10話、スピードスター
◇真壁
この学園の連中は、巨大怪獣とでも喧嘩をする気なのか。
これが演習場に関する俺の第一印象だった。
魔術を行使した際の影響と学業で日常的に使用することを鑑みれば、一定規模の施設が必要になる事は理解できる。だが、東京ドームより一回り大きな施設を建造する必要性が果たしてあるのだろうか。
この施設は費用対効果を完全に無視している。
学園は表向き軍事施設や戦略級魔術の研究機関ではないとシンイチは言っていた筈だが、このような建造物で遮蔽しなければならない魔術を学生が使用できるとは思えない。いや、学生と侮るのは正しくはないだろう。第二世界「ドォオ」では十六歳で成人として認められる社会であり、これから相手をするアマデオは十八歳なのだから立派な大人だ。
などと思考を巡らしていると、竜という巨大怪獣と大差ない存在を忘却している自分に気付き笑えてきた。
麻人のことをとやかく言えやしない、どうやら俺も少し平和ボケしていたようだ。
◇
放課後ということもあり、授業を終えた生徒達も演習場に集まって来ていた。若人はこの手のイベントに飢えており、全校生徒が集まるのは時間の問題のようだ。
「パトロン決定戦のルールを説明します。使用する魔術に制限はありませんが相手を死亡させた際は失格となり、パトロンとしての資格を一年間停止します。装備される武装、魔力を帯びた品の制限もありませんが、相手に対する攻撃は必ず魔力による攻撃に限定されます」
要約すると魔力を帯びてさえいれば何をしてもよいらしく、総合格闘技を標榜している奴らがしり込みするほど馬鹿げたルール。
合意の上とはいえ、相手を死亡させてもパトロン資格の一年間停止。その事実を目の前の女性がさらっと言えることも含めて、命の安い世界だと再認識させられる。
それにしても制限がほとんどなく、戦略級の威力を使用する馬鹿が出ないとも限らない。そのようなことまでも想定した施設なのだろうが、演習場とはよく言ったものだ。
「確認しておきたいが、魔力による攻撃は素手や武器に魔力を付与する事も想定しているのだよな」
「その様な理解で問題ありません」
アマデオの眉が少し動いた。
動きやすさを重視するため軽装備にしているが、レイピアを脇に差した奴にすれば、自分のスタイルを確認されているようで面白くはないのだろう。
「来訪者、君は何も装備しないのか?」
「真壁だ」
「それとも何も装備する必要がないと、私を馬鹿にしているのか」
なるほど俺が素手な上に、身なりが理事長室にいたときと変わりない事がご不満な様子だ。
「馬鹿にしている訳じゃない。これが俺のスタイルであり武装も万全に整えてある。仮に負けたとしても、準備不足だったなどと言い訳しないから、安心しろ坊や」
まだ何か言いたげだが、審判役らしい先ほどの女性が割って入ったため中断させられる。
以降、何か説明しているようだが左から右にやり過ごし、詳しくは聞いていない。
演習場に入場している生徒数はおおよそ千人程度確認できた。この学園は十学年制であるらしいから、一学年は百人といったところ。
東京ドームを千人で使用するとか、どんなブルジョアだ。
特等席と思われるところに座る白髭がラウロ理事長、脇に座る黒髭が件のエミリオ学長だろう。シンイチによればエミリオ学長は来訪者の可能性があるとのことだが、髭こそ黒だが瞳や髪の色は茶色をしている。もっとも日本人に黒が多いというだけで、滞在している外国人や混血等も考慮すれば黒だから来訪者だというのは誤解に過ぎない。
一瞬目が合うが、奴の瞳に困惑の色はない。
簡単には尻尾を出さない食えない爺さんのようだ。
◇
俺達は五メートル程度距離を取り開始を待つ。
アマデオは魔力を帯びたレイピアを鞘より抜いて中段に構えるが、腰に差したマンゴーシュは使用する気はないようだ。敵の攻撃を受け流すため使用するのが一般的だが、それでは左手が空かない。攻撃方法を魔力を帯びた攻撃に限定されている以上、状況に応じて魔法を使用するのに不都合なのだろう。
これがシンイチが指摘していた構えか。
この構えなら片手が空いている為、確かに奴は自由に魔法が使用できる。
器用な上に、慎重な事だ。
レイピアが魔力を帯びている以上、奴は一度も魔法を唱えずとも攻撃が行えるというのに。
どのような原理かは知らないが奴が手にした瞬間、レイピアに魔力が通っていた。魔術ではない以上、そのような武具なのだろう。
俺は右側の手足を前に出し、左側の手足を後ろに構えるサウスポースタイルを取る。
アマデオの勝利を確信している生徒達は何も思わないが、対峙しているアマデオや一部の教師達の瞳が変わる。策を何も用意せずにやって来たのではないな、という程度の変化ではあったが。
個人差はあるが左構えで攻められると右構えとは間合いが異なるため、苦手とする傾向があるのは第二世界「ドォオ」であっても変わりはない。レイピアの構えは右足を前に出しているため形としてはサウスポースタイルになるが、こちらもサウスポースタイルを取ったことにより左構えの利点は無くなるということになる。
このようなケースでは間合いの差が重要になってくる。
アマデオのリーチは百七十センチに対し、俺のリーチは百八十センチと大きく上回っている。ただし、アマデオは装備するレイピアの長さ百四十センチを加えることが出来るのに対し、素手である俺は純粋な腕の長さのみであることを考慮に入れれば間合いの差は大きいように見える。
◇
「始め!」
合図と共にアマデオは真壁のいる位置に素早く踏み込むと連続突きを放つが、予期していたのか真壁は既に左に回り込んでおり、射程外と思われた位置から魔力の乗ったジャブを放つ。アマデオの踏み込みが速かったことと、真壁のジャブとのタイミングが噛み合ったこともあり、ジャブがカウンター気味に決まりアマデオの足が一瞬止まる。
一方、真壁の動きは止まらない。
アマデオを中心にサークルを描くかのように左回りに移動しつつ、ジャブを放ち続ける。スピードを重視した牽制程度の攻撃かと思われたが、一撃一撃が意外に重いことは体に刻まれていく痕から分かる。なにより真壁の動きが速すぎ、眼で追う事ができない。
これ以上留まるのは危険だと認識したアマデオは後退するが、呼吸を合わせたかのように真壁が踏み込んできた。
左足で地面を蹴ると一気に距離を詰める。
右のリードジャブが二発放たれたが、アマデオは体を捻ることで二発目をかわす。回避と同時に、こちらの番とばかりにカウンター気味に斬りつけようとするが、真壁の追撃の方が速い。
すでに充分接近している以上、距離測定用のリードジャブなど必要なかった。
真壁は本命の左ストレートを放つ。
利き腕から放たれる左ストレートが顔面に迫り、アマデオは堪らずマンゴーシュで受け流そうとするが左手に持っていない事が災いして間に合わない。
次の瞬間、左ストレートの前にアマデオが沈み、演習場の空気が止まる。あり得ない光景が起きた事をようやく理解出来たとき、演習に悲鳴と歓声に包まれた。
「後退が直線的過ぎるんだよ」
崩れ落ちたアマデオに追撃することなく、真壁は再び五メートル程後退すると立ち上がってくるのを待つ。
ボクシングではないため審判役の女性はカウントを取らないが、五秒程度でアマデオは立ち上がって来た。
◇アマデオ
予想もしなかった展開に頭が混乱する。
来訪者はいつの間に射程を延ばす魔法を唱えていたのか。いや、そもそもどうやって最初の攻撃を回避したのか。立ち上がる僅かな間に幾つもの疑問が浮かんでは消え、アマデオはようやく納得できる答えに辿り着く。
「まさか高速詠唱と同時詠唱が可能にしているのですか。不可能ではないですが、そのような技術をもつ来訪者だったとは」
「何事にも例外というものはあると覚えておくといい」
余談になるが、基本的に詠唱時間と威力は反比例の関係にある。
魔術は詠唱時間を長くすることで威力は増すが、その間は無防備状態になる。
そのため冒険者や軍に所属する者達は、威力を落とさないまま詠唱時間をいかに短くするかを研究してきた。技法として確立されてきたが、分かった事は魔術、魔法に対する理解と技量を要求される事だった。
だか、その様な技量を持つ者達が果たしてどれほど最前線に立つのだろうか?
最前線に立つ者は一部の例外を除いて高速詠唱を取得できる技量に登る途上なのだ。
結果、実戦で高速詠唱を使用する者はほとんどいない。
同時詠唱もまた然り。
ということは、あの来訪者は開始と同時に加速系と付与系で身体強化をしたことになります。見事にやられましたが、タネが分かればこちらも相応の対応が取りようがあります。
それに倒れた相手に止めを刺さないのは倫理観とやらに囚われているのでしょう。
やはり来訪者、甘い事です。
そう思いつつ立ち上がると、今度は距離を取り自分から動かない。
今はなにより間を取らなくては。
幸い、あの来訪者は私が欲しい間を与えてくれる。
余裕でしょうか、いや、来訪者はこのような場面で畳掛ける事を卑怯と考える甘い連中です。
彼らにとって間与えるのは普通の事なのでしょう。
あの来訪者の動きは速く、自分が加速系の魔術を使用したとしても捉えられない。
だとしたら、どのように対応したらいいのか。
このときアマデオはシンイチ教授とのくどい程交わした会話を思い出す。
「君はエレンで魔法士になりたいのかな」
「教授、何度言えば分かって頂けるのですか。私は騎士です、騎士が魔法士になる筈がないでしょう」
確かにと言いながらも、騎士も兵站について考えるべきだと思うけど、と愚痴をこぼします。
シンイチ教授もやはり来訪者らしく、私には分からない知識や思想をお持ちでした。
もっと、他の来訪者同様に具体的なことを聞くとぼろが出てきましたが。
あのときも「僕は兵站の専門家じゃないから」と言って、詳しくは教えてくれませんでしたね。
「だけど君の左手はいつも空いてるじゃないか」
シンイチ教授は困った顔をしながら、いつものように私の型について指摘をする。
「レイピアを使用する人物が、必ず左手にマンゴーシュのような武器を装備するわけではないです」
来訪者ながら優れた教育者であるシンイチ教授を私は尊敬していますが、素人から剣の型について指摘を受けて苛立っていました。
「それは詭弁ですよ。その左手は相手の魔術に対応するためにワザと空けている手です。現役の騎士が学生に遅れを取るような醜態を晒したくないのは分かりますが、自分の型を崩すのでは本末転倒ですよ」
開始五メートルの間隔があったとしても、通常であれば自分の技量と敏捷性を持ってすれば学生相手には決して負けない自信があります。ですが魔術により技量と敏捷性の優位を崩されたとき、両手が塞がった状態で対応できるほど魔術の技量が高くない事は理解している。
だからこそ、左を空けている。
左手を魔術に対応するため空けていればこそ、『あの』の称号も手に入れられました。
騎士として学生に勝てないという事態は、騎士の位の重みからも決して発生させてはいけない。
それでもシンイチ教授は遠まわしながら、私に負けろと言っている。
「そのような怖い顔で睨まないで下さい。僕は君がこの学園に何を学びに来たのか、について話しているだけですよ」
「聞かされていません。魔術の素養があるから魔法士の学園に送り込まれただけなので」
事実、何も言われません。
だとしても無為に過ごすようなことはせず、それなりに得るものはありましたが、何のために送り込まれたのかは未だに分かりません。
「放任主義にも困ったものですね。もっとも恥ずかしながら僕も含め教師陣は、君に答えを示す事が出来ていませんが」
「それなら私の型にとやかく口を出すのは止めてください」
失礼ながら、このような問答は不毛なように思えて苛立ちが募るばかり。
「僕に言えるのは左手を空けて戦う癖をつけることが、騎士である君にとって有益だとは思えないということだけですよ」
いつもいつも私が勝つたびに、シンイチ教授はその事を指摘していましたね。
確かにそうです。
左手でマンゴーシュを抜き、本来の型に戻す。
どこまで対応できるかは分かりませんが、これで先ほどのような攻撃はもう喰らいません。
使用できる魔術は限定されますが、本来白兵戦が主体の自分に複雑な魔術は不要。
適切な魔術を選択しながらよく相手を見て対応していけば、さばき切れる筈。
◇
現実は異なる。
アマデオは見ることに集中することになり、真壁の攻撃を的のように喰らうことになる。
スピードに頼ってきたため、より速い攻撃に反応できないのだ。
正しい認識が望ましい結果に繋がるとは限らない。
あらゆる回避方法、魔術を組み合わせての防御などを試みるが、それらより真壁の攻撃が速いため全ての攻撃がカウターで決まる。
一方的に攻撃を受け続けたアマデオが敗れ去るのに五分とかからなかった。




