表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
振り向けば、そこに探偵事務所  作者: 大本営
File No.000 落下
2/41

第零話 その弐、商都ファマグスタ

 この世界の夜は暗い。

 東京に限らず地球の夜は電気で明るく灯され、昼も夜も無い。

 それに比べ、この世界の夜はなんと暗いのだろうか。

 辛うじて見えるのは家々で照らされる小さな灯のみ。

 それはガデス王国の商都ファマグスタであっても大差がなく、街は深い闇に包まれていた。



 地球が存在する世界を仮に第一世界『ウーヌス』とするならば、この異世界を第二世界『ドォオ』としよう。


 ドォオの文化レベルはウーヌスと比較して十世紀ほど遅れていた。文化レベルが劣っている点は確かに問題ではあるが、魔物や巨大生物の類が跋扈している事実に比べれば大した問題ではないだろう。

 ドォオにおいてはウーヌスと比較して熊や鷹のような猛獣、猛禽類ですら一回り以上大きく、人を恐れることはない。人にも冒険者という狩る側の存在がいるにはいるが、相対的に見れば人は狩る側の存在ではなく狩られる側の存在に過ぎない。

 人を更に追い詰めているのは、彼らに対抗する力となりえる火薬の類がドォオには存在しなかった点だろう。

 代わりに存在するのは魔術と呼ばれる力。

 十世紀程度の文化レベルでは銃火器の類はまだ存在せず、ギリシアの火が精々かもしれない。だがギリシアの火はコンスタンティノープルをアラブ軍の攻囲から救い出し、いくつかの重要な勝利をビザンティン帝国にもたらしたではないか。たらればの話に過ぎないが、かの力があれば或いは人と魔の力関係は今よりマシな形で落ち着いたのかもしれない。

 火器など魔術で代用できるではないか?

 否、そうはならなかった。

 魔術は所詮個人技に過ぎず、また魔術を行使できる人材の絶対数も不足していた。魔術に比べ火器は何も知らない民を屈強な兵にも勝る存在に変え、物資の問題さえ解決できれば大量生産が可能だ。戦術レベルでは異なる結果もあり得るだろうが、戦略レベルでは間違いなく魔術は火器より劣る存在だった。

 まして魔物や猛獣、猛禽類の繁殖能力は人と比較して大きく勝っていた。個体としての能力差に絶対数での差がプラスされれば、人が相対的弱者になるのは当然といえよう。

 人は魔が跋扈する闇と、猛獣、猛禽類が巣食う巨大な森を恐れながら、どうにか自分達の生存圏を確保していた。


 この厳しい現実から逃れるかのように、今宵も商都ファマグスタでは享楽と悪徳が繰り広げられていた。

 酒と暴力とセックス。

 金と力さえあれば、この街で手に入らないものはない。

 娼都ファマグスタと揶揄される所以である。



 ◇



 俺こと真壁 征志朗は私立探偵を生業とする魔術士だ。

 今はドォオに迷い込んだ哀れな人物達の救助と実態調査を依頼人から請け負っていた。そして数日前、この街に流れてきた少女が存在する事実をスルガヤという名の情報提供者によって掴んだ。

 少女の名前は井上陽子、年齢一七歳。

 白い肌と長い黒髪が特徴的な美しい少女らしい。

 いや少女というのはウーヌスの認識に過ぎないか。ドォオにおいては十六歳で成人なのだから、彼女は立派な大人であり客を取る資格があった。それを本人が望んだとしたらまだ良かったのだが、当然のことながら自分で望んだ筈もなく、陽子を保護してくれた村が高値で売り飛ばしたらしい。自分が売られたのは悲しかったけれど、保護してくれた村人を恨んだ事はないと悲しそうに語ったそうだ。

 その辺の事情はスルガヤが陽子と朝方まで床を共にしながら聞き出した。もっとも情報収集目的で妾館に行った訳でなく、妾館に行ったら偶然陽子と出会い事情を聞きだしたのだが、この際この件でとやかくは言うまい。

 スルガヤの年齢は九十を越えただろうに、孫どころか曾孫のような相手によくやるものだ。

 ある意味、男とはかくあるべきなのかもしれない。



 それにしても、この街の悪徳は酷いものだ。

 陽が落ちて夜の闇が街を覆い始めると、商館は妾館へと看板を挿げ替える。確かに金にはなるだろうが節操がない事この上ない。ここの住民は趣ってものが分かっていやがらない。

 俺は往来する人込みを器用に避けながら目的に向かって歩いていた。ここの一週間は調査が忙し過ぎた。早く片付けて温かい飯と柔らかいベッドに有り付きたい。

 愚痴りながら歩いていると、幾つもの出店が軒を連ねている通りに出た。   

 この光景を見たとき空腹のあまりストライキを決行しそうになった。致し方ない、その中の一軒に立ち寄り注文する事にした。


「おばさん、この旨そうな肉は幾らだい」

 本当に旨いかは知った事ではない、今は小腹を満たすほうが重要なのだ。

「一つ十五ガデス銅貨だけど、兄さんは二枚目だから二つで二十五ガデス銅貨に負けとくよ」

 心の内は決して顔に出さず問い掛けると愛想の良い答えが返ってきた。

「それにしてもどの店も旨そうだね。俺は初めてこの街に来たけれど、この店が一番旨そうだよ」

 そんな事はない。ややキツイ香辛料を塗したそれは、旨そうな香りを辺りに漂わせ俺を誘惑しただけだ。

「口が上手いね。しょうがない、二つで二十ガデス銅貨に負けておくよ」

「そいつはすまないね。また来るよ、おばさん」

 いや、もう二度と来る事はないだろう。

 俺は手を振りながら店を後にした。


 娼都と揶揄されようとも人は肉欲だけでは生きていけない。

 腹が減れば飯を食い腹が満たされればまた女を――いや女とは限らないが――肉欲を満たしに戻る。生産性のない、ある意味では生産性のあるサイクルが街の至る所で繰り返されていた。せめてフォロー出来る点があるとしたら、路上で致さないだけ遥かにマシなのだろう。

 若干話は逸れたが、食欲を満たす事に置いても多彩な顔をファマグスタは持っていた。先ほど購入したケバブに似た肉の塊は、少し焦げている外見もあって左程期待していなかったのだが意外にも旨かった。

 食べ終えてから思うのだが、怪しげな香辛料には軽い覚醒効果があったのか血流が良くなりすぎ息も荒くなってきた。いや、そんな事はどうでもいい。とにかく中毒性があるこの旨さ、クラックコカインでも塗していたのかと疑ってしまう。俺はもう一度食べたくなる衝動を抑えきれなくなった。

 この人込みの中を戻るのは些か気が引けるが、それでも先ほどの店に戻る事にした。



 ◇



 再び購入した肉の塊をかじりながら目的地に向かって歩いていたが、ようやく人込みの多い大通りを過ぎ中心部まで来ていた。

 街の中心部は政務の中心部だけあり客引きの姿も見えない。だとしても健全な場所である筈がない。寧ろより深い闇の中心が此処にあり、外苑にある店々等は所詮小銭を落とす程度に過ぎない。

 上物は一部の人物達の間で高額取引が行われ、より過激な行為が人知れず行われているのはウーヌスもドォオも大差がない。

 これから出向く店が単に客を厳選する格式ある店なのか、スナッフムービーさながらの残虐な行為をも提供する店かは俺にも分からない。奴隷制度が存在するような倫理観を持つ世界ではいずれも合法的行為ではあるが、後者を嗜好する人物が情報提供者でないことを祈るしかない。

 まったく男女を問わず人という生き物は、年中盛っているウサギ並みのどうしようもない生き物だ。自傷気味に笑いながらも、男である以上俺も人の事は言えた義理ではない。



 ここまで来る間に何人もの女性が俺に声をかけてきた。中には仕事を放棄したくなる女性も確かにいた。

 彼女達の誘惑に屈しなかった自分を、今夜何度後悔しただろうか。皆が快楽に身を委ねているファマグスタで俺だけが真面目に働いている。この事実にいい加減嫌気が差してきた。

 陽子という名の少女の事は明日にして、俺も夜の闇に消えるべきではないだろうか。一日位遅れたところで大差がないだろうと悪魔が囁く。確かにその通りかもしれない。一日位心の洗濯をしたところで深刻な問題が起きるとは思えない。

 八、九割方職務放棄に心が傾いたので踵を返そうとするが、俺の依頼人である少女が真剣な表情で依頼して来たときを思い出した。依頼人は俺の姪でもあり、今年で十六歳になる少女。彼女が見知らぬ男に毎夜組伏せられる姿が頭を過り、先程までの誘惑は消え失せた。

 ……陽子という名の少女は、やはり今日身柄を確保すべきなのだろう。

 まったく気が進まないが、俺は彼女が囚われている白い大理石造りの館に向かう事にした。



 ◇



 黒い木製のカウンター越しに俺を出迎えたのは、立派な服装に身を包んだ四十歳くらいの男だった。男の両脇には元冒険者か剣闘士上がりと推測させる屈強な男が二人。スタッフ用と思われる服装を窮屈そうに着こんではいるが、どうも見ても用心棒的存在にしか見えない。

 黒のスーツに赤いネクタイというドォオでは見ない姿に、用心棒二人は露骨に疑いの視線を送ってきやがる。『痛い目に会いたくなかったら失せろ』と言わんばかりに凄みを利かせるが、それを軽く受け流し懐に手を入れる。

 得体のしれない馬鹿な客が武器でも出して暴れるとでも思ったのだろう、その場に緊張が走る。だが、俺が出したのはスルガヤが書いてくれた紹介状だった。


「脅かしちゃいけませんぜ、旦那。スルガヤ様のご紹介だと言ってくれさえすれば、このような失礼はしませんでしたのに」

「その兄ちゃんがあんまり俺を挑発するので、少しからかってみたくなっただけだ。悪気はなかったのだが、すまない遊びが過ぎたな」

「そういう遊びは他所でして頂けなければ困りますぜ。旦那もこう言っておられるんだ、お前らも旦那に謝らないか!」

 カウンター越しに出迎えた男は容赦なく二人を殴り、二人は不承不承ながら頭を下げて許しを請う。俺は鷹揚な態度で彼らを許しこの場を収めることにした。


 カウンター越しに出迎えた男の名前はベルナルド。

 奴の名などに興味はないが、商談をする上で相手の名前を知らないのは色々不便を来たすのだから致し方ない。ベルナルドは不手際に恐縮しつつも、軽薄そうな笑みを零しながら商談を開始した。少し厄介な、だが金を絞り取れそうな若造が舞い込んできたとでも思っているのだろう。


「井上陽子という名の女性が居ると聞いて来た」

「彼女ですか! いや、旦那も御目が高いですな」

 ベルナルドによれば井上陽子は店に来てまだ一週間と経っていないが、人気急上昇中の少女らしい。値を吊り上げるため誇張している可能性もあり、多少割り引いて聞いた方がいい。だが、あの反応は案外本当なのかもしれない。

「是非、彼女を引き取りたいと仰る方が何人もいまして大変なんですよ」

「なら、俺もその一人という事だな」

 他人の所有物になっては後々厄介な問題になりかねない。やはり今日来たのは正解だったのだろう。今日のところは顔見せだけと思っていたが、当初の計画を変更する事にした。

「旦那もですか、そいつは困ったな。言っちゃ悪いが、一見さんの方に御譲りするのはあまり例が無いんですぜ」

「こいつがあっても駄目なのか?」

 俺はスルガヤの紹介状を指差す。スルガヤは名の知れた豪商であるだけでなく、この店の上得意だった。その人物が紹介してきた客をベルナルドが無碍には出来る筈もない。

「あの女は容姿も肌の状態も良好な上玉ですから、かなり値が張りますぜ」

 『あっちの具合も良好ですから』と下品な笑みを零す。

 誘拐こそされていないが人身売買さながらの手段で手に入れた少女を、正当なルートで入手した商品だと言わんばかりの態度に反吐が出る。十世紀レベルの倫理観ではこの程度は当たり前なのかもしれないが、俺はやり切れない感情が込み上げてきた。

 内心はともかく、『それは楽しみだな』とニヤ付きながら応じることで探るような会話を交わす。

「構わん、言い値で買わせてもらう」

「それは剛毅なことですな。いや、この紹介状を御持ちの方でしたら当然でしたな」

 アラブ方式で買値を交渉するのも考えなくもない。

 こちらの資金は少なくはないが無限ではないのだ。それでも吹っ掛けられる事を承知で申し出たのは、話が拗れるのを恐れただけではない。彼女の価値を相手に理解して貰う意味もあったのだ。これ以上傷つけられて精神に異常でもきたされては、彼女のような存在の身を案じる依頼人に何を言われるか知れたものではない。

 一見さんである俺の懐具合をベルナルドが問題視しないのは、スルガヤが書いてくれた紹介状が効いているのだろう。それでも不審に思ったのだろう、何度も探るようなやり取り繰り返された。

 それも無理もない対応だ。

 確かな紹介状持ちとはいえ一見さん、そいつはベルナルドも見た事も無いた服装をした怪しげな人物。その怪しげな人物が一夜の遊びなら未だしも、大切な商品を買い上げたいなどとは。高額な取引をするに値する人物なのかと疑うのも無理はない。

 言葉では明確に拒否こそしなかったが、ベルナルドは散々渋りやがった。それでも諦めて取引に応じたのは、やはりスルガヤの紹介状が効いたのだろう。



 ◇



 俺とベルナルド、そして用心棒の二人は店の奥にある上等な部屋に移動する。途中でこの館に煤がない事に気付いた。店の各所にはランプの類が設置され、煌々と照らされてはいるが煤はない。電気やガスもない世界でこれを実現できるという事はひょっとして。

「おや、流石に旦那は気付きましたか。これはうちの店で雇っている魔法士が照らしているのですよ」

「そのようだな。俺の家でも同じような事をしているが、ファマグスタで見たのは初めてだ」

 俺が出来るとは言わないでおいた。ライトの魔術を理解出来た事実は俺の財布に対する信頼は増したようだ。ベルナルドの口が滑らかになったのからも警戒心が若干緩んだことが窺い知れる。

「自慢じゃないですが、この街で店内をライトで照らしだすなんで贅沢をしているのは、うちの店ともう一つくらいですぜ。魔法士を雇うっているのは高く付きますが、御客様にも店の女達にも評判は上々でして」

「だろうな」

 御蔭で火事の心配もないし、なにより油や蝋の心配をしなくて良いのだ。

 安くはないが安全面も考慮するれば悪くない投資だろう。




 余談になるが、魔術を行使できる人物の呼び名は世界によって異なる。

 呼び名は異なるが根本的な違いはない、あるとしたら存在のあり方。 


 ウーヌスでは魔術士、つまり魔の術を司る資格がある者。

 司る術はそれぞれの家に寄って異なる。

 行動原理も人によって異なり、金、女、魔術の探求等様々だ。

 いずれにしても知識を社会に還元しないし、人を導きもしない。

 人としては何処か箍の外れた連中である。


 一方、ドォオでは二つの呼び名がある。

 魔法士、魔術師。

 魔法士、魔の法を司る資格がある者。

 知識を社会に還元するもの。

 魔術師、魔の術を導く者。

 魔の知識探求し、新たな道を導くもの。

 

 店内を照らすようなちゃ()()()、いやそれは差別的発言だった。社会に対し実用的な手段として魔術を提供する者達は、魔法士と呼ばれていた。

 魔法士のニーズは多岐に及ぶが、彼らのニーズが高い要因は、人が猛獣、猛禽類が巣食う巨大な森に入ることが出来ないからなのだろう。

 このため人が領有出来た森でのみ薪などの燃料や木材を調達していた。この状況でも都市の運営を困難にする程ではなかったが、物資の不足は否めなかった。

 無から有を生み出す魔術はこの状況を緩和できる貴重な手段なのだが、代替手段を提供できる魔法士の絶対数が少ないため利用できる人物は限られていた。

 世界が変わろうとも物を言うのは、いつの世も金と権力なのである。




「商いが順調なのは結構な事だな」

「御蔭さまで」

「ところで先程の話で気になったのだが、もう一軒とはどこの店だ」

「……同業者を悪く言いたくはありませんが、あの店は止した方がいいですぜ」

「そういう店なのか」

「そういう店ですぜ」

 ベルナルドは顔を顰めながら忠告してくれた。スナッフムービーさながらの残虐な行為をも行為を提供する店はそちらの方だったのだろう。俺はスルガヤがそのような嗜好をする人物でなかった事実に安堵すると共に、自らの性癖を明かしてくれたスルガヤの信頼に感謝した。


 などと会話を交わしながら通路を歩いていると、何度も屈強な男達と出会う。その度にベルナルドが事情を話して通される。今まで話していた言語と異なる言語で話している内容は、『取引終了後に騒動を起こすかもしれないから、お前達は待機しているように』とまあそういった物騒な会話だ。俺が理解できないと誤解して、随分舐めた真似をしようと企んでいやがる。



 ◇



 部屋に到着したが、井上陽子はまだ到着していなかった。

「すいませんね、旦那。失礼のないように準備しているようですから、今しばらくお待ちください」

「女は色々準備があるからな」

「旦那が理解ある方で助かりますぜ」

「時間もあることだし、少しこの部屋を見せて貰うとするさ。娼館であるためか裸婦を扱った作品が多いようだな」

(あっし)は生きている方が好きですが、御客様には好評ですぜ」

 なるほどと応じながらも部屋を隅々まで見て回る。白磁や青磁の類はないが、モザイク芸術の類には名品と思える作品は確かにあった。

(あっし)にはよく分かりませんが、この部屋に飾っている絵や調度品は結構な値打ちものらしいですぜ」

 熱心に見て回っているので余程興味があると思ったのだろう、ベルナルドは俺の意図を誤解して一人納得していた。作品に興味がない訳でないが、俺の目的は勿論芸術鑑賞などではない

 俺は絵や調度品を鑑賞しつつ部屋の四隅に移動して印を結ぶ。目測でも良いのだが正確な距離を把握するには、やはり実際に確認した方が正確なのだ。

 四隅全てで印を結び終えたところで、部屋の扉がノックされた。


「旦那、陽子が来ましたぜ」

「そのようだな」

 ベルナルドが扉を開けると薄い絹のような服を着た少女が部屋に通された。露出が多すぎると思わなくもないが、その辺は職業柄致し方ないだろう。

「陽子、旦那がお前のご主人になりたいそうだ」

 陽子は俺の姿から自分と同じウーヌス出身者と気付いたが、自分を助けてくれるかもしれないナイトとは思わなかった。変な幻想を抱かない程度にはドォオに馴染んでしまったのだろう。哀れとは思うが俺にはどうする事も出来ない。

 ベルナルドが促さなくとも、陽子は身に着けていた僅かな衣類を脱いで肌を露わにする。

 女性として出る部分が出ながらも、均整のとれた体型の彼女は理想的なプロポーションだった。もう少し大きい方が色々楽しめるのだろうが、それはこれから成長する楽しみもあるだろう。また肌を露わにした行為に恥ずかしがる姿も初初しく、スルガヤが年甲斐もなく夢中になるのも無理もなかった。


「どうです旦那、きれいな肌でしょう。傷や染み一つ無い奇麗な白、しかも触り心地は極上ですぜ。いや、旦那は良い買い物をなさった」

 調子の良い奴だと思いながらも、『もし俺のモノになるのだったら悪くはないな』とは思う。同時に依頼人の憤怒の表情も想像でき、『分かっているよ』と呟きながら邪な想いは封印する事にした。

「おいおい、いつまで俺のモノになる女を見ているつもりだ」

「おっと、そいつは申し訳ありませんでした。お前らもいつまで見てやがる!」

 ベルナルドは場を収めるため、先ほどのように容赦なく用心棒の二人を殴る。用心棒の二人は唇を切りながら平然と受け入れていた。

 この店ではこのようにして上下関係をはっきりさせているのかもしれない。


 衣類を再び着た陽子を部屋の隅に座らせ、用心棒二人はベルナルドの後ろに移動する。俺とベルナルドは共に部屋に中央に置かれた椅子に座り、間に机を挟みながら契約に入る。

 『この契約はガデス王国の証人の元、云々』、以下長ったらしく複雑な契約書を取り交わしながら、最後の部分は流石に容認しがたかった。


「おい、値段が銀貨五百枚というのに異存はないが何処の銀貨だ」

「勿論、ガデス王国銀貨でございます」

「だったら、そう書いたらどうなんだ。どこにも、ガデス王国銀貨五百枚とは書いてないが?」

 ガデス王国銀貨五百枚の価値は、おおよそ一般的な家庭の年収五十年分に匹敵する。ウーヌスでの貨幣価値に換算すると一億から二億円といったところだ。

「この契約はガデス王国の証人の元と、契約書に書いてあるではないですか。一体、何がご不満なのか理解出来ませんな」

「他の連中だったら騙せたかもしれないが俺を舐めるな。通貨の価値が発行場所によって相当な差があるだけでなく、発行地で使用される通貨だけで取引がされない事くらい知っているんだよ」

 先ほどまで自信満々だったベルナルドの笑みが凍りつく。

 この世界に迷い込んでそこそこ成功した奴らは、多くの場合、こういう店で女を買おうとする。そして大抵の場合、この手で騙され多額の支払いを要求されるトラブルに巻き込まれる。

 異世界に限らず海外に行くと現地通貨と思わせてドルで要求されていたってのは、実際ままある話だ。まして女が絡む話、精神が興奮しすぎてこういう単純なトリックに引っ掛かる。俺も男だ、気持ちは分からんでもない。

 こいつは俺をそういう連中と誤解していた。


 契約書の置いてあった机を蹴り上げると、ベルナルドの脇にいた用心棒の一人が襲いかかる。

「お前ら、止さないか」

 ベルナルドは止めようとしたのか振りだけなのかは分からない。『精々痛い目に合わせてやれ』という合図だったしても知ったことではない。

 それなりの速度で接近して丸太のような腕を振り下ろすが、俺は魔術で椅子を浮かせると座ったまま相手に対して弧を描くように回避する。そのまま後ろに回り込むと蹴り飛ばし壁に突き刺した。

 あっけに取られていた残りの一人も状況を理解して襲いかかろうとするが、壁に突き飛ばした勢いで加速しているため懐に入る事を許す。俺は勢いつけた強烈なボディーブローを放つ。男は呻き声を洩らしつつも懐にいる俺に肘落としを行おうとしたが、ボディーブローが与えた苦しみに耐えきれずに崩れ落ちた。

 これだけ騒いだにもかかわらず、調度品は一つも落下する事は無かった。


「だっ、旦那は魔術師だったのか」

 ベルナルドは声を震るわせながらも待機していた連中を呼ぼうとするが、何時までたっても誰もやって来ない事実に愕然とする。

 何時魔術を使用されたかは理解できていなかったが、それを悟らせない程の使い手だとは理解出来ているようだ。

「この部屋の音は生憎外に漏れちゃいないぜ。それに先に手を出したのは、アンタの方だと理解しているよな」

 調度品を鑑賞している最中、音が漏れないように呪文を完成させていた。事前に調度品の位置を正確に把握する事で、破損した際に賠償金をふっかけられるのも防止していた。


 ベルナルドは自分達が密室に誘い込んだのではなく、誘い込まれた事実に愕然としていた。冷や汗を流しながらも、形式上は止めるように口にしていた事実に胸を撫で下ろす。

 逃げ道まで用意するとは、まったく強かな奴だよ。

「たっ、度重なる部下の不始末申し訳ありませんでした。銀貨五百枚は……」

 ベルナルドは損を覚悟でガデス王国銀貨より価値の低い通貨を口にしようとした。だが、俺はそれを制してガデス王国銀貨での取引を申し出る。

「だ、旦那は本当に心の広い方ですな」

「アンタとはこれからも商売をしたいのでな」

「と言いますと」

「陽子と同じ土地の出身者がこの店に来たら、俺のために取っていてくれないか?」

「……貴方方と同じ出身者は、当店でも滅多に出ませんが人気がありますぜ。それを独占ですと些か値が張りますが」

 先程までは青くなっていたベルナルドの顔に商人の表情が戻る。厄介な客などとんでもない、こいつはとんでもない上客が舞い込んできたと理解して、頭の中で算盤を弾いているのがよく分かる。

「構わん」 

 俺はベルナルドの手を取り、『マザール(神の加護を)』と言って強く握手をする。

 ベルナルドは意味が分からずポカンとしていたが、祝福を意味する言葉か何かだと理解すると強く握り返してきた。

 取引は成立した。

 些か値が張る取引だが、これ以上陽子のような存在が生まれるよりマシだろう。



 ◇



「旦那、またのご来店を心よりお待ちしておりますぜ。お前らも、もっと頭を下げないか!」

 ベルナルドは先程倒された男二人と共に見送りをしてくれた。男二人は共に怪我をしていたが、俺の方で治癒の魔術を唱え治してやった。客にのされたとあっては用心棒の職を失いかねないが、俺が治癒したため証拠は隠滅された。もっともベルナルドが口を開けば別だが、奴とて自分の失態を喧伝したくはない筈だ。

 俺もベルナルドも用心棒も三方共に損をしていない、実に良い取引だ。

「陽子が出てきましたぜ。それにしても旦那は本当に良い買い物をされた」

「まあな」

 陽子の服装は先程のような露出の服装ではなく、肌と同じ白い服装だった。手にバックは持っているが、私有物が多くないのかそれほど大きなものではない。


 出て行く俺達に出迎えの馬車はない。

 ベルナルドや用心棒、そして陽子も不思議に思ったが不審には思わなかった。相手は魔術士、それもかなりの使い手なのだ。自分達に分からない移動手段でもあるのだろうと納得した。

「少し歩くが、良いか」

「はい」

 俺は一目が少ない空き地を目指して歩く。ベルナルドの店まで徒歩で来たので目星は付いていた。

 五分程度歩いていると陽子の歩みが遅い事にようやく気付く。一生懸命俺に合わせていたようだった。

「早いなら、早いと言ってくれ」

「とんでもありません、御主人様に合わせるのは当然です」

「御主人様は止してくれ」

「?」

 陽子は納得していないようだが、新たな疑問が出る前に手を繋ぐ。暗くて分からなかったが陽子の頬が赤くなったような気がした。


 手を繋ぎながら目的地の空き地まで来たが、まだ予定していた迎えは到着していないようだ。致し方ない、懐から業務用携帯無線機を取り出し、事務所に待機する執事のマイヤーに連絡を取る。

「マイヤー、首尾はどうだ」

「もう少々お待ち下さい」

 陽子は携帯電話を知っていても、業務用携帯無線機を見た事はないようだった。それでも文明の利器だとは理解出来た。

「陽子、五秒程目を閉じていてくれないか」

「私を捨てて逃げたりしませんよね」

 怯えるような目で訴えられたので、苦笑しつつ手を握り返してやる。陽子は安心したらしく大人しく目を閉じた。


 五秒後に陽子が目にしたのは、ネオンで明るく照らし出されたコンクリート製のビルディング。いずれもファマグスタには存在しない、だがそれは其処にあった。

 扉の前に移動すると扉が自動的に開き、赤い絨毯の上に黒のスーツを着こなす老人(マイヤー)が礼をしたうえで挨拶をした。

「ようこそ、真壁探偵事務所へ。御同郷の方、どうかこちらへ」

「御主人様、貴方は一体……」

 俺は陽子の手を引きながらビルの中に消えた。



 これ以降、ファマグスタで井上陽子の姿を見た者はいない。

2013/2/28 第一回改訂

2013/10/7 第零章の追加と第二回改訂

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ