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振り向けば、そこに探偵事務所  作者: 大本営
File No.000 落下
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第零話 その六 -荒野(3)-

 

 ◇麻人 ――ドォオ落下から三時間経過――


 落下地点を下り一時間、僕はようやく目指していた沢に辿り着いた。

 普通ならば沢を捜していたら迷うという死亡フラグが立つのだろうけど、この場所は山間部だけど木が生えていない地形。お陰で沢の場所も比較的簡単に見つける事が出来た。

 こうも簡単に見つかったのは、日頃の行いが良いからだろうと自画自賛してみる。


 葛宮 麻人(くずみや あさと)、ミッションコンプリート!


 心の声を上げてみたけど、残念ながら画面表示や効果音は発生しなかった。

 分かっているよ、無駄なんだってことは。

 でも、もしかしたら今の状況がVRMMOのようなものかと思っただけだよ。

 搭乗していた飛行機内ではMMOをやっていなかったけど、同じ乗客の誰かのゲームが何らかの暴走をして、乗客全員を巻きこんでゲームの中に入ってしまった可能性を思い付いた。

 これならゲームの中だと看破しさえすれば能力やスキル等で状況を改善できるかと思ったけど、そんなに甘くはなかったよ。



 緑の大地に着地したときに見た二百人分の飛び散った肉片と大量の血。


 ほんの少し前まで人であった二百人分の何か。


 水を見つけた安堵感から忘れてようとしていた光景を思い出して、また胃液が逆流しそうになる。網膜に焼きついたあの光景は忘れようとしても一生忘れられないし、忘れてはいけないと思う。それが一人生き残った僕の責任であり義務のような気がした。

 その僕があの光景をバーチャルだと思い込むなんて死者に対する冒涜も甚だしい。現実から目を背けようとした自分の愚かさに気付いて、言いようのない後ろめたさと申し訳なさで一杯になった。



 充分に泣いたからもう泣きはしないけど、それでも乾いた僕の心と体は潤いを求めていた。だから今すぐに潤いを欲しているけれど、僕はようやく見つけた沢の水を飲むのを躊躇した。


 別に濁っていたからとか変な臭いがしたからじゃないよ。


 僕にとって飲料用の水は水道の蛇口から出るか、ペットボトルから得るというイメージが大きい。


 惰弱な奴なんて言わないで欲しい。


 だって仕方ないじゃないか、僕は都市部で生まれ育った上にトレッキングの趣味はないし。だから、この水が衛生的に大丈夫なのかと心配になった。

 もしかしたら上流に鉱山とかがあって、有害だったりしないかとも考えたけれど、これは学校で習った足尾銅山事件が印象に強く残っていたからだと思う。

 レジャーで来ているのならここまで臆病にならなかったと思うけど、今の状況はレンジャーという方が正しいと思う。

 都合よく通りかかった動物が、毒身代わりに水を飲んでいれば安心できたのだろうけど、この世界は甘くなかった。


 分かっているよ、自分で判断して決断するよ。


 これだけ透きとおっているのだから大丈夫だろうという曖昧な根拠と、潤いを欲している生理的欲求に屈して一分程悩んでから飲む事を決断した。


 飲んだ水は冷たく美味しかった。

 散々悩んでいたのが、馬鹿らしくなるくらい美味しかった。


 さて、水源も確保したので、持っていたチョコレートを口にして遅めの朝食をする。食べる事で喉が渇くのを恐れて今まで何も食べていなかったんだ。

 食べるという日常的行動は何故か元気を与えてくれた。希望の少ない状況だとしても、僕は今を生きている。亡くなってしまった口の悪い爺さんも言っていた、最善を尽くしてもどうにもならないこともあると。

 僕はまだ最善を尽くしていない、だから生き残るため最善を尽くす事にしよう。


 某番組のように「ここをキャンプ地とする」と心の中で呟くと沢を拠点にすることに決める。当てもなく彷徨って生き倒れるより水源を確保できるこの場所を、ベースキャンプにした方が生存の可能性が高いように思えたからね。

 それに、もしかしたら、この沢に羊飼いなどが水源を求めてやってくる可能性も零では無いと思った。季節が夏なら羊飼いが放牧に出ている季節だから、彼らと遭遇できる可能性はある。だとしたら闇雲に捜すより、遭遇しやすい場所にベースキャンプを張った方が良いからね。


 チョコを食べ終え喉を潤したら、緊張の糸が緩んで急に体が洗いたくなった。

 落下の恐怖と亡くなった人達の光景で冷や汗も大分流したしね。

 少し冷たいけれど、いいよね?

 辺りを警戒しながら服を脱ぐと水浴びを始めた。


 尚、水浴びを終えてからどのように体を拭くのか? という問題が発生してしまったよ。

 事前に気付かなかった自分の愚かさを呪ったけれど起きてしまったのは仕様が無い。この問題どのように解決したのかは知る必要が無いと思うので書かない事にする。


 男である僕の行動に興味がある人がいるとも思えないからね。 



 ◇麻人 ――ドォオ落下から七時間経過――



 陽も十分に上り昼過ぎになっただろうかという頃、僕は先程の沢から離れた場所にある丘の頂に移動していた。

 僕達が落下した場所からは丁度反対側になると思う。

 この場所は落下地点よりは高地に位置しているため、前は確認できなかった草原と巨大な湖を見つける事が出来た。でもあの湖には一日で辿り着けないと思う。


 そして残念ながら周囲に集落や街は見当たらなかったよ。


 アンデス高原の巨大な湖といえばチチカカ湖が有名だけど、僕の記憶ではチチカカ湖の周辺には集落が存在していたと思う。もっとも世界中を旅行する某クイズ番組を視聴したとき得た知識に過ぎないから確証はないのだけど。


 それでも何かが可笑しいという違和感をこのときに初めて覚えた。


 違和感を覚えながら辺りを見渡していたとき、僕が今いる場所より後方にある丘――湖からは反対側の位置――に人影を発見した。少し変な書き方だけど、ここの地形は四方を巨大な山に囲まれ、緩やかな傾斜が先ほど見つけた湖まで続く盆地なんだよ。


 諏訪盆地にある諏訪湖を想像してもらえれば分かり易いのかもしれないね。


 ただ盆地と呼ぶには広く、途中にコブのような丘が点在する地形なのだから仕方が無いよ。


 先程見つけた彼――いや彼とは限らないけど――との距離は凡そ二、三キロ。


 彼がどのような人物なのかと一瞬警戒したけれど、多数の家畜と思える動物と一緒にいる事から羊飼いか何かなのだろうと推測できる。上手く羊飼いと遭遇できるか疑問だったけれどやっぱりいたよ。これだけの牧草だから居るに決まっていると思っていた。

『おーい!』と大声で呼びかけると、何を言っているかは分からなかったけど返事が返ってきた。


 やった、幻覚じゃなかった。


 何度か交互に呼び合っていると助けが必要だと理解してくれたようで、こちらに近付いて来るのが分かる。どうやらファーストコンタクトは成功したと胸を撫で下ろす。


 後になって思えば、何故最初に『助けて』と言わなかったのだろうか?

 落下直後はあれほど叫んだのに。

 それでも『助けて』と言わなかったのは、叫ぼうとした時に強烈な悪寒がしたからなんだけど。それが何を意味するのかこの時はまだ知らなかった。




 やがて百メートルの距離まで近付いてきたのは三十歳くらいの男性だった。彼の肌はやや浅黒く焼けているけど、顔の造りから僕と同じモンゴロイド系らしい。ただ髪は金髪だったので妙に印象に残る人物だった。


 モンゴロイド系とアーリア系の両方を祖先に持つのだろうか?


 TVで見た人物にそのような人は写っていなかったけど、インカ帝国の時代ではないのだから混血もするだろうと勝手に納得する。

 上着は布地に腕と頭を通す穴を開けた簡単な服装を着て、下にはパンツと呼ぶには粗末な――少し失礼な言い方だと思うけど――麻袋色のパンツのようなものを履いていた。

 上に着ているのはポンチョではないかと検討を付ける。

 思ったよりデザインが単調、編み方も雑、使用している糸もあまり上等では無いような気がする。日用品だから少し粗末なのは仕方ないのだけど、単に技術的レベルが低いというように思えるね。


 尚、僕がポンチョをそれなりに知っていたのは、一着持っているからなんだけど。

 以前、某人気声優が好んで着ているとラジオで聞いてから、興味を持って調べているうちにどうしても欲しくなったんだ。

 気にいったので学校に来て行ったら、理不尽にも先生に注意されたよ。

 異なる文化圏の服装に対して、『学園の風紀を乱す服装は許されない』という理由で注意するのは立派な差別だと思う。


 ポンチョらしき服装を着た彼は、黒い毛で覆われている牛のような動物を十数頭は連れているね。その動物の体長は三,四メートルありそうだけど、体長に似合わず大人しそうな性格をしているは彼に大人しく随行している事からも分かる。


 もしかしたら、あれはヤクという動物かな。


 まあ、チチカカ湖同様にヤクを実際に見た事はないんだけど。

 それでも疑問には思う。

 アンデスにヤクがいなかったようなと。


 アンデスにアルパカやリャマがいるのは知っているけど、ヤクの毛でポンチョを作るとは聞いた事がないような。でも僕はヤクがどこを生息地にしているのか覚えていない。

 例のクイズ番組でも高地にヤクが放牧されている映像を流していたけど、その放送がアンデスを扱ったときだったかは思い出せない。


 アンデスにいたような、いなかったような。


 僕が新たな違和感に悩んでいると、いつの間にか彼はすぐ傍まで来ていた。

「大丈夫か? 困っているなら水や食料なら分けてやれる」

「……お願いです、助けて下さい」

 彼を信じていいのか散々悩んだけど、食料や水を提供すると言ってくれた人物を疑うのは良くないね。思い悩んだけど声を出して救助を求めた。

「こんな山奥に何しに来た」

「僕も分からないんです。気付いたら放り出されていたので」

 渡された水筒の水を飲みながら返答に応える。

 彼は僕の返答を聞きながらパンのような食べ物もくれた。固い上に味がまるで付いていないため美味しいとはお世辞にも言えないけど、不意の遭難者に示してくれた好意を無碍に出来ないので我慢して食べることにした。


 その間も彼は僕の服装や顔、そして体を注意深く見ていた。


「私の名前はエルモ、そこの家畜を育てる事で生計を立てている。アンタは何処から来た?」

「僕の名前は葛宮 麻人、日本から来た学生です」

 エルモさんの日本語は実際にはもっとたどたどしく、お互い足りない部分はジェスチャーを交えて会話をしていた。でもそのように書いても読みにくいだけなので、実際に交わされたようには書かないよ。


「……ニホンから、それは遠くから来たな」


(大きな声がすると思って来てみれば、陽子と同じニホンからやってきた少年か)


「ええ、色々合って。お願いですからエルモさんの街まで、僕を連れて行ってくれませんか?」


(陽子と同じで肌も顔も奇麗だが、男なのが残念なところだ。まあ、そういう嗜好の人物は、むしろ少年を好む輩がいるから問題ないだろう)


「構わない、困った時はお互い様だ。ただ誤解をしているようだが、私が住んでいるところは街とは言えない集落だ」


(今思い出しても陽子には悪い事をしたと思うが、彼女を売った金で昨年は餓死者を出さずに冬を越えられた。全ての村人は彼女に感謝しなければいけない)


 そのように親切な言葉を口にしているけど、エルモさんは何度も僕を見る。

 不思議に思ったけど何かを対価に欲しいのかもしれない。対価になにが適当かは分からなかったけど、頂いたパンの代わりにチョコレートを一枚上げる事にした。

 本当は貴重な食料を手放したくないのだけど、人里に連れて行ってくれる事の対価としてはむしろ安すぎて申し訳ないと思う。でもそう思ったのは僕だけでエルモさんは本当に貰って良いのかと聞き返してきた。


「人里まで連れて行ってくれる事のお礼です」

「すまない、葛宮 麻人」

「麻人でいいですよ、エルモさん」

「そうか麻人、ありがとう」


(これは大変な物を貰った。以前陽子も同じ物を持っていたけれど、売れば軽く一ヶ月分の稼ぎになる代物だ)


 エルモさんは貰ったチョコを口にせず持っていた大きな袋に仕舞い込んだ。暖かそうな袋に入れたら溶けるのにと思ったけど、エルモさんの物になったのだから余計な事を口にするのは止めた。

 隣国ではチョコパイが通貨代わりになるという、ちょっと信じられない事が起きているらしいから、板チョコ一枚に価値を見出す人がいるのかもしれないと思う事にした。


「集落までどのくらい離れていますか」

「三日の距離だ」


(麻人には悪いが高値で売れるだろう、これで今年も餓死者が出さずに済む。最悪家畜を何頭か手放す事になっても傷一つなく送り届けなければ)


「湖のある方向に集落があるのですか? ここから見た限り集落が見当たりませんでしたが」


(あの湖には恐るべき水龍と、その取り巻きともいえるトカゲ共が住んでいる。あんな処に麻人が行く前に保護出来て良かった)


 僕の問いにエルモさんは反対側を指差して答える。

 湖について詳しく聞こうとしても、近づいてはいけない危険な場所なのだという以上は教えてくれなかった。

 最初は信じられなかったけど、エルモさんの怯え方が尋常ではなかったので真実を話しているのが分かる。少なくともエルモさんは、そう信じているようだね。

 チチカカ湖にある島は宗教上重要な位置付けされていて、その島がある湖を崇める事はあっても怖れ怯える理由はないと思うのだけど。現地の捉え方はTV画面越しでは伝わらないのかもしれないね。


(雲行きも怪しくなってきたか、早く雨露をしのげる場所に移動しなければ。陽子もそうだったがニホンジンは体が弱い、一昼夜雨に晒されると直ぐに体調を崩す)


「麻人、疲れているところ悪いが早速村に移動する」

「すいません、放牧の仕事中なのに」

 一週間くらい放牧に付き合わせられる事を覚悟したけれど、予想外の申し出に仕事を中断させてまで助けてくれる親切さに申し訳なくなった。

「ここの雨はキツイ。一度降ると一気に流れ落ちる。早く安全な場所に移動しないと危険だ」

「僕は沢を起点にしようとしていたのですが」

「麻人、その場所にいたら濁流に飲み込まれて死ぬ」

 僕はとんでもない危険を冒していた事にようやく理解した。考えてみたら入道雲は雨雲だからその可能性をあるのだけど、その可能性をすっかり忘れていた。仕方ないよね、色々合ったし。



 エルモさんから連れられて集落に移動する前、僕は落下地点に視線をやった。

 お墓も作ってあげられなかったけど、最後に御祈りだけはしておこうと思った。


 どうか成仏してほしい。

 バラバラになった体も出来れば全て見つかって五体満足になってほしい。

 一人だけ生き残った僕を、皆を捨てて行く僕を許してほしい。

 いつか必ず、皆の元に帰って来て供養してあげるから。


 僕は生れて初めて真剣に祈った。

 このとき体の内から暖かい力を感じた。最初は何が起きたか分からなかったけど、確かに僕の体の中で暖かい光のようなのを感じた。


(何をしたのかは分からないが、あの様子だと魔術の才能もあるようだな。今までも見た事もない程の力を持つようだな)


 何かの錯覚か或いは実際に起きた事なのか判断できず、エルモさんを見たけれど彼の瞳に変化はなかった。変化が無いという事は多分何も起きなかったのだろう。


(惜しい、実に惜しいとは思うが、うちの村には魔術師や魔法士として育ててやる金はない。五年、十年先の未来より、今年の冬を無事越せるかの方が切実だ。悪いが余計な事は教えられない) 


 先程の感覚を気のせいと片付け、僕は先に歩き始めたエルモさんを追いかけた。



 ◇麻人 ――ドォオ落下から十二時間経過―― 



 僕らはあれから五時間ほど歩き続けて、今は夕暮れ時を迎えている。


 エルモさんは今日の行先や集落の位置を一切教えてくれない。お陰で今どこに向かっているのか分からない。それどころか似たような風景が続くため方向感覚はすっかり狂ってしまい、五時間前にいた場所が何処だったかも分からなくなっている。

 せめて行き先を教えて欲しかったのだけど、無理を言ったのは僕の方なので強く不満を述べる訳にもいかないし。今日のところは仕方がないけど、明日からは事前に確認しておくようにしないと精神的に持たない。


 まあ強く言えなかったのにはもう一つの理由があって、エルモさんの指摘通り二時間くらい前から雨が降り始めたからなんだ。最初は小雨程度だったけれど、今では視界を遮るような豪雨となっている。この雨で体力を消耗してきたので、追及する気が失せてしまった。



「温かそうで随分良いモノを着ているな」

「あげませんよ」

「そんな事は言わない」


 僕が来ている防寒具には頭を覆うフードが付いていたので、幸い頭が濡れる事はなかった。エルモさんはこの防寒具を物珍しそうに見られたけれど、チョコレート一枚と違い差し上げる事は出来ない。

 エルモさんのポンチョにも頭を覆うフードが付いていて、僕と同じように頭が濡れるのを避ける事を可能にしている。ただポンチョは構造上、頭部や胴体以外は濡れてしまうのだけどエルモさんがそれを気にしている素振りはない。


 多分、慣れているのだと思う。

 そういえば蓑を着ていた昔の人も、手足は蓑に包まれていなかったね。


 理屈上、低体温症を避けるには頭部や胴体の体温低下を避ければいいので、理にかなっていると思うのだけど寒くはないのだろうか。少なくとも僕は足元が冷えて寒いのだけど、エルモさんは気にする素振りをみせない。


 口数は多くないけど、元気で頼りになる人だと思う。


 そうこうしながら雨で滑る青草を歩いているけれど、ようやく僕にも今日目指す場所が何処なのか分かってきた。似たような丘が沢山あるため今まで分からなかったよ。

 特に他とは違いのない丘だけど徐々に近付いているし、時間から推測しても間違いないと思う。


「今日の宿はあの丘の辺りなのでしょうか」

「ああ、あそこは丘を削って造った遺跡で雨を凌ぐには都合がいい」

「目的地も分からずに歩くのは結構キツイのですけど」

「麻人には他の場所と見分けがつかない」


 納得は出来るけど微妙に釈然としない。


 僕がそれほど失礼な態度をすると思われているのだろうか?

 ……いや、まあ、実際問題教えられたら、どの丘なのかと何度も確認したとは思う。それでもエルモさんの機嫌を損ねる程聞いたりはしないよ。

 まるで他の人物がそのような態度を取ってきたのを、経験上知った上での対応に思える。この殺風景な場所で同じような境遇の人物がいたとは思えないのだけど、エルモさんの態度はどこか手慣れていた。


 考えてみたらアンデスの山奥で偶然出会った人物が、挨拶程度ならいざ知らず日本語による会話が出来るのも不自然だと思う。現地ガイドなら可能なのかもしれないけれど、彼はそのような人物には見えない。

 心細さと遭難の危険から気付くのが遅れてしまったけれど、本当にこのエルモという人物は信用に値するのだろうか?


「あの遺跡には燃料や食料を蓄えているから、暖も取れるし温かい飯も食える」


 僕の不安感を余所にエルモさんは嬉しそうにニヤッと笑った。確かに暖を取れるのは有難い話なので僕も笑みがこぼれる。

 怪しいところが多々ある人だけど、少なくとも今日のところは問題ないのだと思う。


 それでも、今までのように気を許す気にはどうしてなれなくなっていた。



 ◇ドォオ落下から十五時間経過


 すっかり陽が落ちて寒さが増してきたけれど、この場所は囲炉裏火で明るく灯されているためそれなりに温かかった。壁には松明が二本準備されているけれど、これは非常用の懐中電灯のようで火を付けていないね。


 エルモさんは火が弱くなってくると、黒い固形燃料らしき物体を火にくべて火力を調整している。先程まではその炎でスープを作ってくれて、お陰で冷えた体を内側から温められる事が出来たよ。

 暖房機に火を入れるように簡単に火を起こしていたけど、僕にはとても無理なのはやらせてもらったからよく分かった。


 僕が今滞在している場所は、元々丘をくり抜いて造った古墳のような遺跡を再利用した住居みたいだ。

 最初はもっと狭く天井は低いのかと思ったのだけど、意外にもそんな事もない上に奥には広い居住空間が造られていた。もしかしたら元々あった空間を居住に相応しいように拡張したのかもしれない。

 不自然に剥がれた壁のレリーフからも、そのような行為が行われただろうと推測できたけれどエルモさんがやったのかは分からない。


 案外、昔から避難小屋として再利用されてきたのかもしれない。


 遺跡には一応それなりの敬意を持って扱われているようで、社のようなものが設置はされている。でも固形燃料を囲炉裏で燃やしているため――ヤクの糞なのだろうか――天井は煤ですっかり黒くなっている。

 それでも放置されて荒れるがままになっているよりはいいのかもしれないけど、考古学的には酷い扱いをしているのだけは間違いないと思う。だとしても外国人である僕が口を出す事ではないので、この件に口を出すのは止めておくよ。


「どうした麻人、難しそうな顔をして」

「いえ、ちょっと外がうるさいなと思っただけですよ」

「この風と雨だからな」


 適当に言い訳をしたけれど、実際に外から聞こえる雨風の音が煩いためエルモさんは納得してくれた。入口を木の扉で塞いでいるけれど、失礼ながら粗末な扉なので防音性が低いため外の音が聞こえてくる。

 あと隙間風が流れ込んできて寒くて堪らない。

 まあ、これは結果として換気がされて一酸化中毒を防止しているのだけど、


 でも寒い。

 暖を取れているけど、でも寒い。

 お願いだから夜くらいはゆっくり過ごさせてほしい。

 ベッドで寝たい。

 せめて湯たんぽが欲しい……


 瞼が重くなりながら心の中で愚痴っていると、外にいる家畜の声で起こされた。


 僕が起きたときエルモさんは既に立ち上がっていて、手には火を灯した松明にが握られている。多分エルモさんは最初そこまで気にしていなかったけど、やがて只事ではない騒ぎが起きていると理解して準備をしたようだ。眠気眼を擦りながら睡魔を追い払うと、僕も一緒に付いて行こうとしたけれど止められた。


「麻人、客人である君は安全な場所にいた方がいい」

「でも家畜が逃げ出したりしたら人手がいりますよね。僕でも多少ならお手伝いできます」

 エルモさんは最初渋ったけれど、その間も外の騒ぎは更に大きくなっていくので、これ以上議論するのを止めた。

「……義理がたいな、やはり麻人も来訪者なのだな」

「なんですか、それは?」

「気にしなくていい」

 まただ、色々を聞こうとするとエルモさんは大抵はぐらかそうとする。仮に癖だとしても、何かを隠されているようで釈然としない。 

「それより危なくなったら直ぐにこの場所に戻れ。この場所にいれば安全だ」

 エルモさんは僕にも残りの松明を取るように即す。

 炎が強いため怖くて嫌なのだけど、携帯の灯りでは弱すぎるので諦めて手に取った。

 何故この場所が安全なのだろうか?

 この場所は神聖な場所だと教えてくれたけど、神聖な場所だから安全だという理屈はさっぱり理解できない。仮に神殿が神聖で安全なら、中東でモスクがテロ行為の対象とされる筈はないのに。

 僕の疑問にエルモさんは相変わらず気にも留めない。

 その態度に不満が募ってきたけれど、今はそれどころでないので諦めて外に急いだ。




 やや遅れて外に出た僕は、そこで信じられない光景を目にした。


 ヤクが! ヤクが空を飛んでいた!!


『飛べない何とかは、ただの豚だ』と誰かが言ったけど。

 豪雨の中でも何故か月が出ているため、その月明かりに照らし出されて空を飛べるヤクは差し詰め『十六夜のヤク』とでもいうのだろうか。

 そんな微妙にロマンティックな感想も、何が起きているか理解してくると吹き飛んだ。

 よく見ると自発的に飛んでいるのではなく、強大な鳥が両足で持ち上げられている。

 とても信じられない。

 体重五百キロから一トンもある生物を抱えて飛ぶ鳥がいるなんて。 

 しかもあの鳥は一羽ではなく他にも複数いて、上空を鳶のように旋回している。エルモさんは豪雨の中、松明を必死に振り回すことで急降下してくる鳥を追い払おうとしていた。

 怪鳥達の金切り声のような鳴き声とヤク達の威嚇と悲鳴が辺りに響いた。



 あれは、もしかしたら伝説のロック鳥なのだろうか。いや、あれはあくまで伝説に過ぎない筈なのに。

 目の前で繰り広げられる光景は非現実で、僕は現実と受け入れられず夢遊病者のようにヤク達の方に近付いていく。冷たい雨と風が現実だと教えてくれるけど、こんな光景が現実な筈がない。


 これは夢だ、夢に違いない、夢に決まっている!


 恐怖心とありえない光景に理解が追いつかず、パンク寸前で呆然としている僕に狙いを定めた別のロック鳥が急降下してくる。急降下による風圧で松明が揺らいだ。僕が異常に気付いたときは、既に回避は不可能な距離まで接近されている。

『麻人!』と叫び、助けに走ってくるエルモさん。

 僕を掴み取ろうとするロック鳥。


 両者の動きがスローモーションのようにコマ送りで見える。

 殺されると思いながら、某国産RPGの攻撃呪文を無意識に唱えた。掌が一瞬熱くなったかと思うと、僕の手からは炎の塊が放たれた。

 予想外の反撃にロック鳥は反応出来ず、炎を至近距離で直撃して火達磨になる。そのままバランスを失い地面に叩き付けられた。地面に穴と焦げ目を作った怪鳥は、そのまま動かない。

 助かったのは良いけれど、予想もしない展開にパンク寸前だった僕の理性が限界を超えた。


 そうだ、そうだよ。

 僕はいつの間にか寝込んで変な夢を見ていただけで、これはゲームの中にいるに違いない。

 せっかくの機会だ、ロック鳥を倒して経験値を稼がないと。

 いやリスクを考えると経験値的には美味しいとまでは言えないなぁ。でもロック鳥自体がレアな敵だからレアアイテムをドロップする可能性が高い。

 馬鹿め、懲りずに急降下してくるロック鳥がいるよ。今呪文を唱えたらカウンター補正が入って一撃で倒せるかもしれない。

 さっきは炎系だったけど、空中にいる敵だから風系の呪文が効果的に違いない。


 まったく論理的ではない事を考えながら片手をかざしたとき、エルモさんから蹴り飛ばされた。吹き飛ばされた僕の脇をロック鳥が飛び去り、去り際に新たなヤクを抱えていく。

「死ぬ気か、麻人!」

「何するんですか、せっかくレアアイテムを獲得できるチャンスだったのに!」

「しっかりしろ、麻人。これは現実だ」

 僕の抗議をエルモさんは聞き入れず、顔に何度も平手打ちをしてくる。


 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。


 何度も叩かれたことで、徐々に現実に起きている事態だと理解できてきた。


 震えが止まらなくなり立ち上がる事が出来ない。

 なんでロック鳥がいるんだ!

 あれは伝説上の生物の筈、百歩譲っても一六世紀に絶滅した筈だ。

 何故、それが存在している!!

 もしかしてエルモさんはワザと僕にモンスターが跋扈している事実を教えなかった?

 騙されたと思った。

 だから事情を説明されなかったと思った。

 僕を連れ去ろうとしているかもしれないとも思った。


 少しずつ積み重なってきた疑念がそのような想いを強くしていく。


 僕が混乱と恐怖のあまり蹲っている間も、エルモさんは松明で大きく左右の振るい追い払おうとする。


「麻人、ここは危険だ。遺跡に早く逃げろ!」


 何度も行動を促すけれど、震えが止まらず立ち上がる事が出来ない。

 勇気を振り絞って立ち上がった時、逃げ回っていたヤクが僕に向けて突撃してきた。体重五百キロから一トンもある生物から全速力で衝突されたら、今度こそ助からない。

 死を予感したとき急に体の内側が熱くなってきたと思ったら、さっきと同じようにヤクの動きがスローモーションで見える。

 頭部にある角を紙一重で交わすとヤクの毛を掴んだ。

 何メートルも僕を引きずるヤク。

 おそらく急に掴まれたので僕をロック鳥と勘違いしたのだろう、不意の搭乗者を振り払おうと全力で爆走する。僕の方も無意識に掴んだので離すという選択肢を忘れ、渾身の力で背中に這い上がる。


「麻人! 朝になったら村だ、村に行け!!」

 ようやく態勢を安定させると、僕を呼ぶエルモさんの声に振りかえる。けれどエルモさんは地上から徐々に遠ざかって行く。

 それが、僕が聞いたエルモさんの最後の声だった。


 ロック鳥の襲撃がようやく終わり、辺りを見回すと生き残ったのは僕と僕を乗せていたヤク約一頭のみ。他はすべて地上から姿を消していた。

 どうしたらいいか分からない、それでも生き残らなければならない。

 呆然としながら、特に代案のないため遺跡に帰ることにした。



 また一人になった心細さと、また襲われるのではないかという恐怖に震えながら、僕は長い夜を過ごした。

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