第一章:AI時代の東京で立ち尽くす君へ
AIのインパクトと東京のリアル
2025年、皐月。ゴールデンウィークの喧騒も過ぎ去り、五月晴れの柔らかな日差しが降り注ぐ金曜日の午後。ここ東京は、初夏の爽やかな風と、熱を帯び始めたアスファルトの匂いが混じり合う、そんな季節を迎えていた。 私の小さなキャリアコンサルティング・オフィス「オアシス」は、都心のにぎやかなエリアからは少し離れた、練馬区の、まだ昔ながらの商店街の面影が残る、比較的静かな一角にある。窓の外からは、子供たちの声や、時折通る路面電車ののどかな音が聞こえてくる。だが、この穏やかな風景のすぐ外側には、いや、もはや、この国の隅々にまで、否応なく、そして急速に浸透しつつある、巨大な変化の波が押し寄せていることを、私は、日々、肌で感じていた。
その波の名は、「AI」——人工知能。
ほんの数年前までは、まだSFの世界の出来事か、一部の専門家だけが語る未来のテクノロジーのように思われていたそれが、今や、私たちの生活のあらゆる場面に、空気のように、水のように、当たり前に存在している。 スマートフォンに話しかければ、AIアシスタントが今日の天気予報を読み上げ、最適な通勤ルートを検索してくれる。オンラインショッピングサイトを開けば、AIが私の過去の購買履歴や閲覧データを瞬時に分析し、「あなたへのおすすめ」商品を、これでもかと提示してくる。街を歩けば、自動運転のバスやタクシーが静かに走り回り、監視カメラの映像はAIによってリアルタイムで解析され、私たちの安全(あるいは、管理社会)を支えている。
そして、その影響は、当然のことながら、「働く」という、私たちの人生の大部分を占める領域において、最も劇的で、そして深刻な形で現れ始めていた。 かつては人間が行っていた、定型的な事務作業や、データ入力、顧客対応の多くが、すでにAIやRPAに置き換わられつつある。それだけではない。文章の作成、デザイン、プログラミング、市場分析、果ては、かつては人間の「感性」や「創造性」の領域だと考えられていた分野でさえも、生成AIの驚異的な進化によって、その境界線は、急速に曖昧になりつつあった。 「AIに仕事が奪われるのではないか?」 そんな漠然とした不安は、もはや、一部の悲観論者の杞憂などではなく、この国で、いや、この世界で働く、ほとんど全ての人々が、程度の差こそあれ、リアルに感じ始めている、共通の、そして重い問いかけとなっていた。
ここ、東京という街は、特に、その変化の波を、最も強く、そして最も残酷なまでに受けている場所と言えるだろう。 確かに、東京は、依然として、日本の、いや、世界の経済、文化、そして情報の中心地であり続けている。新しいビジネスが生まれ、莫大な富が動き、そして、世界中から、野心と才能を持った人々が集まってくる、チャンスに満ち溢れた街だ。この街で成功すれば、他のどんな場所でも得られないような、大きな報酬と、名声と、そして自己実現の機会を手にすることができるかもしれない。 だが、その眩いばかりの光の裏側には、それと同じだけ、あるいはそれ以上に、深く、そして暗い影が存在することも、また事実だ。 チャンスがあるということは、それだけ、熾烈な競争があるということだ。学歴、経歴、スキル、人脈、そして時には、運や、非情さまでもが、複雑に絡み合い、人々は、常に、誰かと比較され、評価され、そして、ふるいにかけられ続ける。一つの失敗が、あるいは、時代の変化の波に乗り遅れることが、即座に、転落へと繋がる可能性を秘めている。 そして、この街は、人が多すぎるが故に、逆説的に、人を孤独にする。同じオフィスビルで働き、同じ満員電車に揺られていても、隣にいる人が、どんな悩みや、どんな夢を抱えているのか、知る由もない。人間関係は、しばしば、表面的で、希薄で、そして、利害関係に基づいたものになりがちなのかもしれない。誰もが、自分のことで精一杯で、他人のことまで気にかける余裕がない。あるいは、他人と深く関わることを、どこかで恐れているのかもしれない。 結果として、多くの「君」が、この、世界で最も活気があり、最も刺激的であるはずの巨大な都市の真ん中で、誰にも打ち明けられない不安や、悩みを抱え込み、深い、深い孤独を感じながら、まるで広大な砂漠を一人で歩いているかのような、心細い思いで、日々を過ごしているのではないだろうか。
AIという、抗いがたい技術革新の波。 そして、東京という、チャンスと競争、そして孤独が渦巻く、巨大な都市の現実。 その二つの大きなうねりが交差する、この2025年という時代に、多くの「働く君」が、自分のキャリアという船の舵を、どちらに向けて切ればいいのか分からず、不安の海の上で、立ち尽くしている。 そんな「君」たちの、悲鳴にも似た、声にならない声が、私の、この、街の片隅にある、ささやかな「オアシス」に、日々、吸い寄せられるように、集まってくるのだ。彼らは、皆、違う顔をして、違う経歴を持ち、違う言葉で、それぞれの悩みを語る。しかし、その根底にあるものは、驚くほど、似通っているのかもしれない。 それは、「自分は、このままでいいのだろうか?」という、切実な問いかけ。そして、「自分という存在が、この世界で、本当に必要とされているのだろうか?」という、深い、深い不安なのだから。
最初のクライアント「君」たち登場
私のオフィス「キャリア・オアシス」は、練馬の、少し懐かしい雰囲気の残る商店街から一本入った、古い雑居ビルの3階にある。エレベーターはなく、少し急な階段を上る必要がある、決して利便性の高い場所ではない。だが、その扉を開けた瞬間、訪れた人が、外の世界の喧騒や緊張感から、ふっと解放されるような、そんな空間でありたいと願って、内装には徹底的にこだわった。壁は、視覚的にリラックス効果があると言われる、温かみのあるアースカラーで統一し、床には、足音を吸収してくれる、柔らかな天然素材のラグを敷いた。部屋の隅々には、私が趣味で育てている様々な種類の観葉植物が置かれ、穏やかな緑が、無機質になりがちなオフィス空間に、生命力と安らぎを与えてくれている。大きな窓からは、午後の柔らかな光がたっぷりと差し込み、時折聞こえてくる商店街の賑わいや、近くを走る路面電車の、のどかで、レトロな走行音が、まるで計算された環境音楽のように、心地よく耳に届く。ここだけは、あの、常に時間に追われ、他者と比較され、そして見えないプレッシャーに晒され続ける、息苦しい東京の日常から切り離された、安全で、温かく、そして自分自身と静かに向き合える「聖域」であってほしい。そんな、私の切なる願いを込めて、この、決して広くはない一室を「オアシス」と名付けたのだ。 テーブルの上には、数時間後に予約が入っている、新しいクライアントから送られてきた情報が、クリアファイルに整理されて置かれている。匿名化されたエントリーシート、これまでのキャリアを簡潔にまとめた職務経歴、そして、多くの場合、最も熱量と、そして痛みが込められている、クライアント自身が、おそらくは何度も書き直し、逡巡しながら書き綴ったであろう、「現在の悩み」や「相談したいこと」についての、自由記述のメモ。私は、カモミールの柔らかな香りが立ち上るハーブティーをゆっくりと淹れながら、それらの情報に、一つ一つ、丁寧に目を通していく。活字の向こう側にある、その人の、生身の感情や、言葉にはなっていない、声なき声に耳を澄ませるように。一人一人の文字の癖や、言葉の選び方、文章の行間に滲む、ためらいや、あるいは切実な願いから、その人が今、どんな思いで、どんな不安や希望を抱えながら、このオアシスの、少し重い木の扉を叩こうとしているのか、その、輪郭だけでなく、心の奥の息遣いまでをも、感じ取ろうと努める。AIにこれらの情報をインプットすれば、客観的なスキル評価や、市場価値の判定、適性のある職種のリストアップなどは、おそらく数秒で完了するだろう。だが、私は、決して、その効率性だけを求めない。まず、自分の五感と、心と、そしてこれまでの、成功も失敗も含めた全ての経験を通して、目の前に現れるであろう「君」という、かけがえのない、複雑で、そして可能性に満ちた個人の全体像を、先入観を持たずに、丁寧に、そして敬意をもって捉えようと試みる。それが、私の信じる、キャリアコンサルティングの、そしてこの「オアシス」の、最も重要な、そして譲ることのできない、最初のステップなのだから。 ここ数週間だけでも、私の、この小さなオアシスの扉を叩いた「君」たちの顔ぶれは、実に多様だった。年齢も、性別も、歩んできたキャリアも、そして今、抱えている悩みも、まさに千差万別。しかし、その多くに、やはり、この「AI時代」という、抗いがたい技術革新の大きな波と、そして「東京」という、チャンスと同時に、激しい競争と、深い孤独をもたらす、巨大な都市システムが、色濃く、そしてしばしば、深刻な影を落としていることは、間違いなかった。 【Case 1: Rina, 24歳、広告代理店・Webデザイナー】 最初に、リナさん(仮名)の話をしよう。彼女は、都内の中堅広告代理店で、Webデザイナーとして働く、入社2年目の、まさにこれからという時期の若者だ。面談室に入ってきた彼女は、今日のファッションも、最新の、少しエッジの効いたストリート系のトレンドを巧みに取り入れた、いかにもクリエイティブ業界の人間らしい、洗練されたスタイルだった。すらりとした体躯に、大きな瞳。黙っていれば、自信に満ち溢れた、今どきのクリエイターに見えるだろう。だが、カウンセリングシートを持つ彼女の指先は、ほとんど気づかれないほど、しかし確実に、かすかに震えており、その大きな瞳の奥には、彼女の年齢には不釣り合いなほどの、深い、深い不安の色が、隠しきれないように浮かんでいた。 「あの…私、このままで、本当に、大丈夫なんでしょうか…? なんだか、もう、自分が何のためにデザインしてるのか、分からなくなってきちゃって……」 彼女は、小さな、そして語尾が消え入りそうな、か細い声で、そう切り出した。聞けば、彼女が勤める代理店でも、ここ半年ほどの間に、画像生成AIや、文章生成AIを使ったデザインツールや、キャッチコピー、さらにはWebサイトのコーディングまでも自動で行うツールが、急速に、そして半ば強制的に導入され始めたのだという。最初は、彼女も、「作業が効率化されて、もっとクリエイティブなことに時間を使えるようになるかもしれない」と、淡い期待を抱いていた、と。しかし、現実は、全く違った。 「正直言って、もう、怖いくらいなんです。AIが作るデザイン案の方が、経験の浅い私なんかが、何日も、何時間もかけて、必死で考えたものより、ずっと、データに基づいていて、ロジカルで、洗練されていて…。それに、何よりも、クライアント受けが、圧倒的に良かったりするんです…。修正依頼だって、AIに指示すれば、一瞬で、何パターンも、文句も言わずに、完璧に仕上げてくる。キャッチコピーだって、もう、一流のコピーライターが考えたものと、素人目には全く区別がつかないレベルのものが、本当に、一瞬で、無限に、何百パターンも出てくるんです。…私たち人間が、これまで、必死で学んできた、デザインの基礎理論とか、色彩感覚とか、タイポグラフィの知識とか、言葉を一つ一つ、丁寧に紡ぎ出す力とか…そういう、人間ならではの『感性』や『創造性』って信じられてきたものって、もう、これからの時代、本当に、必要なくなっちゃうんでしょうか…?」 彼女は、悔しそうに、そしてどこか絶望したかのように、俯き、テーブルの上に置かれた自分の、最新型のスマートフォンを、まるで自分の未来を奪う敵であるかのように、憎々しげに睨みつけた。その画面には、おそらく、彼女が日々の業務で使わざるを得なくなっている、最新の生成AIサービスのアイコンが、皮肉なまでにカラフルに表示されているのだろう。 「上司や先輩からは、『これからはAIを使いこなせるデザイナーこそが生き残るんだ』って、簡単に言われるんですけど…。でも、次から次へと、毎月のように新しいツールや、新しい技術が出てきて、正直、もう、情報の波に追いつくだけで精一杯なんです。それに、結局、ツールを『使える』だけなら、もっと若くて、もっと給料が安くて、もっと従順な人に、すぐに取って代わられちゃうんじゃないかって…。私、子供の頃から絵を描くのが好きで、人を驚かせたり、喜ばせたりするデザインを作るのが夢で、この仕事を選んだはずなのに…。今はもう、何のために毎日、パソコンに向かっているのか、自分が本当は何をしたいのかさえ、完全に見失ってしまって……。このまま、この仕事を続けていく意味って、あるんでしょうか…?」 (Rina's Internal Thought: AIの方が、私よりも、ずっと速くて、ずっと優秀で、そしてずっと安上がり…? じゃあ、私の価値って、私の存在意義って、一体、どこにあるの? デザインが好き、なんていう気持ちだけじゃ、もう、この世界では生きていけないの? だったら、もう、いっそ、全部辞めちゃった方が、楽になれるのかな…でも、辞めて、私に何ができるんだろう…怖い…) 彼女の、震える声と言葉の端々から、かつて抱いていたであろう、クリエイティブな仕事への、純粋な情熱と、時代の、あまりにも速く、そして容赦のない変化に対する、深い戸惑いと、そして、自分自身の存在価値そのものが、根底から揺らいでいることへの、切実で、そして痛切な恐怖が、痛いほど、私に伝わってきた。AIという、人類が生み出したはずのテクノロジーが、皮肉にも、人間の「創造性」や「個性」といった領域までもを脅かし、再定義しようとしている。その、巨大で、そしてしばしば残酷な変化の渦の中で、彼女のような、本来なら未来への希望に満ちているはずの、若い才能が、自分の進むべきコンパスを見失い、深い霧の中で立ち尽くしているのだ。 【Case 2: Kenji, 38歳、中堅メーカー・生産管理課長】 次に私のオアシスを訪れたのは、ケンジさん(仮名)という男性だった。彼は、都内に本社を構える、創業70年を超える歴史を持つ、中堅の精密機械部品メーカーで、新卒から20年近く、生産管理部門一筋で働いてきた、叩き上げの管理職だ。少しやつれたような表情に、目の下の隈が、彼の最近の心労を物語っている。しかし、その一方で、長年の経験に裏打ちされたであろう、どこか実直で、責任感の強そうな、そして簡単には弱音を吐かないぞ、というような、プライドのようなものも感じられた。きっちりと着こなされた、少し古風なデザインのスーツが、彼の真面目な人柄を表しているようだった。 「先生…いや、〇〇さん。…単刀直入に、お伺いします。私のような、古いタイプの人間は、もう、これからの時代、必要とされないのでしょうか…?」 彼は、椅子に深く腰掛け、深いため息とともに、まるで自分自身に問いかけるかのように、重い口を開いた。彼の悩みは、リナさんのような、最新のAI技術そのものへの直接的な脅威というよりは、もっと、じわじわと、しかし確実に、彼のこれまでのキャリアと、存在意義そのものを、静かに蝕んでいく種類の、根深い不安だった。 彼が勤める、伝統あるメーカーでも、数年前から、時代の趨勢には逆らえず、工場のスマート化、FA化が、急速に、そして大々的に進められているのだという。AIを活用した、緻密で、無駄のない生産計画の自動立案システム。寸分の狂いもなく、24時間稼働し続ける、最新鋭のロボットアームによる自動組み立てライン。工場内のあらゆる機器に取り付けられたセンサーから送られてくる膨大なデータをリアルタイムで解析し、故障や異常を事前に察知する、予知保全システム。それらは、確かに、これまで人間が、経験と勘と、そして多くの時間と労力をかけて行ってきた作業を代替し、生産効率を劇的に向上させ、大幅なコスト削減に貢献している。会社としては、正しい経営判断なのだろう。 だが、その一方で、彼がこれまで、現場のリーダーとして、額に汗して必死で叩き上げ、そして組織の中で評価されてきたはずの、長年の経験に基づく、言葉にしにくい「勘」や、マニュアル化できない「現場での調整能力」、そして、製造、設計、営業といった、部門間の複雑な利害関係を読み解き、泥臭く根回しをする「人間力」といった、ある意味で極めてアナログなスキルや知識が、急速に、その価値を、そして必要性そのものを、失いつつあることを、彼は、日々の業務の中で、嫌というほど、そして痛切に、感じていた。 「最近入ってくる、新卒や、中途採用の若い連中は、もう、当たり前のように、データ分析ツールや、プログラミング言語を使いこなしていて…。AIが出してきた、我々のような古い人間には、複雑すぎて理解できないような最適化プランを、彼らは、いとも簡単に理解し、そして現場に落とし込んでいくんです。正直言って、もう、彼らが会議で話している言葉の意味すら、よく分からないことがある…。まるで、自分が、言葉の通じない外国に来てしまったかのような、そんな疎外感を感じることさえあります」 彼は、自嘲するように、力なく、そしてどこか寂しそうに笑った。 「もちろん、このままではいけない、ということは分かっています。だから、自分なりに、必死で勉強はしようとしているんです。会社が推奨する、Pythonとか、データサイエンスのオンライン講座を受けたり、関連書籍を読んだり…。でも、正直に言って、この歳になってから、毎日、疲れ切って家に帰って、そこから、あの、全く新しい、しかも、あれだけ複雑で、抽象的なことを、一から学ぶというのは、本当に、本当にしんどい。集中力も、記憶力も、若い頃とは比べ物にならないほど落ちているのを実感しますし…。それに、仮に、必死で学んで、ある程度の知識を身につけたとしても、それで、あの、デジタルネイティブの若い連中と、同じ土俵で戦えるとは、到底思えない。彼らには、柔軟性も、吸収するスピードも、そして何よりも、残された時間も、私とは比較にならないほどあるのですから…」 会社の上層部からは、表向きは「ケンジ君のような、現場を知るベテランの経験も、まだまだ重要だ」と、耳触りの良いことを言われている。しかし、実際には、新しい技術を導入する重要なプロジェクトからは、いつの間にか徐々に外され、かつては将来を嘱望されていたはずの、さらなる昇進への道も、事実上、完全に閉ざされてしまっているように、彼は感じていた。自分の居場所が、日に日に、会社の中で狭くなっている、と。 「妻も、まだ中学生の子供もいます。やっとの思いで買った、家のローンだって、まだまだ、あと20年以上も残っているんです。…もし、この歳で、会社から『もう君の役割はない』と、リストラでもされたら…と考えると、怖くて、本当に、夜も眠れないんです。かといって、今から転職しようにも、この、もはや市場価値があるのかどうかも分からない、中途半端なスキルと経験で、一体、どこの会社が、私のような人間を、雇ってくれるというのか…。正直、もう、八方塞がりで、どうしたらいいのか、全く分からないんです…」 (Kenji's Internal Thought: 俺が、この会社のために、家族のために、20年近く、身を粉にして働いて、積み上げてきたものって、一体、何だったんだろう…? もう、時代の流れの中では、何の役にも立たない、ただのガラクタになってしまったのか…? このまま、会社にしがみついて、プライドも、やりがいも失って、ただ、飼い殺しにされていくしかないのか…? それとも、一か八か、転職に賭けてみるべきなのか…? でも、失敗したら…家族を、路頭に迷わせるわけにはいかない…! 一体、どうすれば…!?) 彼の、絞り出すような言葉には、時代の大きな変化に取り残されていくことへの、深い焦りと、自分自身のスキルの陳腐化に対する、どうしようもない恐怖、そして、家族を守り、支えなければならないという、ミドル世代の男性特有の、重く、そして切実な責任感が、痛いほど、深く滲み出ていた。技術革新の光は、時として、長年、その組織を、社会を、真面目に、そして誠実に支え続けてきた人間の、ささやかな誇りや、人生におけるささやかな安定、そして存在意義そのものまでも、容赦なく、そして静かに奪い去っていく。その、光と影の、残酷な現実が、彼の苦悩の中に、はっきりと見て取れた。 【Case 3: Yumi, 48歳、大手サービス業・総務部・ベテランスタッフ】 最後に、もう一人、ユミさん(仮名)のケースを紹介しよう。彼女は、おそらく、誰もが一度はその名前を聞いたことがあるであろう、大手サービス企業で、新卒入社から25年以上、一貫して総務・人事部門で働いてきた、まさにベテラン中のベテランと呼ぶにふさわしい女性だった。身のこなしも、言葉遣いも、非の打ち所がなく丁寧で、洗練されており、服装も、上質で、品が良い。一見すると、何の悩みも、何の不満もなさそうな、まさに「デキる女性」という印象を受ける。しかし、彼女の、常に完璧に保たれた、穏やかな微笑みの奥には、深い、そして誰にも打ち明けられない、切実な不安と孤独が隠されていることを、私は、カウンセリングルームに入ってきた瞬間の、彼女の目の、ほんの一瞬の揺らぎから、感じ取っていた。 「…先生、私は、これから、どうなってしまうのでしょうか。…もう、私のような、古いスキルしか持たない人間は、この会社にも、そして、どこの会社に行っても、必要とされていないのかもしれませんね…」 彼女は、美しい姿勢を、まるで鎧のように保ったまま、しかし、その声は、注意深く耳を澄まさなければ聞き取れないほど、か細く、そして微かに震えていた。彼女が長年所属してきた総務部門では、現在、「全社的なDX推進」という大号令の下、大規模な、そして急速な業務改革が進められているのだという。そして、これまで彼女が、その几帳面さと、長年の経験に裏打ちされた知識と、そして抜群の調整能力によって、まさに中心となって担ってきた、契約書のリーガルチェックと管理、複雑な社内規定の整備と運用、従業員の福利厚生に関する様々な手続きといった、定型的で、しかし膨大な量の事務作業のほとんどが、最新のAIを搭載した専門的な業務管理システムと、コスト削減を目的とした、専門的な外部のBPOサービスへと、急速に、そして半ば一方的に、移行されようとしているのだという。 「会社からは、ありがたいことに、『ユミさんのようなベテランの方には、これまでの経験を活かして、ぜひ、新しいスキルを積極的に身につけていただき、より付加価値の高い、戦略的な業務にチャレンジしてほしい』と、期待を込めて言っていただいています。…例えば、人事データの分析とか、DX推進プロジェクトの企画・運営とか…。でも、正直に申し上げて、私には、もう、そんな、全く畑違いの、新しいことを、この歳になってから一から学んで、最新のツールや知識を駆使している、あの、優秀な若い方たちと同じように、短期間で成果を出せる自信が、全く、全く、ありません…」 彼女は、そっと、まるで懺悔でもするかのように、綺麗に手入れされた、しかし長年の仕事の疲れも滲む、膝の上に置かれた自分の手を見つめた。長年、キーボードを叩き続け、膨大な書類をめくり続け、そして多くの社員のために尽くしてきた、その指先。 「パソコンの基本操作や、Officeソフトなどは、もちろん人並み以上に使えます。ですが、プログラミング言語だとか、BIツールを使った複雑なデータ分析だとか、アジャイル開発だとか…そういう、最近の流行りの言葉やツールとなると、もう、何が何だか、さっぱり…。会社が用意してくれた、高額な外部の研修にも、いくつか参加させていただいたのですが、講師の方が何を言っているのか、半分も理解できなくて…。頭が、全く、ついていかないんです。それに比べて、一緒のチームにいる、まだ入社数年の若い方々は、本当に、驚くほど吸収が早くて、難しいツールも、あっという間に自分のものにして、使いこなしていく。その姿を隣で見ていると、自分が、まるで、博物館に展示されているような、時代遅れの、役立たずの『お荷物』のように感じてしまって…。本当に、情けなくて、惨めで…」 彼女は、決して、努力を怠ってきたわけではない。むしろ、人一倍、真面目に、誠実に、そして常に正確に、長年、この会社のために、そして共に働く仲間たちのために、身を粉にして貢献してきたという、確かな自負がある。会社の歴史も、組織の力学も、そして誰がキーパーソンなのかも、彼女ほど熟知している人間は、おそらく、この会社には他にいないだろう。だが、時代の変化は、彼女の想像を遥かに超えて、あまりにも速く、そして、彼女が長年かけて地道に積み上げてきた、目には見えない経験や、組織への忠誠心や、人々の間の信頼といったものが、AIという、新しく、そして圧倒的に効率的なテクノロジーの前では、いかに脆く、そして古いものとして、価値のないものと見なされてしまうのかを、彼女は、今、まさに、その身をもって、痛切に知らされていた。 「もし、今の部署に、私の仕事がなくなってしまったら…? この会社の中で、私にできる仕事が、本当にもう、なくなってしまったら…? この歳で、そして、特にこれといった専門的なスキルも持たない私が、今から、全く違う会社に転職なんて、本当にできるのでしょうか…? 子供たちの学費も、これからが本番ですし、老後のための貯蓄も、まだ十分とは言えません…。そう考えると、不安で、不安で、本当に、夜も眠れない日が、もう何か月も続いているんです。主人も、もう大学生になった子供たちも、私が、この会社で、ずっと働き続けることを、当たり前のことのように思っていますし…誰にも、相談できなくて…」 (Yumi's Internal Thought: 25年以上、この会社のために、そして、家族のために、私なりに、本当に一生懸命、必死で働いてきたつもりだったのに…。私のしてきたことって、結局、AIに簡単に取って代わられる程度の、そんな、価値のない仕事だったっていうことなの…? これから先、私は、どこへ行けばいいの? 私の経験や、私という人間に、価値を見出してくれる場所なんて、もう、この世界のどこにも、ないのかもしれない…) 彼女の、常に穏やかで、落ち着いた、そして完璧なまでにコントロールされた、静かな語り口の中には、しかし、長年勤めてきた会社と、自らの仕事に対する、深い、深い失望感と、年齢を重ねてから新しいスキルを習得することへの、リアルで、そして切実な困難さ、そして、これからの自分のキャリア、ひいては人生そのものに対する、誰にも打ち明けられない、深刻な不安と孤独が、痛いほど、そして切ないほどに、込められていた。AIによる効率化と、自動化の大きな波は、時に、長年、その組織を、目立たない場所で、しかし誠実に、そして献身的に支え続けてきた人々の、ささやかな居場所や、仕事への誇り、そして人生におけるささやかな安定までも、まるで音もなく、しかし確実に、奪い去っていく。その、声高には語られない、しかし無数に存在するであろう、静かな悲劇が、彼女の、その、美しいが故に、より一層悲しみを際立たせる言葉の奥には、はっきりと透けて見えていた。 リナさん(20代・クリエイティブ職)、ケンジさん(30代・管理職)、ユミさん(40代・事務職)。そして、彼ら、彼女たちの他にも、私の元には、日々、様々な「君」が訪れる。AIによるコード生成や、ローコード・ノーコードツールの普及に、自身の専門性の価値が揺らいでいると感じている、中堅ITエンジニアのタツヤさん(40代)。AI翻訳の驚異的な精度向上によって、仕事の単価が下がり、クライアントからは常に「AIで十分では?」というプレッシャーを感じ、疲弊しているフリーランス翻訳家のミキさん(20代後半)。あるいは、就職活動で、エントリーシートの作成支援AIや、AIによる一次面接(動画面接)に、どうしても馴染めず、そして突破できずに、自信を完全に失いかけている、第二新卒の青年、ダイキさん(20代前半)…。 彼ら、彼女たちの悩みは、一見すると、全く異なり、個別的であるように見える。その背景にある業界の特性も、年齢やライフステージも、職種や求められるスキルも、そして、それぞれが置かれた具体的な立場や状況も、それぞれに違う。 しかし、その、多様に見える悩みの、もっと深い、もっと根源的なレベルには、やはり、いくつかの共通する、そして極めて現代的な、そしておそらくは普遍的なテーマが見え隠れしているように、私には、どうしても思えてならなかった。 それは、AIという、人間が自ら生み出した、しかし、もはや人間の知能や、理解や、そしてコントロールを超えて、自律的に、そして指数関数的に進化し始めているかもしれない、巨大で、そして計り知れないほどの可能性と、同時に、予測不能なリスクをも秘めた「新しい知性」の、不可逆的な台頭。そして、ここ、東京という、常に変化し続け、常に新しいものを貪欲に求め続け、そして、その変化のスピードに、あるいは、その変化が求める価値観に、適合できないものを、時に容赦なく、そして無慈悲なまでに置き去りにしていく、巨大で、複雑で、そして、その巨大さ故に、人を深い孤独へと誘う都市システム。 その、二つの、もはや個人では、あるいは一企業でさえも、抗うことのできない、巨大な力の、巨大なうねりが、複雑に交差する、この2025年という、まさに時代の転換点、特異点とも呼べるような時代の上で、私たち、日々を懸命に生きる、働く一人一人の人間が、いかにして、自分自身の、他者とは違う、唯一無二の、そして揺るぎない価値を見出し、自分らしい、心から納得のいく生き方、働き方を見つけ出し、そして、変化への、あるいは未来への、漠然とした、しかし根深い不安に押しつぶされることなく、前を向いて、未来への希望を、その手で、しっかりと手繰り寄せ、繋いでいくのか。 それは、まさに、この、困難で、しかし同時に、大きな変革の可能性をも秘めた時代を生きる、全ての「働く君」に、そして、もちろん、私自身にも、等しく、そして重く突きつけられた、普遍的で、そして決して避けては通れない、極めて切実な問いかけなのだ。私の、この「オアシス」は、その、簡単には答えの出ない、そしておそらくは、唯一の正解など存在しない、重い問いに対して、ここを訪れる「君」たち一人一人と、真摯に、そして心から向き合い、共に考え、そして、それぞれの「君」だけが持つ、唯一無二の「答え」の、その、小さな、しかし確かな光を、見つけ出すための、温かく、そして安全な場所であり続けたい。そう、私は、心の底から、強く、強く願わずにはいられなかった。そして、その願いこそが、私が、かつての自分のような「君」のために、この仕事を続ける、最大の、そして唯一の理由なのかもしれない。
主人公の過去の経験との接続
(2025年5月2日 金曜日 午後5時過ぎ - キャリア・オアシスにて)
その日の最後のクライアント、ダイキさん(第二新卒・就職活動に苦戦中)を見送ると、私は、ふぅ、と深く息を吐き出し、オフィスチェアの背もたれに、ゆっくりと体重を預けた。窓の外では、午後の柔らかな西日が、向かいの建物の壁を、淡いオレンジ色に染め始めている。金曜日の夕方。世の中の多くの人々にとっては、一週間の仕事から解放され、週末への期待に心を弾ませる時間なのかもしれない。だが、私の心の中には、今日出会った「君」たちが残していった、様々な感情の余韻が、まだ重く、そして複雑に渦巻いていた。
リナさんの、AIに創造性を脅かされることへの、切実な恐怖と戸惑い。 ケンジさんの、長年積み上げてきた経験が、時代の変化の中で価値を失っていくことへの、深い焦りと責任感。 ユミさんの、組織への貢献が顧みられず、年齢と共に居場所を失っていくのではないかという、静かで、しかし深刻な不安。 そして、タツヤさん、ミキさん、ダイキさん… 今日は会えなかったけれど、ここ数週間で、このオアシスの扉を叩いた、他の多くの「君」たちの顔、声、そして、言葉にならない溜息。
それらが、私の頭の中で、まるで万華鏡の破片のように、次々と現れては、重なり合い、そして、ある共通の、しかし漠然とした形を結び始めているような気がした。それは、この、変化の激しい、そして時に残酷なまでに非情な時代と、巨大都市・東京の中で、懸命に、しかし、しばしば孤独に、自分の「価値」と「居場所」を探し求め、もがき続けている、無数の「働く個人」たちの、切実な肖像画そのものだった。
彼ら、彼女たちの悩みは、決して他人事とは思えなかった。むしろ、その一つ一つが、まるで自分の過去の記憶の引き出しを、無理やりこじ開けられるかのように、かつての私自身が、この身をもって経験し、そして、時には血を流すほどの痛みを伴って乗り越えてきた(あるいは、未だに完全には乗り越えられていないのかもしれない)、様々なキャリア上の葛藤や、心の傷と、驚くほど、そしてしばしば痛切なまでに、深く共鳴する部分があったからだ。
(主人公 視点 - 回想と内省) 例えば、リナさんが語った、自分の創造的なスキルや感性が、AIによって、いとも簡単に模倣され、そして価値を失ってしまうのではないかという、あの、切実な恐怖。私は、それを聞いた時、遠い昔の、しかし決して忘れることのできない、自分自身の苦い経験を、鮮明に思い出していた。 あれは、私がまだ20代後半、IT業界の片隅で、Webデザイナー兼フロントエンドエンジニアとして、がむしゃらに働いていた頃だ。当時の私は、当時としてはまだ新しかった、特定の、そしてかなりマニアックなデザインツールと、あるフレームワークを、誰よりも深く習得し、それを武器に、いくつかの大きなプロジェクトを成功させ、社内でもそれなりに評価され、「自分には、他の誰にも真似できない、特別なスキルがある」と、若さゆえの、根拠のない万能感と、傲慢さにも似た自信を持ち始めていた。だが、ある日突然、業界の技術トレンドが、まるで地殻変動のように、大きく、そして急速に変化したのだ。私が、あれほどまでに時間と情熱を注ぎ込み、そして自分のアイデンティティの一部とさえ信じていた技術は、あっという間に「時代遅れ」のレッテルを貼られ、全く新しい、そして私にとっては完全に未知の技術スタックが、業界標準として、急速に普及し始めた。それまで積み上げてきた知識や経験が、まるで一夜にして、何の価値もないガラクタになってしまったかのような、あの時の、足元から、自分の存在そのものが崩れ落ちていくような、激しい喪失感と、絶望感。そして、必死で新しい技術を学ぼうとしても、なかなか思うように習得できない自分への、焦りと苛立ち。そして、それを、まるで呼吸でもするかのように、いとも簡単に、そして楽しそうにマスターしていく、年下の、才能溢れる同僚たちへの、醜い嫉妬と、惨めな劣等感。あの時の、息が詰まるような閉塞感と、自分の存在価値が、市場から、そして自分自身の中からさえも、急速に失われていく恐怖は、今でも、私の胸の奥に、鈍い痛みとして残っている。リナさんが、今、感じているであろう恐怖と、絶望感は、形こそ、AIという、より強力で、そしておそらくはより根源的な脅威へと変わってはいるけれど、その、自分の核となる部分が揺さぶられるような感覚は、きっと、あの時の私の痛みと、深く、深く、地続きなのだ。
あるいは、ケンジさんが吐露した、ミドル世代としての、あの、身動きが取れないような葛藤。長年、現場で、泥臭く培ってきた経験則や、人間関係資本が、データとAIが支配する、新しい、ドライな合理性の前では、もはや「古い」「非効率」なものとして、評価されなくなっていく、という焦り。そして、時代の変化に対応し、自分自身も変わらなければならないと、頭では痛いほど分かっていても、新しいことを、それも全く畑違いのことを、一から学ぶことへの、心理的な抵抗感や、現実的な困難さ。そして、家族を養い、住宅ローンを払い続けなければならないという、重い、重い責任感。 それは、私が、30代半ばで、安定していたはずの会社員の地位を捨て、大きなリスクを承知で、自ら小さな経営コンサルティング会社を立ち上げ、そして、結局は、様々な要因が重なって、それを畳まざるを得なくなった、あの、苦しく、そして情けなかった日々の記憶と、鮮やかに重なる。自分よりも遥かに若く、最新の経営理論や、デジタルマーケティングの手法、そして、何よりも、失敗を恐れない、軽やかなマインドセットを持った、新しい世代の経営者たちが、次々と現れ、そして成功していく姿。彼らの、圧倒的なスピード感と、柔軟な発想力、そして、私には持ち得なかった、生まれながらのデジタルネイティブとしての感覚。それらを目の当たりにするたびに、私は、自分の、これまでの経験や知識が、いかに古臭く、限定的で、そして新しい時代の変化に対して、硬直化してしまっているかを、嫌というほど痛感させられた。変化しなければ、淘汰される。それは、ビジネスの世界の、冷徹な掟だ。それは分かっている。だが、長年かけて、自分なりに試行錯誤し、そして成功体験として体に染み付いてしまっている、自分なりの仕事のやり方や、価値観を変えることは、想像を絶するほどに、困難で、そして深い痛みを伴うプロセスだった。古い、しかし慣れ親しんだ殻を、どうしても破れない自分への、激しい苛立ちと、それでも、守るべきもの——ついてきてくれた数少ない社員や、信じてくれた家族——のために、必死で、プライドもかなぐり捨てて、もがき続けた、あの、暗く、そして孤独だった日々。ケンジさんが、今、その肩に背負っているであろうものの、その重さと、その痛みは、他人事ではなく、まるで自分のことのように、痛いほど分かる気がしたのだ。
そして、ユミさんの、あの、静かな、しかし、だからこそ、より深く胸に突き刺さるような、長年、組織のために、そして同僚たちのために、目立たない場所で、しかし誠実に貢献してきたにも関わらず、時代の、そして組織の、効率化という、冷たい論理によって、自分の役割や、存在価値そのものが、静かに、しかし確実に失われていくのではないか、という、深い恐怖と、諦めにも似た感情。 それは、私が、新卒で入った、あの、巨大で、そして官僚的な大手企業で、ある日突然、宣告された、大規模で、そして非情なリストラクチャリング(事業再編)が行われた際に、間近で見た、多くの先輩や、同僚たちの、あの、忘れられない光景、そして、その時に、私自身も、心の奥底で感じた、拭いきれない不安と、どこか通じるものがある。長年、会社のために、人生の多くの時間を捧げ、真面目に、そして誠実に働き続けてきた、何の落ち度もないはずの、中高年のベテラン社員たちが、ある日突然、役員会議室で下された、「組織全体の生産性向上のため」という、冷たく、そして一方的な論理の下で、「余剰人員」あるいは「付加価値の低い人材」と、まるでモノのように見なされ、屈辱的な早期退職勧奨を受けたり、全く経験のない、畑違いの部署へと、事実上の左遷とも言える異動を命じられたりしていく。その時の、彼ら、彼女らの、信じられないというような、戸惑いの表情、会社への貢献を踏みにじられたことへの、静かな怒り、そして、これからの自分の人生に対する、深い、深い喪失感と絶望感。そして、そんな彼らの姿を見ながら、自分も、いつか、同じように、組織にとって、あるいは社会にとって、「不要な存在」と見なされ、切り捨てられてしまう日が来るのではないか、という、拭い去ることのできない、冷たい不安。会社という、あるいは社会という、巨大で、しかし、個人の力ではどうすることもできない、非情なシステムの中で、個人の尊厳や、人生をかけて積み上げてきたはずの経験や、組織への貢献が、いかに、いとも簡単に、そして軽んじられてしまうことがあるのか。その、声高には語られない、しかし、この国の、あらゆる場所で、日々繰り返されているであろう、理不尽さと、やるせなさ。ユミさんの、あの、常に完璧に保たれた、穏やかな微笑みの下に隠された、深い悲しみと、誰にも打ち明けられない孤独と不安は、決して他人事ではなく、まるで過去の自分の姿を見ているかのように、私の心を、強く、そして痛切に揺さぶったのだ。
そう、私は、知っているのだ。そして、おそらくは、これを読んでいる「君」も、薄々気づいているはずだ。働くということの中に、常に、光と、そして影が、表裏一体となって存在していることを。自己実現や、社会貢献という、輝かしい希望と、同時に、過酷な競争や、理不尽な評価、そして、時に、心を深く蝕むほどの、孤独感や、無力感が、常に隣り合わせにあることを。 だからこそ、私は、この「キャリア・オアシス」という場所で、ただクライアントの悩みを聞き、表面的に共感し、そして耳障りの良い、ありきたりのアドバイスをするだけでは、決して、足りないと思っている。もちろん、まず、相手の心に深く寄り添い、その痛みや苦しみを、自分のことのように感じ、共感することは、この仕事の、そして人間関係の、最も重要な土台だ。だが、それだけでは、彼ら、彼女らが、本当に、この、複雑で、そして厳しい現実の中で、自分自身の足で、再び立ち上がり、そして未来へと力強く歩き出すための、本当の意味での力にはなれない、と私は信じている。 本当に必要なのは、その、深い共感に基づいた上で、しかし同時に、極めて冷静な、客観的な現状分析を行うこと。そして、彼ら、彼女ら自身も、まだ気づいていない、あるいは、自信のなさから見過ごしてしまっている、その人固有の、唯一無二の「強み」や「価値」、私が「光」と呼ぶ、その可能性の源泉を、これまでの経験や対話から得られる人間的な洞察と、時にはAIのような、客観的な分析ツールの力をも借りながら、共に、丁寧に、そして具体的に見つけ出し、それを、本人にも、そして社会にも分かるような形で「言語化」し、そして、その価値を、本人が、心の底から自覚してもらうこと。さらに、常に変化し続け、そして必ずしも論理や公平さだけでは動いていない、「市場」という名の、複雑怪奇な迷宮の中で、その、見つけ出した「光」を、最大限に活かし、そして輝かせるための、具体的な戦略と、その人だけの、納得のいくロードマップを、共に、創造的に描き出していくこと。 そして、おそらく、何よりも大切なのは、彼ら、彼女らが、今、どんなに困難で、絶望的に見えるような状況に置かれていたとしても、決して、未来への希望を、完全に手放すことなく、自分自身の内に眠る可能性を、心の底から信じ、そして、自らの意志で、たとえ小さくとも、新しい一歩を、再び踏み出すための「勇気」を、そっと、しかし、誰よりも力強く、後押しし続けること。
私の、決して順風満帆ではなかった、数々の失敗や、挫折や、そして今でも時折疼く、心の傷。それらは、決して、他人に誇れるような、輝かしい経歴ではないかもしれない。だが、それらの、痛みと、後悔と、そしてそこからの必死の再生の経験があったからこそ、今の私が、ここにいる。そして、それらの経験を通して、私の魂に深く刻まれた、他者の痛みへの、深い共感と、どんな状況の中にも、必ず光は存在するという、人間の持つ無限の可能性への、揺るぎない信頼。それこそが、私が、この、キャリアコンサルタントという仕事を通して、かつての私自身のような、道に迷える「君」たちのために、提供できる、唯一無二の、そして最大の価値なのかもしれない、と今は思っている。 私は、決して、全てを知り尽くした、完璧な賢者でも、導師でもない。むしろ、私自身も、未だに、日々、迷い、悩み、そして新しいことを学び続けている、永遠に完成することのない、旅の途中の、一人の人間に過ぎないのだ。だが、それでも、いや、だからこそ、かつての私のように、あるいは、今、私の目の前にいる「君」たちのように、暗闇の中で、どこへ進めばいいのか分からず、立ち尽くしている人々のために、ほんの少しだけでも、行く先を照らす、小さな、しかし温かい灯りとなりたい。そして、君が、最終的には、君自身の力で、君だけの、かけがえのない「光」を見つけ出し、そして、再び、力強く、自分らしい未来へと歩き出す、その、尊い姿を、この「オアシス」から、そっと、しかし心からのエールと共に、見守りたい。 そう、私は、心の底から、強く、強く願っているのだ。
そのために、私はまず、彼ら、彼女ら一人一人の「現在地」——その客観的な状況と、そして、その内面にある、複雑な感情の両方——を、できる限り正確に、そして深く、知ることから始めなければならない。AIという、強力で、客観的で、しかし感情を持たない、現代の「相棒」の力も、賢く借りながら。そして、その、AIが描き出す、データという名の、平面的で、モノクロームな地図だけでは、決して見えてくることのない、一人一人の「君」という、色彩豊かで、立体的な、そして、かけがえのない、無限の可能性を秘めた「光」の在り処を、見つけ出すための、深い、そして時に困難な旅へと、彼ら、彼女らと共に、これから、一歩ずつ、歩み出すのだ。この、キャリア・オアシスという場所から。