01 土地神様の社
2016. 6. 7
20話ほどで完結予定の短編です。
文学フリマ用に書き下ろしております。
投稿は不定期です。
日が暮れ出し、一人娘が高校から帰る頃。その家では両親が揃って仕事へと出勤していく。
「響華行ってくるわね。夜更かしするんじゃないわよ?」
「分かってる」
まるでパーティへと出掛けるような華やかな服を着て、母は父の待つ玄関へと急ぐ。
玄関先には、先に用意を済ませ、スーツで決めた父が靴を履いて待っていた。
「父さん、ちゃんと今日は家の鍵も持ってる?」
「うっ……ある」
顔はしっかりとしているが、娘である響華には、まだ頭が覚醒しきっていないと分かる。
つい二時間前まで眠っていた父は、低血圧なせいで、頭がまともに働くまで時間がかかるのだ。
「ネクタイの柄も良し、靴下良し、髪もオッケー」
「……合格か?」
「うん。よろしい」
少々、父の趣味はズレているので、注意が必要だ。仕事場では制服に着替えるとはいえ、気を付けなくてはならないだろう。
「行ってらっしゃい」
二人の仕事場は同じ場所だ。市内にある某高級ホテル。
父はそのホテルのBARでバーテンダーをしており、母はそこでピアノを弾くジャズピアニストだ。
こうして慌ただしく家を飛び出していく両親を見送り、響華は一人だけの夕食の支度を始める。するとそこに、美しい十二単を着た姫が現れた。
《相変わらず騒がしいのぉ》
「月姫。まだ明るいのに……今夜はご予定が?」
彼女は響華にしか見えないらしい。この辺りの土地神だという姫だ。御神体を祀った小さな社が、この家の庭にある。そのせいで度々こうして家の中に姿を現していた。
《うむ。春の宴じゃ。出掛けるゆえ、戸締りを忘れるでないぞ》
「……月姫まで……」
どうも、両親と同じで月姫も響華の事をまだ幼い子どもだと思っているようだ。ただ、それも仕方がない。
《響華は、小さくてかわゆいからのぉ。心配なのじゃ》
「分かってます。でも、背が低くて少し童顔なだけで、もう十七ですからね」
身長が低く、小柄なため幼く見えるらしいと、充分に自覚はしている。
響華は、リビングの大きな窓を開け、月姫が庭をゆっくりと進むのを見送る。
動き辛そうな十二単は透けて木々や草花を揺らす事もない。そんな不思議な光景をただ見つめていた。
小さな社の前に立った月姫は、家の端にある桜の木に目を留めて呟くように言う。
《そうじゃ。桜もそろそろ終いじゃのぉ。また調律を頼むぞぇ》
「はい。明日は風が強くなるそうですから。明後日には調律しますね」
《うむ。佳きにはからえ》
そう優雅に扇で口元を隠し、振り向くと、月姫はその姿を風に溶かすようにして消えていった。
響華は庭へ下りると、社の前で静かに手を合わせる。そして、ゆっくりと息を吸い込み、そっと吐き出すと、目を閉じて耳を澄ませた。
聞こえるのは風で擦れる木の葉や草花の音。しかし、響華にはそれが美しく静かに奏でられる楽の音に聞こえている。
桜が散りゆく音は高く澄んだ音色だ。その後ろで枝の軋む音が低く長く響く。
自分の呼吸の音が邪魔をしないように、小さく長く息をする。目を開け、社へと深く頭を下げた。
そうして社に背を向ける事に詫びて、再び音に集中するために目を閉じる。
ここは神様の為の庭。社へとその楽の音が届くように、神の為に正しく奏でられるように調律する。
「……葉を少し落として……サツキも花が咲く前に整えないと……」
神に捧げられるその楽の音を守るのが響華の役目。祖母から継いだ仕事だ。
美しく整えられた庭は、神の為の楽を奏で、神域を作る。そして、それは神への力となり、土地に加護を与える。
しばらく静かに目を閉じ、その場で楽の音を確認していた響華だったが、夕闇の近付く風を感じて目を開けると、社へ頭を下げた。
「天気予報を見て、夕食を済ませますか」
そう呟き、響華は家へと入っていくのだった。
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