7話、招かれざる客 - 中篇 -
◇ジュリエッタ
「ラウロ理事長、失礼します」
ジュリエッタは理事長室前までたどり着くと、ノックはしたものの返答を待たず扉を開けました。
非常に失礼な態度だとは思いましたが、受付終了時刻が迫っていたのですから致し方ありません。そもそもお父様の手紙が遅すぎるのが悪いのです。その遅れをカバーして差し上げるジュリエッタが悪いわけがありません。
ジュリエッタも無理な論法と理解してはいますが、理性を強引にねじふせてこの部屋まで駆け足でたどり着いたのです。
「やはり君が来ましたか、ジュリエッタ君。遅かったね、間に合わないかと思いましたよ」
白い髭を蓄えたラウロ理事長の第一声は意外にも労いの言葉でした。非常に失礼な態度だったと思いますが、何かに気を揉んでいられるようで額には汗が滲んでいます。
「葛宮 麻人さんへのパトロン申請書類を持参しましたので、受理を頂けないでしょうか」
机に持参した書類を置くと、私はようやくラウロ理事長以外に三人の男性がいたことに気が付きました。
一人は私と同じ年頃の男性で、顔は少し子供っぽい容姿をした可愛い方です。
好みかと問われれば、他の方には渡したくない程度には好みのタイプ。といっても男性としての魅力というより、失礼な例えですけれど、可愛い猫を見つけたときのあの感情なのです。思わず抱きしめたいところですが、理事長もいる事ですし今は我慢しましょう。
その瞳に戸惑いなどは見えず、この状況を受け止めているように感じました。容姿に釣り合わないようですが「僕は僕だ」と主張しているようです。なるほど、どこか猫を思わせる瞳は、確かに容姿に釣り合っていますね。
なら、そうです。
今すぐ抱きしめたかったところですが、思い留まってよかったのかもしれません。
彼が猫のような人物でしたら、無礼者は引っ掻かれるのがオチです。
ここは焦らずお近づきにならないと。
そういえば服装は学生が着用するローブですし、案外転入生なのかもしれませんね。
残る二人は年老いた方と二十代後半くらいの男性でした。若い方が椅子に座っていることから鑑みて、彼が主人で年老いた方は執事という関係なのでしょう。でも彼らはなんと言ったらいいのでしょう、不思議な方々です。
私は存じない黒い服装に身を包み、下には白い衣類を着こんでいる事を胸元が開いていることから確認できます。首から巻かれるように吊るしている赤い布は開いている胸元にしまわれていました。
少し気になってたので机から離れ際に彼らのお顔を拝見して、疑問が氷解しました。
黒い瞳、黒い髪。
なるほど彼らは来訪者です。
異なる文化圏の方々の服装にとやかく言うのは失礼かとは思いましたが、一言でいって怪しいというのが第一印象。
それでも良く見ると生地に縫い目がまるで見えず、上下がそれぞれ一枚の生地で造られているみたいです。手触りがよさそうな生地は高級そうですが、あのような生地を見たことがありません。ですが、それでもいい生地だという事は分かります。
それらは染み一つなく手入れが行き届いていますし、彼らは経済的にかなり裕福な方々のようです。裕福な来訪者は珍しい存在ですが皆無でも無いですし、どうやら稀なタイプの来訪者なのでしょう。
そういえば、一緒に座っていた学生の彼も来訪者でした。
偶然もあるものです。
◇
「待ち人は彼女でしたか。当てがあると言っていただければ、此方も相応の対応をしたのですが」
「何の事ですかな、真壁さん。私は理事長として規則通りに待っていただけですよ」
「そういうことにしておきましょう。マイヤー、お嬢さんにもお茶のご用意を」
真壁さんと呼ばれた方が主人の名前のようです。
執事のマイヤーさんは私に椅子を勧めてくれると、ティーカップに香しい紅葉色のお茶を注いでくれました。
せっかく入れて下さりましたし、紅葉色のお茶に興味を覚えましたので頂くことにしましょう。
マイヤーさんが淹れてくれたお茶を頂いている間に、真壁さんがパトロンに名乗り出た人物で、対象となる生徒「葛宮 麻人」が共に同室にいる少年だと知りました。
迂闊です。迂闊です。迂闊です。
そうです、良く考えたらこれだけ好条件の生徒に名乗り出る人物が一人な筈がありません。
真壁さんはかなり裕福な方のようですが、こちらも今年は資金が充実しているのです。相手が一人なら負ける筈がありません。
ありませんでした、一人なら。
ええ、もう一人いらっしゃったのです、『あの』アマデオさんが。
「理事長、まだパトロンに名乗り出るのは間に合いますよね」
「ええ、どこで聞きつけたかについて今回は問わないとしましょう。パトロンの候補者は君で三人目ですよ」
「三人ですか。てっきり、私はジュリエッタ嬢が抜け駆けを企ているのかと思っていましたが、いや失言」
丁寧な口調ですが失礼な言い草です。
「私はそのような卑怯な手は使いません」
アマデオさんは私の抗議は気にも留めず、真壁さんを見ました。
「なるほど来訪者か。確かに裕福な来訪者は珍しいが、魔力に劣る君達で勝てるのか?」
真壁さんは言葉を返さず、軽く鼻で笑いました。様になっていますが、実に憎たらしい不遜な態度です。
「私を無視して話しを進めないで下さい。私だって候補者です」
「すまない、だが君の資金力と出せるカードは予想が付く。君では私には勝てないから、怪我する前に退場したほうがいい」
鳶に油揚げをさらわれるとはこのことなのでしょう。こんな優良物件、しかも猫を思わせる麻人さんを奪われるのは我慢なりません。
あれは私のものです。
「今年は今までとは違います。大体、こんな可愛いい子を黙って奪われてなるものですか!」
「僕の権利は……」
麻人さんは何か言いたかったようですが、それとこれとは話が別なのです。
「黙っていて下さい! いつもお父様を馬鹿にするようですが我が家にだって切り札くらいあります。いいですか、『あの』アマデオさんだとしても我が家を甘く見た事を後悔させてみせますからね」
「それは楽しみですが、少しヒートアップしすぎじゃないかな?」
「同感だ」
見かねた真壁さんがパチンと指を鳴らします。主人の合図を待ちかねていたかのように、無くなりましたお茶の追加と白い雪を思わせるお菓子を用意してくれました。
餌付けされているようで癪に障りましたが好奇心に勝てません。そのお菓子は姿に違わず雪のように切ることのでき、一口くちにすると得もいえぬ甘さが広がりました。
私の幸せそうな表情の変化に気が付いたのか、マイヤーさんはウィンクをしてくれました。
分かりました。アマデオさんの態度は癪ですが、マイヤーさんの用意してくれたお菓子に免じて水に流す事にしましょう。
「悪いが、ショートケーキはテーブルに置いてある分しかない」
物足りなさげな私の視線に気が付いたのでしょうか、真壁さんから諭されてしまいました。そんなに物欲しそうにしていたのでしょうか、いけません意地汚いですよ、ジュリエッタ。でも、あれは女性を堕落させる魔力を秘めた甘いお菓子でした。
「確かにこのお菓子は凄いが、このグミのような果物は何なのかな。恐らくは君達の国の果物なのだろうが、是非栽培方法を教えていただけないか」
よく見たらアマデオさんやラウロ理事長も食べていました。
ラウロ理事長、貴方もですか。
そうですよね、美味しいものに国境はないですよね。
「私は栽培方法までは存じておりませんが、苺の一種『とちおとめ』でございます」
『面倒だ、お前に任せる』という主人の視線を察したのか、マイヤーさんが当たり障りのない返答をしました。どうやら、詳しく教える気はないようですね。
「そろそろいいでしょうか。対象者たる僕には将来を選択する権利があると思います」
ようやく和やかな雰囲気になった場でしたが、麻人さんの一声に私や、アマデオさん、ラウロ理事長の表情が凍りきました。
どれほど魔術に素養があろうとも、やはり麻人さんも来訪者なのですね。
人権、権利、自由。
私達には理解できない価値観を絶対視する姿勢、あれは何か宗教の教義なのでしょう。
譲ることがない絶対の教義を持ちだしたとき、来訪者の態度は頑なになり、時に死を恐れぬ戦友ともなり、時にあらゆる妥協を忌避する障害ともなり得ます。
これからの協議が破綻する危機にある、この瞬間のみ三者は思いを共にしていた。




