第五章:バディと紐解く「見えない壁」の正体
協力者の登場とキャラクター描写
(2025年5月9日 金曜日 午後3時 - 渋谷のカフェにて)
あの、過去の記憶との長い対話を終え、夜が白々と明け始めた時、私の心の中には、一つの確信と、そして具体的な次への一歩が、明確な形を結んでいた。クライアントたちが直面している「見えない壁」。その、複雑で、多層的で、そして社会の深部にまで根ざしているかもしれない構造を、私一人の経験と、直感と、そしてクライアントとの対話だけで解き明かすには、限界がある。この謎に挑むためには、私とは異なる視点、異なる専門性を持つ、信頼できる協力者の存在が、不可欠なのではないか、と。
そして、私の脳裏に、一人の人物の顔が、鮮明に浮かび上がってきた。 田中 健一。 彼とは、私がかつて、悪戦苦闘しながら小さなコンサルティング会社を経営していた頃に、ある技術系のカンファレンスで偶然知り合った、風変わりな、しかし極めて優秀なデータサイエンティストだ。当時、彼はまだ大学院生だったが、その頃から、AIやビッグデータの持つ可能性と、同時に、それが孕む倫理的なリスクや、社会に与えうる負の影響について、誰よりも深く、そして批判的な視点を持って考察していた。彼の、数字やデータに対する、冷徹なまでの分析力と、同時に、そのデータが生み出される背景にある、人間のバイアスや、社会構造の歪みに対する、鋭い洞察力。それは、当時の私に、強い印象を残していた。 会社を畳んだ後も、私たちは、たまに連絡を取り合い、情報交換をする程度の、緩やかな繋がりを保っていた。彼は現在、独立系のシンクタンクに所属し、AI倫理や、データに基づいた社会課題の分析などを専門にしていると聞いている。彼ならば、私の、この、まだ仮説の段階に過ぎない「見えない壁」という問題提起に対して、全く新しい、そして客観的な光を当ててくれるかもしれない。そして、もしかしたら、AI「Lighthouse」の分析データの中に隠されているかもしれない、「壁」の存在を示す、微かな、しかし決定的な「シグナル」を、彼なら見つけ出してくれるのではないか。
私は、数年ぶりに、彼の連絡先を探し出し、短いメールを送った。「少し、相談したいことがある。あなたの専門的な知見を借りたい」と。正直、断られるかもしれない、という不安もあった。彼は、常に多忙であり、そして、私の持ち込むであろう、この、ビジネスと個人のキャリアが複雑に絡み合った、曖昧で、そして証明困難な問題に、興味を示してくれるかどうか、分からなかったからだ。 だが、意外にも、彼からの返信は、早かった。「面白そうだ。話を聞こう」。その、短い、しかし彼らしい、知的な好奇心に満ちた返信を受け取った私は、早速、今日の午後のアポイントメントを取り付けたのだ。
渋谷の、スクランブル交差点を見下ろす、比較的静かなカフェの窓際の席。約束の時間ちょうどに、彼は現れた。 「やあ、〇〇(主人公の名前)さん。久しぶり」 田中君は、数年前とほとんど変わらない姿だった。少しだけ癖のある黒髪に、フレームの細い眼鏡。服装は、上質な素材ではあるが、流行とは無縁の、機能性重視のシンプルなシャツとパンツ。背筋は伸びているが、どこか研究者特有の、浮世離れしたような雰囲気を纏っている。人懐っこい笑顔を浮かべているが、その眼鏡の奥の瞳は、常に、冷静に、そして分析的に、目の前の対象を観察しているかのようだ。彼は、私の向かいの席に腰を下ろすと、メニューも見ずに、ウェイターに「ブレンドコーヒーを」とだけ告げた。おそらく、彼にとって、何を飲むか、といった選択は、思考のリソースを割くに値しない、些末なことなのだろう。 「それで、相談というのは? メールでは、何やら、面白そうな、しかし厄介そうな気配が漂っていたが」 彼は、単刀直入に、そして少しだけ楽しそうな響きを声に含ませて、そう切り出した。彼のこういう、無駄な前置きを嫌い、本質にすぐに切り込もうとする姿勢は、昔から変わらない。 私は、深呼吸を一つして、ここ数週間、私の頭の中を占領していた、「見えない壁」についての仮説を、できるだけ具体的に、そして論理的に説明し始めた。AI時代のキャリア不安を抱えて私の元を訪れるクライアントたちのこと。彼らが持つ、データだけでは見えない「光」のこと。そして、その「光」を活かそうと行動を起こした彼らが、なぜか、次々と、理不尽とも思えるような壁にぶつかっているという、不可解な現実。リナさんのケース、ケンジさんのケース、ユミさんのケース…。私は、個人情報に配慮しながらも、彼らが直面している具体的な困難のパターンを、詳細に語った。 「…つまり、〇〇さんが言いたいのは、個人の能力や努力だけでは説明のつかない、何か、構造的な、あるいは、目には見えないバイアスのようなものが、現在のキャリア市場、特に、AIが急速に浸透しつつあるこの状況下で、人々の可能性を阻害しているのではないか、ということかな?」 田中君は、私の長い話を、時折、鋭い質問を挟みながらも、最後まで、黙って、そして真剣に聞いてくれた後、コーヒーカップを静かに置き、指を組んで、そう確認してきた。彼の瞳には、もはや、単なる好奇心だけではない、専門家としての、強い関心の色が浮かんでいるように見えた。 「ええ、まさに、その通りよ。私は、それを『見えない壁』と呼んでいるんだけど…。問題は、その壁が、一体、何でできているのか、そして、どういうメカニズムで機能しているのかが、全く分からないことなの。AIの分析だけでは、限界がある。でも、人間の直感や経験だけでは、その全体像を掴むことができない。だから、田中君の力を借りたいと思ったの。あなたの、データサイエンスと、AI倫理、そして社会システムに対する、深い知識と、客観的な分析力があれば、もしかしたら、この『壁』の正体に迫れるんじゃないか、って」 私は、少しだけ熱を込めて、そう訴えた。 田中君は、しばらくの間、黙って、窓の外の、渋谷の雑踏を眺めていた。彼の頭の中では、おそらく、私の提示した問題を、彼なりの、膨大な知識とデータ、そして論理のフレームワークの中で、高速で分析し、再構築しているのだろう。やがて、彼は、再び、私に向き直ると、眼鏡の位置を軽く直しながら、口を開いた。 「…なるほどね。確かに、非常に興味深い仮説だ。そして、おそらくは、極めて重要な問題提起だとも思う。僕自身、AIが社会に浸透していく中で、それが、既存の社会的な不平等や、人間の持つ無意識のバイアスを、むしろ増幅してしまうのではないか、という懸念を、ずっと抱いてきたからね」 彼は、そこで一旦言葉を切り、真剣な表情で、私をじっと見つめた。 「ただ、正直に言って、〇〇さんが言う『見えない壁』を、データだけで証明するのは、極めて困難だろう。なぜなら、その壁の多くは、おそらく、意図的に隠蔽されているか、あるいは、そもそもデータとして記録されていない、暗黙のルールや、人間の心理的な要因によって、形成されている可能性が高いからだ。AIは、存在するデータを分析することはできても、存在しないデータや、あるいは、データ化される前の『空気』を読むことは、まだできない」 彼の指摘は、的確だった。私も、それは覚悟の上だった。 「分かってる。だからこそ、あなたのような専門家と、私のような、現場で、生身の人間の声を聞き続けてきた人間の、それぞれの知見を、組み合わせる必要があるんじゃないかと思ったの。あなたは、客観的なデータと、システム全体の構造から。私は、クライアント一人一人の、具体的な経験と、その中に隠された感情や、直感から。その、両方のアプローチを組み合わせることで、初めて、この、捉えどころのない『壁』の、本当の姿が見えてくるんじゃないかって」 私の言葉に、田中君は、初めて、明確な、知的な興奮とも呼べるような光を、その瞳に宿したようだった。 「…なるほど。データサイエンスと、エスノグラフィー(民族誌学)的なアプローチの融合、か。あるいは、AIによるマクロ分析と、人間によるミクロな質的分析の、ハイブリッド・アプローチ。…それは、確かに、学術的にも、そして実践的にも、非常にチャレンジングで、そして…面白い試みかもしれない」 彼は、まるで難解なパズルを前にした子供のように、少しだけ、楽しそうに笑った。 「いいだろう。協力しよう。ただし、条件がある」 「条件?」 「一つは、僕の分析や考察は、あくまで、客観的なデータと、論理に基づいたものになる、ということ。〇〇さんのように、クライアントの感情に寄り添うことは、僕にはできないし、するつもりもない。時には、厳しい、あるいは、耳の痛い結論を提示することもあるかもしれないが、それを理解してほしい」 「もちろん。むしろ、それを期待しているわ」 「もう一つは、これは、僕個人の、研究者としての興味も兼ねている、ということ。だから、今回の共同作業で得られた知見やデータ(もちろん、個人情報は完全に秘匿した上で)は、将来的に、僕が論文や書籍などで発表する際に、活用させてもらう可能性がある、ということ。もちろん、その際は、事前に必ず、〇〇さんの許可を得るけれど」 「ええ、構わないわ。むしろ、この問題が、より多くの人に知られるきっかけになるなら、歓迎すべきことよ」 「…分かった。では、契約成立、ということでいいかな?」 田中君は、そう言って、少しだけ、悪戯っぽく笑いながら、私に右手を差し出した。私も、笑顔で、その手を、しっかりと握り返した。 「ええ、よろしくお願いするわ、田中君。…いや、これからは、『バディ』と呼ばせてもらおうかしら」 「バディ、か。悪くない響きだね」 田中君は、少しだけ照れたように笑った。
こうして、私と、田中健一という、全く異なる専門性と視点を持つ「バディ」との、奇妙な、しかし、もしかしたら、この時代の、新しい働き方や、問題解決の形を示唆するのかもしれない、共同作業が、この日から、静かに始まったのだ。 私たちの最初のタスクは、私がこれまでに蓄積してきた、膨大な、しかし断片的で、主観的なクライアントの事例データと、Lighthouseが持つ、客観的で、しかし表層的な市場データやスキルデータを、突き合わせ、そこに、何か、これまで見過ごされてきた「相関関係」や「異常値」、あるいは「パターン」が存在しないかを、洗い出すことだった。 それは、まるで、広大な砂漠の中から、たった一粒のダイヤモンドを探し出すような、あるいは、ノイズだらけの宇宙からの信号の中から、意味のあるメッセージを解読しようとするような、困難で、そして気の遠くなるような作業になるだろう。 だが、私には、確信があった。この、信頼できる「バディ」と共に、諦めずに探求を続ければ、必ず、あの、多くの「君」たちの未来を阻む、「見えない壁」の正体を突き止め、そして、それを打ち破るための、あるいは、乗り越えるための、希望の「突破口」を、見つけ出すことができるはずだ、と。私たちの、本当の意味での「謎解き」が、今、まさに、始まろうとしていた。
共同での謎解明
(2025年5月下旬~6月 - キャリア・オアシス、またはオンラインにて)
田中健一君という、私にとっては予想外であり、しかし、これ以上ないほど頼もしい「バディ(相棒)」を得てから、私たちの「見えない壁」に対する、共同での探求と分析の日々が始まった。それは、まるで、性質の全く異なる二つの探偵——現場の証言と、人間の心理に深く分け入ろうとする私と、膨大なデータの中から、客観的な証拠と、隠されたパターンを冷徹に見つけ出そうとする彼——が、一つの、巨大で、そして捉えどころのない難事件に挑むような、刺激的で、そしてしばしば、困難を極めるプロセスだった。
私たちの共同作業は、主に、週に一度の定例ミーティング(私のオフィスか、あるいはオンラインで)と、それ以外の、日々の、チャットツールを使った、断続的だが密な情報交換によって進められた。
まず、私は、クライアントたちの同意を改めて得た上で(もちろん、個人が特定されないよう、最大限の匿名化処理を施すことを、厳重に約束した上で)、これまでに蓄積してきた、膨大な量の、定性的なデータを、田中君と共有した。それは、クライアント一人一人の、詳細なキャリア相談の記録、彼らが語った悩みや葛藤の言葉、そして、私が、対話を通して感じ取った、彼らの性格特性、価値観、そして、データには決して現れない「光」についての、私の主観的なメモや考察。さらに、彼らが実際に転職活動などで受け取った、企業からの(しばしば曖昧で、定型的な)不採用理由の通知メールなども含まれていた。
一方、田中君は、彼がアクセス可能な、様々なオープンデータや、彼自身の研究ネットワークを通じて得られる、匿名化された統計データ、そして、時には、最新のWebスクレイピング技術なども駆使して、客観的な「マクロ」な情報を収集・分析してくれた。それは、最新の業界別・職種別の求人倍率や、平均年収の推移、求められるスキルセットの変化、さらには、特定の企業や業界に関する、SNS上での評判分析(センチメント分析)、あるいは、企業の採用ページやプレスリリースで使われている「言葉」の傾向分析など、多岐にわたった。彼は、それらの膨大なデータを、彼が得意とする、高度な統計的手法や、機械学習のアルゴリズムを用いて、様々な角度から、執拗なまでに、分析していく。
最初の数週間は、正直、試行錯誤の連続だった。 田中君が、データ分析から導き出した、いくつかの興味深い「相関関係」——例えば、「特定の非標準的な経歴を持つ応募者は、スキルレベルに関わらず、書類選考の通過率が、統計的に有意に低い」とか、「『カルチャーフィット』を理由とした不採用通知は、特定の業界や、特定の成長ステージにある企業において、突出して多い」といった——に対して、私は、それが、私の知る、具体的なクライアントのケースと、どのように結びつくのか、あるいは、そのデータの裏にある、人間的な、あるいは組織的な背景は何なのか、という、質的な解釈や、仮説を提供していく。 逆に、私が、クライアントとの対話の中から感じ取った、「このクライアントの持つ、この『人間的な強み』が、なぜか正当に評価されていない気がする」とか、「この業界には、何か、スキル以外の、暗黙の『参入障壁』のようなものが存在するのではないか」といった、主観的で、直感的な「仮説」に対して、田中君は、「それは、データで裏付けることができますか?」「その『気がする』という感覚を、客観的な指標に落とし込むことは可能ですか?」「他の要因が影響している可能性はありませんか?」と、常に、冷静で、そして時には、耳の痛い、客観的なツッコミを入れてくる。
私たちのやり取りは、しばしば、平行線を辿ることもあった。 「田中君、データ上はそうかもしれないけど、実際に、現場で起きていることは、もっと複雑なのよ。人の感情とか、組織の力学とか、そういう、数字にはならないものが、決定的な要因になっているケースだって、たくさんあるんだから」 「〇〇さん、もちろん、その可能性は否定しません。ですが、個別のケースに引きずられすぎて、全体像を見誤ってはいけません。まずは、客観的なデータパターンから、統計的に有意な傾向を見つけ出すことが、本質に迫るための第一歩です」 彼は、あくまでデータとロジックを重視し、私は、あくまで個別の人間と、その物語に寄り添おうとする。その、アプローチの違いが、時には、小さな火花を散らすこともあった。
だが、私たちは、互いのアプローチを、決して否定し合うことはなかった。むしろ、その「違い」こそが、この、複雑で、捉えどころのない「見えない壁」という謎を解き明かす上で、不可欠な要素なのだということを、私たちは、共同作業を進める中で、徐々に、そして深く、理解し始めていたのだ。彼の、マクロで、客観的な視点と、私の、ミクロで、主観的な視点。その二つを、まるで合わせ鏡のように、行きつ戻りつ、粘り強く重ね合わせていくことでしか、見えてこない真実があるはずだ、と。
そして、数週間にわたる、膨大なデータの分析と、無数の仮説検証、そして、時には深夜に及ぶ、激しい議論の末に。私たちは、ついに、あの「見えない壁」の、その、複雑で、多層的な、しかし、確かに存在する「構造」の核心に、迫りつつあることを感じ始めていた。それは、まるで、濃い霧の中に、おぼろげながらも、巨大な建造物の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がってくるかのような感覚だった。
その「ブレイクスルー」のきっかけとなったのは、田中君が、ある特定の分析手法——それは、企業の採用プロセスにおいて、どのような「キーワード」や「属性」が、合否判定に、統計的に、そしてしばしば「無意識のうちに」影響を与えているかを解析する、AI倫理の分野でも注目されている最新の手法だった——を用いて、匿名化された大量の採用データ(公的機関や、調査会社から提供されたもの)を解析した結果だった。 画面に映し出された、複雑な相関図と、統計的な有意差を示す数値の羅列。一見しただけでは、専門家である彼にしか、その意味を読み解くことは難しい。だが、彼が、その分析結果を、一つ一つ、冷静に、しかし、わずかな興奮を隠しきれない様子で、私に説明し始めた時、私の頭の中で、これまでバラバラだった、クライアントたちの経験という名の「点」が、急速に繋がり、一つの、そして衝撃的な「線」として、像を結び始めたのだ。
「…つまり、こういうことだ、〇〇さん」田中君は、眼鏡の奥の目を細めながら言った。「AIによる書類選考や、初期のスキル評価の段階では、確かに、学歴や、職歴、保有スキルといった、客観的なデータが、合否に大きな影響を与えている。これは、ある意味、当然のことだ。だが、問題は、その後の、人間による『面接』や、『最終判断』のプロセスだ」 彼は、いくつかのグラフを指し示した。 「このデータが示唆しているのは、驚くべきことに、面接段階以降では、候補者の持つ、客観的なスキルレベルや、過去の実績と、最終的な採用確率との間に、必ずしも、強い正の相関が見られない、ということだ。むしろ、それ以上に、採用に『強い負の相関』を示している要因が、いくつか存在する」 「負の相関…?」私は、息を呑んで聞き返した。 「そうだ。例えば、『過去のキャリアパスが、標準的でない(転職回数が多い、異業種への挑戦経験がある、ブランク期間がある、など)』『面接での自己アピールが、控えめである、あるいは、自信がないように見える』『出身大学や、前職の企業ブランドが、いわゆるトップ層ではない』『年齢が、採用ポジションの平均年齢よりも、有意に高い、あるいは低い』…そして、これが最も厄介なのだが、『採用担当者(あるいは最終決定権者)の持つ、無意識の属性(学歴、性別、価値観など)と、候補者の属性との間に、乖離がある』といった要因だ」 「……!」私は、言葉を失った。それは、まさに、リナさんや、ケンジさんや、ユミさん、そして他の多くのクライアントたちが、面接で、あるいは最終選考で、不可解な形で、そしてしばしば「カルチャーフィットしない」「ポテンシャルが感じられない」といった、曖昧な理由で、不採用とされてきた、その背景にあるものを、冷徹なデータが、統計的に裏付けているかのように思えたからだ。 「つまりだ」田中君は、続けた。「現在の日本の、特に、変化の激しい業界や、あるいは逆に、変化を拒む古い体質の企業においては、採用の最終段階で、候補者の持つ、本来評価されるべきスキルや実績以上に、『リスクの低さ』や『既存の組織文化への適合性』、あるいは、もっと言ってしまえば、『採用担当者の、個人的な好みや、無意識の偏見』といった、極めて曖昧で、そしてしばしば不合理な要因が、合否を、大きく左右してしまっている可能性が、極めて高い、ということだ。AIによる効率化が進んだとしても、いや、むしろ、進んだからこそ、最終的な『人間による判断』の部分で、かえって、そういった、目には見えない『バイアス』や『空気』の影響力が、増大してしまっているのかもしれない」
「…それが、『見えない壁』の、正体…?」 私は、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けながら、呟いた。 「おそらくは、その、極めて重要な一部分だろうね」田中君は、静かに頷いた。「もちろん、これだけが全てではないだろう。業界特有の慣習や、市場全体の心理、社会構造の問題も、複雑に絡み合っているはずだ。だが、少なくとも、この、『人間による、非合理的で、しばしば偏見に満ちた最終判断』という名の壁が、多くの人の可能性を、水面下で、阻害している可能性は、極めて高いと言えるだろう」
その瞬間、私の頭の中を覆っていた、濃い霧が、さっと晴れていくような、鮮やかな感覚があった。そうだ、そういうことだったのか! クライアントたちがぶつかっていた壁は、単なるスキル不足や、努力不足などではなかった。それは、もっと根深く、そして厄介な、人間の、そして組織や社会の、非合理性や、偏見や、そして変化への恐れが生み出していた、「見えない」けれど、確かに存在する「壁」だったのだ! それは、決して、心地よい真実ではなかった。むしろ、暗澹たる気持ちにさえなるような、厳しい現実だ。だが、それでも、その「壁」の正体が、そのメカニズムの一端が、ようやく見えてきたこと。それは、私にとって、そして、これから私たちが支援していくであろう、多くの「君」たちにとって、絶望ではなく、むしろ、初めて、具体的な「希望」へと繋がる、大きな、大きな一歩であるように、私には、はっきりと感じられたのだ。 なぜなら、敵の正体が分かれば、戦いようがあるのだから。その壁の性質が分かれば、それを乗り越えるための、あるいは、賢く迂回するための、新しい「戦略」を、私たちは、これから、共に、考え出すことができるはずなのだから。
「…ありがとう、田中君」私は、心の底からの感謝を込めて、彼に言った。「君のおかげで、ようやく、突破口が見えてきた気がするわ」 「礼には及ばないよ」彼は、少しだけ、誇らしげに、そして満足そうに微笑んだ。「僕にとっても、これは、非常に刺激的な発見だ。…さあ、問題は、ここからだ。この『見えない壁』の存在を、どうやって、クライアントに伝え、そして、それを乗り越えるための、具体的な武器を、どうやって、彼ら、彼女らに授けていくのか。〇〇さんの、本当の腕の見せ所は、これからだよ」
彼の言う通りだった。謎は、解き明かされ始めたばかりだ。そして、本当の戦いは、ここから始まるのだ。私は、田中君という、最高の「バディ」と共に、この、複雑で、しかし希望に満ちた挑戦へと、決意を新たに、踏み出していく。全ての「働く君」たちが、自分だけの「光」を、最大限に輝かせられる、そんな未来を、この手で創り出すために。