第零話 その五 -荒野(2)-
◇真壁 ――ドォオ落下してから四十二時間経過――
山間部の天候は非常に変わりやすい。
先程までの雨が嘘のように止み、今は雲の合間から太陽が少し見える。
俺は先程まで畜生共だった何かには目もくれず、麻人達が降下した地点を調査していた。正直救出だけを考えれば現場調査は後にして、麻人捜索を優先した方が正しい選択なのかもしれない。麻人が魔術を行使して助かったという前提で考えると、事前に状況を確認しておきたかった。
視界が良くなった事もあり、遺体がある各所で魔術痕――魔術を行使すると発生する魔術の痕跡――を比較的簡単に確認出来た。
確認できた魔術痕は馬鹿らしくなるくらい巨大で運動場サイズ位あった。魔法陣を使用すればこの規模も珍しくはないが、魔法陣無しでとなれば異常と言うしかない。これだけの痕跡を残す程、よくも無駄にマナを消費出来たものだと感心してしまう。
ライトのような持続性のある魔術ならいざ知らず、効果時間が一瞬でしかない魔術では通常魔術痕が残らない。
従ってこれをやった奴は、余程の自己顕示欲の強い馬鹿か素人ということになる。今回のケースは恐らく後者だろう。
仮にドォオに落ちた直後、魔術を使用出来るようになったという偶然が重なったとして。これだけの規模の魔術痕を残すのは尋常ではない。畜生共を蹴散らしたあの呪文で魔術痕を残そうとしても、これだけの大きさにはならない。
内燃機関で魔術を行使するにはマナが不足する。
外燃機関で魔術を行使するには精神力が疲弊する。
外燃機関で魔術を行使するときの注意点が一つある。それは使用出来るマナに限界がない代わりに、マナを取り入れるときに精神力を疲弊する点だ。やり過ぎれば、軽くて意識を失い、最悪の場合死亡する。
その点、内燃機関では自分の体の一部を使用するのと同じなので、このような問題が発生しない。ただし内燃機関では失ったマナが回復するには一日掛かるが、外燃機関では精神力の疲弊は一時間ほど休憩すれば回復する。
どちらも一長一短なのだ。
麻人に魔術を行使できる適性があり、マナを外燃機関で補うことで助かったというのは百歩譲って理解出来る。このケースならば麻人は魔術の天才だったということになる。些か都合がよすぎる上、なにか引っかかるがあり得ない話ではないと納得できる。
だが十四歳の素人が運動場サイズの魔術痕を残す程の魔術を行使できた、など考えるのは流石に無理があった。
全国クラスのアスリートで、強い忍耐力をもっていた?
仏門等で鍛錬をしていた人物だった?
魔術で使用する精神力はそういったモノで培うのとは根本的に異なり、マナに精神を慣れていくことで培っていくモノのようだ。
ドォオの魔法士魔術士に言わせれば、『精神力とは才能や素質だけでは解決できない壁であり、地道な日々の鍛錬でしか培うことができない』とのことだ。
ウーヌス出身者である俺には詳しく分からないが、高濃度のマナを自身に取り入れるため精神を慣らす必要があるようだ。だからこそ扱いきれないと、マナ中毒のような症状になり意識不明や死亡すると俺は理解している。
この解釈に従えば外燃機関方式で魔術を行使した場合、麻人があの状況から生還する程度の魔術を使用するは可能だが、巨大な魔術痕を残すのは不可能という事になる。或いはそもそも前提が間違っていて、魔術痕を残したのは別人だったかだ。
高度四千メーターからの生還者
二百体の遺体
巨大な魔術痕
まさかな。
断定するには幾つかのピースが足りないが、俺は一つの仮説を考えていた。この仮説が事実だとしたら、このままウーヌスに帰すのは麻人にとって危険かもしれない。
そうでない事を祈りつつも、恐らくこの仮説が正しいだろうと直感していた。
「マイヤー、調査が終わったので麻人の探索を再開する。俺は現在地点より高い場所を探索する」
遺体の調査を終えようとしていたとき、ようやくマイヤーが到着した
「登るのでございますか。それほど高い山ではないと思いますが、遭難した人間は沢などのルートで下山する方を選択されるかと」
「普通はそうかもしれないが、山に慣れている人間は下山しない。第一先程までの雨だ、沢に降りれば鉄砲水で溺れ死ぬ」
「確かに助かる確率は高いでしょうが、麻人様は普通の中学生でございます。そのような判断が出来るでしょうか?」
「出来なければ死ぬだけの話だ」
マイヤーは忘れているようだが、俺の仕事は生者の捜索であって遺体の捜索ではない。
詳しい説明は省くが、ドォオでとっとと死んだ方がより早くウーヌスに帰還できる。
つまりドォオでの死亡=ウーヌスでの死亡とはならず、麻人以外の乗員乗客はドォオで死亡後、全員ウーヌスに帰還していた。
だからこそ死に易い選択は無視して、生き残りそうな選択をしたときのみ救おうとしていた。自分で言っておきながら手前勝手で無責任な発言だと思わなくもない。
だが、これが現実なのだ。
「畏まりました。そういえば申し遅れましたが、現時点で麻人様はまだ当事務所を訪れておりません」
「それを教えてくれたのはセンサーの類か?」
「左様でございます」
「調査に必要な物資の持ち込みを認めているから、そのくらいは問題ないだろう」
依頼人であるアリアからその程度の事は承認を得ているので、通信機関係の装備を持ちこんでいた。電波など存在しない技術レベルの世界なので、余計な妨害波が入らず理想的な通信環境を成立できた。
魔術による通信?
他者から傍受される危険性を考えれば論外だ。
「ところで征志朗様、重機を持ちこんで宜しいでしょうか」
「お前、いくらなんでもそれはやり過ぎだろう」
「山間部の天候は変わりやすいものでございます。早急に処置されるのでしたら、重機を用いて地面を掘り返して土葬にするのが適当かと思います。他の手段としてはガソリン等を用いて火葬にするしかございません」
「ガソリンで燃やすのを火葬とは言わない」
「狂牛病騒ぎのとき、英国では大量の牛をナパーム弾で処理しようとしましたが」
「人と牛を同じ扱いにするな」
どこまで本気かは分からないが質の悪いブラックジョークだ。
「天候云々は別にしましても何分にもこの数でございます。迅速に処置をされた方が死者を弔えるかと」
「……土葬をしても掘り返されるのがオチだな。構わん、燃やせ」
「畏まりました」
畜生に喰い散らかされた事に怒りを覚えながら、火葬と呼べないような荒っぽい措置を指示する自分。
そして、それに罪悪感を覚えない自分。
魔術士である俺はどうしようもなく度し難く、身勝手な存在なのだと改めて思う。
「征志朗様。征志朗様は同胞の死を悼み、死者が荒らされる事に対処されました。その御気持ちと行動で十分かと存じます」
「……そうか」
「左様でございます」
俺は後をマイヤーに任せ、とりあえず手近にある丘を登り始めた。
◇麻人 ――ドォオ落下してから二時間経過――
僕、葛宮 麻人は、あれから青草の絨毯に一、二時間座り込んでいた。偶々ポケットに入っていた音楽プレイヤーからお気に入りの洋楽を聞きながら、徐々に昇る太陽と流れる雲を暫く眺めている。
最初は居るか分からない誰かに向けて『誰か、助けて』と大きな声を上げたけど、返って来るのは山彦のみ。大きな声を出すと意外に気晴らしになったけど、そのうち自分が一人だと思い出させられてきたのでもう止めた。
今は雲を眺めながら、ここが何処なのか理解しようとしていた。
この場所は山間部らしく風が冷たいけれど、雪が堆積していない。
このことから冬ではないのだと思う。
それにこちらに流れてくる雲は入道雲。冬の雲はあんな感じじゃない。
でも、僕は冬用の防寒具を着ている。
それはそうだよ。これが夢でなければ僕がいた季節は冬だった。軽く頬を抓ってみたけれど、痛みを感じただけで夢から覚めなかったよ。
夢なら、本当にもう覚めて欲しい。
この不自然さを説明できるとしたら、時間か空間を移動したのかもしれない。などと考えながら、自分がおかれた状況を僕なりに分析できる程度には冷静さを取り戻している。
どうしてこんな曖昧な推測をしているのかといえば、携帯のアプリに登録されているGPSソフトが現在位置を表示しなかったから。このことから日本国外、つまり海外にいると推測している。
現在位置を表示しないことが海外に居るためだと考えるのは間違っている?
GPSデータは衛星から送られているから、その前提はあり得ない?
うん、そうなんだけど。
僕のアプリは所謂有名メーカーが提供するソフトではなく、月三百円のアプリ。
考えてみてよ、月三百円のアプリが国外で使用する事を想定していると断言できる?
このアプリはそこまで高機能なのだろうかと自問自答した結果、僕は無理だと判断して海外のどこかに迷い込んだと理解して途方に暮れていた。
唯一の救いは着陸に備え防寒具を着込んでいたのと、ポケットに電子機器やチョコなどの菓子類を入れていた点なんだろう。お陰で少なくとも数日は生きていける希望があるよ。
このときの僕の態度を不自然に思うのも無理もないと思う。乗客乗員二百名分の遺体跡を見た割に僕は意外に冷静だった。余りに非日常な出来事の連続でどこか感覚が麻痺していたのかもしれない。
冷たい人間だと思うかもしれないけれど――実際、冷静過ぎる自分に軽いショックを感じてはいるのだけれど――人の本質は非常時にならないと分からないのかもしれない。
僅か十四年の短い人生だけれど、少なくとも後ろ指を指されない程度には良好な人間関係と倫理観で学生生活を生きて来たと思う。そんな僕が我を忘れなかったのは、本質的にタフで前向きな人間だったのと建設的な意味での思考の放棄が出来たからだ思う。
その一例が高度四千メーターからどのような手段で生還出来たのかについては深く考えなかった点。正確には考えはしたけれど、どう考えても上手く説明できなかったから保留にしている。なにより助かった手段が分かったとして、今の状況をどうにか出来るとは思えない。
神の奇跡?
それはないと思うし、そうだとしたら馬鹿げていると思う。
僕は特定の宗教を信じていないし信じる気もない。その僕が助かるような神の奇跡は胡散臭くて信用できないよ。……世界の半分を敵に回しかねないので、宗教云々はこれ以上言わないでおいたほうがいいね。
触らぬ神に祟りなし。
さて、僕がどこにいるのか考えるのを再開してみる。
日本の時間は夕方が過ぎていたのに対して、今は朝方。このことから時差は十時間から十二時間くらいあると思う。それに北半球が冬なのだからその逆になる南半球。最後にこの場所が高地で雪が無く、木も生えていない場所という条件。
この条件からアンデス辺りにいるのではないかと想像している。
結論だけいえば、この推測は完全に間違っていたけどね。
そもそも前提が間違っていた。
ここは地球のある世界じゃない。つまり異世界というのが正解。
僕は異世界という選択肢を最初から除外していた。
自分が魔術で助かったなんて論理に飛躍が過ぎるし、非科学的過ぎるよ。地球の何処か別の場所か、地球以外の星系にある地球型惑星に空間移動したと考える方がずっと現実的だと思ったからね。とりあえずより妥当な選択肢として、地球の何処かと仮定して考えていたんだ。
今にして思えば頭が固かったと思うよ
こんな想像をしたのは最近読んだ本がファンタジーのライトノベルではなく、怪しげな怪奇現象に関する単行本だったのも影響したのかもしれない。その本によればテレポーテーションと思われる現象は記録上何度もあるらしい。眉唾と思っていた記述が、まさか体験している? と誤解したのも無理がないと思う。
かくて現代の彷徨えるオランダ人となった僕は、どのように振る舞ったらいいのだろうか。
まあ、あれは洋上の話で、ここは高原らしき場所だけど。
あっ、でも場所云々は別にしても、神を冒涜する事を考えたのは事実だね。
これは死亡フラグが立ったかもしれない。
……まあいいや、これ以上深く考えるのは止めとこう。
もっと前向きで建設的な事を考えなく考えなくては。
まずは陽が本格的に登って視界が良くなってきたので、とりあえず水を探さないと。水を確保してから全てを決めても遅くない。
本当のところ遭難者は動くべきでないと思って、今まで動かなかった。でもあの雲を見ながら状況を考えていると、ここが外国ならば救助が来ないと思ったんだ。
いや本当は来て欲しいけど、変な希望は持たない方が良いってね。
それよりも人里に辿り着く可能性のほうが高いだろうし。
それから一時間程、水を捜して山を下り始めた。