26話 会議は踊る - 後篇 -
◇真壁
――会議再開まで、残り五十五分――
会議が一旦休憩になった後、俺はブルータスと共に貴賓室に移動した。この部屋を利用するには多少で済まない額の金が要り用となるが、俺達には拠点となる研究室など無いのだから仕方がない。それにこれから交渉をするにしても、ギルドの威を借りるだけというやり方は癪だというのもある。
桁違いの部屋の格をもって交渉相手にこちらの本気を見せてやるのも一興だろう。本来学者や学生如きにここまでする必要はないのだが事は急を要する。多少で済まない額の金がかかろうとも背に腹は代えられない。
幸い貴賓室は空いていたが、何も問題がなかった訳ではない。
それはそうだろう。
前回貴賓室を破壊した張本人の片割れ――つまり俺のことだが――その舌の根も乾かぬうちに貸せと言い出したのだ。学園側が渋ったのも無理があるまい。
まあ、その辺はブルータスが話をつけてくれた。
「貴賓室を拠点にするなど、凄い事を言い出しましたね」
「相手へのインパクトを考えればこれ以上の案を俺は思い付かない。なにより規格外の行為で相手の度肝を抜き主導権を奪うやり方が俺は大好きだ」
「我が盟主みたいな言い草ですね。我が盟主が貴方を気に入るのも無理もない話ですよ」
「それを実現してみせるブルータスの方こそ見事だと思うがな」
「貴方と違い、日頃の行いが良いからです」
「そうかい」
「ですが言っておきますよ。もう一度破壊などしたら、その後どうなろうと私は知りませんからね」
「熟知している」
「どうですか」
グレッグの言うとおりブルータスはかなり使える男だ。
マイヤーに似たそつのなさがブルータスにはある。もっとも、マイヤーは主に対する忠誠心や誠意に疑いはないが――忠誠心や誠意の対象が主人である俺ではなくアリアに移動する事が間々あるが、それも眼を瞑って許せる範囲に限られる――ブルータスには忠誠心や誠意など期待できない。今は双方の利益が一致しているがいつ噛みつくか知れたものではない。
緊張感がある関係も俺は嫌いではない、善人面した悪党より余程好感を持てる。
これまでに積み上げた貸しを元手にブルータスが何を言い出そうとしているのか、実のところ非常に興味があった。奴は罠を張ろうとしており、俺は罠を喰い破ろうと考えている。意外に思うかも知れないが、そこに悪意や敵意はなく、あるとしたら猟師が獲物を狩る感覚に近いものだろう。奴が腹の底でなにを考えているかと想像するとゾクゾクしてくる。
いつ破綻するか分からない関係だが今のところ上手く機能していた。それが俺達の相性がよかった結果なのか、単なる偶然なのかは分からないがな。
「まったく貴方達が無茶してくれたお陰で、余計な出費と時間を浪費してしまいましたよ」
「そう言ってくれるな、そもそも先に酒を飲み始めたのはグレッグの方だ」
「責任の比率ではギルドに非が大きいのは認めます。だからと言って……」
口では非難をしているがブルータスの口調は怒気を含んでいない。前回の騒動を持ちだして主導権を取りたいのだろうが、今はブルータスと駆け引きをしている暇はない。騒動の件はこの辺で打ち切るとしよう。
「その話はグレッグに言っておいてくれ。それより、今は先程の会議をどのように誘導するかを問題とすべきだろう」
「いいでしょう、またの機会と言うことで」
またと言ったか。
事あるごとに持ちだされては堪らない。俺にも非があるとしても余計な弱みを握られているのは面白くはない。面白くはないが打開策がない以上、この話は先送りにする方が得策だった。
このようなやり取りを俺達は貴賓室の入り口でしていたが、いつまでも立話というのは座りが悪い。折角金をかけて借りたのだ、ソファーに腰を落ち着かせて今後の方向性を話すとしよう。
腰を落としたソファーは意外にも前回よりも遥かに座り心地がよかった。これだけ品物が違うなら値も張っただろうに。案外ギルドが支払った賠償金は吹っ掛けられた額だったのかもしれない。
ソファーがグレードアップしたのなら他にも変化があるのだろう。少し貴賓室に興味を持ったので部屋を見渡す。タペストリーや調度品も新しくなっていたが、なによりも前回俺とグレッグで飲み干した酒瓶が棚に補充されていた。
ドォオ産の酒などウーヌス産とは比べ物にならないと思っていたが、中には名酒と呼ぶに相応しい酒がある事を前回で知っていた。舐めるように棚に置かれている銘柄を確認していると、前回は見なかった銘柄を見付けた。
これも料金の内だろうと自己正当化すると、特に旨かった銘柄と見覚えのない銘柄に手を伸ばそうとする。
「真壁氏、御茶を入れましたよ」
酒瓶に手が届くより先にブルータスがティーカップを差し出してきた。この茶葉も高価なのだろうが茶葉に関してはウーヌス産には到底叶わない。そのような品物になんの魅力を感じないのだが、有無も言わせぬ迫力がブルータスにあった。
致し方ない、諦めてティーカップを受け取る事にする。
「ああ、すまないな」
「この茶葉の香しいこと。そうは思いませんか」
白々しい、この狸が。
やり場のない苛立ちが込み上げて来るが、ブルータスの意図は分からないでもない。それでもあの銘柄を諦めるのは余りに惜しい。何度も視線を酒瓶が置いてある棚に送るが、ブルータスは決してそれを許そうとはしない。
分かったよ、俺は両手を上げて降参の意思を伝えた。
ブルータスの表情が笑みに替わる。
奴にとっては小さな勝利だが、俺にとっては決して小さくない敗北だった。
俺はやや不貞腐れる様に煙草を吸うしかなかった。
◇
――会議再開まで、残り五十分――
「本来、研究室の後継者や存続の問題と調査隊のメンバーの選出の問題は別次元の話だ。参加者達はヒートアップし過ぎて頭の切り替えが出来ていないが、ここは議事進行を優先すべきで研究室の問題については棚上げにするのが得策だろう」
時折吐き出す煙草の煙が部屋に満ちて行く。やや嫌がらせのように煙を吐いているのだが、ブルータスは嫌がる素振りを見せない。奴は喫煙を吸わないようだが、煙草にはある程度耐性があるのだろう。可愛げがないと思わなくもないが、嫌がられて喫煙を止められても堪らない。中々難しいところだ。
「同感ですな。あの調子でいくら話したところで結論が出る筈もない」
ブルータスに指摘されなくとも、良く飽きもせずあのような不毛な議論を出来るものだと思う。だが、頭に血が上った人間の行動を理解出来る筈もない。その辺は国会運営を観察していれば良く分かる。
「あのような会議を、俺達来訪者は小田原評定と言う」
「評定と銘打つ以上、何かしらの謂れがあるのでしょうな」
「昔、ある国で難攻不落の本拠地が完全に包囲された事があった。包囲した側の兵力は籠城側のおよそ十倍、通常なら降伏もやむなしの状況だが、籠城側は過去に似たような状況で逆転した経験が二度もあった。
その経験が災いしたのだろう、既に天下の趨勢が決した事実を籠城側は受け入れられなかったのだ。しかも彼等は意思統一を出来ず、主戦派と降伏派で意見が真っ二つに分かれてしまった。そうこうするうちに時間だけが過ぎ、ついには完全降伏と相なり滅亡した」
「時間だけを浪費して滅亡するなど愚かな話ですな」
「そう言ってやるな、それだけ過去の成功談が大きかったのだ」
「過去は過去、現実への状況分析が出来ない者など滅亡して当然の結末です。この時間が少ない状況で態々そのような話をするとは、真壁氏になにか思うところがはあるのでしょうな」
「まあな。物事にはリスクとリターンが付きまとう。学生や教授連中は目先の利益にばかりに囚われているが、今回の件にはリスクが付きまとっているのを忘れていると思ってな」
「リスクですか。確かにこの状況では結論が出来ない可能性がありますが……なるほどそういう捉え方ですか」
ブルータスがにやりと笑ってみせる。やや興ざめな喜劇だと思っていた会議が、強かな陰謀の舞台だった可能性について同意したのだ。
「小田原評定では結論が出ないことで一族郎党滅亡した。だが、この会議では結論が出ない事によるリスクを会議の参加者全員が共有してはいない。リスクを背負っているのは参加を強要されているユースティアと、強いて言えば彼女が所属するシンイチ研くらいだ。この状況で議決が出ない責任を問われるとしたら誰だと思う?」
「難しいところですが、本来でしたら議長が責任を問われるでしょうな。ですが、この場には議長は存在せず、学長も理事長は同席していない」
「そういうことだ。議事進行に責任を持つ人物がいない以上、責任を問われるのは議事進行を妨げた人物達だ。その人物は誰かと言えばシンイチ研と一部の教師達だが」
「権力を持つ者が責任を取る事は決してないですよ。常に責任を取らされるのは中間管理職などの弱い立場の者達です。今回のケースでは、該当者はユースティアさんとシンイチ研でしょうね」
ブルータスは溜息をつきながら頭を左右に振る。グレッグに使える自分はさも弱い立場だと言いたげだが、そんなやわな筈がない。こいつは責任を取らせられそうになったら牙を剥くタイプだ。
「ユースティア本人には利用価値がある上、彼女は学長の愛娘だ。流石に手を出せないだろうが、シンイチ研にはそのような手緩い処分は有り得ないだろう。教授教師連中からしてみれば、彼らが議事進行の妨害をしているとしか思えないだろうしな。しかも議論妨害は三、四日にも及んでいる。これだけ状況証拠がそろえば、シンイチ研に全ての責任を押し付けるのは不可能ではないとは思わないか?」
「でしょうな。生徒の一部から反発があるのと魔術師協会からどのように思われるかを除けば悪くない策です。ここまで推測したという事は、真壁氏には誰の策謀なのか当てがあるのでしょうね」
「根拠は無い。だが、あの場でそれを実行できた人物は恐らく一人だけだ」
ブルータスは眼鏡をクイッと押し上げながら、同意と取れる笑みを返してくる。
「この策謀をしている人物はマルコ教授だ。よく観察していると分かることだが、奴はそれほど熱心に双方の仲裁をしようとはしていなかった。マルコ教授が一定の支持は得ているのは、滞りがちな議事の進行を何度となく正常化に導いている事例からも分かる。奴がもう少し積極的に動けばなんらかの妥協案を作り出せた筈だ。それを敢えてしなかったという事は、議論を収束する気がなかったと捉えるしかない」
「その上でユースティアさんに詰問じみた口調で意見を求めたと。あのとき彼女が何を発言しようとしていたかは分かりませんが、彼女のことです。きっと場の空気を読まずに、今までの議論を台無しにしかねない発言をしたでしょうね。
自分の手は汚さず、議論を巧みに誘導し、他者を煽る。三日もかけて造り出された思考停止状態、その最後を飾る一手に議論を破たんに追いやりかねない人物を指名して、自分は素知らぬ顔を決め込む。教授だけあってグアルティエロとかいう革命家気取りとは一味違いますな」
私好みの相手ですよと、ブルータスは最後に付け加えた。
「まあ、これで一応の筋は通る。もっとも根拠はないがな。ただその前提で考えれば、我々がどのように行動するかは自ずと導かれる」
「我々の本気を見せ付けるにもこの場所は打ってつけですしね。分かりました、早速マルコ教授を貴賓室に招待するとしましょう」
さて客人が来るのだ、窓を開けて換気をするとしよう。
換気をするくらいなら最初から煙草など吸うな? もっともな意見だが、生憎、俺はそのような意見に貸す耳など持ち合わせてはいない。
◇
――会議再開まで、残り四十分――
10分後、マルコ教授は貴賓室に来た。
ややメタボ気味のスキンヘッドは、会議室に居たときと同じ服装でやって来た。上着のボタンはその体格の負荷に耐えきれずはち切れそうになっている。
ややメタボ気味程度でそこまでになるのか?
その疑問は尤もだが、自分の体型にあった服を購入することに心理的抵抗を覚える人間はどこにでもいるのだろう。悲鳴をあげそうな上着の上から紺色のマントを羽織っている。会議室では人が多くて気付かなかったが、考えてみれば教師陣の一部には紺色のマントを羽織っていたような気がする。
紺色のマントは教授の職を表すのかもしれないな。
下にはズボンのようなものを履いているが上着と違いゆったりとした造りだ。
元々余裕がある造りなのか単に大きなサイズを選択してるかは分からないが、上着だけ見栄を張るのに違和感がないでもない。だが、太っていることが富の象徴だった時代もあるのだ。そういう効果を意図したかもしれない。
勿論、そのような推測は間違っていて、単に自分の体型を認める事のに心理的抵抗をしている可能性も否定はできないのだが。
「マルコ教授、大変お忙しい中、態々御足労いただきまして恐縮です」
マルコが入って来たので、俺達は立ち上がり上座をマルコに勧める。マルコは人のよさそうな目を細めながらも上座に座ることを受け入れる。教授の職にあろうとも貴賓室に入る事は滅多にないのだろう、少し落ち着きがない。無理もあるまい、それだけ高価な絵画や調度品、そして酒瓶に囲まれた部屋なのだ。
「いや、気にしなくてもいいよ。せっかくギルドが呼んでくれたしさ、その場所が貴賓室なら来ない訳にはいかないよ」
「そのように言って頂けると我々ギルドとして助かります」
「我々と言っているけど、彼は何なの? 僕はギルドに呼ばれたのであって、どこの馬の骨か分からない相手とは同席したくないんだけど」
馬の骨である俺を警戒するのはごく自然な反応だろう。
パトロン決定戦で顔が知れたとしても、本来俺は学園の部外者だ。麻人のパトロンに成れたのだから学長が俺の身元の安全を認めたとしても、素性不明な人間が学園内の政治力学に関わる場に同席を許すかは別次元の話だ。このような憶測を呼びかねない場面では余計なギャラリーを不要と考えるのは当然の判断だ。
「御心配には及びません。今では真壁 征志朗氏は我がギルドの名誉会員となっております。勿論、我らの間にはパトロン決定戦の遺恨などございません」
「なるほどね。確かに真壁君は部外者ではないかもしれないけど、それは同席させる理由にはならないよね。あえて真壁君をこの場や会議に同席させた理由は何なのさ」
『真壁君、悪気はないんだよ』と言葉を添えて発言を終えた。
良い質問だ。
実のところ俺もその点が気になっていた。
ブルータスは次のように言っていた。
『随分遅い到着でしたね。ギルドでも随分貴方の事を探していたのですが、見つからないので間に合わないかと思っていました』
俺がユースティアに連れられて会議室に来たのはある種の偶然だが、その偶然がなくともギルドによって会議室に連れて来られた可能性があったのだ。会議室で席を提供されたのもこの場に席があるのも必然ならば、ブルータスは俺にそれだけの価値があると認識している事になる。
名誉会員章を持つ者にはそれだけの便宜を得る資格があると考えれば簡単なのだが、ギルドの外でも便宜や協力を得る程価値がある品物と考えるのは早計だろう。
「その御懸念は尤もですが、ネミ湖調査隊には真壁氏の参加がどうしても必要なのです。マルコ教授も御存じかと思いますが、あの周辺の山には巨大な怪鳥ロック鳥が出没し、湖には忌々しいリザードマンが多数住む危険な土地です。なによりもあの湖には嘗ての人類の切り札、あの巨大な水龍がネミ湖の主となってリザードマン達を保護しています」
「本当に忌々しいことだよね。あの水龍さえいなければリザードマンを排除するのは不可能ではないのに。湖に猛毒を撒く対抗策を唱える馬鹿王共を宥めるに、僕達がどれだけ苦労していると思う?」
ベトナム戦争時のメリケンや今は亡き中東の口髭にも劣らぬ対抗策を唱えるなど、常軌を逸しているとしか思えない。よく学園は王達を宥められたと思うが、同時に学園は各王国の相談役的地位も兼ねているのを知ることが出来た。
「あの水龍は先日私達が召喚した炎の巨人と理屈上は同じ制御方式を取っています。真壁氏は炎の巨人を排除しつつ、宝玉には傷を付けませんでした。であるのであれば真壁氏以上に今回の調査隊に相応しい人材はいないでしょう」
「なるほどね、もっともな話だ。多分ユースティア君なら真壁君と同じような事が出来るかもしれない。ただ彼女一人で水龍に対抗させるのは余りに危険だと思っていたよ。流石はギルド、ちゃんと考えているじゃない」
そんな話は聞いていないとは、とても言いだせなかった。
既に多くの貸しを積み重ねていた上、ここで俺が否と言い出せば交渉自体が破綻する。ブルータスはわざと今まで事情を説明せず、否と言えない状況に追い込んでから情報を公開してきたのだ。
やってくれる。
先日召喚された巨人は完全な召喚でなかったから勝負になったが、ほぼ野生化した完全体と戦うなど正気とは思えない。
それでもやるしかないのだ。
少し話は前後するがマルコとの交渉終了後、流石に事情説明を求めた。
それによるとネミ湖周辺は百年前まで人類の勢力圏に存在していたそうだ。本来、魔物側の勢力圏に近い場所ではあったが、巨大湖の水運がもたらす交易と大量の水のお陰で作物は豊かに実ったらしい。この土地を狙って幾度となく魔物が押し寄せたが、人類の必死の防戦と巨大な水龍の力で全て撃退していた。
水龍は神と崇められ多くの人々の信仰を集め、やがて人類はこの土地に一大勢力圏を創り上げた。魔物に蹂躙されるしかなかったドォオの人々にとって、希望の土地だっただろうと容易に推測できる。
異変が起きたのは、百年前。
龍に憧れた馬鹿が神殿に安置されていた宝玉を盗みに入ったらしい。
何があったのか、正確に知る者は誰もいない。しかし、結果として何が起きたのかは皆が知っている。そのときを最後に水龍は暴走を始めたのだ。人類の友であり神であった存在は、恐るべき悪魔となった人々に襲いかかった。
「何故、龍に憧れた馬鹿が神殿に安置されて宝玉を盗みに入ったのが原因だと断言できるのだ? 宝玉の制御に失敗した可能性の方が大きいのではないか」
「当然の疑問ですが、宝玉が安置されていた場所に犯行声明文らしき紙が置いてあったらしいのです。神殿に仕えていた神官達の証言ですの信頼性は高いでしょう。犯行声明文は既に失われたため文面の詳細は不明ですが、これでは賊の犯行が原因だと考えるのが妥当です」
俺は眩暈を覚えた。
来訪者の仕業だ、しかも若い奴等だ。
奴らは貴重なゲームアイテムを手に入れるチャンスとでも認識したのだろう。
しかも、龍だ。
例えどれほどの危険と犠牲を払おうとも、手に入れようとする筈だ。
神殿に侵入するほど能力のある来訪者というのは珍しいが皆無とはいえない。勿論、ドォオの賊が行った可能性もあるが、犯行声明文を残す酔狂な馬鹿は来訪者しかありえない。
深い溜息を吐き天井を見つめる。
数秒後、ブルータスに視線を戻す。
ブルータスは自分の発言がこれほど衝撃を与えるとは思わなかったのだろう、らしくもなく優しい言葉をかけてきた。
「あくまで噂のレベルであり、私個人は来訪者が実行したとは信じていませんよ。ただこの噂を信じている人が少なくないのが現状なのです」
来訪者に対する風当たりの強さについて、俺も心当たりがないでもない。
当初は俺に差別的な態度で接してきたアマデオ、来訪者である事を隠そうとするグレッグ、群れようとはしない来訪者達。それらは異なる文明圏から来た人間に対する軋轢と、戦後の行き過ぎた個人主義が原因だと思ってきた。だが、それだけではなかったのだ。
この事実をアリアに報告するのは心が重い。
『異世界に無意識に拉致された者達』が一大勢力圏を破壊した。この報告をアリアは受け止められるのだろうか。管理者といっても十五の少女だ、その彼女が何故このような責めを受けなければならないのだ。
俺はやり切れない感情が込み上げてきた。
なにより苛立たせるのは、俺がアリアの保護者である前に探偵である以上、依頼人に対して重要な事実を報告しない訳にはいかない点だ。探偵は依頼人に対して、いや契約に対して誠実でなければいけない。俺の感情など問題ではないのだ。
事件が百年前だった点については疑問もあるが、考えてみればドォオに拉致された人間がどの時間に移動したかなど分かり様がない。いずれにしても真偽を確かめる必要がある。
ブルータスの思惑やユースティアの件が無くとも、このヤマは俺の仕事だった。
ふっ、笑えてくる。
貸しを作ったり女を庇ったりなど寄り道が過ぎた。
俺はなにをしてやっているのだ。
――会議再開まで、残り三十五分――
脱線をしてしまった、時間を戻そう。
マルコは俺の同席に同意をした。
「そう、ならいいけど」
分かってはいたが、教授の割にはえらくフランクな口調だった。元々フランクな口調なのだろうが、ブルータスに棚にあった酒瓶を贈呈されて機嫌が良いのだろう。
ちっ、あれは俺が目を付けて銘柄だ
「時間も少ないですし率直に申し上げますが、我々ギルドは是非ともマルコ教授に調査隊の団長を務めて頂きたいと考えております。教授の人望、研究室の規模、知見、どれを一つ取っても教授以上に適任な人物がいるとは思えません」
「分かっているね。そうだよね、やっぱり僕だよね」
謙遜する気がまったく無い点を美徳と捉えるべきか悩むところだが、ここで謙遜されては話が長くなる。ここは有難いと思うべきなのだろう。
「第一さぁ、他の人達はアレでしょう? 人の悪口は言いたくないけど、あの調子じゃ、とても恥ずかしくて外に出せないと思わない?」
「まったく、その通りかと」
「おっ、真壁君も分かっているんじゃない」
太鼓持ちなるのは気が進まないが辛抱すべきだ。
「僕が立候補すべきだとは思ってはいたけれどさ、場の空気を考えたら……分かるでしょう?」
「ですが、実質的にはマルコ教授があの場を仕切っていたように思えたのですが。もっと早く結論に導かなかったのは何故です。もしかして、ユースティアに何か思うところがあるのですか」
言うべきでないと分かっていたが、マルコの手の平を返したような明け透けな態度に苛立ちを覚えていた。こいつがもう少し議事進行に真剣だったら、ユースティアはあのような場に長くいる必要がなかった。
その想いが言わせたのだ。
「僕はねぇ、例え能力があってもやる気がない人間は嫌いでね。ユースティア君にもう少しやる気と誠意があったらさ、そもそもあのような会議など必要がないのよ。大体さ、魔術士協会の協力要請は彼女に対しての案件なのよ。いくら学園を通してきたとしても、それに対処する会議に当人が遅れてくるなんて何なの? これまでの3日間だって、まるで誰かを待っているようでやる気が感じられなかったし。だから僕は少しばかりお灸が据える必要があると思ったんだよ」
余程鬱屈していたのだろう、口調こそ変わらないがかなりの怒気を含んでいた。
なるほど、ユースティアならやりそうな態度だ。
彼女は会議の進行などまるで無視して、三日間も俺を待っていたのだ。俺のなにがそれほどユースティアの心を捉えたのかは分からないが、女性は時に論理的とは思えない行動を取るものだ。そういえばホームズが言っていたな、『女性が大騒ぎしたと思ったらその原因はヘアピン一本だった』と。
ユースティアが何故そのような行動を取ったかなど推測しても無意味だろう。
「ユースティア君の件は置いておくとして、君達はどのようにして僕をバックアップしてくれるの? そりゃ、僕が立候補すれば話が早いだろうけど、シンイチ研のはねっかえりが簡単に納得するとも思えないよ。なによりユースティア君にボールは投げてしまったしね。今更それは無しになんて出来ないし、ユースティア君を説得できるとも思えないよ。悪い意味で彼女は買収や妥協とは無縁だからね」
教師陣を宥めるのは僕がやっておくけどね、と付け加えてマルコは言葉を切った。
「その点は気にしなくて結構。必ずユースティアにはマルコ教授、貴方を指名させます。その代わりと言ってはなんですが、彼女に対する嫌がらせは二度と行わないで頂きたい」
「言うねぇ。そこまで言い切った以上、出来なかったでは済まないよ。仮にユースティア君が僕を指名しなかったら後はどうなろうとも知らないよ」
「貴方こそ、指名後に教師陣を宥められるのでしょうね」
売り言葉に買い言葉。
マルコの表情が変わり、成り行きを眺めていたブルータスが堪らず仲裁に入ろうとする。
「いや言葉でいくら保証しても無意味でしょうな。分かりました、俺の自信を証明するためにもこれを賭けましょう」
俺には懐にしまっていた名誉会員証を机に放り投げた。
事態を理解したブルータスの表情が凍りつく。
元々貰いモノだ、それが他人に渡ろうとも知ったことではない。
俺への首輪と考えていたブルータスにすれば堪ったものではないが、奴の都合など知った事ではない。この名誉会員証があれば、例えばギルドの秘匿技術――前回世話になったあの赤い宝玉――にアクセスできるだろう。
ふっ、他の組織に秘匿技術など知られたら被害甚大だな。
ウーヌスと違いドォオに知識の共有という概念など無い、知識や技術は秘匿さればこそ価値があると彼らは考えているのだ。それらへのアクセス権を賭けるとなれば文句は言えまい。
「……本気だよね。今更やっぱり止めたは認めないよ?」
「男に二言はない」
いつの間にか俺の口調は元に戻っていたが咎める者はいなかった。
「ブルータス、構わないよな。俺は名誉会員証の譲渡を固く禁じるなどと説明は受けていないが」
「……勿論、そのような規定は存在しません。存在はしませんが……」
ブルータスは流れ落ちる汗をハンカチかなにかで拭いているが、汗で眼鏡がズレるのを防げない。
「真壁君、君は面白いよね。分かったよ、約束しようじゃないか。君が賭けに勝ったらユースティア君に対する嫌がらせを止めるなんてケチな事は云わない。シンイチ教授に替わって彼女を全面的にバックアップするし、シンイチ研も悪いようにしない。
ただ、一つだけ教えてくれないか。真壁君、君は何故そこまでユースティア君に肩入れするの?」
マルコとブルータスの視線が俺に集まる。
実のところ、俺にもよく分からない。
俺は来訪者の調査捜索で忙しい身の上だ。本来そのような暇などないし、アリアの依頼を一時中断するなど服務規定に違反するような気がする。今回のケースがシンイチのアフターケアに当たるような気がしなくもないが、だとしてもそこまでユースティアに肩入れする必要など俺にはないのだ。理性的に考えれば否定的な要素ばかりが並ぶのは致し方あるまい。
「男が女に力を貸すのに一々理由など必要ではないだろう。なによりユースティアは極上の女性だ」
予想外の回答に二人はあっけに取られるが、徐々に表情が笑みに替わる。
そういうことだ。
多少性格に問題があろうとも、行動がやや論理的でなかろうとも、そもそもそんな事など問題ではないのだ。アリアにしている接し方をユースティアにもしても惜しくないという、心の声に耳を傾けただけだった。
この行為に問題があるとしたら調査隊に参加する理由をどのようにアリアに説明するかだが、その点について俺は考えるのを止めていた。
何とかするしかあるまい。
いすれにしても既に賽は投げられたのだから。
――会議再開まで、残り二十五分――
小田原評定について異論がある方もいるかと思います。
小田原評定は『会議は踊る、されど進まず』とはやや違う側面があり、その後の影響も考慮して誇張した表面的な捉え方で記述しております。
また詳しく書くと文字数的にも厳しく、本作は歴史について語っている作品ではないのでこのような記述にしております。
この件で諸説があるのは重々承知していますが、どうかお許しください。




