12話、休息
◇真壁
俺は演習場での見世物を終えると教師、生徒が周囲に集まってくるが、適当にあしらいつつ麻人の前に辿り着く。麻人の脇には、そこが定位置かのようにジュリエッタという名の女生徒が座っていた。
心なしかジュリエッタの顔色が赤い。
何かしたのかという俺の問いに、麻人は何かされましたと応える。
その応えにますます顔色が赤くなっていく。
なるほど、確かに何かをされたのだろう。
「ギャラリーが多くて敵わない。俺は一旦帰るから、後のことは自分で何とかしろ」
「次の日程まだ決まってませんよ?」
「決まり次第、お前から連絡してくれ。お嬢さん、それで構いませんよね」
呼ばれたことで我に返ったようだが、まだ赤い顔で親の敵のように睨みつけつられた。今日会ったばかりの人物、しかも少女に恨まれる覚えがない。だが、興味対象外のような認識よりはいいのだろう。
どうでもよい存在と認識される事ほど不愉快なことはないからだ。
◇
事務所に戻るとバスルームで軽くシャワーを浴び、汗を洗い流す。
一方的に見えた戦いであろうとも、戦っている側にすれば命のやり取りをしているのだ。
息を切らさず汗を流していないように見えても、緊張の糸が切れれば流れてくるものもある。
そのような自分の姿を衆目に晒すのを本能的に嫌ったのもある。
それに勝負の後に一杯やりたかったのもある。
だが依頼人から呼び出しを受けたことが、事務所に取って返した本当の理由だ。
バスルームからでも気配で分かるが、所長室にある黒いレザーのソファーに誰かが座って待ち構えている。
恐らく依頼人なのだろう。
待たせるのも悪いかと思い、十分程度で切り上げて所長室に向かう。
「マイヤーも気が利かない奴だ。お嬢、何か飲み物はいるか?」
こちらに気が付いている様子はないので、ソファー越しに声をかける。
「征志朗! 貴方は私との契約をちゃんと覚えていますか」
いつものように苦情を言いに来たアリアは、ソファーから立ちあがると後ろを振り返り、言葉を続けようとする。
が、二の句を継げない。
硬直しているアリアを無視して冷蔵庫からコーラを取り出し彼女に向かって放り投げた。放物線を描くとコーラの缶は小さな手に収まる。
学校から帰ってきたところなのだろう、ミッション系にしては珍しい男女共学校のブレザーを着ていた。
「座ったらどうだ、お嬢」
向かいのソファーに座ると、置いてあったバスタオルで髪を拭く。
スラックスこそ履いているが、上半身は裸の姿を上下に3回程度見直してから、アリアも大人しく座る。未だ自分の目的を思い出せないのか、視線は泳ぎコーラの缶を握る両手が覚束ない動きをしていた。
「調査中にわざわざ呼び戻したのだ、何か用があったのではないのか?」
アリアの変化を意に介さず話しかける。
「何かではありません! まずは服を着なさい、服を。マイヤー、マイヤーはいないの?」
アリアには聞こえないが奥でマイヤーが忍び笑いをしていた。悪意のない忠実な老執事を演じきっているが、あの爺さんにはこのような真似をする悪い癖がある。
マイヤーにも困ったものだ。
ただいま参りますと応えてから三十秒ほどで、上着を用意したマイヤーはやって来た。相変わらずの手際だが、手際が良すぎる事からも主犯である事は間違いない。
「別に見ているのは構わないが」
目を逸らしながらも時折俺を見るアリアと目が合ったので問いかけるが、『見ません』と返答してアリアは前に向き直り缶を開ける。
「ひゃっ」
放り投げたことが原因なのだろう、コーラが勢いよく噴き出す。
俺が着替え終えると、今度はアリアがバスルームに向かう事となる。
相変わらず、面白い行動をする少女だ。
◇
女性の風呂は長い。
それが少女と言える年齢だとしてもだ。
ということはアリアは少女である前に、一人の女性であると言えるのかもしれない。
などと埒もない事を考えながら、俺は窓から外の風景を見ている。
ビルの最上階。
一フロアを丸ごと使用した所長室からはエレンの夕闇を一望できた。
これもビルの所有者だから出来る特権。
エレンの夕闇を堪能してから視線を東側に目を移すと、朝日に照らされるビルディング街がある。
このビルを広告塔に使えないかと思いつき、第二世界『ドォオ』にビルごと移動する事を提案したのだ。
最初に提案されたときの、アリアの唖然とした表情は忘れられない。
『なんて事を言い出すの、この人は!』と猛反対されたが、何処にいるかもしれない人物を探すには目印が必要だった。ビルを見てやってくる人物の可能性を説く事で、どうにか承知させた。
勿論、乗り越えるべき課題は多々あった。
無関係な人物は移動せず、『ドォオ』においては来訪者だけがビルを認識させる事が技術的に可能なのかなどだ。
それらの技術的問題はアリアの方で解決してくれた。
「いつ見ても幻想的風景ですよね。征志朗の無茶な要求もたまには役に立つものです」
シャンプーの香りをさせる彼女がソファーに座る。風呂上がりの女性は別の顔を見せるものらしく、年不相応な妙な色っぽさを感じさせる。金髪の長い髪はまだ乾ききっておらず、濡れた上着は白いワイシャツに替わっていた。
彼女、真壁アリアは『上の方』である。
『上の方』この言葉が持つ意味を知る者は少ない。
『ウーヌス』、『ドォオ』のような世界は多数存在する。
『上の方』とは異なる世界同士の接触による不測の事態に対応するために、『ウーヌス』とは異なる世界から派遣された人物である。
我々人類は世界レベルでの大航海時代に遭遇しており、欧州人により蹂躙された現地住民のような例が発生しないように防止する機関、と俺は認識している。
つまり異世界からの侵略を回避できるが、同時に新天地を求めて侵略する事も出来ないということになる。
『上の方』とは、世界を縛る鎖なのだ。
アリアは『ウーヌス』や『ドォオ』の人間ではない。
では、彼女は何処からどのようにして来たのか?
それは俺の知るところではないし、俺の依頼とは関係ない。
未だ世界は神秘に満ちているのだろう。
『異世界に無意識に拉致された者達』に対処するのも、『上の方』の役目である。
入国管理局と税関の職務を一手に担っていると捉えてもらえばいいだろう。
入国に対処する権限は与えられているが出国に関しては権限が与えられていない点が、入国管理局などとは大きく異なる。
彼女の権限では出て行く人物を止める事が出来ず、大々的な救出作戦も取れないのだ。
『異世界に無意識に拉致された者達』に対処できず忸怩たる思いだったろう。
増加傾向にある事態に対し、遂に例外規定条項を発動する。
アリアは『ドォオ』への干渉を決断したのだ。
そのような事情で俺に依頼が回ってきた。
捜索対象の写真、氏名が分からない案件はとかく手間がかかる。
来ているのが何人なのか、どの地域なのかも分からなければ尚更だ。
しかも、俺一人の手で迅速にと注意書きまで添えてある。
名義上の叔父としては奮闘する姪の姿勢に協力をしなければならないと思いはした。が、プロである以上仕事に私情は禁物であり、冷静に考えて普段なら絶対に受けない案件だった。
何故この案件を受けたのだろう?
俺にも諸事情があり、異世界に行けるという囁きに心が揺れたのかもしれない
◇
「今回はどんな苦情を言いに来たんのだ。生憎、俺も忙しいから簡潔に頼む」
棚からブッカーズを取り出し、コルクを抜くとショットグラスに注ぐ。アルコール度数六十度を超える液体は深い香りを湛えるが、むせるような香りをアリアはお気に召さない。
「お酒なんか飲んでないで私の話を真面目に聞きなさい。私は今回の件を詰問しに来たのです」
「俺はお嬢の依頼を忠実にこなしているだけだ」
これ以上苦情を言われながら飲む酒は不味くなるので、ストレートのまま一気に飲み干す。
熱い液体が咽喉を伝い体内に入って来るのが分かる。
やはりブッカーズは旨い。
『飲むなと言っているでしょう!』との抗議は聞き入れるわけにはいかない。
酒は友、ショットグラスに注いだ友を裏切るのは道義にもとる。
「では聞きますが、学園に葛宮 麻人を送り込む必要が本当にあったのですが? 学園の調査、学園に所属する来訪者との接触目的であったとしても、麻人は迅速に帰還させるべきでした」
納得した思っていたが拘るな。
あいつの事をアリアは毛嫌っているかと思っていたが、と揶揄すると睨み付けられる。その顔で睨まれても怖くはないが、依頼人には誠実である事にしよう。
「あいつ以上の餌は中々無い、与えられた条件から最善の手段を選択したまでだ」
予想以上の食いつきぶりだったがな。
「多少の寄り道するくらいだ。そこまで意地になって反対する事もないだろう」
「……年齢を重ねないのは『ウーヌス』にある肉体だけで、精神は確実に年齢を重ねています」
「なるほどな、その話は聞いていなかったよ。だが、精神の寿命は何歳なのかなど知りようもないと思うが」
アルツハイマー型認知症が精神の寿命なのかは、意見の分かれるところだろうな。
「だからこそです。『ウーヌス』にある肉体と『ドォオ』にある精神との時間軸にブレが生じては、帰還してからの生活に支障があるかもしれないのですよ」
分からない理屈ではない。
そのリスクを麻人は理解した上で学園に転入することを望み、俺には協力者が必要だった。俺達は利害が一致していたのだ。
「アリア」
珍しく名前で呼ばれた事でアリアが動揺する。
「時間に軸はない」
「今は宇宙観について議論をしているのではありません!」
この件についてアリアの意見を聞く気はなかった。
コーラを飲み気を落ち着けたアリアは、彼女のいうところの詰問を再開した。
「気を取り直して次に移りますが、あのようなやり方で一方的に痛めつける必要性があったのですか? 征志朗ならもっと別な方法があったのではないでしょうか」
どのようにして知り得たのかは分からないが、マイヤーにでも聞いたのだろう。
「お嬢の依頼が招いた結果だ。帰還する来訪者の希望を一つ叶えて構わないと言った筈だが」
「シンイチと言いましたか、彼が望んだのは教育であって一方的な暴力ではありません!」
「一番手っ取り早い方法を選択した結果だ。自分の体で嫌というほど体験させてやれば、自分の戦い方に問題あるのだと気付く。そこから這い上がるか、腐るかまで責任は持てない」
その気になれば、開始直後のカウンターで勝負を付けることも可能だった。それではアマデオに個人的な指導をして欲しいとのシンイチの希望を果たせない。
教師であるシンイチが騎士を導く事は出来ないが、型を崩す害を説く気持ちは理解できた。
勿論、型が全てではない。だが、型を変える事と型を崩すという意味は似ているようで本質的に異なる。
問題はアマデオが学生としては強すぎるため、学園の教師でも本人が理解できるように教える事が出来なかった点なのだ。
シンイチの希望に叶うよう徹底的に教えてやるために、五、六分程度スパーリングに付き合ってやったまでだ。
「ですが初歩的な魔術とはいえ、征志朗の熟練度を見せる事はないでしょう」
「他の魔術では威力が足りないか、殺しかねない。また仮に魔術の行使をしなかったら、今度は俺が殺されかねない。依頼とはいえ命のやり取りだ、そこまでサービスしてやる義理はないね」
「『異世界に無意識に拉致された者達』が実は魔術に長けた集団だと誤解されたら、まだ救出していない方々に危険が及びかねない点も考慮して欲しかったです」
「それはないだろう。『異世界に無意識に拉致された者達』が魔術に長けていないのは事実であり、シンイチを除けば優れた人材はほとんど輩出していないのだから、この認識は簡単には覆りはしない」
「分かりました、この件は良しとしましょう。ですが、紅茶や煙草のような嗜好品を大量に持ち出すのは止めて下さい」
仮に世界間レベルで税関が存在していたとしたら、安くない額の関税を徴収される程度には俺は嗜好品を持ち込んでいた。
「それもお嬢の依頼が招いた結果であり、調査に必要な物資の持ち込みを君自身が認めている」
事務机から契約書を取り出し、物品の持ち出しに関する項目を指差す。アリアは詐欺師に騙されたかのような顔をして俺を睨みつける。
「大体あちらで使用出来る資金がなく、しかも稼ぐ時間も出来るだけ浪費するなと言われれば、賭けでヤマを当てるか貿易しか手段がない。他の手段も考慮した上で妥当な選択をしたまでだ」
嗜好品というものはどこでも需要があるもので、それは『ドォオ』も例外ではない。
幸い『ウーヌス』文化レベルは『ドォオ』を軽く見積もっても十世紀以上凌駕しており、持ち込むことさえ出来ればかなりの利ざやが得られる。
薬物や医療品よりリスクが低く、工芸品より手軽で装飾品より安価。
手っ取り早く稼ぎ出すには、嗜好品はなにかと都合の良い商品だった。
かつて戦争も起きる筈である。
この収益から井上陽子の身請け金、ガデス王国銀貨五百――ウーヌスでの貨幣価値に換算すると一億から二億円――を用意していた。必要だったとしても、まさか必要経費で億単位の金を請求は出来ない。なによりアリアが『上の方』だとしても、彼女は未成年なのだ。それだけの金が必要になった事情を知る必要など無い。
「でも、でも、今日振る舞ったあのケーキは私が予約してやっと購入したものです。それを勝手に持ち出して、交渉の材料にするのはあんまりです」
思わぬ方向から非難され、俺は答えに窮する。
そうなのかとマイヤーに視線を送ると、アリア様の仰るとおりですと返答が返ってくる。
管理者たるものが、ケーキ一つを天秤にかけるのはどうかと思う。
だがアリアはまだ子供だ。
この程度の我儘は許されて然るべきかもしれない。
今回の件は俺にも非があると認めるしかないだろう。
美少女であるアリアに拗ねられたままでいられては、なにより男として格好がつかない。
「アリア、悪かった」
いままで拗ねていたのが嘘のように満面の笑みを浮かべて、アリアは要求を並べ始めた。
俺には理解できない単語が羅列していた。
要約すると『今日は学校が休みだから財布は俺持ちで一日付き合え』と仰っておられる。
『ドォオ』は現在約十九時、『ウーヌス』は現在約九時。
一日アリアに付き合うと実質徹夜になる。
仕事でもないのに徹夜をするのは、海外旅行かベッドの中だけかと思っていたが甘い認識らしい。
「では、行きましょうか征志朗叔父様」
返答を待たずアリアは俺の腕を掴んで立たせようとするが、その格好で外に出るのは勧めないと指摘をしてやると、慌てて奥の部屋に飛んで行く。
落ち着きのないことだ。
マイヤーから財布と先程アリアが並べ立てたリストを手渡され、俺は所長室を後にすることになった。
最初からマイヤーとアリアは組んでいたのかもしれない。
そう思いながらも、久しぶりに『ウーヌス』を歩くのも悪くないかもしれないと思う自分がいた。




