17話、それぞれのエピローグ - 前篇 -
◇
パトロン決定戦はギルド側の戦意喪失で勝負が決した。
勝利の歓声に対して真壁は振り返ることをしない。
元々そのようなことをする性格ではないが、今回については性格云々以前に余裕がなかったというのが正しい。遠目には平然としているように見受けられるが、疲労の色は濃く足取りも覚束ない。
本来、炎の魔人は人が敵う存在ではないのだ。完全体ではなくともあれと戦い続けること自体、精神的負担が大きく、まして勝利をもぎ取るなど。
◇ユースティア
真壁を抱きかかえるユースティアだけは、精神的な疲労のみではないことを知っています。僅かばかりの火傷に見えるため、ユースティアも抱きかかえるまでは気が付きませんでした。
肉体が焼けただれた不快な異臭。
衣服の内側では吸収しきれない大量の血を含んでいて、零れることなく酒袋ならぬ血袋となっている。腕や足の骨のいくつかは折れているのでしょう、人形のようにフラフラして覚束ない。
総じて言うなら、血風味のスープと骨付き肉のたたき?
食べたくないです。
「これが魔法陣の代償」
魔法陣の中心に近づくにつれ効果が大きくなるという曖昧な内容だったとしても、触媒も無しにあの威力は不自然だと思っていました。
どのような手法だったかは推測するしかありませんが、真壁は自らの肉体をある種の触媒としていたのでしょう。身体や衣類には多少の自動回復魔術が付与されているようですが、だとしても回復量が消耗を上回ることはないでしょうに無茶するものです。
その上で選択した魔術が高速詠唱化できるとしても身体強化と加速の魔術ですか。身体強化をさらに魔法陣で強化したとしても身体の耐久性が向上する筈がないのに、常識外の拳圧を生み出した反動で体が引き千切れなかったのが不思議なくらい。
何故、真壁は生きているのでしょう?
多少は頭が回るように見えましたが馬鹿なのでしょうか。
そこまでする必要があった勝負でもないのに、命を賭けるとか正気とは思えません。
それともお爺さまの言われるように、男の方は負けるのが嫌いだからなのでしょうか
女であるユースティアには分からない感情です。
たたきとなったのは多分巨人の炎が原因なのでしょう。高い耐久性を付与された衣服は燃える事がなかったようですが、だからといっても熱を吸収しきれなかった。
その結果がこれ。
「これが魔法陣の代償、そうなのですね?」
同じ質問をするのは嫌いです。
自分を触媒にするとか身体強化をさらに強化した反動で死にそうになるとか、なにをしようともどうぞ勝手に。
ですが、他の魔術ではあの炎を消し飛ばすことは出来なかったかもしれません。
無理に吹き消さなくとも真壁の技量なら回避出来た筈です。
それでも敢えてしなかった。
私が回避できないと見下されたのか、それとも女である私を前にして格好つけたかったのでしょうか。そのような可愛げがある人物ではなく、もっと不敵な印象を受けましたが。
いずれにしても真壁の受けた傷はユースティアに責任があり、そのことを知る義務があるということなのでしょう。
あると思います。
未だに返答がないのにいら立ちを覚えます。
青白い顔をして死にそうなのは分かりますが、私が聞いているのですから返答すべきです。
ようやく意識がはっきりしたのでしょう、胸ポケットから煙草を取り出すと口に咥え、火を点ける道具を探して付けようとしました。
怪我人が煙草とか人生舐めてます。
これ以上の無茶をさせないためその手を払いのけますが、払いのけた方向と逆に腕が曲がりました。
どこかの骨が折れていたのでしょうか。
自動回復が間に合っていないのか、治っていなかったのでしょう。
声すら上げないのがかえって痛々しい。
とにかく一刻も早く救護班を呼ばないといけないのに、彼らは何を手間取っているのでしょう。回復魔術が使用できないこの身が恨めしいと思ったのは初めて。
致し方ありません。
見栄えはよくありませんが抱きかかえて救護室にと連れて行こうとした時、マイヤーと名乗る初老の男性が行く手を遮ります。
「邪魔」
「これは申し訳ありません。ですが我が主人でしたら救護室に連れていくのは御無用、とお伝えしようと思いまして」
「早く手当てしないと死にます」
「魔術士に対して配慮や詮索は御無用とお伝えしたかったのですが、御理解頂けませんかな?」
なにを言いたいのでしょう、この老人。真壁を主人と呼んでいますが、主人の身を案じるよりも何かを秘匿したいように感じます。
秘匿すべき何かを重視して主人の身を案じない部下というのも奇妙。
「ああ、これは私としたことが。そういえば、こちらの方々はそうなのでしたな」
何かを勝手に納得したのか、自分の不首尾を理解したようです。
「このような事は本来御教えすることではないのですが、征志朗様の御身体でしたら直に回復しますから御心配無用でございます、この回答で御納得頂けるでしょうか?」
「直ったのを確認させてくれたら」
数秒の沈黙。
信用しかねる自称部下に真壁を引き渡すのは嫌です。
真壁を渡たしたくないという思いが強すぎて、少し力が入ってしまったのでしょうか。
ミシミシと何かが軋む音と真壁の呻き声がします。
酷い、いつの間にか床に血が滴ってます。
衣類の自動回復は思ったほどではなく症状の悪化に追いつかず血管が一部破裂したのでしょう。真壁の表情から血の気が引いていくのですから間違いありません。
マイヤーは私が真壁を離さないのを理解したのでしょう、溜息とともに承知しました。
『手遅れになる前に御早目に』とのマイヤーの言葉に従い、ユースティアは征志朗を控室に連れていくことにしました。
すでに誰もいない演習場の外に出ると、誰かに気絶された救護班が倒れています。
道理でいつまで経っても来ない筈。
本当に部下なのでしょうか、あの老人は。
来訪者達の考える事はよく理解できません。
でも興味はあります。
◇エミリオ学長
エミリオ学長とスルガヤというエレンの学会と財界の両巨頭は、席を並べパトロン決定戦を観戦していた。
エミリオが学園外の関係者と席を共にすることは滅多にない。
学園の運営を取り仕切るのは理事長の職分であり、政財界向けの顔はラウロが行っているからだ。一方の学長の職分は学園内と学会に睨みを効かせるだけに留まっている。年齢を理由にして外向けの仕事やりたがらなかった側面も大きいが、結果として住み分けされたため両者の関係は穏やかなものになっている。
だが、この場にはラウロの姿はない。
厳密にいえば、スルガヤが演習場にやって来た段階で姿を眩ませていた。
スルガヤと席を共にしたくなかったのかもしれないし、スルガヤはエミリオ担当と役割が決まっているのかもしれない。或いは、エミリオとスルガヤが古い友人ということで遠慮したのかもしれない。
「あやつには気を利かせてしまったかの」
自慢のカイザー髭を撫でながら、何しに顔を出したとスルガヤに一瞥をくれてやる。
「相変わらず髭の維持に無駄な魔力を使用しているようで安心しましたよ」
学園内だけでなく学会に置いても恐れられるワシの一瞥にも、涼しい顔でいなすスルガヤの態度を忌々しく思うがカイザー髭の手入れは怠らない。
撫でるたびに魔力を注入することで若々しい艶と張りを維持しているのだ。
「この学園に守銭奴が来るとは、何が目的で来た」
「せっかく古い友人が旧交を温めようと思ってきたのに、守銭奴呼ばわりとは友達甲斐のない」
文句を述べつつ、あれに決まっていると指す指先には真壁がいた。
「成功した奴は来訪者であることを隠したりするものだが、変わった人物が来たと思っていたわ」
貴様の部下だったかの問いに、スルガヤはあっさり否定する。
「ワシは構わんが、学園内の出来事だとしてもギルドに喧嘩を吹っ掛けるとは、どういう心境の変化だ」
同じ来訪者である真壁が苦戦しているにも拘らず、両者は興味がないのか会話を続ける。
このことからも分かるように来訪者同士の共感という感情は、ドォオに先に来ている側、正確には成功している来訪者には無いことが多々ある。
成功者であっても来訪者と知られては色眼鏡で見られることが多く、名を変える人物もいるくらいなのだ。彼らも生きることに必死であり、他人の面倒や厄介事に助力する気にならかったとしても責められはしないだろう。
自己の否定に繋がる起源を隠すという行為は軽いことではない。
それでもそのような人物が多かったのは、戦前戦中の人間と異なり国家、郷土というものに対して執着が少ない傾向があり、隣人や同胞という概念が気薄だったことも大きいのかもしれない
成功者による物心両面からの支援が極めて少ない事もあったかもしれないが、行き過ぎた個人主義で生きてきたが故に、来訪者にはコミュニティーと呼べる品物は存在しない。
「今回の件に私は関係ないよ。あれは重要な顧客だが、それ以上の関係でもない。確かに軽視してはないし死なれては困る、なにせあれと組むと色々特典があってな」
スルガヤは持ってきた箱から茶器を取り出し、真壁が持ち込んでいた紅茶の茶葉を適当に入れる。茶葉を入れた後は時間など気にも留める無造作に注ぐ。
「お前という奴は、その淹れ方はなんだ!」と指摘をしようとしたが黙っていろと睨まれた。
紅茶など三十年振りなのだから満足な味で飲みたかったがへそを曲げられては堪らない。致し方ない、満足な味は購入してから試すとするかの。
「真壁とかいったか。身なりも整っている事から金回りが良い奴だとは思っていたが、紅茶栽培を確立させるとは若いながら見どころのある奴じゃ」
折角だから正しい紅茶の入れ方を講義してやろうとするが、スルガヤがポットを片付けようとするので押し黙るしかない。
淹れ方が不味いから味も相応だ。
だがドォオで茶など呼ばれているモノのは茶などではない。
それ以外の何かだ。
それに比べれば十倍は美味い、ワシが淹れれば百倍は美味いがの。
「いいや、あいつは紅茶栽培など確立しとらん」
どういうことだと問い返そうとするが、返答をせずポケット弄ると銀製のシガレットケースを取り出した。
相変わらず凝った細工が施された品物を持っているわ、商売のほうは順調なのだろうて。
スルガヤはシガレットケースから煙草を一本取りだすとワシに差し出す。
今日は珍しく気が利くではないか。
すまんのと断り口に咥え、発火の魔術で火を点けた。
ふう、旨い。
一息付くわ。
……昔を思い出しついリラックスしてしたが、この懐かしいフィルター越しの味はなんだ?
「この煙草もあの来訪者が持ち込んだと言いたいのか。栽培方法以前の問題だ、どうやって手に入れた」
凄むワシを無視してスルガヤはシガレットケースをポケットにしまう。
何しやがる、このごうくつ爺、もっと寄越さんか。
「これが欲しければ、たまにはうちの店に顔を出すことですな。もっとも私としては偏屈爺より、孫のユースティアに来てほしいものですが」
「いい年して孫に色目を使うな好色爺。妾なら十分間にあっているだろう、孫に手を出したら生きていたことを後悔させてやるわ」
「見るくらいでがたがた言っていると、過保護が過ぎてそのうち孫に嫌われても知りませんよ」
むう、一々道理に適った耳に痛いことを言う。
「見せた商品はほんの一部ですが、詳しい事情が聞きたかったら当人に聞いたら如何ですかな。その場合は当人が生きていたらの話しになりますが」
見てみろと言われ真壁に視線を戻す。
あやつは孫の前方に位置したまま、炎の巨人が放つ炎の激流を受け止めようとしている。
ユースティなら回避できると分かってはいる。
偽善行為も甚だしいが、止めてくれれば安心するというのは偽らざる心境だ。
この勝負も決まりかの。
死んだか少なくとも続行不可能だと思っていたが、あやつは生きているだけでなく巨人を打ち破った。尚も止まらず追撃をしようとした時、ユースティアが背後から抱きしめる形で静止させて試合が終了した。
杖を握り締め孫に手を出した無礼者を殺してやろうという考えが一瞬よぎるが、殴って止まるよりは遥かにマシな終わり方なのだろうと自分を無理矢理納得させた。
もし殴っていたら迷わず殺していたがの。
色々気に食わないが、貸しができたか。
「これで死ぬようならここまでの話でしたが、生き残って良かったですな。私としては死んでもらっても商品に希少価値で発生するだけのことでしたが」
一応悪徳商人がと罵っておくが、その言葉が偽りと分かるのは気心が知れた旧友だからなのだろう。
「愛しの孫を傷物にさせなかった恩もあることですし、一度会ってやってはくれないかな」
「いいだろう、『お爺さまは恩知らずです』と非難されては堪らんからの。直ぐにでもと言いたいところだが、生憎これでも多忙故に今すぐとはいかない。近いうちに直接礼を言わせて欲しい、と伝えてやってくれないか」
承りましたと商人面で答えるとスルガヤは立ち去る。
些か色々あって疲れたわ、さてワシも帰るか。
背を屈め勢いをつけて立ち上がろうとした時、スルガヤの座っていた席に忘れ物が置いてあることに気付いた。
ポケットにしまった筈の、あのシガレットケースだ。
しめしめ、1本くらいならいいいだろうと思い、中を確認すると1枚の手紙が入っている。
「吸い尽くしたらシガレットケースは店まで持って来るように」
あの守銭奴め、最初からそのつもりだったのだろう。
商人だけあって友人でも袖の下を忘れないとは、相変わらずマメな奴じゃて。




