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『初めて人を殺した気分はどうかね?』

 あのとき、教主はそうシノハラに尋ねた。

『……よく、わからない。』

 それが率直な感想だった。

『ほう。と、いうと、なんだね。』

『何も、感じなかったんだ。』

 教主は興味津々な目で、シノハラの全身を()めつ(すが)めつするように観察していた。

 処刑執行後、彼は教主に呼び出された。処刑現場に臨んでいた教主が、シノハラの殺し方に興味を抱いたからだ。

 教主は白い衣で身を包んでいた。いや、それだけなら教徒全体にも言えることだが、教主のそれだけは特別な刺繍が施されており、一目で特別だとわかるものだった。

 また顎に遣られた手は節くれ立っており、シノハラは気づかなかったが、長いこと水の濾過作業に携わってこそ起きるヒビ割れの痕が指先に残っていた。

『君は、ひょっとすると才能があるかもしれないね。』

 と、教主は言った。

 そして……

「殺して欲しい相手がいる。」

 と、教主は言う。節くれ立った手で写真を指し示しながら。

「こいつは……誰ですか。」

「罪人だ。それもとびきりの、な。」

 シノハラは無言で写真を凝視(みつ)めていた。教主は特に気にせずに語り続ける。

「三ヶ月前に、新宿(あらやど)から護送中のところを、たまたま通りがかったらしい野盗に襲われて脱走したらしくてな。まあ、そのままどこかに砂隠れしてくれるなら私とてそれほど吝かではないのだが……」傍らの少女のほうを一瞥すると、「どうも奴は野盗たちと手を組んだらしい。彼らは勢力を拡大しつつある。恐らくは、幾つか隠し持ってる水源地の情報を吹き込んだのだろう。」

「教主様、だからあの男は早くに始末するべきだと……!」

 少女は明らかに苛立ってるとわかる口調で言う。

 だが教主は片手を挙げてそれを制し、「まあ過ぎたことだから仕方ない。それで、だ。シノハラくん。この、水商売人を殺してきてほしい。」

「了解しました。」

 即答だった。

「いいよ。さすが私が見込んだだけのことはある。君は飲み込みが早く、実に優秀だ。やはり素質があるんだよ。素晴らしい逸材だ。」

 素質……か、とシノハラは思う。前にも似たような言われたことがあるな……それは、もう、とても遠い思い出のように感じるけれど。

 今者までずっと自分を社会の枠に収まった欠片のように考えていた。自分は生まれや育ち、人との関係性や、所持金で生活が雁字搦めにされている、と。だからこそ夢なんて見てるヒマがなかった。叶わない夢を見るのは辛いことだった。だからこそ、現状をまだマシなものにするために、色々と手を尽くしてきたし、その工夫は惜しまなかった。

 でも、せっせと組んできた枠がとうの昔者に死んでいるなら話は別だ。

 拝水教がどんな動機であれ、彼らは世を動かし、変えてゆくだろう。変化には常に現状の否定という負の力が働いている。シノハラはその負の力にどことなく魅せられていた。自分を束縛していた何もかもを、この手で壊し、嘲笑うことができれば……少なくとも、今者までの何かを吹っ切れるような気がした。それに、どうせ変わるのであれば、この手で自在にできる立場にありたい。

 教主が影の実行部隊を欲し、その人員を求めていたことはシノハラにとってたいへん幸運だったと言える。それは、教団の違反者を暗殺し、時には自爆してまで教団の敵を排除する尖兵でもある。あの日、躊躇なくセキ老人を殺してのけたシノハラに、教主は深い関心を持った。そして呼び出し、直属の部下にしたのである。「教主の部屋掃除」と、公けには振りまいて。

「それで、いつまでに殺ればいいんですか。」

「早い方がいい。」

「わかりました。」

「作戦指揮は、彼女が担当するから、あとは彼女の指示に従うように。」

「はい。」

 頭を垂れる。

 教主の背後には噴水をイメージした綴れ織りが垂れていて、いかにも「神の国」の理想を現しているように見えた。

 頭を起こす。

 それと同時に、教主も立ち上がった。

「礼拝の時間が来ているから、もう退室していいぞ。」

 そして少年少女は歩き出す。さながら一人が操る糸に従う、人形のように。

 彼らの背中を見遣りながら、教主は北叟(ほくそ)()んだ。そして、自分が辿り着いたここまでの道程を振り返って、様々なものを胸の内に去来させていた。

 こんなことをやり始めたのはいつだったかな……そうだ、ありゃ三年前だ。旧文明の哲学やら宗教だのを研究していた爺いがいた……そいつはしばしば勉強会と称して、街の連中引き込んでいろんなことを教えていたんだっけ。最初のうちはわけのわからなそうな顔して、首を傾げながらガキどもが帰って行ったのを憶えてる。だがいつだったか、爺いの御説を聞いて成功しただの、御利益だと言い出した奴がいて、そこからだ。人がわらわら集まりだして、騒いで、爺いが持ち上げられたのは。あんとき、講演会場に水運びとしてやってた俺も、爺いに色々お世話になったもんだよなぁ。本当にいろんなことを教わった。旧文明の由来だとか、算術だとか、世の中の仕組みについてだとか。んで、才能って奴があったんだろうか、爺さんに教わったような手取り足取りで、水を掘ったら出てきたんだ。

 最初は爺さんありがとうぐらいにしか思ってなかった。でも、何度も何度も水源を見つけるうちに、周囲(まわり)では奇跡だなんだと騒ぎ出した。そして、そのつもりがなかったのに、いつのまにか爺さんよりもこっちに人がやってくるようになったんだ。結局のところ、奴らにとって物事の善し悪しだとか、高尚な思想だとか、文明や文化なんてものはどうだって構いやしないのさ。大勢の人間にとって、大切なのは今日の飯と水、そしてちょっとした下卑た心を養うような耳触りの良い言葉だけなんだ。あの爺さんはどうなったことやら。確かセキって名前だったはずだが……まあ、すぐ居なくなったし、どうでもいいか。

 教主はしばらく時間を置いてから、部屋を出る。そして、礼拝堂に向かいながら、思索を止めない。

 俺だって水組合の連中に一杯喰わされなけりゃ、こんなところまで上り詰めやしなかっただろうなァ……せっかく掘り当てた水を、気前よく分けていたところで『事前申請のない水源は、組合の所有として接収する』て言いやがらなけりゃあよォ。まァ、別に水なんて蓄えようとは思ってなかったけど、生活の糧を奪われて、そりゃあもう、嫌だったよ。偶然だったかもしれないが、自分の手柄を奪われて嫌にならねえ奴はいないさ。なァにが「富の再分配」だ! 自分の手柄は自分のもんだし、誰もそれを奪う権利なんかねぇんだ。に、しても、組合長が爆殺されたのは幸運だった。まさか、本当に死んじまうとはな……お陰でますます俺は崇められちまったわけだが。

 礼拝堂に入って、教主は群衆と向かい合う。巨大な会場に犇めく人々。水を打ったように静かだ。だがすでに司祭の説法が終わり、群衆は静かさのなかに昂りを秘めていた。

 それを見て、思う。

 まるで小さな王国みたいじゃないか。俺や他の奴らが幸せなら、(やぶさ)かじゃないぜ。誰かのためになるんだったら、俺自身やってて悪い気はしないからな!

 そして教主も、少年少女も、まるで操り人形のように動き出す。運命と言うものがあるならば、まさにこれによって彼らは動かされたと言っていい。ほんのちょっとした偶然が、のちに歴史に関わるほどの大きな事件になるなんてことがある。そしてあとになって思うのだ、「どうしてこんな馬鹿馬鹿しいことが真剣に考えられたのだろう?」と。しかし事件の渦中にある人間ほど全貌を知ることができず、随って偶然やすれ違いですら何かの離れがたい宿命のように感じる人々もいることだろう。時間(とき)を超えて俯瞰し、判断できるのは人間の特権だ。だが反省をするだけして、容易に忘却の彼方へと滑り落ちてゆくのはなんと皮肉なことだろう。忘れ去った過ちを、まるで繰り返すかのように人間は衝き動かされる。あまりにも稚拙な欲求、飢えて止まぬ精神の渇望……沙漠にオアシスは、はたしてあったのだろうか?

 答えは生き残ったものだけが知っている。

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