タイトル3 今回予告:どうやら僕は、嫁がなくてはならない状況らしい。(……って、おかしいだろ明らかに!)
何が何だかよく分からないうちに、伊織は自宅最寄りのバス停で降り、住宅街を歩いて実家に到着していた。
ここに至るまで、とにかく背後や頭上をキョロキョロと警戒しながら帰路を辿り、夜道を足早に歩いていたのだが……例の、嫁を自称する頭がおかしい連中が現れる気配は無い。
安心したような、逆に余計不安が煽られるような複雑な気持ちを抑えつつ、伊織はとある戸建ての門扉を通過し、玄関の鍵を開ける。
「ただいま~」
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」
「うぐぉっ!?」
玄関の施錠をしている伊織の背に、リビングから姿を現した妹の彩音が廊下を駆け抜け、飛びかかってくる。
「お土産は? ねえ、お土産!」
「あ、彩音君……他に言うべき事は無いのかな……?」
妹と玄関扉に挟まれ、強かに打ち付けた鼻の頭をさすりながら不満を口にすると、すぐさま離れた彩音はペロッと舌を出した。
「お帰りなさい、伊織兄ちゃん。お誕生日おめでとう!」
「ただいま彩音、ありがとう」
「ケーキ買ってもらっておいたから、早く食べよう! で、お土産ね」
「はいはい」
彩音に腕を引っ張られつつ、伊織は急いで靴を脱いで久方振りの実家に上がり、リビングに向かう。両親の様子を尋ねると、今日も遅くまで仕事らしい。
コタツにて向かい合い近況を語らいながらケーキを食べ、妹に淹れてもらった紅茶を頂き、寛ぎがてら、伊織は今日の謎の体験について、土産話代わりに妹へ語ってみた。証拠に例の動画を添えつつ。
「あはははは!」
そして、話を聞き終えた彩音は爆笑していた。
「嫁って……お兄ちゃんの嫁志望の男達って、何それドッキリ!?」
「何だったんだろうなあ、本当に……」
「し、しかも、戦隊ヒーローに悪の軍団の騎士に、腹が出たオッサン下っ端のハーレム!」
「世界一、主人に君臨したくないイヤなハーレムだ……」
お腹を抱えて遠慮なくひぃひぃと笑い転げる彩音に、伊織はげっそりと答える。
「でも、お兄ちゃんって同性愛とか絶対無理な人だもんね?」
「当たり前だっ!」
ダンッ! と、コタツのテーブルを叩く伊織の対面に座す彩音が、不意に目を見開いた。明らかに彼女は、兄ではなくその背後を驚いたように眺め、声にならぬ声を舌に乗せ、唇をパクパクと開け閉めしている。
「今晩は、お邪魔します」
訝しみ背後を振り返った伊織の眼前で、艶やかで長い鴉の濡れ羽色を思わせる黒髪をサラリと揺らし、見知らぬ少年がお辞儀をしていた。
つい先ほどまで、リビングには影も形も存在しなかった謎の人物の出現に、伊織は慌てて立ち上がる。親が不在の今、妹を守れるのは兄である彼しか居ないのだ。
「玄関の鍵はちゃんと掛けたはず……どっから入ってきたんだっ!?」
少年を警戒しながらコタツを回り込み、彩音を背後に庇うようにして詰問する伊織に、彩音は「違うよ、お兄ちゃん」と、口を挟んだ。侵入者ではなく、伊織の帰宅前から家に招いていた人物だったのだろうかと、伊織は一気に気が抜けてしまった。
もしや妹の友人なのだろうか、というかこんな時間に家に招いているという事はまさか妹の彼氏……!?
「あ、彩音君……もしやこの子は君のお友だちなのかな……?」
いや、流石に彩音よりも五つぐらいは年齢差がありそうな幼い少年は彼氏なんかじゃない、そう否定してくれという気持ちが伊織の声音を震わせていた。
妹が口を開く前に、お辞儀していた少年が顔を上げた。結わずに下ろされたままの黒髪、金色の瞳を持ち、狩衣……いや、襟元のデザインからして水干か。純白の和服を纏った少年が小さく首を左右に振る。
「妹君様とは、お初にお目にかかる。
先ほどは失礼致しました。あなた様の嫁にして朋友、狐狸 (こり)の里の三ツ葉 (みつば)と申します」
「また自称嫁か!?」
緊張した面持ちで名乗りを上げる少年に、伊織は状況の異様さよりも、苛立ちが勝って気色ばんでいた。そんな兄の服の裾を小さく引っ張る彩音。
「お兄ちゃん、さっきその子、何もないところから急にリビングに現れたんだって。
瞬間移動だよ、テレポートか神隠し!」
「はあ?」
やや興奮した様子の彩音についていけず、キョトンとした表情で妹を見下ろす伊織に、三ツ葉は「申し訳ない」と謝罪を重ねた。
「事態は急を要しておりますゆえ、無断で縄張りに押し入ったご無礼、平にご容赦願いたい。
我々は切羽詰まっており、我ら嫁となり主人様のお力にお縋りする他無く……」
「待て待て待て。
そもそも、僕は三次元の嫁を貰った覚えが無い!」
二次元の嫁は別問題である。
この、頭がおかしい謎の言い分を持ち出す連中にお引き取り願うべく、伊織が警察を呼ぶべきかとスマホを取り出した、まさにその時。
「ご案じ召されますな、夫君 (ふくん)!」
「我ら嫁十二人衆、いつでも夫君を盛り立て影ながらお守りする所存!」
……リビングの壁に、半分埋まる形で変な忍者コスプレの奴らが二人、突如現れて、謎の妄言を吐き出した。
「……お前達、話がややこしくなるからしばらく消えてろと、あれほど……」
「ハッ、申し訳ありませぬ北のお方様!」
長髪和装少年が、頭痛を堪えるように額に片手を当て、溜め息を吐くと、忍者コスプレは音もなく姿を消した。彩音が立ち上がり、嫁十二人衆とやらが埋まっていた部分の壁を丹念にペタペタと触って確かめるが、壁紙の感触が指先に伝わるのみ。
「重ね重ね、ご無礼を。きゃつらには厳しく言い聞かせますゆえ、どうかお目こぼしを」
「……あんな、壁を通り抜けられるような奴らが、あと十人も居んの……?」
「いかにも。しかしながら、許しも得ず不当に侵入する無礼を、今後一切許すつもりはありませぬゆえ、ご案じ召されるな」
三ツ葉はひとえに、プライバシーの侵害と不法侵入の詫びを入れるが、根本的な大問題はそこではない、のではないだろうかと、伊織は眩暈を感じていた。
「あんたら、いったい何なんだ……?」
壁を通り抜けられるだとか、瞬間移動をするだとか、そんな普通じゃない連中が、マトモで堅気で堅実な生き方をしている人間だとは、とてもではないが思えない。
まさか、バスで遭遇した正義の戦隊ヒーローコスプレの連中と、悪の軍団コスプレの連中も、頭の病院にかかるべき人種ではなく、ヘンテコな力を持つ普通じゃない連中だったのだろうかと、今更ながらに伊織の背筋に冷たいモノが走る。
「いったい何が目的で、僕に付きまとうんだ?」
「それは……端的に申し上げましょう。主人様には、我ら一族の者を嫁として受け入れ、救って頂きたいのです」
真剣な表情で、ハッキリと断じる三ツ葉。だが、伊織の頭は混乱するばかりである。
「とりあえずさ、長い話になるようなら、座ってコタツ入らない?
あ、三ツ葉君、ケーキ食べる?」
「お気遣い感謝致します、妹君様。有り難く、馳走になります」
見るに見かねたのか、はたまた三ツ葉の外見が幼くあどけない少年であるからか。彩音が兄と和装少年をコタツに招き、「暖かい……」と、ほうっと感嘆の吐息を零す三ツ葉の前にケーキの箱の中身を見せた。
伊織の誕生日を祝うケーキであろうが、ショートケーキを好まない彩音に合わせ、麹谷家ではワンホールケーキを購入する事はまずない。今日も様々な種類のカットケーキが箱詰めされており、伊織はショートケーキを選んでもそもそと口に運ぶ。
「三ツ葉君、何ケーキが好き?」
「どれも口にした事がありませぬ。お勧めの品はどれになりますか?」
「それなら断然、チーズのフロマージュだよ!」
使っていない取り皿とフォークを使い、彩音お勧めのフロマージュを三ツ葉の前に置き、いそいそと紅茶を淹れる妹。
「さあ召し上がれ」
「いただきます」
きちんと両手を合わせ、伊織が食べる様子をチラチラと盗み見てから、ぎこちなくフォークを握ってケーキの端っこに突き刺し、三ツ葉はフロマージュを口に入れた。
途端に、わなわなと身を震わせ、カッ! と両目を見開く。
「お、お、美味しい……!」
「でしょー?」
現れてからこれまで、表情の変化が希薄だった三ツ葉は、フロマージュがよほど口に合ったらしく、パァァァァッと明るく表情を綻ばせた頬を紅潮させ、パクパクと夢中でケーキを食べ始めた。
「北のお方様……ようございました、ようございました!」
「感謝の念に絶えませぬ!」
「流石は夫君が妹君様だ!」
誰も居ない壁から、男共の涙ぐんだ声が聞こえてくるが、気にしてはいけない。
麹谷家で今団欒しているのは、兄の伊織と妹の彩音、そして思わぬ来客の三ツ葉少年の、三名だけである。他には誰も居ないと言ったら居ないのだ。
そして、ケーキを幸せそうに食べ終わった三ツ葉少年の事情を真剣に聞いた彩音は、こう言った。
「ねえ、お兄ちゃん。何かさ、押し掛け嫁希望にしては、この人達の言い分、何か変じゃない?
向こうが口にする名称が『嫁』だから、何かややこしいイメージになってるけど……」
そして、兄に向き直ってこう断言した。
「つまりはさ、お兄ちゃんが『嫁』として三ツ葉君の里に向かえば問題は全て解決だよねっ?」
可愛い妹の発言に、兄は静かにフォークを置いた。そして、強く自らの意志を表明する。
「だ・れ・が、男に嫁ぐかぁぁぁぁっ!?」