20話、プロローグ あの日の翌朝 - 前篇 -
作中ではわざと明確に記述していませんが、19話の後日談になります。
19話を読み返されてからですと、より理解しやすくニヤニヤするかと思いますね。
◇真壁
次の日のことだ。
どの次の日かは察してほしい、あの日の翌朝だ。
時刻はまだ午前四時だが、俺の朝は早い。
隣で眠る女性を起こさないように、ベットから静かに這い出た。同時に彼女が寝返りをうつ。一瞬起こしてしまったかと思ったが、瞼は閉じており、やすらかな寝息が聞こえる。どうやら勘違いだったらようだ。寝返りをうったことで布団が外れてしまい、素肌が露わになる。目の保養にはなるが、風邪をひかれては可哀想なので布団を掛け直しおくとするか。
これ以上、彼女を見つめるのは精神上宜しくない。
俺は手早くジャージに着替え、扉を開けて部屋を後にしようとした。
そのまま気付かれずに出て行こうと思ったが、なんとなく「出かけて来る」と一声かける。返答するかのように「ううーん」と寝言が聞こえたが、単なる偶然だろう。
これ以上、この場にいて起こしては元も子もない。
今度こそ部屋から出ると玄関でジョギングシューズに履き替え、俺は事務所兼住宅を後にした。
最上階にある所長室兼事務所兼自宅から目的地である地上一階までは、エレベータで移動する。
チーン、一階になります。
無機質の女性アナウスを聞く度、もう少しどうにかならないかとも思うが、単なる気まぐれのために金を使う訳にもいかない。投資と言えば正当化されるかもしれないが、他の入居者達にそのようなニーズがあるのかは分からない。この案件については、いまのところは保留で良いだろう。
エレベータを降り、朝なので誰も座っていない案内所の前を通り、自動ドアの前に立つ。俺の存在を感知した自動ドアが開くと、外はまだ薄暗く、少し肌寒かった。季節はもう四月だが、時刻は午前四時。まだ朝なのだ。当然と言えば当然か。
ビルの脇にある緑地で、ストレッチを行い、筋肉を解す。その後、緑地に設置された箱に飛び乗るジャンプを十回行い、短距離ダッシュを十本行う。そこまで終了してから約五キロのジョギングを開始する。このメニューをボクシングジムに行く前の日課としていた。
まだ暗い街をヘッドフォンタイプのイヤフォンを付けながら一人黙々と走る。
流れているのはロッキーのテーマソング。
学生時代練習が嫌いだった俺にやる気を出すためだと称して、彼女は練習中に毎日この曲を流していた。当人が居なくなって十年は過ぎたというのに習慣とは恐ろしいもので、今では聞いていないとトレーニングに身が入らない。
この曲を聞きながらジョギングをしていると、階段を全力で駆け上がり『エイドリア!』と叫びたくなる。学生時代に気の迷いで実行した事は確かにあるが、まだ暗いとはいえ世間の目もあり、今ではそのような馬鹿な真似はしない。
余談になるが魔術を修める者が身体トレーニングを行うのは、やや奇妙に思うかもしれないが明確な理由が存在する。それは真壁が得意とし、戦闘時にメインに使用する身体強化の魔術のためだ。
身体強化はさほど難しくない魔術という事もあり、重宝する魔術と思うかもしれないが使用する人物は左程多くない。その理由は自らの肉体のポテンシャルが低いと、結果として意味がないという点にある。
具体例として適当なのか些か疑問であるが、身体強化は界○拳と比較して微妙にニュアンスが違う代物である。○王拳とは異なり習得も容易であり、身体への反動も少ない。その意味では使い勝手が良いと思うかもしれない。
基礎能力が向上するのも同じだが、向上する能力を使いこなせるかは別の次元の話なのだ。つまりポテンシャルが低い状態で身体強化をしても、強化された能力に自らが振りまわされることが発生してしまう。体がタイミングを覚えているのもあるが、何より思考が付いていかないため強化された身体能力を使いこなせない。
身体強化の魔法を最大限に使いこなすには自分を知るしかなく、結果として毎日のトレーニングが重要になってくる。
部屋に引き籠って魔術の研究をする人物には向かないタイプの魔術であり、相応の体術、剣術の心得がある者が主に習得する傾向がある。
故に身体強化は魔術を使用できない者――戦士など――には需要が多いが、実際に魔術を使用出来るものには需要が少ない。
公園を抜け大通りに出ると、新聞配達の兄ちゃんと久しぶりに挨拶を交わす。
「今日はいつもより早く会いますね」
「色々あってな」
「なんだか彼女と喧嘩して、部屋から追い出されたような顔をしてますよ」
「……彼女ならベッドで安らかに眠っている」
不機嫌そうに言ったつもりはないが感じるところがあったのだろう、新聞配達の兄ちゃんは話題を変えてきた。
「最近見ませんでしたね、どこかに出張でもしていたのですか」
『ドォオ』での仕事も出張には違いはないだろう。『そんなところだ』と答え、さらに二、三会話のキャッチボールを楽しむ。
新聞配達の兄ちゃんの話によれば、彼の父親が会社をリストラされたこともあり、親に迷惑をかけられないので自力で学費を稼いでいるとのことだった。どこまで本当かは知らないが、新聞配達以外にもバイトを掛け持ちしているらしい。もう少し割りの良いバイトを紹介してやろうと余計な考えが頭を過るが、見ず知らずの人間がどうこう言うべきではない。
いや、見ず知らずの人間というのは適切ではない。
俺は、彼をもう少し知っていた。
「どうしたのですか、出張先で何か面白いことでもありましたか」
新聞配達の兄ちゃんは俺の表情の変化に気が付く。
「そんなところだ。面白いというほどではないが、出張先で君によく似た人物と出会ったよ」
『へぇー、珍しい事もあるものですね』と答えが返ってきたが、それ以上はこの話題に食いつかない。
それならば、それで良い。
俺達はいつものように十字路で別れた。
彼は帰還した元来訪者だが、『ドォオ』での記憶は残っていない筈だ。
もしやと思い軽く話題を振ってみたが、予想通り反応はなかった。
仮に記憶があったとしても長い夢としか認識できず、今は無関係な一般市民に過ぎない。
彼が望んだ希望がどのようになったのか、それを教えてやっても意味がないし必要もないだろう。
俺が彼の人生にこれ以上関わるのは、やはり賢明ではない。
午前五時
約五キロのジョギングを終えると、探偵事務所があるビルに入居するボクシングジムで汗を流す。
左右に移動しながらパンチを叩き込む度にサンドバックが九の字に曲がる。
流れ落ちる汗と共に余計な考えが吹き飛び、実に気持ちが良い。
ちなみに流れているBGMは、やはりロッキーのテーマソングだ。
洗脳か何かに感じるかもしれないが、習慣として身に付いてしまったのだから仕方ない。
ボクシングジムでの練習も毎日行っているメニューだが、今日はマイヤーが休暇に入っているためトレーナー役がいない。そのためミット打ち等が出来ず、一人で行えるメニューに切り替えていた。三分毎に一分のインターバルを取るため時間計測が必要だが、今日は自分でタイマーを設置しなければならない。
魔術の下地作りとはいえ一人でトレーニングするのは空しく感じなくもないが、このBGMが流れている間は学生時代に戻った気分にさせてくれる。
あの頃は彼女がトレーナー役であった。
ダブルパンチングボールでスピードと防御のトレーニングをしながら、昨日起きた事を考える。
実際に何が起きたかについて語るのは難しい。
何も起きなかったと言えば、アリアの女性としての尊厳を傷つけるかもしれない。だとしても起きた事について語れば、烈火のごとく怒るのは確実である。とどのつまり、俺とアリアの間に何か起きたかもしれないと言うのが無難であろう。
その結果として俺は色々持て余すことになり、何時もより早くトレーニングを開始していた。
アリアはというと、お姫様は未だ夢の中。
否、夢など見る余裕はないかもしれない。
アリアがどこで寝ているかについても答える事は出来ないが、このビルの最上階にある自宅から出かける前にずれていた布団を掛け直して来たと答えておこう。
幸せそうに眠るアリアの寝顔を思い出し頬が緩む。
緊張の糸が途切れたため回避が一瞬遅れ、パンチングボールが直撃しそうになった。
午前七時
朝のトレーニングを終え、ジムに設置されているシャワールームで汗を洗い流す。
アリアは汗臭さを嫌うため、ボディーシャンプーで入念に体を洗う必要があった。以前、『征志朗、汗臭い』と汚いものを見るような目で見られてから習慣としている。洗い方が足りなかったのか、使用していたボディーシャンプーが悪いのかは分からない。だが年頃の女性にあのような目で見られるのは、流石に精神的に堪えた。
以来、アリアと合う前にシャワーを浴びる習慣が出来てしまった。
昨日からマイヤーは暫く有給休暇に入り、家には居ない。
トレーナー役がいないのはまだ代役を頼めるが、マイヤーが居ないという事は、俺とアリアは暫く二人っきりということになる。いや麻人もいるが、エレンの魔法士学校に入学したアイツがどこに住むのかは、まだ決めていなかった。
寄宿舎に移り住むのか?
いままで通りうちの事務所に住み続けるのか?
希望的観測はよそう。俺とアリアは暫く二人っきりだという前提で考えるべきだ。
今までも二人っきりになったことはあるが、今回とは状況が違う。比較的近い状況は女性関係がアリアに発覚して襲われたあの夜が、気まずさという意味では近いと言えなくもない。あのときは関係を修復出来たが、今回はどうだろう?
アリアからどのような目で見られるか、それを考えると少し憂鬱だ。
同意の上だったと頭を切り替えれば簡単だが、それは逃げだろう。
(迷ったら前に出ればいいのよ)
そう言えば、居なくなった彼女はそんな事を言っていた。
今更逃げてどうなる問題ではない。
気持ちを切り替えた俺は、最上階の所長室兼事務所兼自宅に戻ることにした。
まずはアリアが起きだす前に朝食の準備からするべきだろう。家事は自分がやると言いだすかもしれないが、少なくともあの様子では今日は確実に無理なのだから。
◇アリア
午前八時
いつもより遅い時刻で私は目が覚めました。
寝ぼけ眼を擦りながら、いつも置いている目覚し時計の位置に手を伸ばしますが、時計に手が届きません。
変ですね、休日でも目覚し時計をセットしているのに。寝起きのため頭がはっきりしませんが、そういえば目覚し時計をセットした記憶が無いような。なにか重要なことを忘れている気がしますが、気だるさからベッドから出て確認する気にはなれませんでした。
仕方がありません、 テレビのリモコンがある反対側に転がります。あれっ、一回転したのに端に辿りつかないなんて。
なんなのでしょう、この違和感は。
体が節々痛いですし。
体を起こすと布団が落ち、肌寒さを感じます。
いつもと違う感覚にようやく頭が冴えてきたことで、私がどのような状態で寝ているか、昨日から今日にかけて何があったかを思い出しました。
えぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
強烈なフラッシュバックが私を襲います
青くなったり赤くなったりと表情がころころ変わり、自分でも挙動不審なのが分かります。どうしたらいいのか分からず、左右を振り返り状況を確認しますが、幸い征志朗はいませんでした。心の準備が整っていないので、まだ会いたくはありません。
恥ずかしくて、情けなくて逃げ出したいです。
その覚悟をして帰って来たとしても、だからといって動揺がない筈がありません!
私から言い出した事だったとしても、いえ、私から言い出したから問題なのです。征志朗からはしたない女だと思われたりはしていないでしょうか。
「おはよう、アリア。朝食を準備しているから、シャワーを浴びたら来るといい」
私の大きな声が聞こえたのか、征志朗が扉を開けて声をかけてきます。
「……おはようございます、征志朗」
ノックも無しに扉を開けた征志朗が、いきなり声をかけていたので息が止まりそうでした。咄嗟に布団をかけて視線を遮りながら、どうにか声を振り絞って挨拶を返します。
心臓の鼓動が急加速して、首まで真っ赤に染まっていきます。
私が大声を上げたとしても、いきなり扉を開けるなんて失礼だと思います。
「いきなり大声がしたので心配になって来たのだが、すまない失礼だったな」
私の返答を待たず、征志朗は頭を掻きながら扉を閉めました。
いつも意地悪な人がこういうときだけ素直で優しいとか、ずるいと思います。
でも、その優しさに救われました。
少なくとも嫌われてはいないようです。
ベットの誘惑を断ち切りシャワーを浴びるため起き上がろうとしますが、力が入らず崩れ落ちてしまいました。
私の体はどうしてしまったのでしょうか?
膝が笑ってしまい立ち上がる事も出来ないので、這うように移動して衣服を手繰り寄せました。もう一度征志朗を呼べば手伝ってくれたかもしれませんが、いくらなんでもそれは嫌です。第一、こんな格好で朝から会いたくありません。
どんな格好なのですか?
そんな質問をする破廉恥は地獄に落ちればいいと思います。
午前九時
私は元々、お風呂は長い方です。
湯船に浸かることでようやく気持ちを落ち着けましたが、居心地の良い新たな逃げ場につい出づらくなってしまいました。
そして、一時間近くこの場に居ます。
思いっきり体を伸ばしても端に足が届かない広い湯船で寛ぎながら、バスタブに腕を置いて浴室を見渡します。前から思うのですが、浴室をガラス張りにする必要が果たしてあるのでしょうか。
カーテン等で視界を塞ぐことは出来ますが、そういう問題ではないです。毎日使うので多少は慣れましたが、初めてこの浴室を見たときは征志郎を問い詰めましたね。
「征志郎叔父様、この浴室は一体どのような目的で使用しているのでしょうか?」
「風呂ですることは、一つしかないと思うが」
さも当然とばかりに真顔で答えてきますが、返って答えをはぐらかされているようで不愉快です。
「不愉快に感じているとしたら謝る。だが、この浴室は最初からこういう造りであって、俺の趣味は入っていない」
私の視線に耐えかねたのか、征志郎は肩を竦めました。
それにしても信用しかねる言い訳。このビルを所有した経緯まで聞かされても信じる気になれませんでした。
「そのような経緯で所有に至ったのは理解しました。でも、所有後に造り替えた可能性があるじゃないですか」
征志郎は自分がこれ以上発言しても信用されないと思ったのでしょう。パチンと指を鳴らして執事のマイヤーさんを呼び出し、改めて事情を説明させました。
マイヤーさんは土地権利書や施工時の図面まで取り出して、完成時から設置されていることを事細かに説明してくれます。ここまでされてしまっては、私の感情はともかく理性では納得するしかありません。
「抵抗感があるのは分かる。だが誓って言うが、お嬢が想像しているような姑息な真似はしない」
「本当ですか。疑わしくて、とても信用する気にはなれないのですが」
冷ややかな視線を向けると、部屋に飾られた大きな写真に写る人物を指差します。白黒写真に写る黒人の男性は、鍛え上げられた上半身を持つ好感の持てる表情をした人物でした。
征志郎は写真の前で右手を軽く上げると、次のように宣誓をしました。
「ジョー・ルイスに誓って」
「誰ですか、それは!」
第一世界『ウーヌス』に来たばかりの私が知る筈もないですが、真面目な表情で誓う姿に余程尊敬している人物なのは分かります。もし約束を破ったらジョー・ルイス氏の写真を征志郎自身の手で破り捨てると条件をつけて、この件については妥協することにしました。
後で知ったのですが写真の人物、ジョー・ルイスことジョセフ・ルイス・バロー氏は人種差別と闘いながら世界ヘビー級チャンピオンになった偉大なボクサーだそうです。全階級通じて最多防衛記録である世界王座二十五連続防衛の記録保持者だとか。
私が写真を見る度に、征志郎から彼についてのエピソードを語られれば嫌でも覚えます。
「第一、俺は覗くなどという姑息な手段を俺は取らない」
「なら、どうするのですか? 言っておきますが、断れば良いという問題ではないのですよ」
「決まっている、堂々と見る」
ちっ、ちっ、ちっと口ずさみ指を振りながら何を言うかと思いましたが、トンデモないこと言いました。様になっているのは認めますが、だからといって何を言っても良いという問題ではありません。
「なにを言い出すのですか、貴方は!!」
髪を逆立たせながら怒っていると、『緊張感がようやく抜けたな』と声をかけて征志郎は脱衣所から出て行きます。
ようやく自分がからかわれていたと理解できました。
子ども扱いされているようで若干不満が残りますが、先ほどのような不信感は消え去りました。
あの日から今日まで、征志郎は約束を守り続けています。
……それはそれで、不満を感じないわけではありませんが。
そんなこともありましたね。
あれから半年は過ぎましたが、まるで昨日のように思えます。
浴槽で適度に体を揉みほぐし、疲れがたまった箇所を労わると湯船に体を沈めます。
幾ら反動があったとしても、あんなの酷いです。身動きが取れなくなるまであんな事をして。私がくたくたになって動けなくなったとき魔術で体力を回復してくれたので、労わってくれたかと思えば……。
精神が飛んでしまうまで、なんて。
体力は回復しても精神が回復する筈もなく、敏感になった感覚も元に戻らないのですよ。
あれは絶え間なく押し寄せる高波に晒されるような体験でした。
私は、もっと優しくしてほしかったのに。
嫌じゃなかったのが、なんか余計に悔しいのです。
これじゃ、私は何に怒ったらいいのでしょう?
いつまでも悶々とする訳にもいかず、湯船から上がります。やり場のない怒りでも、怒ったのは良かったのかもしれません、少し心のつかえがとれたようですね。
女は度胸でしょう、いつものように堂々としていればいいのです!
と思いつつも、長い金髪を乾かすため更に三十分を脱衣所で過ごす私がいました。
午前九時三十分
浴室の件はありますが、基本的に征志郎の自宅での生活を気にいっています。窓から眺める風景、都市の喧騒から離れた点、充分過ぎるほど確保されたプライベート空間。
不満がある筈ないです。
ですが、一つだけ欠点があることを今日知りました、フロアを丸ごと使用しているため広すぎるのです。湯船で体を揉みほぐしても、いきなり上手く歩ける筈はありません。壁伝いに移動するしかない状態でダイニングに移動するのが、これほど大変だとは思いもしませんでした。
ここを住居に選んだ征志郎の判断を、今ほど恨めしいと思ったことはありません。
どうにかテーブルまでたどり着くと、湯気を上げた朝食が準備されています。
征志郎が私を呼びに来たのは随分前だったと思います。時計で今の時刻を確認すると、正確には一時間半前でしょうか。『朝食を準備しているから、シャワーを浴びたら来るといい』と言いましたが、某俳優のように料理に三時間もかける人ではないです。ということは温め直したのか、ハムエッグ等については直前に料理したのでしょう。
遅くなっただけでなく二度手間もかけさせてしまい、征志郎には申し訳ないことをしました。
「すいません、遅くなってしまって」
「思ったより早かったな、アリア。今から味噌汁を準備するから座って待っていてくれ」
「でも、でも、私もなにか手伝わないと……」
私の謝罪の言葉を遮ると征志郎は私の椅子を引いてくれて、座るようにと優しい言葉で諭してくれました。
正直に告白すると征志郎の言葉はありがたかったのです。今の体の状態で、昼ドラのように冷たくされたら泣いてしまうところでした。征志郎の好意に甘えてしまう自分が悔しいだけなのです。
テーブルに準備されているのは、ミックスジュースとサラダボールに入った多めのシーザーサラダとハムエッグ、そしてご飯と味噌汁。朝食なのでいつもとそれほど変化のないメニューではありますが、味付けは違いました。マイヤーが毎日作ってくれる料理に不満はないのですが、マイヤーの年齢が影響しているのでしょうか、少し味付けが薄いのです。
「マイヤー、少し味付けが薄いのではないでしょうか」
「アリア様、塩分の取り過ぎは健康に良くありません。それにこれは味付けが薄いのではなく、素材の味を最大限引き出すように調理した結果なのでございます。」
思い切って聞いてみたことがあったのですが、逆に諭されてしまいました。
この件について征志郎は何も言わなかったため、この食卓では当たり前の味付けなのかと思っていました。
「征志郎、味付けがいつもより濃いですね」
「俺だってあいつの味付けに不満がない訳じゃない。だが一度こうだとルールを決めると、例え主人の言葉であっても絶対譲らない奴だから諦めているだけだ」
マイヤーには言うなよ、と付け加えて教えてくれました。
麻人だって知らない二人だけの秘密が出来たようで、なんだか嬉しい。
いつのまにか私達の間からは、ぎこちなさが消えていました。




