、実際に喋った映像を記録することで情報を伝達している。
配下達の中で最も強い力を持っているとは言っても、あの女一人で結構な数の会員全てに会報を配ることはできないため、会報をもらった会員達が複製を繰り返すことで会員全てに行き渡らせているらしい。
会報に妙なことが載っていないか常々気になってはいるのだが、しかしおぞましくて自分では絶対に見たくなかった。
会員の一人である神に訊いてみても、友人を売るような真似はしたくないと、全く教えてはくれない。
だが何の利害関係もないであろうこの男なら、恐らくすんなり話すだろう。
遠慮がちにカップに口を付けた男が「美味しいです」と言いつつカップをソーサーに戻すのを待って、魔王は問いを口にする。
「一つ訊きたいのだが、会報に何かおかしな記事はなかったか?」
「おかしなこと、ですか?」
怪訝そうな顔をした男は、少し考えてから続けた。
「……『陛下の腰にくる低い美声で囁いて欲しい言葉一〇』とか、『陛下が新しく蒐集された宝石はこれだ!』とか、割と他愛もない記事が多いですが、つい最近出た会報に書かれていた『陛下は王妃殿下の恥じらう顔がお好き』という記事は、聞いていて羨ましいやら気恥ずかしいやら、なかなか衝撃的な内容でした」
カップを手に取ろうとしていた魔王は、思わずカップの持ち手をへし折った。
確かに以前神に向かって「恥じらっている時が最も可愛らしい」と言った覚えはあるし、紛れもない事実だが、それを他者に――それもあの女に話すとはどういう了見だ。
口が軽いにも程がある。
奥床しさというものがないのか。
そういうことは黙って心の内にしまっておくべきことだろうに。
神に関しては後でそれなりの仕置きをするとして、あの女はどうしてくれようか。
魔王があれこれ残酷な殺し方を思案していると、静かな怒りを感じ取ったらしい男がすまなさそうに言った。
「申し訳ありません。どうも余計なことを申し上げてしまったようで……」
「其方が詫びねばならない道理はない。寧ろ我は其方に感謝しているぞ」
「勿体無いお言葉、痛み入ります」
男がいくらか安堵した様子でそう言った。
魔王としては今し方明らかになった信じたくない事実の衝撃が大き過ぎて、この男のことはもう割とどうでもいい気がしていたが、さりとてそういう訳にも行かないだろう。
壊してしまった持ち手を直すと優雅にカップを傾け、いくらか冷静さを取り戻してから、魔王は言った。
「つまらぬことを訊いたな。本題に入ろう。其方は一体どういう意図で我の元を訪れたのだ? あれに気があるのは理解できたが、だからと言ってわざわざ我に喧嘩を売るような真似をする必要もないだろう。寧ろ其方の立場からして、そういうことは我に悟られぬように立ち回るべきだと思うのだが」
「その、けじめと申しますか……上手く言えないのですが、仮にも伴侶のいらっしゃる方に恋をしてしまったのは良くないことだという自覚はあるので、せめて正々堂々恋敵として名乗りを上げておこうかと思いまして。こういう場合にこそこそと立ち回るのは、尚のこと良くないでしょうし」
神に手を出そうとした者はこれが初めてではないが、面と向かって宣戦布告をされたのは初めてだった。
本当に面白い男だと思う。
魔王はその美しい唇に微かな笑みを滲ませて言った。
「その心意気は悪くはないが、我としてはどういう対応をするべきなのだろうな。あれを巡って其方と決闘でもすればいいのか?」
「あの、できればそれはご遠慮申し上げたいです。私が一瞬で死ぬのは目に見えていますし……身勝手なお願いだと重々承知の上で申し上げるなら、あの方を振り向かせるべく努力させて頂く所存ですので、そのことを御心に留め置いて頂ければと、そう思っております」
神を寄越せと言うのかと思えば、えらく控えめな要求だ。
だが、いかにもこの男らしいと魔王は思う。
それだけ神を愛しているのだろう。
神に想像だにしなかった真似をされた今の心情としては、神を欲しいと言うならくれてやってもいいような気もしていたが、そもそも神は自分の物という訳ではなかった。
「あれを口説きたいなら勝手にしろ。あれと我は一応婚姻関係にはあるが、あれがどこで誰と何をしようがあれの自由だ。其方があれに無理強いさえしなければ、我としては何も言うつもりはない」
「あの、本当によろしいのですか?」
些か拍子抜けした様子でそう問い返してきた男に、魔王は鷹揚に頷く。
「構わぬぞ。其方にとっては、気兼ねなくあれを口説くことができて好都合だろう」
「それはおっしゃる通りなのですが、少々意外で……陛下は愛妻家で有名でいらっしゃいますから。側室も置かれてはいませんし、あの方以外の誰とも浮き名を流されたことはございませんでしょう? あの方も陛下以外の方と噂になるような真似はなさいませんし、てっきり深く愛し合っていらっしゃるものかと」
魔王は苦々しい面持ちになった。
こういう気色の悪い誤解を聞かされるのが嫌で、余計に配下達の前に出たくなくなるのだ。
同じ境遇を分かち合うことができる者が互いしかいなかったため、神とは自然と親しくなったし、いろいろと手助けすることを厭わない程度には憎からず思ってもいる。
だが浮気云々は、神以外の誰とも深い仲になるつもりがないからしないだけのことだ。
人間の中には獣と交わる物好きもいるが、流石に虫と寝たいと思う者はいないだろう。
自分が配下達に手を出さないのも同じようなものだった。
一番の理由は、自分が精神体であることだが。
肉体を持つ者のように、快楽を得るためだけに何とも思っていない相手と交わる気にはとてもなれなかった。
精神のみの存在である者にとっての交わりは、己の感情や思考のみならず、記憶全てを相手と共有することだ。
誰とでも寝るような貞操観念のない者でも、己の全てを相手に知られてしまうとなれば、本当に信頼できる者以外と寝ることはできないだろう。
「思い違いをしている者が多いが、我があれと婚姻関係を結んだのは、その方が互いにとって都合が良かったというだけのことに過ぎない。粉を掛けたければ好きに掛けろ。率直に言って、あれはやめておいた方がいいとは思うがな」
「あの方の夫としての立場からおっしゃるなら、確かにお勧めはできないでしょうね」
「我とあれの仲はこの際関係ない。客観的事実だ」
「これはまた意外なお言葉ですね。よろしければ、訳をお聞かせ願えますか?」
「理由はいくつがあるが、そもそも其方はあれのどこが気に入ったのだ?」
「それはその……あの方は力の使い方が下手だと謙遜していらっしゃいますが、唯一陛下に比肩する御力をお持ちですし、陛下の隣に並んでも全く見劣りしないくらいお美しい方ですし、私達のような下々の者にもいつもお優しいですから。理想の女性と言えば皆真っ先に殿下の名前を挙げるくらいで、『殿下の純白の心をお守りする会』には大抵の男が入会していますし、恋愛感情を抱くかどうかはさておき、あの方を嫌いになれる男はいないのではないでしょうか? 日頃滅多に姿をお見せにならない陛下と私達の間をずっと取り持って下さっていて、城に上がれないような力のない者達の言葉にも耳を傾けようと、時折世界の内側までお出掛けになることもありますし、本当に素晴らしい方だと思います」
神の話をしている筈なのに知らない誰かの話を聞いているかのようで、魔王はどこか薄ら寒い心地になった。
確かに神は自分に匹敵する力があり、美しく、人当たりもいいが、あれで結構口が悪くて頑固であるし、時折こうしてとんでもないことを仕出かしもする。
とてもそこまで褒め千切る程大層な者とは思えないのだが、夫婦の睦言を軽々しく他者に話すような者を『素晴らしい方』と言うなら、神は間違いなく『素晴らしい方』だろう。
「其方があれの力と容姿と性格が気に入ったのは理解できたが、力はともかく容姿はあくまで作り物だぞ? いくら見てくれが似ていても、本質は其方とは全くの別物だ」
「お言葉を返すようですが、本質がどれ程違ったとしても意志の疎通は十分図れますし、何も問題はないように思われますが」
「それは我等のことをよく知らないからだ。我等はそもそも恋愛感情という物を持たない」
「は!? あの、それはどういう……」
目を剥いた男の言葉を遮り、魔王は淡々と説明する。
「其方も知っての通り、我等は肉体を持たないため、長い時を在ることができる。ほぼ不死の存在と言っていい程にな。死なないということは子孫を残す必要がないということだ。そして、子孫を残す必要がない者は繁殖行動のために愛情を育む必要がない。よって、我等は恋愛感情を持たない。理解できたか?」
「確かに、理屈は理解できますが……しかし、たとえ恋愛感情でなくとも、あの方が私を特別に思って下さるなら、私はそれ以上は何も望みません」
この男のことなので、恐らく本心で言っているのだろう。
なかなか見上げた心掛けだった。
実際そうできるとは限らないし、問題はそれだけではないが。
「あれは其方を大切に思うことはあっても、『特別』だと思うことはないぞ? あれは度が過ぎる程に優柔不断なのだ」
「優柔不断、ですか? 申し訳ありませんが、おっしゃる意味がわかりかねます」
困惑した様子の男に、魔王はその白く長い指を折りながら言った。
「現時点で、あれにとって大切な物は三つある。一つは我であり、もう一つは誰も殺したくないという己の信条であり、もう一つは其方等配下の者達だ。この三つは決して揺らぐことはなく、その三つの内でどれか一つが優位に立つことも決してない。あれにはどれも選べないのでな。仮に其方があれに受け入れられたとしても、せいぜい選べない物の四つ目に名前が並ぶ程度のことだろう。戦う前から我に負けているということはないが、決して勝てない戦いを敢えてするのも不毛と言うものだぞ」
「……あの、大変失礼な質問なのですが、陛下はそういった現状を不満には思われないのですか?」
「そういったことはまずないな。あれに対して恋愛感情を抱いていたとしたら、話は違ってくるのかも知れぬが」
自分が他の二つ程大切に思われていないとしたら流石に少々面白くなかっただろうが、そうではないのなら別段腹も立たなかった。
どれも選べないがために、配下達を守るために殺すことを厭う己に神が苦しみ、自分が配下達を守るために人間を殺す度に悲しみ、配下が人間に殺される度にまた悲しむのはいい気がしないが。
「もしも、もしもの話ですが、私が何かの間違いで殿下に『特別』だと思って頂けたら、陛下はどうなさるおつもりなのでしょう?」
「別にどうもするつもりはないぞ。其方からすれば其方の一生は決して短い時間ではないのだろうが、我にとってはほんの一時のことに過ぎないのでな」
魔王は事も無げにそう言った。
神と自分は世界の外側を構成する存在で、世界の内側には長くても一日程度しか滞在できない。
自死するか殺されるかしない限りは、永遠とも思える程の時を神とここで過ごすことになるのだろう。
置いて行くことも、置いて行かれることもなく、最期まで共に在り続けられるのは互いしかいない。
だからこそ、神がほんの僅かな間誰かと友人以上の仲になりたいと願ったとしても、大して気にはならなかった。
自分の代わりは誰にもできないのだから。
「こう言っては何だが、存在の根幹が異なる者に真剣に想いを寄せたり、張り合おうとしても虚しいだけだと思うぞ。あれが構わないと言うなら、其方にあれを貸してやってもいいが」
「共有ではなく、貸出なのですか?」
「下手に共有などすると、其方が不愉快な思いをするだろう。繰り返しになるが、我にとってはあくまで一時的なことに過ぎぬのだから、貸出で何の問題もない」
男はわずかな沈黙の後に言った。
「……お気持ちは大変有難いのですが、ご遠慮させて頂きます。王と私の格の違いがいろいろとよくわかりました。この想いは私の胸にそっとしまっておくことと致しましょう」
頑固に「それでも想いを貫く」と言い出すかとも思っていたのだが、結構なことだと魔王は思う。
短い一生をわざわざ無意味な戦いに捧げることもない。
「お手間を取らせて申し訳ございませんでした。どうぞこれからもお幸せに」
男は席を立つと、一礼して静かに部屋を辞去した。
魔王はティーセットを消すと、すぐさま神の居場所を探した。
会報の件で、神と早急に話し合いをする必要がある。
どれ程重要な用件があったとしてもここへ呼び付けるつもりだったが、幸い神は一人で居室にいて、魔王は神の身柄を強制的に今いる部屋に移した。
テーブルのすぐ側に現出した神は、その澄んだ白い瞳を真っ直ぐに魔王へと向ける。
光が滲み出ているかのような白い美貌は笑顔がよく似合うが、今はきょとんとした表情に彩られていた。
足元まで届く純白の髪。
ほっそりした肢体を包む純白のドレスの裾が漆黒の床の上に優美な線を描いている。
魔王は神に椅子を勧めるでもなく、その美貌をぎりりと睨んで切り出した。
「例の会報に妙な記事が載っていたと聞いたぞ。申し開きを聞かせてもらおうか?」
魔王は先程まで男との会話に使っていた言語を使ってそう言った。
普段は精神を繋げて概念で会話しているが、今はとてもそんなことをしたい気分ではない。
「……すまない」
神は細い肩を窄めて素直に謝ったが、魔王としては到底話を終わらせる気にはなれなかった。
「一体どういうつもりだ? 我に対する嫌がらせだとしたら、相当に効果的だがな」
「別にお前を怒らせたかった訳ではないんだ。その……あの子は寝室での出来事でも気軽に口にするような子だから、私もつい口が軽くなってしまって……でも、まさか会報に載せるなんて思っていなかったんだよ」
「会報に載せると思わなかっただと? あの女に話せばこうなることくらい、容易く予測が付くだろう。其方のおかげで我はいい笑い者だ……!」
怒鳴りこそしなかったが、魔王が普段よりいくらか語気を強めてそう言うと、神は慌てて魔王を宥めた。
「わ、笑われているなんて、そんなことはないと思うよ! 「私もそんなことを言われてみたい」といった感じの反応ばかりだった! 皆に随分羨ましがられたし、凄い反響だったよ!」
決して悪気はないのだろうが、悪意もなしにここまで苛立たしい台詞を並べられるというのもある意味見事なものだった。
冷静に話し合うことが難しくなってくる。
魔王はどうにか平静を保って言った。
「慰めのつもりか? それ以上ふざけた口を利くなら、本当に怒るぞ。其方の交友関係に口を出すつもりはなかったが、事ここに至っては言わせてもらおう。あの女とは金輪際付き合うな」
「でも、友人なのに……」
「口答えするな」
「でも……」
口答えするなと言ったにも関わらず、神はまだ何か言いたげな様子だった。
神は他者を突き放したり、見捨てたりということができない性分なので、すんなり納得しないだろうとは思っていたが、案の定だ。
だが、今回ばかりは折れてやるつもりはなかった。
「あれは強かな女だぞ。どうせ其方を都合良く使うために其方に取り入ったに決まっている。もしまだあれと友人関係を続けると言うのなら、我としても其方との付き合いを考え直さざるを得ないが?」
死ぬまで共に在り続けるしかないとしても、神を自分の領域から追い出して、繋がりを持たずに過ごすことならできる。
本気でそんな真似をするつもりはなかったが、これくらいのことを言わないと神は折れないだろう。
神は追い詰められたような面持ちでしばらく黙りこくっていたが、やがて力なく言った。
「……わかったよ。あの子とは距離を置く。それでいいのだろう?」
「ああ、だがそれだけでは不足だな」
「何をしろと言うんだ?」
神の問いかけに、魔王は空間を超越して書庫から取り寄せた本を開きながら答えた。
「これを朗読してもらおうか。女の台詞だけで構わぬぞ」
「でもそれは……恥ずかしいよ」
「だろうな」
魔王がそう言いながら神に差し出したのは、俗に言う官能小説だった。
長い付き合いで、何をすれば神が嫌がるかは把握している。
とにかく恥ずかしい思いをこれでもかとさせてやるつもりだった。
「其方が読まないと言うのなら、あの女の首を落とすぞ」
「そんな……卑怯だよ」
「この期に及んで被害者ぶるな。其方が読めばいいだけのことだろう。何も難しいことは言っていない」
「……私が読んだら、あの子には何もしない?」
「とりあえずはな。できることなら、今すぐ殺してやりたいが」
唇を引き結んだ神はしばらく拗ねたような目で魔王を見つめていたが、おずおずと本を受け取ると、唇を開いた。
「あっ……そんなとこ、駄目っ」
神は感情を忘れたかのような平坦な口調で台詞を読んだ。
これでは面白くないし、仕置きの効果も半減というものだろう。
「もっと情感を込めて読め」
「できないよ! 嬌声なんて上げたこともないのに!」
「では、上げたくなるようにしてやろう」
立ち上がった魔王は神に歩み寄って口付けると、その精神に己のそれを滑り込ませた。
やや強引に記憶を開かせて、思考と感情を重ねていく。
いつもより少し多く記憶が壊れたが、それでもやはり快感の方が強い。
神は形ばかりの弱々しい抵抗を見せたが、テーブルの上に押し倒してその手首を押さえ付けると、すっかり大人しくなった。
魔王は唇を離すと、尊大に命じる。
「さあ、鳴いて見せろ」
神は快感に蕩けた面持ちで、命じられるままにゆっくりと唇を開いた。
「……あ、あんっ」
紡がれた声は思いの外甘く、繋がった精神から神が一層強く羞恥を覚えるのが伝わってくる。
「やっぱり恥ずかしいよ……こんな声を出すなんて……」
「聞いているのが我一人であるだけ幸せだと思え。我は其方のおかげで、他の誰にも知られたくないようなことを配下達に知られる羽目になったのだからな」
神は軽く唇を噛むと、屈辱に心を震わせながら再び甘い声を漏らした。
「んんっ……っや、そんなに弄らないで……あぁ……濡れてきちゃう……我慢できなくなっちゃうからぁ」
本は神の手から離れて床に落ちてしまっていたが、肉体を持たない神は目に頼らずに事物を知覚しているため、台詞を把握するのに支障はない。
こうして組み敷いたまま声を上げさせていると、本当に抱いているようでなかなか新鮮だった。
魔王は神の白い首筋に顔を埋めながら言う。
「なかなか調子が出てきたではないか。次だ」
「いや……もうやめて……こんな厭らしいこと、これ以上言えないよ……っ」
細く形のいい眉を寄せ、目を逸らして羞恥に耐える神は、美しいと言うよりひどく可愛らしかった。この可愛い顔をもっと見せてもらうとしよう。
魔王は神の思考と感情をゆっくりとなぞりながら言った。
「四の五の言わずに読め。これくらいのことはしてもらわないと釣り合いが取れない」
神は快感と羞恥に心を掻き乱し、その形のいい唇を動かして次の台詞を口にした。
「ぁあ……んっ!……もう、焦らさないで……あなたの熱くて、おっきいのが欲しいの……」
男を誘う淫らな台詞に、神がかっと心を燃え上がらせる。
触れている方まで焼けてしまいそうな熱さだが、たまにはこういうのも悪くはなかった。
魔王がもう少しだけ神の奥を探ると、神から更なる苦痛と快感が伝わってくる。
「っは……んんんっ……イイっ!……イイのぉ!……凄くイイ!……ぁん、もっと……もっと奥まで突いてぇっ!!」
神が半ば演技を忘れた善がり声を上げた。
神の望む通りに奥まで行くこともできるが、あまり深く潜って神を悦ばせては仕置きにならない。
代わりに、魔王は神の精神をきつく食んだ。
神が堪らず悲鳴を上げたが、その声すらひどく甘い。
「っうん!……あぁんっ!……っく、激し過ぎっ!……すご……おかしくなっちゃうぅっ!」
羞恥が快感を強くして、そのことにまた羞恥を覚え、更なる快感が生まれた。
さして深く触れられている訳でもないのに、これ程昂ぶるのは珍しい。
魔王が食んだままの神の精神を激しく揺すってやると、神は熱に浮かされたように続けた。
「ああっ!……そこ駄目……駄目なのぉ!……そんなにされたら私、もう……っあぁああああっっ!!」
神が一際高い声を上げると、魔王は神の精神を離した。
「上手く読んだではないか。そこまでで構わぬぞ」
魔王の声でいくらか平静さを取り戻した神は、魔王の視線から逃れるように顔を背けると消え入りそうな声で呟く。
「……もう消えてしまいたい……」
「何を言う。この調子であと九冊は読んでもらうぞ」
「そんなに!? もう二度としないし、きちんと反省もしているのだから、いい加減に許してくれてもいいだろう!?」
「十冊読めば許してやると言っているのだから、大人しく読んだ方が身のためだぞ。あの女がどうなってもいいのか?」
「うぅ、酷いよ……お願いだから、もう許して。本当に恥ずかしいんだ」
神は今にも泣き出しそうな顔でそう懇願した。
確かに反省はしているようだが、この程度で許す気には到底なれない。
せっかくこんなに可愛い顔をしているのだから、気が済むまで楽しませてもらうつもりだった。
「次はこれを読んでもらおうか」
魔王は無慈悲に言って、新たな本を現出させた。




