11話、突きつけられた現実
◇ジュリエッタ
一方的に攻撃を受け続けるアマデオさんの姿を目にしても、私はどこかで攻守が入れ替わるのではないかとハラハラしながら見ていました。
いえ、ジュリエッタだけではなかった筈です。
それはアマデオさんが学園でも有力な学生というだけでなく、騎士の位を戴いている人物だからです。魔法士として鍛錬を積むため一時的に籍を外していますが、限りなく現役に近い人物をここまで一方的に追い詰めているのです。
しかも、来訪者がです。
目の前で起きている事を信じられなかったのは、無理もない事でした。
容赦のない攻撃の前に、ついにアマデオさんが耐えきれず崩れ落ちました。
溢れんばかりの歓声と悲鳴。
紙吹雪のように舞い上がる外れくじ。
そして、四十と一ヶ月分の食券を麻人とジュリエッタは手に入れたのです。
「やりました、信じられません。私達は勝ちました! 勝ったのですよ!!」
私はいつの間にか麻人を抱きしめていました。
麻人のふさふさの髪に頬ずりしていると、抗議の声らしきものを上げているようですが知りません。
ジュリエッタは、今、この至福の時間を堪能するのです。
来訪者の言葉を借りれば、ジュリエッタにはその正当な権利があります。
これだけ無茶な賭けに付き合ったのですから、麻人は私に対価を払う義務があるのです。
歓声もようやく止み始めた頃、私達に視線が集まっている事にようやく気が付きました。
賭けの勝者に対する嫉妬なのでしょうか。
冷静に考えてみると麻人の体温が胸で感じ取れますね。
これはつまり。
急いで麻人を離しますが、少しぐったりしているようで顔も青いですね。
「す、すいませんでした」
「もう少しで死ぬかもと思ったよ。ジュリエッタ、興奮しすぎ」
なんでしょう、この感情は。
乙女の胸を堪能しておいて、その感想には言い知れない怒りを覚えます。
「麻人さん、少しいいでしょうか?」
私の変化に危険を察知したのか、麻人の腰が引き気味です。
駄目です、逃がしません。
「他に感想はないのですか。例えば実は嬉しかったとか、本当は気持ちよかったとか、もう少し体験していたかったとか」
「いい香りがしたよ。そうじゃなくて、もう少しで窒息するところだったのだから、そんな余裕はないよ」
「それってつまり、私の胸は窒息するほどは大きくなかったという事じゃないですか!」
「それは誤解だよ。確かにあと少し条件が違ったら危なかったもしれないけど、今回のケースではよかったと思うべきだよ」
「小さかったから助かってよかった。そんな感想を聞いて喜ぶ女性がどこの世界にいますか。これでも私は同じ学年では大きな方なのに、窒息できるほど大きくなかったなんてあんまりです!!」
今思い返して、自分でも理不尽な言い分だとは分かってはいるのですよ。
ですが、麻人の言葉で何かがキレました。
あれは麻人が悪いのです。
ジュリエッタは絶対に悪くありません。
ジュリエッタは暫く麻人に抗議を続けていたが、再び注目を集めている事に気が付くと先ほど以上に顔を真っ赤にさせるのだった。
◇
演習場全体がざわめく。
思わぬ結果というだけでない。
あの来訪者が使用したのがどのような魔術だったのか、という点に対して疑問と動揺が起きたのだ。
「魔法士諸君、君達には理解できなかったかもしれないが、真壁氏が使用されたのは加速系と付与系の初歩的な魔術である。その熟練度が非常に高いレベルにあったため、あたかも未知の魔術が使用されたかのように君達は錯覚をしているのだ」
エミリオ学長は立ち上がると生徒達を諭すが、果たしてあれを熟練度だけで説明できるのだろうか。
生徒達が抱く疑問は消えない。
それでもエミリオ学長の言葉は重く、真壁の魔術は熟練度が高い結果だったというのが公式見解となる。
信じられない信じたくない。
そのように思ったのは生徒だけではなく、一部の教師陣にも確かにあった。
だが感情論では、公式見解に反論にするほどの論拠としては薄い。
エミリオ学長の発言により、動揺は徐々に収まっていく。
余談になるが、端的に言えば魔術とはアレンジを要求される学問である。
高度な魔術を理解するには高い知性を要求されるが、では初歩的な魔術は高い知性を要求されないかというと、そうはならない。
無論、発動するだけならば左程難しくはない。
問題は運用する際に発生する。
発動に恐ろしく手間がかかり、魔法陣や触媒まで要求され、しかも発動するまでに酷く時間がかかる。故に発動するだけのレベルでは、労は多いが益が少ない。この問題を解決するため魔術師達は、多くの年月を費やすことで単純化の問題に挑んできた。思考錯誤の末に辿り着いたのが、各魔術の属性に対する個人の素養、魔術の理解度に応じて詠唱方法にアレンジを加えるという手法。
有り体にいえば詠唱方法の共通化については些事を投げ、『魔術を巧みに運用したければ、各個人が消去法的手法でアレンジしろ』という結論に至ったのだった。
高速詠唱と同時詠唱の技法もこの理屈の延長線上にあり、それだけ真壁は魔術に対する理解度が高いということになる。エミリオ学長は一つの魔術を極めることの意味と結果を知っているからこそ、あのような公式見解を出したのだ。
簡単な例を挙げよう。
魔術について学んでない人物が、他の人物の詠唱方法を暗記することでライトの呪文を盗んだとする。
この人物は魔術を学んではいないが魔力は優れていたとしても、ライトの呪文は発動しない事が発生し得る。
何故なら盗んだ詠唱方法は盗まれた人物に合わせてアレンジされているのだから。
何故このような事が発生するのか?
全ての原因は魔術についた書かれた原本『グリモワール』、この記述方法に原因があるといっても過言ではない。
『グリモワール』は複数存在するが、それらは全て一つの理念の元に作成されていた。
『あらゆる階層、あらゆる種族、性別に違いがあろうとも、必ず発動するように記述しなければならない』
幸か不幸か『グリモワール』の作者達は、全員この理念に共鳴してしまったのだ。
統一された理念の元に記述されたため、『グリモワール』に記載された魔術は必ず発動するが、同時に酷く無駄な作業を経る必要がある。魔術の裾野を広げようとする親切心だったのかもしれないが、一定のレベルに到達している人物達には弊害のある記述方法には違いない。
専門用語の使用さえも限定して素人にも分かるように記述する苦労を想像すれば、彼らの苦労が相当なものだっただろう。
だが彼らは理念を実現するため、悪い意味で労を惜しまなかった。
結果、後世にこのような弊害が生じたのである。
師の元で学んだ者達が学園に転入してくるのも、このあたりに理由がある。
弟子の知的要求に対応する事で失われる時間のデメリットが、弟子を持つ事によるメリットを上回った頃に学園に送り込まれていた。
◇ジュリエッタ
ジュリエッタはエミリオ学長の公式見解を聞いても信じられませんでした。
「そのような領域に至った来訪者を私は知らないのですが、本当なのでしょうか」
「信じられないのは無理もないよね。でもね、これには多少からくりがあってね」
麻人のあの顔には覚えがあります。
いたずらを思いついた猫のような表情、何かとんでもない事を考えているのでしょうか。
ここだけの話にして欲しいのだけど、と前置きをして耳元で話しを続けてくれます。
「あの人は風と地の属性魔法しか使用できない。しかも、風の属性に比重を置いているので魔術の効率化を可能にしているんだよ」
えっ、そんな人物を私は聞いた事がありません。
どのような人物でも、地、水、風、火、天、冥の六大元素の加護を受けている筈です。だからこそどのような属性に相性があるか判別するのが難しいのです。個人の特性や相性の把握に時間がかかるからこそ、効率的に学ぶために学園やって来るのです。
博打を打つみたいに一部の属性に最初から的を絞る機関も存在しますが、人を実験動物のように扱う手法は忌避の対象になっています。
ですが、仮に最初から一部しか使用できない例が存在するとしたら。
確かに尋常ではない熟練度に到達できるかもしれません。
「そんな重要な情報を対抗馬である私に教えていいのですか」
「怒られるかもしれないね。でもジュリエッタは友達だし、それに……」
「それに?」
「そのくらいハンデがないとあの人は簡単に勝ってしまう。ジュリエッタには悪いと思うけど、これが僕の現状分析なんだ」
返す言葉がありませんでした。
『毒にも薬にもならない』存在と侮っていた相手が、実は自分が及ばない存在だと知った挫折感。
でも、私は麻人を諦める気はありません。
こちらのバックはギルドなのですから、何か手はある筈です。
例えそれがお父様の職権乱用になろうとも、人の恋路を邪魔する人は断固排除するまでです。
ジュリエッタは心の中で真壁さんに宣戦、いや聖戦を布告していました。




