25話 会議は踊る - 前篇 -
◇真壁
今度ユースティアから連れ込まれたのは会議室だった。罵声と怒号が飛び交う部屋には、多数の教師と少数の学生、そして明らかに部外者の男が一人いた。彼らは幾つかのグループに分かれて自己の主張を唱えている。
罵声に意味などない。
議事の進行を妨害さえ出来ればそれでいいのだ。
ウーヌスの国会よろしく、この手の議事妨害は見慣れているが、だとしても気持ちがいいものではない。魔術による妨害行為をしない点だけは理性的かもしれないが、もう少しスマートに議論を出来ないものかとは思う。
俺の憂いなど気にも留めず会議は踊る。
いや部外者の男だけは我関せずと事態の成り行きを見守っていた。男の目は明らかに魔法士達を小馬鹿にしていた。その無礼な態度に非難の声が上がらないのは、それだけ議論が白熱しているからだろう。
ユースティアはそんな空気を読まず、自分の席と思われる場所に座った。俺も一緒に行くべきか悩んだが、彼女が座った席周辺に陣取る学生連中から睨みつけられた。
新たな参加者の同席は御遠慮して頂きたいのだろう。
事情は知らないが、彼らの気持ちは分からないでもない。因みに教師連中は俺が何処に移動するのか興味津々らしい。
微妙な緊張感が会議室を支配した。
俺がどのような立場を採るかが、議事の進行に大きな影響を及ぼすかもしれない。
ユースティアは言っていた。
『これで余計な干渉が解決出来る』
『誰からの干渉だ』
『シンイチ研の講師達と教師陣よ』
教師陣が誰かはなんとなく想像できるが、講師とは誰を指すのだろうか。
シンイチ研とは俺がウーヌスに帰還させたシンイチを示す可能性は高い。シンイチは自分の研究室に一切触れていなかったが、なにか問題でもあるのだろうか。
不確定な要素が多すぎる。
憶測というより勘に近いがユースティアの口ぶりから察するに、この部屋にいる全員が彼女の敵なのだろう。否、敵ではないが味方でもない人物が一人いる。眼鏡をかけた、あの部外者だ。
一秒に満たない時間で考えをまとめると、部外者の隣に移動することにした。
いま旗色を鮮明にするのは賢明ではない。
俺の行動を態度保留と受け取ったのだろう、再び会議は踊り出す。
先に席に着いたユースティアはこちらに来るようには言わなかった。俺に協力して欲しいと言ったにしては消極的な態度だが、彼女には彼女の事情があるのかもしれない。あるいは協力要請が受諾されたと確信しているか、だ。
ならば問題ないだろう。
ユースティアはネミ湖調査隊に同行して欲しいとのことだが、そもそも俺にそんな暇はない。彼女に借りがあるとしても、それと来訪者保護の仕事を後回しにするのとは別の次元の話だ。にも拘らず連れ回されるがままでいたのは、彼女がしようとしている無茶を見てみたくなったからだ。
その辺の事情はこいつが教えてくれるだろう。
「随分遅い到着でしたね。ギルドでも随分貴方の事を探していたのですが、見つからないので間に合わないかと思っていました」
「俺は忙しい。で、一体どうなっているのだ?」
話しかけてきた男に俺がどこまで事情を知らないかは、あえて教えなかった。
男の名はブルータス。
眼鏡の印象が強い細身の男性だ。ブルータスについては以前にグレッグから紹介を受けていた。
『なにかと重宝する男だが、油断しているといきなり牙をむくときがある。こいつをあまり信用し過ぎない方がいいぞ』とは、グレッグの評価だ。
ブルータス本人がいる前でその紹介とは、グレッグの大胆さには驚かされる。そのように評価される奴も奴だが、本人の前で堂々と言う奴も奴だ。
『私は盟主の忠実な番犬でございます。ただ自分は犬ですので、主人恋しさに甘噛みするときがあるだけでございます』とは、グレッグの評価を受けたブルータスの返答だった。
案外、両者はいいコンビなのかもしれない。
もしかしたらパトロン決定戦のときブルータスが裏で糸を引いていて、ジュリエッタは踊らされていただけかもしれない。グレッグの紹介からそれくらいの事はやりかねない奴なのだと推測できた。
気を付けるに越したことはない人物だろう。
「見ての通りです。各々が自分こそユースティア講師と共にネミ湖調査隊に行くのに相応しいとのたまっています。魔法士も言っても所詮は人。名誉、出世、保身とは無縁ではないのですよ」
ブルータスの皮肉には鼻で笑って答える。
こいつの感想などどうでも良いが、その説明からユースティアが講師の資格を持っている事が分かった。彼女は学生だと思っていたが、どうやら学生でも講師の資格を取得できるらしい。柔軟なシステムかもしれないが、戦後の教師不足さながらの状況だとは思う。
それにしても教師や生徒の声が五月蠅く、現在行われている議論の要点が聞き取りにくい。鼓膜が破れるとまではいわないが精神衛生上宜しくない環境には違いない。このような労働環境で働くウーヌスの政治家共は老体に鞭を打ってよく耐えていると感心してしまう。
お陰で俺とブルータスの会話が他に漏れないのは助かるがな。
「人の行き着く欲望などそんなところだ。思い描いていた目的や目標が、いつの間にか欲望と入れ違っているのは間々ある話だ」
「真壁氏の目的は欲望とは少し違うようですな。どうやら来訪者に御執着のようですが」
「俺のは仕事だ。それとて行き着くところは女になる」
「ほう、女ですか」
依頼人が女なのか、目的が女なのか、報酬が女なのか、或いは別なのかは答えない。
俺の返答にブルータスは意外そうな表情をするが、眼鏡の下の瞳は嫌らしそうに笑っていた。どのように解釈するかは個人の勝手だが、少なくとも俺は嘘を言っていない。
「ブルータスの方こそ、何故この場所にいるのだ。冒険者ギルドが関わり合うのはまだ後に思うが」
「御推察通りネミ湖調査隊には護衛も兼ねて我々ギルドが冒険者を派遣します。ただ、人間関係は能力だけは判断できないものです。主導する人間に合わせた人物を選んだほうが、何かと都合が良い場合があるのですよ。
我々も色々手配の都合がありますので、情報入手に最も適当と思われる場所に席を用意するように学園には要請しました。私がこの場にいるのは、そのような理由で他意はありませんよ」
澄ました顔で言っているが、そのような訳はない。自分達に都合が良い人物を押す程度は考えているのだろう。
「無駄話はもういいだろう。一生徒が調査隊に参加要請を受けたくらいで、この騒ぎとはどういうことだ」
「予期せず舞い込んできた出世のチャンスを掴み取るため、ネミ湖調査隊に参加して手っ取り早く実績を手に出来ればそれでよし。仮にそれが出来ないとしても、ライバル達の足を引っ張りたいのですよ」
「その説明でも間違いではないだろうが、省略し過ぎて問題の本質を理解出来ない。もう少し背景を分かるように説明してくれないか」
「これは配慮が足りませんでした。真壁氏は学園に接触して一週間程ですから、状況を御理解出来ないのは無理もないですな。分かりました、名誉会員である貴方に当ギルドが把握している情報を公開致します」
「助かる」
ブルータスの最初の説明が酷く単純化していたのは、恐らく奴も俺の手札を探りたい思惑があるのだろう。グレッグから貰った会員証のお陰でブルータスは俺の味方であり手札でもあるが、同時にギルドの支部長であるブルータスにとっても俺は貴重な手札になる。
ドォオは味方であっても背中をいつ刺されるか分からない危険な世界だ。自分の手札を出来るだけ晒さず、相手の手札は把握したいのは当然の行為といえよう。
仕事柄どこの誰と接触するか分からない以上、あまり特定の組織とは深く付き合いたくないが贅沢は言えまい。ブルータスの思惑は読み切れないが俺を探していたと言う以上、俺という存在をそれなりに有効な名札と認識しているのだろう。今はその認識を利用させてもらうとしよう。
俺は話を振っただけで『教えてくれ』とは決して言わず、ブルータスもそれを分かっている。これから交わされるやる取りは立ち話の類。そのやり取りから双方が何を得るかは、また別の次元の話になる。
「少し込み入った話になるのですが、その辺の事情を理解するにはエレン魔法士学園の構造から話す必要がありますね。
この学園のトップにはラウロ理事長がおり、学園の運営を取り仕切っています。そしてNO.2にエミリオ学長がおり、園内と学会に睨みを効かせています。両者が権力を分割しつつ協力するという巨頭体制で学園は運営されています。
そしてその下に何人もの教授陣が存在します。教授陣がなにをしているか詳しいところはよく分からないのですが、一般生徒に授業を教えるのは各教授の下に統括された助教授や講師や教諭達が行っています」
「もしかしてラウロ理事長やエミリオ学長は教授への人事権はあるが、助教授、講師、教諭の人事権は各教授が握っているのか?」
「お察しの通りです。理事長といっても理事会などと呼べる大層な組織は存在しません。理事会らしきものに在籍しているのは理事長と学長の二名だけ。この両者による巨頭体制で学園が運営されています。彼ら二人で全権を握っていますが、こと教員に関する人事権については教授に対してしか持っていません」
「教授達は、それぞれが元帥府を持っているかのようだな」
「元帥府ですか。その言葉は知りませんが、我々が知らない言葉で状況を理解するあたりは真壁氏も来訪者ですな。
教授達が各々持っている組織は『研究室』と呼ばれています。それぞれの研究室に教授から任命された助教授、講師、教諭達が所属している形態をとっています。もっとも研究室と銘打っていますが、共同研究を目的とする集合体ではないので、研究に都合が良い組織体系なのかは疑問符が付きますな」
やや鼻につく物言いだが、深い意味がないのは分かる。ブルータスはこのように相手を挑発する事で相手の冷静さを奪い、自分のペースに持って行くタイプなのだろう。
「問題が発生したのは二週間程前、シンイチ教授が突然教授の職を辞職されたことに始まります。魔術師にしろ、魔法士にしろ、彼らは放浪癖があるので突然消えるのは本来珍しくはないです。ですが、シンイチ教授は研究室のNO.2のポストに当たる助教授を任命していませんでした。
彼の意図がどのようなものだったかは想像の域を出ません。ただ言えるのは、シンイチ研が教授の大らかな性格を反映した自由な雰囲気を持つ研究室でした。そのためか学生が比較的気軽に出入りしていたようですね」
「その話ぶりだと教授が居なくなったら、助教授がエスカレータ方式で教授に就任するのだな」
「左様です。教授の人事権は理事長と学長にしかありませんから、通常であれば他の研究室から人事に関する干渉を受ける事はありません。助教授を必ず任命しろとは規定に記述がない点と助教授を一人しか任命できない点を除けば、それなりに良く出来ている組織構造といえるでしょう。ただし今回のケースでは適格者がいないため、他の研究室が助教授を新たな教授候補として送り込む余地があるのです。
はっきり言えば今回の構図は、組織の乗っ取りを企む教師陣と組織防衛を試みる学生出身の講師達との攻防に過ぎないのです」
「なるほど研究室のトップであるシンイチが居なくなりNo.2も存在しないか。シンイチ研の奴らはさぞ泡を食っただろうな」
俺はまるで他人事のようにブルータスの説明を聞いていた。ブルータスは、よもや俺がこの騒動の張本人だとは想像もしなかっただろう。
シンイチ研の奴らは迷惑しているだろうが――実際のところ迷惑どころの騒ぎで済まないだろうが――ドォオの都合など知ったことではない。シンイチが『異世界に無意識に拉致された者達』である以上、元いた世界であるウーヌスに帰ったのは必然だ。
第一、この件についてシンイチは一言も説明をしなかった。
アイツにとってその程度の組織だったのか、それともあるべき形の落ち着く確信があったのかは分からない。だとしても随分意地の悪い真似をしたものだ。何が『僕がこの世界、ドォオに存在していたという足跡を残したいのです』だ。充分足跡を残していやがる。二十年も自分を拘束してくれたドォオへの返礼のつもりか?
……いや、これ以上は止そう。
ウーヌスに帰還した奴の意図を読み解くなど俺の仕事ではない。いずれにせよ、俺に分かるのは残された人間には酷く迷惑な状況をシンイチが造り出したという点だけだった。
「事情が大体分かってきた。誰が教授になるか分からず、その資格がある人物がシンイチ研に存在しない。この状況では手っ取り早く実績を出した者が絶対的に有利だ。だからその可能性があるネミ湖調査隊を誰が主導するかが重要になるのだな」
ブルータスが頷き、会話が一旦途切れる。
事情をある程度把握すると、罵声と怒号の大合唱に思えたやり取りにも一定の規則性があるのに気付いた。
「魔術師協会が指名してきたとしてもさ、ユースティア君は所詮学生だよね。先方は教授クラスを派遣してくるのに、僕達は顔となる教授を出さず生徒主導とするのは失礼だと思わない? ここは僕達教師陣が同行するのが筋だよね」
ややメタボ気味でスキンヘッドの男性が教師陣と生徒達を窘める様に自説を唱える。
教授の割にはえらくフランクな口調と思うのだが、あれが地なのだろうか。口調はともかく感情論や打算を交えていない事もあり、彼の主張には同調者も少なくない。問題があるとしたら同調者の多くは感情論や打算に塗れている点だろう。同調者に対する反発のためか、反論する生徒の声は刺々しいものだった。
「マルコ教授、馬鹿な事を言わないで下さい! ユースティアさんは確かに学生ですが立派に講師の資格を有しています。学園最強とも言われる彼女が団長になるのに何の問題があるでしょう。彼女が団長になるのは必然である以上に義務なのです!!」
「……その呼び名、嫌い」
ユースティアは迷惑そうに抗議の声を上げるが、絶叫するヒットラーの如く演説をぶち上げる彼には届かない。
「そもそも教授陣に、ユースティアさん以上の魔法士がいるとでも言うのですか!?」
「痛いところを付くなぁ。それを言われると弱いけれど、魔法士の上下関係は魔術の腕だけで決まるものではないよ。君たちは魔術の腕だけを問題視し過ぎていて、人間関係や他の組織との付き合いを無視しているとは思わないかい」
「マルコ教授の言う通りだ。講師の資格を持っているとしても、学生風情が口を出す事柄ではないわ。大体、学生に講師の資格を多数与えるなどどうかしている。まったく、シンイチ教授も困った置き土産を残してくれたものだ。まして学生風情が助教授の職に就くなど論外だ。だから来訪者を教授にするなどワシは反対だったのだ」
「そうですな。シンイチ教授の顔を立てて今まで黙っていましたが、幾らなんでも非常識が過ぎますな」
「この際、ケンイチ研など解体すべきかと」
「まったくです。是非ともその役目はうちの研究室に」
「いやいや、うちの研究室がその役目を」
「まあまあ、ここはその話をする場ではないよ。シンイチ研の皆もそんな事は望んでないし、なにより今はネミ調査隊を誰が主導するかを議論しているのよね?」
教師陣の勢いが生徒達を上回りそうになったところで、マルコ教授が議論を本来の筋に戻す。議論が本筋に戻ったのは良いが、それ以上主導する気はマルコにはないらしい。
一度冷静になったと思われたか議論だが、再び学生が絶叫するヒットラーの如く演説をぶち上げることで動き出す。
「ユースティアさん。やはりケンイチ研の講師であり、学園最強の実力を持つ君が前面に出るべきだよ。そもそも魔術士協会からの手紙は君宛に来たのだから、それが本来の筋だよ。大丈夫、僕が全力でバックアップするよ!!」
「グアルティエロ君の言う通りよ、ユースティアさん。大丈夫、私達が付いているわ」
「そうだ、君は一人じゃない。僕達学生講師の皆が付いている!」
マルコの格という次元からの筋道論に対して、熱血アニメさながらの根性論で対抗するとはな。もう少しマシな言い分がないのかと思うが、そのあたりが若さなのだろう。案外生徒なりにマルコの筋道論は理解していても素直に受け入れられないだけかもしれない。
グアルティエロとかいう奴は、扇動政治家か革命家のような手法でケンイチ研の主張をリードしていた。それほど優れた主張だとは思わないが、組織存亡の危機で団結する連中にはこの位で丁度いいらしい。
仮にこいつ等だけで送り出した場合、現場で発生するであろう軋轢を考えると頭が痛い。
研究所に出入りできるのだから、魔術に関してはそれなりに有能なのは分かる。俺の見るところ、彼らには対人関係の経験値が絶対的に不足していた。共同作業には相互の信頼関係がなにより重要だ。同じ学園に所属する者同士で信頼関係を構築できない連中に、他の組織と良好な関係を構築出来るとは思えない。
やや空回りとしているが、熱意は買おう。
だがグアルティエロとかいう革命家気取りを好きになれそうもない。他人の意思を無視して巻き込もうとする手法が気にくわない。絡め手に相手の選択肢を奪い、さも自主的に選んだのだと嘯く。
まるで詐欺師の手法。こいつの性根は屑だ。
その対象となっている人物がユースティアであり、革命家気取りに良いようにされかねないのがなにより癪だった。
「生徒風情が出しゃばるな!」
「もっともだ、これはより高度な政治的次元の話だ」
「まあまま、そこまで邪険にする事はないじゃないよね。生徒達もそれだけ真剣なのですよ」
「マルコ教授! 貴方は甘い!!」
「そうだ、その通りだ! 生徒の機嫌を取ってマルコ教授の陣営からケンイチ研に助教授を送り込む気か!!」
「ケンイチ研の教授の席は、マルコ研には渡さない!」
「ネミ調査で実績を上げれば、マルコ研からシンイチ研に教授を送り込めますな。いまでも充分規模が大きいのにまだ拡大を望むのは意地汚いとは思いませんか。少しは我々に上手いところを残して欲しいものですよ」
「僕のところの充分組織が大きいからその気はないよ」
「信じられるか。いままでも、そう言って組織を肥大化させてきたではないか」
教師陣は教師陣で一枚岩でないか。
一般生徒よりは使えるだろうが、出世欲に目が眩んだ奴らが現場で役に立つかは疑問だ。普段なら未だしも、冷静さを欠ける状態で現場に送り出しては取り返しのつかないミスをしかねない。
マルコ教授は兎も角、この教師陣の態度ではケンイチ研が頑なになるのは無理もないと思う。マルコにしても一見まともそうな態度だが、彼自身は事態の収拾にそれほど熱心ではない。
たしかに常識論を唱えてはいる。
よく観察していると分かることだが、それほど熱心に双方の仲裁をしようとはしていない。マルコは一定の支持は得ているのだ、彼がもう少し動けばなんらかの妥協案を作り出せるだろうに。
「これ以上の議論は無駄だと思わないかい。そもそもユースティア君、君はどうしたいの?」
マルコの発言は疑問形を取っているが、詰問じみたトーンで語られていた。彼の一言と共に、いままで議論の渦中から離れていたユースティアに視線が集まる。
全員がユースティアの意思を聞く必要性を気付いていた筈だ。それでも誰も言いださなかったのは、空気を読まない彼女が何を言い出すか分からず、躊躇していたのだろう。
自ら起爆スイッチを押したい奴はいないのだ。
「ユースティアさん、本当の事を言っていいのよ」
「君は一人ではない、ケンイチ研はみんなで一人だ。君の責任と義務をケンイチ研で共有しようじゃないか」
「ケンイチ研に気兼ねする事はない。僕達教師陣は全力で君をバックアップすることは保証するよ」
「そうだ。ここは経験のある教師陣に任せるべきだとは思わないかね」
即されたことで自己の主張をする機会が訪れたと感じたのだろう、ユースティアは立ち上がり口を開こうとする。
ユースティアは次のような事を言っていた。
『ネミ湖調査隊の出発まであと数日しかない。私は行きたくないのだけど断れそうもないから、真壁に一緒に行って欲しいの』
『真壁が一番適任だと私が判断した』
今までの議論の流れを考えれば、俺を指名するなどありえないと思う。それらを全て無視して、部外者である俺を指名する暴挙をユースティアならやりかねない。彼女は根拠など問題としないだろう。『そもそもユースティア君、君はどうしたいの』とマルコ教授が言ってしまったのだ。彼女なら、この流れからから全権を委任されたと理解しかねない。
俺には分かる。
ユースティアとは、そういう女性なのだ。
俺は机を指で叩いてブルータスに一旦議事を止める様に合図する。ブルータスは致し方ないですねと、目を細めて賛同の意思を示した。
「議論が終局に向かいそうなところで悪いのですが、一旦休憩にしませんか。そろそろ夕食の時間ですし、私はお腹が空いて堪らないのですよ」
空気を読まない事にかけてブルータスはユースティアに劣らないものがあった。かなりの苦笑と侮蔑を誘ったが、一瞬間が空いたことで彼らも冷静になった。彼らもユースティアと同じく、彼女に最終決定権が与えられたと理解したのだ。ユースティアを説得する時間が欲しいのは、彼らも一緒だった。
「そうだね。僕もそれがいいと思うよ」
マルコ教授の声に、初めて全員の賛同が得られる。
会議は一旦休憩になった。
与えられた持ち時間はおよそ六十分。この間が誰にとって最大の利益を生み出すか、この時点では誰にも分からなかった。
――会議再開まで、残り六十分――




