タイトル2 前回までのあらすじ:二次嫁を愛でていたら、電車の中で意味不明な主張をするオッサンと出くわした。
頭がおかしい変質者との遭遇のせいで、降りる予定の駅一つ手前で下車してしまったが、駅から出ているバスに乗ればさして問題は無い。いざとなれば、歩いての帰宅を敢行する事も可能な距離である。
……また次の電車に乗って、自宅最寄り駅のホームで先ほどのオッサンが待ち構えていたらどうしようと、一抹の不安が過ぎってしまったので、電車は無しだ。
多少のトラブルによって、帰宅時間が予定より遅くなる旨を妹に向けてメールしながら階段を上がって地下鉄のホームから出て、バス乗り場を目指す。
目当てのバスは丁度タイミング良く到着しており、早速乗り込もうと足を……
「見つけたぞ、我が君! 我らこそがそなたの真の嫁である!」
「むしろ我ら五人が一体となって、真実にして伝説を築く嫁足り得る者!」
「さあ、安心して我らを貰い受けるが良い!」
「むしろ拒否しようが嫁ぐ!」
「まさに押し掛け嫁だが、歴代の我らは皆、実情としてはそのようなものだったので構いはしない!」
「我ら、五人揃って嫁戦隊ヨメレンジャー!」
背後からおかしな声 (全て男性のトーン)が聞こえてきたような気もしたが、伊織は全く構わずバスに乗り込む。
「ママー、あの人たち、正義の戦隊ヒーローなの?」
「そうねえ、きっと家庭平和を守る為に、日夜悪の女狐と戦っているのね」
「テレビで見たこと無いよ?」
「正義の戦隊ヒーローはね、日本中にたくさん組織されているけれど、今年一番忙しい戦隊がテレビに映るのが掟なのよ」
「スゴいね!」
バスの前の方の座席に座っていた、若いお母さんと幼い娘さんの会話を聞き流しつつ、伊織は運転手さんに笑顔を向けた。
「あ、運転手さん、早くドア閉めちゃって下さい」
適当な空いている座席に着き、何気なく窓の外を見やると、伊織の目に駅前コスプレパフォーマー(戦隊ヒーローVer.)な男達の姿が映る。
全身タイツっぽい変身スーツの上からフリフリエプロンを身に着け、ヘルメットを装着して五人でポーズを決めているその姿は、どっからどー見ても、戦隊ヒーローオタク有志による、場所を弁えない迷惑コスプレイヤーである。
彼らは通行人からスマホを向けられ、妹へメールを出してそのまま仕舞っていなかった伊織のスマホ、少し弄ってみると地域のローカルニュースを上げるTwitterにも、早速彼らのパフォーマンスの様子が呟かれていた。ネット社会の拡散率の高さよ。
ヨメレンジャーズがバスの利用客でなければ、運転手としてもわざわざ待っていてやる義理は無い。出発時間と相成った為、ドアは閉められバスは出発した。
「我が君!?」
何やら、ロータリーで騒いでいるコスプレイヤー達が居るが、バスは構わず悠々と進み出し、運良く信号にも捕まらずスイスイと進んで行く。
それが現れたのは、何度目かのバス停で停まった時だった。
「はーっはっはっはっは!」
住宅街の夜間には不釣り合いな哄笑が響き渡る。
ふと伊織が気が付くと、停車しているバスの周囲を……街灯の明かりに照らし出され、揃いの真っ黒い全身タイツ? のようなモノに頭の天辺から爪先まで身を包んだ、十数人の正体不明な輩に取り囲まれており、目の部分だけくり抜かれているそのタイツ姿は、真冬には寒そうである。
そして、ぴったりと全身にフィットする衣装で身体の線が露わになっており、全員の性別が男性であるらしい事実と、腹が出ていたり短足である、という欠点さえ如実に表れてしまう惨いコスチュームであった。辛うじて、頭部に吹き付ける突風を日々警戒しているある種の方々のストレスが、フリーになりそうなお揃い衣装ではある。
「はーっはっはっはっは!」
伊織がバスの座席に腰掛けたまま窓の向こうを観察している間も、バス停の時刻表の上に仁王立ちし、西洋のどっかの華美な正装軍服を思わせる、白地に金ボタンと金モールと徽章で飾り立てられた衣装と、金色の艶やかな髪、目元だけ覆い隠す翡翠色の仮面。そして真っ赤なマントを寒風にハタハタと靡かせ、高らかに笑い声を響かせていた人物が、時刻表という明らかに人が立つ事を想定されていない、公共的な物品天頂から「とうっ!」と飛び降り、スタッと着地。
そして、鞘からスラリと剣を引き抜き、バスへ向けて突き付けてきた。
「我こそは悪の嫁軍団が総司令、翡翠の嫁騎士! ようやく見つけたぞ、背の君よ!
大人しく我らの軍門に下るならば良し。だが、身の程を考えず抵抗するようならば……」
「すみませんねえ、ちょっとどいて下さいね」
「あ、ハイ」
このバス停で下車したお婆ちゃんの行く手を塞いでいた、自称『悪の嫁軍団の中で一番エラい翡翠の嫁騎士 (声からしてこいつも♂)』とやらは、お婆ちゃんがよいしょと大きな荷物を抱えながら歩道を横切ろうとするので、慌てて剣を収めて道を譲った。
「ヨメシタッパーズA!」
「キキッ!」
よいしょ、よいしょ、と、大きな荷物を抱えてフラフラと坂道を下ってゆくお婆ちゃんの後ろ姿に、翡翠の嫁騎士はクルリと背後を振り向き、呼ばれた黒タイツ姿の一人が嫁騎士に駆け寄り跪く。伊織が見渡した中でも、Aは黒タイツの中で最も筋肉質で大柄な体躯を持つ、屈強な大男である。
「こちらのご婦人のお荷物を代わりに持ち、目的地まで丁重に送って差し上げろ!」
「キキッ!」
伊織の座る座席よりも前の方の座席に座っている、幼い娘さん連れの若いお母さんが「まあ」と感心したように声を漏らした。
「やっぱり、頭に『悪の』と冠していようと、嫁軍団は気配りが出来なくてはいけないのね」
「ママー、あいつら悪者じゃないの?」
「悪の美学を貫く人達じゃないかしら?」
取り敢えず、バスの周囲に群がって出発の邪魔をしている、黒タイツなヨメシタッパーズとやらは、バスの運転手さんからしてみれば仕事の邪魔をする悪者だよなぁ……などと伊織は思いつつ、お婆ちゃんとAの様子を窺う。
「まあ、荷物を持って下さるの?」
「キキッ!」
「え、その上、おんぶして家まで送ってくれるの? まあまあ、それは助かるわ」
「キキッ!」
そんなやり取りの後、お婆ちゃんはヨメシタッパーズAの背中によいしょ、とおぶさり坂道を運ばれて行く。
(お婆ちゃん……そのゴツい全身黒タイツ、「キキッ!」しか言葉を発していないのに、何故通じているんだ……?)
翡翠の嫁騎士はお婆ちゃんとAを見送り、改めてバスに向き直った。そして、疑問符の尽きない伊織へ窓ガラス越しに剣を突き付けてくる。
「さあ、思わぬ横槍が入ったが……
改めて問おう。背の君よ、我が軍門に下るか、否か!」
「ママー、騎士様の言う『せのきみ』って誰のこと?」
「『背の君』って言うのはね、旦那様の事を指す、古~い言い方よ」
「そうなんだー」
珍妙なパフォーマンス集団に囲まれているバスの利用客の間から、へー、と、感心したような声が上がる。
伊織も幼い娘さんと同じように(そうなんだー)と頷きつつ、この奇妙すぎる状況に、翡翠の嫁騎士とやらを通り越して遠い眼差しを向ける。
間違いなく、彼の矛先は伊織に向いている。バスに乗っている少ない乗客達は、何かのパフォーマンス集団だとしか考えていない様子だが。先ほどの戦隊ヒーローといい、この悪の軍団といい、健全なコスプレイヤー達ではなく、電車の中で遭遇した頭のおかしいサラリーマン風のオッサンと同じく、頭がどうかしている連中だとしか思えない。
彼らがいったい何故、伊織の嫁を自称し付け狙ってくるのかは分からないし、大変恐ろしい。だが、このまま知らん顔をしてバスの乗客に迷惑を掛ける訳には……と、葛藤しつつ、立ち上がったその時だった。
「天呼ぶ地呼ぶ夫が呼ぶ!」
「悪を許すなと高らかに!」
「闇あるところに光あり!」
「この胸に溢るる夢と希望と愛はとこしえに!」
「我ら義によって立ち上がる、嫁戦隊ヨメレンジャー!」
「夫と正義の使者、ここに推参!」
賑やかな口上と共に、バスの後方から駆けてきたビミョーな戦隊ヒーローコスプレの五人組が決めポーズをとると、彼らの背後でチュドーン! と、何かが爆発してメンバーカラーに沿った色煙が上がり、なびくフリフリエプロンの細長いリボン。……駅のロータリーから数キロ先のバス停であるここまで、彼らは全力疾走してきたのだろうか?
「何ぃっ!? くっ、おのれヨメレンジャーめ! またしてもこの私の覇道を阻むか!」
翡翠の嫁騎士は重たそうな真っ赤なマントをバサリと翻し、ヨメレンジャーズに向き直る。そして、決めポーズを取っているヨメレンジャーズに剣の切っ先を突き付けて、
「くっ……Aが不在の隙を狙うとは、なんたる卑怯……!
Cry havoc!(叫べ殲滅!)」
「キキーッ!」
「Let slip the wife of war!(戦場の嫁を解き放て!)
ヨメレンジャー共を掃討せよ!」
バスを取り囲んでいたヨメシタッパーズが、上官の命に従いヨメレンジャーに飛びかかっていく。
(ああ、あのゴツいヨメシタッパーズAは精鋭なんだ?
今度の「キキーッ!」は、殲滅なのかあれ?
ってか、戦場の嫁って何だよシェイクスピアに謝れ!)
伊織の胸には、最早ツッコミしか過ぎらない。
「どっちも頑張れ~」
「あの人達、学生演劇部か何かの撮影なのかな?」
「本格的ねえ」
幼い娘さんの声援や、乗客達の呑気な声、そして格闘を展開し始めた悪の軍団と正義の戦隊ヒーローらをよそに、遮蔽が無くなったバスは悠然と移動を再開したのだった。
遠ざかりつつある謎の自称嫁達から視線を逸らし、伊織がもう一度手元のスマホを確認すると、某サイトに新着動画がアップされている。動画タイトルは『バスに乗ってたらリアルで悪の軍団に狙われたwwww』
翡翠の騎士の一連の言動やら、ヨメレンジャーの口上の様子が、バスの窓ガラス越しにバッチリと画面に収められた動画だった。
(……あれ、この角度と方向って、僕の座席よりも前方……)
はしゃぐ娘さんの声をBGMに、伊織は深く考えるのを止めた。