第5話 副総司令官2
政府軍本部中央司令室、新人隊員たちは本日また違った形で緊張した眼差しであった。
班の点呼や号令はやけに静かで、外の演習のような「声を出せ!」という感じはまったくない。むしろ「静かにしていろ」と言わんばかりで、足音すら控えるように上司の後を続く。
ここは中央司令室、本部の中央にある建物の最上階。主に総司令官や副総司令官、情報処理班や将官たちが出入りする、いわば下っ端にはほとんど関係のない場所。今回はその中央を見学するという異例の機会であり、皆一様に緊張しているものの、自分たちに無縁すぎて内容が頭に入っていない者も少なくない。
「情報処理班の松波です。ここでの注意点やモニターについて説明させていただきます」
松波と名乗る女性隊員、小柄な人間である彼女は中央司令室・情報処理班の班長。部隊とは別の事務職員とはいえ、彼女も元は前線経験を持つ歴戦の実力者であり、並ぶ新人や彼らを引率する上司よりも格上の存在。
頭脳ひとつでここまで成り上がった人物だ。
「……これで私からの説明は終わります」
松波は新人隊員へ一礼すると、新人たちも慌てて敬礼で返す。そして松波は席に戻り、ずらりと並ぶビデオモニターやメーターに視線を走らせる。絶え間なく切り替わる戦況データを処理し、的確な指示を出すその姿は、まさに静かなる戦場の司令官である。
その背中は皆一様に小柄でありながら、まるで大木のように揺るぎない。
――そして、彼女が着席した瞬間、奥の机から二人の男がゆっくりと立ち上がる。
先ほどまでの説明による緊張感とはまた異なる、空気の質が変わったのが誰の目にも明らかだった。
現れたのは威圧的な外見こそないが、その立場と存在感が圧倒的な二人――副総司令官、サフと空が目の前に立つ。
前日のベゼル副総司令官とは異なり、落ち着き払った雰囲気を纏うこの二人は、まるで空気ごとこちらを見透かすような鋭い視線を送ってくる。
まず目を引くのは空だった。
淡い金髪とも白とも言い難い短髪に、左頭部から頬にかけて走る大きな傷痕が印象的だ。どこか古代の僧を思わせるような、袈裟に似た衣装を纏っているが、胸元は大きく開いており、傷を隠す気配もない。無表情の中にどこか柔らかさを含み、静かな佇まいで人々を圧倒する。
魔術師最強にして戦術の神と言われ、魔術師最強にして戦術の神とも称される──
仙葉 空、政府軍副総司令官。
地上の寺院出身で純粋な人間ながら、手に持つ銀色の錫杖を介し強力な魔術を発動する。
「錫杖が凄いだけで本人は大したことない」などと陰口を叩く者もいるが、その錫杖を扱える者が他にいないことが、空の技量を如実に物語っていた。
「ようこそ中央司令室へ。詳細は先程、松波班長より聞いているかと思います。私からは挨拶のみとなります」
空は柔らかくも整った声で、敬語を使いながら新人たちに言葉を向ける。だがその声音の奥にある“感情の無さ”が、かえって余裕と支配を感じさせた。
――誰に対しても敬語だが、その実、ほとんどの者を対等と見ていない。
「時間は流れている、君たちが止まっている間にもね」とでも言いたげな、上から見下ろすような静かな視線。
その口調の裏にある皮肉と軽蔑を、感じ取った新人の一部は自然と背筋を伸ばした。
空が言葉を締めると、隣のサフが一歩前に出る。
空とは対照的に、見る者に圧をかけるような存在感を放つ男。
長く伸ばした白髪を一本に束ねた髪、そして左半身全体が黒く異質な質感に覆われている――これは変異体特有の「黒質化」によるもので、皮膚だけでなく髪や瞳の色素までもが左側のみ完全に失われている。
その装いは下が袴の武士を思わせる和装で、パッと見ではかなり動きにくそうな厚着である。
副総司令官とは名ばかりで、実際は総司令官・カミスの影の護衛として配置された存在。
彼は目立った戦術立案には関与しないが、常に総司令官の傍に控え、その剣一本で数多の戦局を乗り越えてきた。
一部では『総司令官の犬』と揶揄されることもあるが、忠義を貫くその姿は多くの上官にも一目置かれている。
「……貴様たちがここに来るとしたら、よほど戦況が壊滅したか、死罪に値する何かをしでかした時だろう」
声音は低く、語尾に微かな威圧を乗せて静かに告げる。
表情には何の感情も浮かばず、それがかえって新人たちの背筋を凍らせた。
まるで「さっさと帰れ」と言わんばかりの冷たい一瞥をくれてから、静かに一歩後ろへ下がる。
その横で、空がふっと口角を上げた。
サフの無駄のない言葉に、どこか楽しげに。
冷たい沈黙が、中央司令室に落ちた。
サフの皮肉混じりな挨拶が場の空気を締めつける中、新人隊員たちは緊張に背筋を正しつつも、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
皆、まっすぐ彼のほうを見ているように―――見える。
だが、ふとした瞬間に、誰もが視線をずらす。わずかに、ほんの一瞬。
それは中央司令室の奥。段差の一番上、制御席の主―――カミスの方だった。
知っている。あれが「総司令官」であることは、この基地に配属される者なら誰もが名前だけは聞かされる。
そして、いるのは当たり前なのだ。あそこに座っているのも“いつもの光景”の一部―――のはず、なのに。
(……やっぱり、あれがそうか)
誰かが心の中で呟く。
別に特別なことじゃないのに、不意に胸の奥がぞわりとする。
座っているのは、小柄な少年。
制服のそのサイズは小さすぎて、まるで子供用に仕立てられたかのよう。
彼は端末を淡々と操作している。
画面には数十ものタスクが走り、応答の間を置かず無線で指示が飛ぶ。
「―――遮断完了。再接続は30秒後に切り替えろ。
三番ライン、信号遅延。原因は?……それなら人を回すな。オートで修正させろ。
コードは今送った。展開図の照合はAIに任せろ」
淡々と、冷静に。
迷いもためらいもない。
現場の誰よりも早く状況を掴み、誰よりも正確に判断を下していた。
見ている。皆、表向きはサフのほうを向いているが―――実際には、気づけば視線が吸い寄せられている。
まるでそこに“違和感”が灯っているかのように。
(あんなのが……いや、あの人が、司令官……)
何人かの新人がそんな思いを抱く。
子供のような姿。人とは違う耳。年齢不詳の存在感。
だが、手元の動きは正確無比。
自分たちの命を左右する責務を当然のようにこなし、誰よりも速く、誰よりも静かに「戦場」を操っている。
―――やっぱり、あの席に“ちゃんと”座っている。
不思議と、そう思えた。
サフが挨拶を終えると新人隊員の上司が敬礼する。それに続く新人隊員とすぐに自身のデスクに戻る2人。用が終われば早く消えろと言わんばかり。
新人隊員は司令室を後にした。