27話 黒パンの女
◇ユースティア
――会議再開まで、残り四十分――
会議終了後、ユースティアは食堂で一人少し遅い夕食を食べている。
目の前にあるのは黒パン一つだけ。牛乳も野菜もチーズもデザートさえもない。
この黒パンは昼食で食べたのと違う。
固くて癖が強くて美味しくない。
そもそも二つは別の食べ物。
昼に食べたのは黒糖パン。小麦粉に黒砂糖を混ぜるため黒くなっている。柔らかくてほのかに甘くて美味しい。
一方、いま食べようとしているのはライ麦パン。ライ麦を原材料に別の製法で作る。膨らみが悪くて固くて美味しくない。安くて少し大きくて、腹持ちが良いらしい食べ物。購入するのは闘技場の賭けで負けて懐具合が寒くなった人達と苦学生くらい。どちらにしても女生徒でこの黒パンを買う人をユースティアはほとんど見たことがなかった。
ほとんど見たことがなかった筈なのに、今日のユースティアは黒パンの女……
机の前で呆然としながら黒パンを見つめている。
呆然とするユースティアが珍しいのか、食堂中の注目を集めている気がする。
人の注目を浴びるのは慣れているけれど、いまは注目は浴びたくない。煩わしいので吹き飛ばしてやりたい。
いけない。
食堂のおば……御姉さん達に、『もう一度食堂で攻撃魔法を唱えたら、アンタにA定食は食べさせてあげない』とキツク言われていた。
A定食に付いて来るとびっきりのデザートが食べられない毎日など無意味。
我慢、我慢。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶしかない。
入学したての頃に誤って隣の席にトレーを転移させてしまい、座っていた男子生徒達に馬鹿だの見栄っ張りだのと散々侮辱された。あまりの罵声に、つい攻撃魔法でその人達を吹き飛ばした。このとき少し加減を誤って食堂の一部も吹き飛ばして、後で御姉さん達に散々怒られた。
あのときほど怒られたことはないと思う。
あわや食堂の出入りを禁じられるところだったけれど、事情を話したら『女の子を馬鹿にする野郎が悪い』と言って許してくれた。二度と失敗しない事を条件に食堂での転移魔法の使用を許してくれたけれど、攻撃魔法だけは固く禁じられている。
以来、ユースティアは御姉さん達に頭が上がらない。
そろそろ諦めて黒パンを食べるしかない、ですか。
黒パンといえば、以前にお爺さまが話してくれた言葉を思い出す。
実はスルガヤさんから家で世話にならないかと誘われた後、スルガヤさんの店にお爺さまが殴り込みに行った話には後日談がある。あの日から一年ほどお爺さまが毎食この黒パンを食べていた。
お爺さまが余りに美味しくなさそうに食事をしていたから、『そんなに美味しくないのなら他を食べたら?』とユースティアは言った。
その言葉にお爺さまはこう言いました。
『黒パンと侮ることなかれ。決して人には優しくない世界で三食食べられるのは贅沢なことじゃわ』
思い出に浸って現実逃避をしてみましたが目の前にあるのは、やはり黒パン。
やっぱり、夢ではありません。
そうこうするうちに食堂に到着して10分程経過する。
いつまでも愚痴っていても仕方なく、諦めて手を合わせて『頂きます』と食事の挨拶をする。
この挨拶の意味は分からない、分からないけれどユースティアは物心ついたときにはお爺さまの真似をしていたようです。
黒パンを千切って口に入れるけれど、やっぱり固いし癖が強くて美味しくない。
お爺さまは、よく一年間も食べ続けられたと思う。
そういえば、食べ続けていた理由をお爺さまは結局教えてくれませんでした。
一体、どのような理由だったのでしょう?
顔をしかめながら我慢して食べていると、相変わらず遠巻きに座る教師と生徒達がユースティアを観察している。
言いたい事があるのなら真壁や葛宮のように言えば良いのに。氷姫とか学園最強などと勝手に渾名されて、腫れものを触るように扱われるのには慣れている。けれど、望まない食事を強いられているときに、そのような態度を取られるのは面白くない。
せめて真壁が隣に座って愚痴でも聞いてくれれば心が落ち着くのに、彼は会議終了後に眼鏡をかけた男と一緒にとっとと会議室を後にしている。
ユースティアが会議室に連れてきたのに、他の人と出て行くのが面白くない。
なにが面白くないかは分からないけれど苛々する。
自分でも苛々しているのが分かるのは、座っている周辺が凍りつき始めているから。
他の人が近付かないのはこの所為かも知れないけれど、そうでないかもしれない。他の人の事は興味がないから、よく分からない。
よく分からないけど、真壁がこの場にいたらどのような態度をとるのかは興味がある。
◇
――会議再開まで、残り五十五分――
それもこれも全てあの会議のせいで夕食に出遅れたから。
食堂は昼食時に混み合うのは当然だけれど夕食時もかなり混む。本当はこのまま家に帰りたいけれど、ようやく真壁を捕まえたのにユースティアが会議をほっぽり出す訳にはいかなかった。
出遅れを取り戻すため席を立ち会議室を後にしようとすると、何故かシンイチ研の人達が呼び止める。
「待ちたまえ、ユースティアさん。どこに行こうとするのだね」
食事休憩なのだから食堂に行くに決まっている。
彼等がなにを言いたいのか分からない。
なにか気に障った事をしたのだろうか。まるで覚えはないけれど、覚えがないので気にしない事にする。そのまま教授陣が座っていた席を通り過ぎようとしたのだけど、今度は教授陣がユースティアの前を遮るように教師陣が針路を妨害する。
「分かってくれたか、ユースティア君。我々、教師陣は君の選択を歓迎するよ」
「学長の娘である君なら、我が研究室は歓迎する」
「抜け駆けはいけませんな。是非我が研究室にどうかね、待遇は最高のモノを用意するが」
ユースティアは食堂へと急いでいるのに、彼等は通してくれない。
「待ちたまえ、ユースティアさん。君は僕達と共に行くべきだ!」
「そうよ。先生達、ユースティアさんが嫌がっているわ!」
ユースティアには、彼等がなにを言っているのか理解出来ない。
私は早く食堂に行きたいのに時間だけは刻一刻と過ぎて行く。
――会議再開まで、残り五十分――
罵声と非難の応酬に留まらず、双方がユースティアの手を掴んで引っ張って来た。
「……痛い」
「先生、ユースティアさんが痛がっているじゃないですか。その手を離して下さい」
「失礼な事を言わないでくれたまえ、我々は彼女を保護しようとしているだけだ。君達こそ、彼女の手を離すべきだ」
あまり強い力で引っ張るので服がミシッと悲鳴を上げる。
「いい加減にして下さい! このままではユースティアさんの服が破けてしまいます!」
流石にシンイチ研の女生徒は状況を察してくれた。でも彼女が手を離したと思ったら、グアルティエロが代りに手を引っ張って来た。彼女は必死に双方を説得してくれるけれど、彼等は聞き入れてくれない。
ビリッッッッッッ!
ついに耐えきれず袖が破ける。
思わずイラっとしたので、彼等全員まとめて食堂に転移させた。
その判断が正しかったのか、ユースティアには分からない。
分かるのは、彼等も食堂のおば……御姉さん達の前で騒動を続ける勇気がなかったという点。会議室に居た人間は全員大人しく食事をする事にした。騒ぎしくなくなったのは良いけれど、全員食堂で注文したことで残り少なかった食材を使い切った。
その結果、今日のユースティアは黒パンの女……
――会議再開まで、残り三十分――




