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第2話:老眼鏡越しのアルバム

三月半ば。少しずつ春の気配が近づいてきた日曜日の午後。

 私は、リビングの隅にある作り付けの棚を整理していた。長年手付かずだった一番下の引き出しを開けると、カビ臭いような、ホコリっぽいような匂いと共に、分厚く色褪せた数冊のアルバムが出てきた。

「あら、懐かしい……」

 手を止め、エプロンのポケットから老眼鏡を取り出して鼻眼鏡にかける。

 表紙に『1978年』とマジックで書かれたアルバムを開くと、そこにはセピア色になりかけた、若き日の私たちの姿が並んでいた。

 ページをめくる手が、ふと止まる。

 海を背景に、ピカピカに磨かれた中型バイクに跨って得意げに笑う修一しゅういちの写真。革ジャンに身を包み、今では信じられないほどフサフサとした黒髪を風に揺らしている。その隣で、少し大きめのヘルメットを抱えて照れくさそうに笑っているのが、二十代の私だ。

『ほら、これ被れよ』

 乱暴にヘルメットを渡してくるくせに、顎紐の長さを直してくれるのはいつも彼だった。

 そして、家まで送ってもらった別れ際。バイクに跨ったままの彼が、自分のヘルメットを私のヘルメットにコツン、コツンと5回ぶつけてくるのだ。

 ア・イ・シ・テ・ル、のサイン。

 言葉にするのが照れくさい彼なりの、精一杯の愛情表現だった。当時は私も恥ずかしくて、「痛いじゃない」なんて誤魔化していたけれど、あの不器用な5回の衝撃は、今でも私の頭の片隅に温かく残っている。

「……何、掃除サボってんだよ」

 不意に背後から声がしてビクッと肩を揺らすと、いつの間にか修一が立っていた。

 手には、湯気が立つ二つのマグカップが握られている。口では小言を言いながら、わざわざコーヒーを淹れてきてくれたらしい。

「サボってなんかいませんよ。ほら、見て。あなたのやんちゃな写真が出てきたから」

 私がアルバムを指差すと、修一は眉間にシワを寄せ、老眼鏡越しに写真を覗き込んだ。

「うわ、なんだこれ。若いっていうか、馬鹿丸出しだな」

 彼は照れ隠しのように鼻で笑い、自分の薄くなった頭をガリガリと掻いた。

「でも、このバイク、よく走ったよな。お前を後ろに乗せて、あちこち行ったっけ」

「そうね。あの頃は、あなたがヘルメットをぶつけてくるから、私の頭はいつもたんこぶだらけだったわ」

 私がわざと意地悪く言うと、修一は「バカ言え、そんな強くぶつけてねぇよ」と、バツが悪そうにそっぽを向いた。

 七十を過ぎた今、「愛してる」なんて甘い言葉を交わすことは、もちろんない。ヘルメットをぶつけ合うような若さも、情熱もない。

 けれど、修一は黙って私の隣に腰を下ろし、熱いマグカップを私の手元にコトリと置いた。

「ほら、冷める前に飲め。掃除の続きは明日でいいだろ」

 ぶっきらぼうな声。けれど、そのマグカップには、私がいつも入れている量のミルクが、完璧な分量で注がれていた。

 何も言わなくても、私の好みを分かってくれている。わざわざ私のために、自分は飲まない甘いコーヒーを作ってくれる。

 言葉にもしないし、特別なサインもない。

 でも、この小さなマグカップの温もりが、今の彼が私にくれる、あの頃と同じ「合図」なのだ。

「……ありがとう。いただくわ」

 老眼鏡を外し、二人で並んで一口飲む。

 過ぎていく毎日の中、どれくらい同じ時間をこうして二人で過ごしてきたのだろう。色褪せたアルバムの中の「やんちゃな彼」も好きだったけれど、隣でズズッと音を立ててコーヒーをすする、このシワだらけの不器用な夫のことも、私は確かに愛しているのだ。

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