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 四辺(あたり)はすっかり夜だった。

 着替えを済ませ、なんとなく眠れぬ夜を過ごしていたユィハは、水売りから買った水をちびりちびりと飲んでいた。

 しかしまあ、なんて事件に出くわしたもんなの……

 彼女は(おどろ)きを隠せなかった。水売りが帰ったあと、彼女もまた同じことを聞き知ったのだ。水組合の組合長が爆殺される……そのような怖ろしいことが、この現代に本当に起こり得るとは、夢にも思わなかったのである。

 一般的に、多くの人間にとって、現代社会は次のように成り立っている。それは、人類はかつて途方もない戦争を起こし、地球上の自然やら文明やらを(ことごと)く破壊してしまった。そのため、吾々は瓦礫の山と、廃墟と、沙漠のなかから再開するしかなかったのだ、と。最初は実に無秩序な、暴力と格付けによって構成された暗黒時代があったようだが、一部の賢しい連中、例えば遺跡からスクラップを刈り取ったり、使えそうな旧時代のテクノロジーを拾ったりするような輩によって、だんだんと文明が再興される手掛かりがもたらされるようになった。一部でこそ泥と呼ばれていた彼らは、一転して復興の英雄となり、人びとは空前の発掘ブームに飲まれた。何と言っても、当時は復興期のなかでも一番賑やかな時期で、旧時代の機械を持ち寄るだけで充分な金持ちになれたと言う。たとえ、それが壊れていたとしても、だ。高度なテクノロジーを持った機械は、それ自体がひとつの見本であったし、散々研究され尽くしたあとも、レアメタルなどの資源を回収することができた。これは誰にとっても損のない話であり、ゆえに誰もが復活の夢を抱いて突っ走るだけで良かったのである。ところが、この夢はやがて落ちることになった。資源の枯渇である。みながみな、遺跡という遺跡を漁ってしまうので、(あたか)も親から受け継いだ遺産を食い潰すかのように、過去のテクノロジーの遺物が尽きようとしていた。いや、他にも遺跡はあったのかもしれないが、既存の遺跡からは物という物が取られ尽くしていて、もはや歴史の脱け殻と呼ぶべきものしか残っていなかったのである。

 ……そしてその残骸のなかに、今の私たちは生きているんだわ、とユィハは思った。こんにちでも、在りし日のロマンに迷ったトレジャーハンターや、考古学者などに()って調査は続けられていたが、結果は芳しいものではなかった。少なくとも、何か凄い発見をしたということを聞いていない。

 だがそれを気にしないくらいには、現代人は豊かになっていた。たとえどんな災厄や金銭的貧困に追われていたとしても、彼らはそれなりの生活を営むことができた。これはひとえに組合の御蔭(おかげ)であった。人類が弱肉強食の理に呑まれず、文明的に生きていられるのは、組合というシステムが持つ、合理的かつ理性的な管理と統制のためだったのだ。

 その組合のトップが、理不尽な形で居なくなった。

 ユィハには政治や経済などわからぬ。しかし、それを自分の職場環境に置き換えて考えてみると、非常に混沌とした事態になるであろうことは想像できた。彼女の職場は、親方によって上手く動いていた。……その親方が居なくなったら、たぶん、みんながみんな、どうしたらわからなくなる。それと同じだわ。たぶん、何か嫌なことを起こるような、そんな気がする。彼女は殆んど直感と云っていいほどの感覚で、この結論に到っていた。

 壁に掛けられていた時計が、ひび割れた音を鳴らす。もうじき夜明けが来る時刻を告げていた。もうこんな時間なの……、とユィハは(おどろ)いた。彼女にとって、徹夜は大したことではない。にもかかわらず、彼女はかの目まぐるしい事件から今までにそれだけの時間が過ぎているということに、愕かずにはいられなかったのである。

 と、そのとき、まるで合わせていたかのように、隣りの部屋から呻き声が聞こえた。少年のものだ。ユィハは立ち上がった。駆け付けると、少年はベッドの上であたかも何者かに首を絞められているかのように、苦しそうに手を当てて、のたうち回っている。ユィハは周章(あわ)ててその傍へ向かい、肩を捉えた。

「どうしたの! 大丈夫なの!」

「あ、あ、あァ……!!」

 少年の声は、もはや言葉ではなかった。しどろもどろな、意味にもならない喚き声と、動物の威嚇するような、唸り声と、とにかく彼は言葉というものをまるで失ってしまったかのようだった。あたかも、いや、まさに精神を狂わせてしまったかのように、衝動的に、烈しく動いた。が、すぐに硬直したように身体をこごめて、すっかり動かなくなってしまった。

 ……なんなの、この人……!

 ユィハは何をしていいやら、まったくわからなくなってしまった。だが、すぐにあるアイディアが閃いた。彼女は一旦部屋から出ると、コップとペットボトルを持って来た。

「さあ、あなた、水を飲んで。咽喉(のど)が渇いていたら、言葉は出てこないわよ。」

 これを聞いた少年はびくん、と身体を起こした。そして俊敏な動きでコップを取ると、一気飲みした。だが足りなかったようだった。彼は突き刺すかのような、ギラギラと光る眼をユィハに向けると、その手元にあるペットボトルごと奪い取った。そして、乱暴にキャップを取り、直接口を付けて飲んだ。まるでザルに水を通すかのように、猛烈な(いきおい)で飲み干してしまった。

 ペットボトルを投げ捨てる。

「……足りない。」

「え、」としかユィハは言えなかった。

 すると、少年は爪を立てて左手首を掻き始めた。痛みも感じないのか、それが不思議に思われるくらいに鋭い爪で、がりがりと手首を引っ掻いている。その爪痕から、赤い水が湧き出した。あっと言う間もなく、少年は左手を口元に持ってゆき、(しぼ)り取るようにそれを飲み始めた。

「やめて、やめて!」

 ユィハはそれを止めた。左手首を見ると、そこからダラダラと流れ落ちる血液を見付けた。彼女は仕事で鍛えた腕力にものを言わせて、左手首を強く握った。少年は抵抗した。ユィハはその抵抗に負け、打ち倒されてしまった。まるで爆発したかのように、見た目から予想できないほどの力が少年から出て来たのだ。

 少年はユィハに飛び掛かった。彼は、自身の手首を切った鋭い爪を、ユィハの首に突き立てんとした。しかし、その爪が首の皮に食い込んだ瞬間(とき)、彼のなかになんとも表しがたいひとつの観念が、奔流となって駆け出した。それが彼の身体の動きを止めた。そしてまたしても彼を錯乱に追い込んだ。頭を抱え、彼は再び喚き出した。

 しかし今度は意味のあるような言葉を吐いていた。

「やめろ! 俺が……やったんだ! やめてくれ! そんな顔で俺を見るな! 俺が勝手にやったんだよ! 殺したんだ! わかってるよ、俺は殺したんだ!」

 殺した? ユィハは最後に繰り返されたこの言葉にひどく反応した。殺した? まさか、この人はあの爆発事件と何か関係でもあるというの?

 だが彼女の考えはすぐに止まった。少年が気を失ったのである。

「なんなの、いったい。」

 そう独り()ちると、ユィハは少年をベッドに乗せた。正直な話、彼女は機械のコードを巻き付けて置こうかと思ったのだが、そうなるとまた後が面倒な気がしたので止して置いた。

 わけがわからない。これも、あんまり寝てないせいかも……と彼女は考えた。あんな事件のあとだから、きっと疲れているんだわ。そもそもあの事件のせいで眠れないのだけれど。彼女は苦笑した。疲れていたが、眠気はまったくと言っていいほどなかった。

 それじゃあ……、とユィハはふと思い立って、修理用の道具と、幾つかの機械を持ち出して、テーブルに向かった。そこで彼女は仕事の続きをするのである。

 そう、これがユィハの仕事であった。機械の修繕。対象となるものは、例えば、復興業者の建築用具や、考古学者たちの用いる道具などである。しかし遺跡から見つかる物品や、銃器などの闇ルート由来のものを取り扱うことすらあった。一度死んでしまったものを甦らせる。成り行きで始めた仕事であるが、ユィハはこの仕事が大好きであった。

 だがユィハは、昔、特に銃器を直すことに対して猛烈な嫌悪感を抱いていたことがあった。それは彼女が親方に拾われ、工房で働き出してから数年経ったころである。当時彼女はひたすら努力して、ようやく物をまともに弄られるようになったころで、そうとは気付かず、弾の根詰まりなどを直す作業を手伝っていた。自らが何をしていたのかわかったのは、それからひと月経ってからである。親方と街を歩いていたときに、彼を呪い、「悪魔! 人非人!」と罵る女と出逢ったのだ。親方のいる工房で直した銃のせいで、夫が死んだ、と女は言っていた。その言葉が耳にこびりついたのである。ユィハはしばらく作業を手伝わず、布団のなかにこもりっきりだった。自分が親しく触れていた鉄製品たちが、やがて誰かの血を吸い、生命を奪うのだと考えるとゾッとした。自分が共犯であるかのような、罪悪感が沸き上がってくるのである。不思議と親方を責める気にはなれなかった。彼らもまた不本意であることを、薄々と勘付いていたからかもしれぬ。だが、彼女はそれからしばらく何も食べられなかった。彼女はこのまま死んでもいいとさえ、思っていたのだ。かつて自分は死にかかった。それを親方に助けてもらったものの、助かった生命で見知らぬ人を(あや)めるのであれば、自分が居ても居なくても良いじゃないか、とそこまで思い詰めていたのである。

 だが、何も食べなくなってから、三日ほど経った或る日、親方がユィハの部屋にやって来た。

「おい、そろそろ物を食わないと死ぬぞ。」

 親方は普段通りの、ぶっきらぼうで、不器用な、優しい声で言っていた。

「いや、」

 だがユィハはますます態度を固くした。膝を抱え込むようにして、彼女は毛布を肉体に近寄せる。寒い、と彼女は思った。いくら毛布を集めたって、この寒さは癒えないんだわ。

 親方はしばらく黙って立っていた。まるでその場に足がめり込んだかのように、一歩たりとも、微塵も動かずにいた。

 ユィハにはそれがなんとなくわかった。わかったからこそ、負けじと意地を張って、なおのこと動くまいとした。

 酷く長い時間が経ったような気がした。ユィハはあのとき、自分の身体中を飴のようにべっとりと薄く延びた時間が取り巻いているように感じていた。すっかり息苦しくて、ドロドロとした空気に包まれて、まるで自分が本当に物言わぬ石になったかのような、そのような絶望的な雰囲気だ。きっと、砂嵐のなかで埋れてもこれほどの息苦しさは感じないだろうな、と彼女は思った。そして、もう我慢できず、折れそうになったとき、

「……生きるってことは、」

 と親方が急に口を開いた。

 ユィハはまるで身体の動かし方を忘れてしまったかのように、ぎこちない動きで彼の方を視た。

「とても、大変なことなんだ。」

 ついにユィハは耐え切れなくなった。自分から勝手に折れるならまだ良かった。しかし、与えられた言葉は彼女の期待したものではなかったのだ。ユィハは爆発したように喚いた。

「大変なこと? だったらなおさらだわ! あたしたちは物を生かして、人を殺す手伝いをしているのよ! あたしたちはどんなことをしていても、結局人殺しの仲間なのよ! なによ、あたしを助けたのも罪滅ぼしの積りなの!」

 パンッと乾いた音が響いた。平手打ちの音だった。ユィハは最初、それが他人の打たれた音だと思った。しかし、打たれたのは他ならぬ自分だった。

 振り向いた。ユィハは親方が怒っていると思ったのだ。しかし、彼は泣いていた。ただ、静かに(なみだ)を流していた。

「……なんで、」

 ぽつり、とそう言った。言葉と一緒に泪が(こぼ)れてきた。

「なんで、なんで、なんで!」

 そこから先はもはや言葉にならなかった。まるで自分のなかに溜め込んだ膿を全部吐き出すかのように、彼女は泣いた。夜通しで泣き続けた。親方は、同じく泪を流しながら、その傍らに居続けた。

 その翌日から、ユィハは食べるようになり、仕事にも加わるようになった。だが、あの問いの答えはまだ出ていない。

「生きるってことは、とても、大変なことなんだ。……」

 ネジを締めるとき、彼女はそう呟いた。

 なんでだろう、と彼女は思った。あと少しで、この問いに答えが見つかるような気がする。あたしの今生きている、この時代のなかで、あたしたちがこうして生きることの、理由。

 あれからユィハは考えていた。人は生きている時点ですでに多くの生命を殺めていた。それは果たして罪なのだろうか、と。生きるためだから仕方ない、と云う答えにはもう飽きた。かつての暗黒時代ならまだしも、今の自分たちはそういう時代には生きていないのだ。もちろんこの考えが、甘い戯れ言であることは重々承知していた。それでも、信じることで何か変わるように思えた。信じなければ始まらぬと感じた。だからこそ、彼女は今を見る。眼の前にあるものは、可能な限り手を尽くして、助けたい。それがあたしの恩返し。それがあたしの生きる理由。

 ふと頭を上げると、寝惚け眼の太陽が、窓から顔を覗かせていた。嗟呼(ああ)、朝だ。彼女は朝の光に希望を見出した。太陽が昇り続ける限り、あたしは頑張り続ける。何度見ても、彼女はそういう決心を、秘かにするのであった。

 と、そこにドアを叩く音がした。それは彼女の居る貸し家の玄関から鳴るものだった。

「はァい!」

 ユィハは速足で向かった。ドアを開けると、そこには男女の二人組が居た。男の方が、爽やかな笑顔を見せた。

「おはようございます。朝早くから申し訳ありませんネ……」

「ええと、どちら様ですか?」

新宿(あらやど)の自警団の者です。団長のニシノと申します。こちらはアイ。以後見知りおきを。」

「はぁ、」

「早速ですが、吾々は或る人を(さが)しておるんですよ。」

「どんな……」

 ニシノは(あご)でアイを促した。

「年の頃は十四か十五の少年。身長百六十センチメートル前後、体重不明、日に焼けた茶髪、……これがその尋ね人の情報です。」

 ユィハは愕いた。なぜなら、それらの記述は、彼女が助けた少年のものと一致していたからである。

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