幽霊魔女の弟子でじゅうぶんです
足元まで伸びた赤い髪と瞳を持つ魔法使いの少女。
リコリス・フラメルは魔窟の奥深くで魔物に育てられた少女であり、少し、―――いや、かなり、浮世離れをしている。
母は王太子ニコラス・ペンドラゴンと恋仲にあった当代随一と呼ばれた宮廷魔術師のマリーナ・フラメル。
宮廷魔術師とはいえ平民であるマリーナとの関係を良く思わない諸侯は多く、ニコラスが国王に臣籍降下を打診している間もマリーナの命を狙った王家や貴族の息の掛かった者によってマリーナは身を隠しながら生きなければならなかった。
何故、マリーナの命を狙う者が多かったのか?
それは、『既成事実さえ作ってしまえば文句は言えないだろう』と言う王太子の提案に従い、マリーナがニコラスの子供を身篭ったから。
「王家に下賎の血が入るのは断じて許さぬ」と彼らはマリーナをお腹の子供諸共処分しようとした。
少し、見通しが甘かったかもしれない、と2人は悔やみマリーナはSランク冒険者しか足を踏み入れない魔窟で生活を始めた。
産まれてくる子供に授ける特殊能力を吟味しながら、マリーナは日に日に大きくなるお腹を愛おしそうに撫でた。
王太子が王都で国王夫妻を懸命に説得しているうちに月が満ちて生まれたのがリコリスである。
リコリスは、王家の証であるプラチナブロンドの髪を持って生まれて来た。
マリーナは、王家に対する反抗の意志は無い事を示す為に魔法でリコリスの髪を自分とおなじ赤い色に染め上げた。
マリーナは、リコリスを守る特殊能力を20以上開花させた後、いつもの様に魔窟を散策している時にうっかり足を滑らせて亡くなっている。少なくとも、マリーナの亡骸を最初に見つけた魔物の友達が見た限りは。
まだ1歳にもならない親を必要とするリコリスは氷狼の巣の中で何も知らずに眠っていた。
マリーナの友達になっていた魔窟の魔物達は遺されたリコリスを自分達の仲間として育てる事にした。
―――そんか魔窟での日々も、マリーナの同僚であったエリザベス・ホーエンハイム公爵夫人が派遣した捜索部隊により、終わりを迎える事になる。
リコリスは15歳になっていた。
魔力の強い魔窟で生活していた事と、複数の特殊能力による副作用もあってか、見た目は10歳に満たない少女の姿だった。
ギルドに登録されていたマリーナの魔力紋様とリコリスの魔力紋様が一致した為、リコリスは祖母のペレネルに引き取られる事となった。
父であるニコラスは娘の発見の報せを受けて早馬で向かっている途中、事故に遭って帰らぬ人となったそうだ。
リコリスが良く分からないでいる間に、ホーエンハイム公爵夫人の手配でアンブローズ魔法学園に入学する事が決まった。
何故、と聞けば「自分の身を護る手段を知っていた方が良い」と言う事だった。
「人間社会は魔物よりも恐ろしいモノが蠢いている」と魔窟の育て親達が言っていたし、リコリスは「なるほど」と納得した。
アンブローズ魔法学園は、五年制の学園で17歳から入学出来る。魔法の才能があるものであれば貴族も平民も関係なく門戸を開いている最高の学び舎。
ホーエンハイム公爵夫人の娘であるメリッサ直々に、入学までに必要な魔法の知識や人間社会の礼儀作法を学び、毎日「魔窟に帰りたい」とボヤきながらもなんとか入学まで漕ぎ着けた。
最初のテストは、入学者が身に付けている基礎魔法を披露して欲しい、と言うものだった。
何だかみんなコチラを見ている。特殊能力で聞こえる彼らの心の声からは、『魔法学園に入るのに、杖も魔導書も持って来ていないなんて…』と言うものだった。
リコリスは「ふつうは、魔法を使うのに、杖や魔導書が居るのですね…」と納得した。
取り敢えず、火炎を披露すればいいか、と『高速詠唱』『威力増幅』『広範囲攻撃』の特殊能力を併用しつつ、魔法を披露した。
―――学園の修練場が、焼け野原になった。
指導のバルバロッサ教授が、「魔法と特殊能力の同時併用は、5年生でも難しい事だ」と言った。
杖を持っていない、と言うリコリスに教授は開校者で伝説の魔法使いマーリンの杖を渡したのだが、リコリスが少し魔力を込めただけでマーリンの杖にはヒビが入ってしまった。
リコリスには「宮廷魔術師相当」と言う説明がされたが、本人は今ひとつその素晴らしさを理解していない。
◇◆◇
学園は、嫌な『声』でいっぱいだな、とリコリスは思う。
表向きはニコニコしていても、裏では誰かを蹴落とす事を考えていたりする、魔物よりも恐ろしい、魑魅魍魎が跋扈する場所だ。
『学園在籍中は、身分に関係なく平等に』
と言う校則はあってない様なものだ。
貴族出身の子供達が、自分の家より家格の低い貴族の子供や、平民出身の学生を差別しているのを入学してたった3日でイヤと言う程見てきた。
メリッサは珍しいタイプだったんだ、としみじみ思う。
リコリスの、「野良犬みたい」と呼ばれたゴワゴワの長い髪を綺麗に整えてくれたり、メリッサの婚約者に蔑まれた時はコークスクリューをお見舞いしたりする優しいお友達だ。
どうしてそこまで目を掛けてくれるのか、と聞いたら「お母様の恩人の娘を蔑ろにする様な人でなしにはなりたくないからですわ」と言っていた。
公爵夫人がギルドの依頼でドラゴン退治に同行した時、『宮廷魔術師がいるのだから大丈夫だ』と余裕をカマしていた当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったパーティーは、想定以上に巨大だったドラゴンに対して腰を抜かして夫人を残して脱出の小瓶で逃げたらしい。
そこに、そのパーティーの悪い噂を知っていたマリーナが駆け付けてパーティーに見捨てられて意気消沈としている夫人を助けて、高火力の高位魔法でドラゴンを退治した。
だから、夫人はマリーナやその家族に何かあったら絶対に助けると決めていたし、自分の子供達にもその話を聞かせていた。
―――夫人を見捨てたパーティーはいつのまにかギルドどころか国からも姿を消していたそうだけれど、その辺は聞かない方が良い気がする。
◇◆◇
カトリーヌ・フラメルはいつも世紀の錬金術師夫婦と呼ばれる両親、当代随一の宮廷魔術師である姉のマリーナと比べられていた。
両親やマリーナはカトリーヌをぞんざいに扱った事はないが、錬金術師と魔術師の家系に生まれたのにカトリーヌにはその手の才能は一切ない事を本人が1番気にしていたし、周りの人間も、「カトリーヌは無能だ」と言っていたのでカトリーヌは両親や姉を嫌い早々に結婚してフラメルの家を出ていた。
カトリーヌは商才があった様で傾きかけた商会ギルドを夫と共に立て直し国で1番の商会ギルドにまで盛り上げた。
実家を出て一度も顔を見せなかったカトリーヌはリコリスを最初に引き取る、と言っていたが、十中八九マリーナの遺産目当てだろう、とペレネルは言っていた。
リコリスが見つかってからすぐ、商会の会長になっていた夫と子供を捨てて、「自分がリコリスを養育する」と宣言した。
この国で不慮の事故で宮廷魔術師が亡くなった場合の財産は国庫に収められるか、子供がいる場合は子供に支給される。
マリーナの妊娠は誰もが知る事実だったし、魔窟からニコラス宛に『娘が産まれた』と手紙が届いていた。
「魔物に食い殺されているだろう」と言う王家や貴族の考えとは裏腹に、魔窟に入った冒険者から「人間らしい子供が魔物と暮らしている」と言う噂話が流れていた。
真偽は兎も角、カトリーヌは「姪は生きている」とギルドに持ち掛けた。
公爵夫人もまた、「マリーナの娘が魔物如きに遅れを取るとは思えない」と言った。
父親の王太子も、「マリーナが暮らせていたのだから、子供も無事な筈だ」と言ってマリーナの遺産を早々に国庫へ移そうとしていた王家の人間達に待ったを掛けた。
マリーナの遺産は、伯爵位の貴族と同じ位あるらしい。
ただ、リコリスにはその価値が分からない。
人間が魔窟に来ると宝石や貴金属を盗って帰るのは見ていたのだけれど、どうしてそんなものが欲しいのか良く分からなかった。
だから、母の遺産をカトリーヌが欲しいと言っているならあげたらいいんじゃないか、とペレネルに言えば、
「貴女のお金と言う事になるのだから、貴女が使うのが道理です」
と言われた。
リコリスは王家の血と、当代随一と呼ばれた宮廷魔術師マリーナの血を引いている。
杖や魔導書無しで魔法を操れる事も、今はよくてもいずれは魔力が暴走を起こすかもしれない。
リコリスの魔力は魔法学園に遺っている伝説の魔法使いマーリンの魔力を遥かに上回っているので、魔力が暴走すれば国ひとつ簡単に滅んでしまう。魔力をコントロールする為の杖を作ろうと思えば莫大なお金が必要になるから、と説明されて、そういうものか、と納得した。
リコリスが今使っている部屋はマリーナとカトリーヌが子供の時に使用していた部屋で、押し入れにはカトリーヌが子供時代に書いたカトリーヌらしき人物が主人公の物語のノートがいくつかと、マリーナが「不用品」と小箱に詰めていた魔石―――魔力を使い果たしてただの宝石となったもの―――があった。
メリッサにノートを見せると「お母様の腕がなりますわ!」と言って持って帰っていた。
公爵夫人がその物語をもとに異世界転生をするロマンス小説を発表し、カトリーヌが発狂するのはまだ少し先の話である。
◇◆◇
学園では主に図書室か、マーリン像の前で勉強をしている。
人があまり近寄らないので、此処が1番静かだ。
魔窟だけでは知り得なかった魔法の知識を学ぶ事は楽しい。
ただ、1年生でも貸出可能な図書室の魔導書はもう全て目を通してしまったので、ペレネルの研究書で暇を潰している。
連絡魔法で課題を提出するリコリスにとって、必ず出席しなければならない筆記テスト、実技テストで学園に足を運ぶのは億劫だ。
―――聞きたくもない魑魅魍魎の声が嫌でも聞こえてきてしまうからだ。
今回は、500点満点の筆記テストで75点をとった。
教授以外はリコリスの点数を見てクスクスと笑っていた。
『街にゴブリンが侵入した場合の対処として、ゴブリンは5歳児相当の知能がある為、噛み砕いて説明すれば闘わずとも問題ない。
―――これ、5年生の問題だよね?なんで1年生が…
しかも、他の解答欄は応用魔法の術式では無く基礎魔法の術式を解答する様に、ってあるから実質500点満点じゃないか…』
ふと見上げると、金髪碧眼の女性がリコリスのテストを除き込んでいた。
学園内でチラホラ見掛けた事がある人だ。
幽霊らしく、他の生徒は彼女を見ると逃げる。
生きている人間の生気を吸って死に至らしめる、と言われているからだ。死人では無いのだから幽霊にそんな力は無いがあまり関わらない方が良い、と育て親の魔物達は言っていた。
なるほど、このテストの意味はそういう事だったのか、と思ったリコリスはつい、幽霊に話しかけてしまった。
『え、キミ、私の言葉が分かるのかい?』
魔法使いは幽霊を見る事はある。だが、普通は意思疎通が出来ない。その昔死霊使いと呼ばれた魔法使いが容赦なく幽霊を魔法の弾丸として使っていたのは、幽霊には意志が無いとされていたからだ、と前に読んだ文献の内容を思い出した時には
『決めた、キミを私の弟子にするよ!』
と笑顔で言われてしまった。
◇◆◇
ガニエダ・アンブローズ。
伝説の魔法使いマーリンの妹で、『出涸らし魔女』と呼ばれていた女性。
その大きな理由は、戦乱の時代にあまりにも必要性を感じない魔法ばかりを生み出していたからであり、決して無能と言うわけではない。
寧ろ、マーリンの弟子の中で1番魔力の扱いが上手かった。
ただ、攻撃魔法は苦手だった。
目の前で両親が炎の魔法で燃え尽きるのを目にしてから、誰かを傷付ける為に魔法を使いたくないと強く思った。
「キミは生まれてくる時代を間違えたのかもしれない」と良く言われていた。
魔王との戦いが終わり、魔王残党もほぼほぼ姿を消した頃、兄のマーリンは弟子と共に魔法学園を創った。
周期的に誕生する魔王への対抗手段と、研究の為である。
旧い時代のデータベースへのアクセスしたところ、概ねひとつの文明が繁栄の最盛期を迎えた頃に魔王は生まれている。
魔物は比較的穏やかな種族で、縄張りを荒らさない限りは人間に危害を加える事はないが、魔王は違う。
まるで、「かくあるべし」と言う様に人類に攻め込み、神殿が指定した勇者の剣を操れる者以外は傷ひとつ負わせる事も出来ず、人類が全盛期の3分の2まで数を減らした頃に現れる勇者によって倒される、と言う事が数百年から数千年おきに繰り返されている。
つまり、魔王の存在には天上の神々の意向が関与しているのではないか、とマーリンは考え、それを研究する為の場所としても魔法学園を活用した。
―――彼の死の間際に、その予測は概ね正しかった事が判明する。
滅びた文明の中には科学文明もある。魔法の存在が忘れ去られ、人類も剣ではなく銃器やコンピュータでの生活基盤が整っていた文明においても魔王は誕生する。魔物の数も大いに激減し、人類の生活を脅かす存在はないにも関わらず、だ。
そうしていくつもの文明の解明をしながら見つけ出した共通点は、「人類の総人数が一定」かつ、「神々への信仰心の弱化」だった。
要は、魔王の存在も勇者の存在も神々のマッチポンプ。
実にくだらない、とマーリンは言った。
◇◆◇
『私たちの死後およそ2000年後にまた魔王が生まれる。その前にこのくだらない仕組みを変える為の存在を見付ける事。
それが、私が幽霊としてこの時代まで遺っている理由なんだ』
何故、自分を弟子にしたいのか、と聞けば『キミが妖精妃だからさ』と返ってきた。
神々の端末である精霊や妖精達の王の妃たる資格がある存在を妖精妃と呼び、現王家の祖であるアーサー王の妻ギネヴィアも妖精妃だったそうだ。
彼の機嫌を損ねればいかに神々と言えども世界に手出しが出来ない。
『ギネヴィアはアーサー王に預けただけ。いつかボクのもとに返して貰う』
そうして彼の王がずっとずっと待ち続けて漸く生まれたのがリコリスなのだそうだ。
妖精妃も、魔王や勇者が繰り返し歴史に現れる様に定期的に誕生する。最後には運命付けられた王のもとに行き、彼女の夢が次の文明の基礎となる。
『ギネヴィアは妖精妃だったけれども、必ずしも精霊や妖精達の王の妻になるわけじゃない。
既に愛している人間がいるなら王はそちらを優先してくれる。まぁ、代わりに文明の滅亡が早まるわけなのだけれど』
ひとつの文明の終わりに、妖精妃はプラチナブロンドの髪とルビーの様に赤い瞳を持って生まれる。
両親の遺伝子とは無関係に、髪色と瞳の色がその様に生まれるので浮気を疑われた母親諸共追い出されたり、最悪の場合殺される事もある。
王に出会わず妖精妃が命を落とした場合、次の文明は前文明の人類が完全に亡びた後に生まれる。
「…とんでもない舞台装置ですね」
せめて妖精妃の情報は文明に引き継いで遺しておこうと神々は考えなかったのだろうか。
先代が王のもとにゆかず、勇者と結ばれた事で現在の文明は盛者必衰を繰り返す文明の中で最長のものになっているそうだ。
だから、神々ははやく文明を終わらせたい。
カトリーヌが残した子供時代のノートの落書きの様な、『自分の考えた最強の文明とそこに生きる人類』を試したいと考えているから。
◇◆◇
ユミナは妖精郷と呼ばれる場所に程近い集落で生まれた。
彼らはイタズラ好きで、人間に対して取り替え子を行う事があるので集落の人々はミスリル銀の指輪を身に付け、人間には有害な妖精の妖気から離れる為に空を飛ぶ魔法を生み出した。
集落の外のギルドに登録して出稼ぎをしていたユミナは3年組んだパーティーから追放されて途方に暮れていた。
「最初は、みんな、喜んでくれたのにな…」
集落の外では、空を飛ぶ魔法を修得している魔法使いはいないので物珍しさで勧誘された可能性は否めないが、それでも誰かの役に立てると思うと嬉しかった。
『他に、何の魔法が使えるんだ?』
使えない。
集落では、魔法を必要とする作業は妖精達が気まぐれでやっていた。だから、空を飛ぶ魔法以外は修得する必要が無かった。
役に立とうと思って魔導書を開いてみたはいいものの、古代魔法文字を読むことが出来なくていつも辞書とにらめっこしてやっと指先に灯る程度の灯火が使えるくらいだ。
3年も置いてくれていただけ、有難いのかもしれない。
泣いていてもしょうがない、とゴシゴシと顔を拭いて前を向くと目の前に幼女が幽霊を連れて立っていた。
―――泣き顔を見られたくないので、空を飛んでいたので驚いた。
「へぁ?!」
変な声をあげて箒から落ちそうになると、幼女が魔法でキャッチしてくれた。
「わたしは、リコリス・フラメルと言います。
妖精郷に行きたいので、空を飛ぶ魔法を教えて貰えませんか?」
幼女だと思っていたが、話を聞くとユミナと3歳しか違わないと言う。
リコリスはユミナから魔法を教えて貰った御礼にと、集落の外を知らないユミナにある事を教えてくれた。
「灯火は光属性の魔法で、光属性の魔力の持ち主は希少です。光属性に該当する魔導書であれば、辞書が無くても内容が自然と分かると思います」
魔法使いと言う生き物は、得意属性の魔導書以外は魔導書が読みにくいと言う特性がある。
それは魔導書が持ち主を選ぶ性質があるからであり、認識阻害されてしまうからだ。
「光属性の使い手は、聖女とか、聖人として歴史に名前を残しています。
―――ユミナさんのパーティーは、魔窟に入っても魔物に襲われ無かったり、罠に引っかからなかったりと言った幸運が多く無かったですか?」
思い返せば、難度の高い魔窟に潜っても不思議と魔物に襲われる事も無く、即死級の罠は踏み込む前に別の冒険者が引っ掛かり、無傷で街まで帰る事が出来ていた。
―――リコリスからそんな話を聞いて間もなく、パーティーが瀕死の状態でギルドまで戻ってきたのを見た。
ユミナの代わりに加入したらしい魔法使いは疲れた顔で1番傷の酷い剣士を抱えていた。
追放されたとはいえ、かつての仲間を見捨てる様な真似は出来なかったのでユミナは覚えたばかりの癒しの光を使って助けた。
『新しい聖女の誕生』と言う話が街中を駆け回り、神殿がユミナを正式に聖女として迎えに上がったのはまた別の話である。
◇◆◇
魔女モルガンは魔王の妻である、と言うのが定説ではあるが彼女はただ持って生まれた性質上人間としては生きられなかっただけで魔王に手を貸したのも気紛れである。
モルガンは人間の身体に妖精の概念を持ったイレギュラーの存在だった。
もしかしたら、彼女の存在こそ、「神々の端末である精霊や妖精に自我を持たせるべきでは無い」と言う警鐘だったのかもしれない。
彼女の弟である勇者が魔王を打ち倒した後、妖精郷へと赴き、人間としての生を終えて妖精郷の女主人になった―――
そんな彼女は時に名を変え姿を変え、後世に幾度となく姿を現しては「なんとなく」で人の世を乱していつの間にか姿を消す存在だった。
ガニエダが知るだけでも、「ヴィヴィアン」「ニムエ」と言う名を持っている。
リコリスの担任である土御門朝陽によると東の国へ姿を現した事もあり、彼女は「葛葉」と名乗り朝陽の先祖である保名と言う青年と結ばれて子を設けたと言っていた。
モルガンは神々にしか手を加える事が出来ないと言われていた勇者の剣を加工している。
精霊と妖精の王オベロンに導かれてニコラスの不慮の事故以降行方が杳としてしれなかった王位継承の証の勝利の剣が、モルガンが細工した勇者の剣である。
それは、剣と呼ぶよりは杖、黄金の鍵と言った方が正しい形をしていた。
『僕は、"閉じる力"を足しただけだよ』
感情の篭らない目で、モルガンは呟く様にそう言った。
リコリスは剣の刺さる台座を見る。
家の鍵を閉めるみたいにくるりと回したらどうなるのだろうか、と好奇心で勝利の剣を回す。
―――神々の存在する時空と、リコリス達人間が生きる大地は神々による干渉の起こらない新たな世界へと作り替えられ、ただの端末だった精霊や妖精がこの世界の神として機能する様になった。
『勇者の血を引く妖精妃が世界の在り方を決めたのだから、神々も文句は言えないだろうさ』
と、オベロンは楽しげに笑っていた。
「勝利の剣はキミの好きにしていいよ」と言われたので、リコリスは持ち帰る事にした。
顔も知らないが、一応、父親の形見でもある。
リコリスの魔力に触れて問題の無かった品物なので、自分の杖として使っていいのではないかな、とガニエダに言われた事もあり、杖として持ち帰る事にした。
◇◆◇
土御門灯里は朝陽の妹であり、留学生として、この国に来た。
向上心の高い自慢の妹だと思っていたが、この国に入国する2週間程前から
「この世界は舞台を同じくするとあるギャルゲーと乙女ゲーの世界だ」
と言い出した。
歴史には、異世界転生や転移してこの世界に来て破滅していった先人達が沢山いる事を知っていたので、朝陽はそう言った事を人前で言わない方が良い、と聞かせるのだが、灯里には何処吹く風だった。
いわく、冒険ファンタジーの要素も含むこのゲームでは主人公である朝陽か灯里が聖人、または聖女としての能力を発現し魔王を打ち倒すらしい。
そして道中、パーティーメンバーの誰かと想いを育みエンディングで想い人と結ばれる。
灯里の推しである王太子には婚約者のメリッサが悪役令嬢として立ちはだかるのだと言うが、既に婚約者がいる身分の令息にアプローチを掛けて所謂悪役令嬢からの虐め―――お咎めだけで済むのは温情に過ぎない。
東の国ならばともかく、この国ではただの平民に過ぎないのだから不興を買えば首と胴体が別れる事になる。
「そもそも、灯里には婚約者がいるだろう?」
朝陽に言われた灯里はきょとんとしていた。
この国に朝陽は特別講師として、灯里は留学生として招かれる前に自国で待つ婚約者と婚約式を済ませ、それぞれ5年後にその婚約者と結婚する手筈になっている。
おかしな事を言い出す前は灯里は婚約者からの文を何度も読み返しては頬を染め、詩歌や物語を参考に返信をしていた。
「ほら、毎日の様に文が来ているだろう?」
「攻略キャラじゃない名前だからただのモブでしょ?あたし、モブと恋愛なんてしたくない」
蘆屋の若様から、『妹君から露と返信が無いが、もしや病で床に伏せっておられるのだろうか』と朝陽にも文が来ている。
『近い内に、そちらに顔を見せる』ともあった。
朝陽がこちらの国に来て学んだ『異世界を観測する魔法』を使って灯里の言う世界を見ると、仏壇の前で涙を流す青年の姿が見えた。
―――灯里に入り込んだ『何者か』の兄で偶然にも『何者か』とその兄は自分達兄妹と同じ名前の『あさひ』と『あかり』。
灯里の中にいる『あかり』と同様この世界に似た設定のゲームを好んで遊んでいた人物で、交通事故で妹を亡くした様だ。
『あかり』は、「兄も一緒に異世界転生をした」と思っているからこそ、「お兄ちゃんも推しとイベントを進めなよ!!」と良く分からない事を言っているのかと納得した。
彼女の言う『朝陽の攻略対象』は『あさひの推し』であるリコリスを含めて全員生徒だ。
朝陽は故郷に残してきた婚約者を裏切る真似はしたくないし、生徒に手をだせば漸く就職出来た教師と言う職を失ってしまうし、リコリス以外の『攻略対象』は貴族令嬢。
(クビが飛ぶ…)
物理的に。
―――その後、来訪した蘆屋の若様に対しても同じ説明をしてしまった灯里は『獣憑き』として処分される事になった。
◇◆◇
学園の図書室で司書を務めているパトリックはひとつ下の学年にいるリコリスに好意を寄せている。
婚約者のパトリシアは、「結婚前の火遊びに目くじらを立てるつもりはありませんわ」と言っていたが王家が認めていないだけで周知の事実である先代の王太子ニコラスの娘に手を出せばニコラス派の貴族を敵に回してしまうのを恐れていた。
実際、リコリスは保護されてからニコラスの妹達から幾度となく命を狙われているし、妹派の貴族や仕向けられた暗殺者や破落戸は『何故か』不幸な事故や病気で命を落としている。
精霊や妖精に愛されている、と言う気質はこの王国にとって繁栄を意味する重要な象徴でありその気質を知った彼女らの両親である先王と兄である国王夫妻は「リコリスに手を出すな」と娘達に伝えているが彼女達は「それが何だと言うのか?」と懲りる事が無い。
―――精霊や妖精の庇護を喪った国がどうなるか知らない訳では無いだろうに。
最近ふらっと姿を消していたリコリスは、見慣れない杖を持っていた。
リコリスから漏れ出ていた魔力はその杖によって安定している。魔力漏れは本人や周囲に甚大な影響を与えるので良い杖を手に入れたものだとパトリックは思った。
リコリスの傍には普通の精霊や妖精と違う気配を持った男がいた。
彼は物陰からリコリスに魔法を撃ち込もうとしていた破落戸を指のひと振りでゴム毬に変えて楽しげに笑っている。
『そう言えば勝利の剣、今は王位継承の証なんだっけ?
どうする?この国乗っとっちゃう?』
「いえ、わたしは、魔法の勉強が出来たらそれで良いです」
―――この時、王族達に変化が現れていた。
精霊や妖精の加護を得る為王家の花の薬効でプラチナブロンドと赤い瞳を持っていた彼らは、本来あるべき姿へと戻っていた。
先王は金髪碧眼、先王妃は金髪翠眼、国王は金髪碧眼、王妃は銀髪、王妹4人は金髪碧眼や銀髪翠眼と見て分かるかたちになった。
妖精妃はプラチナブロンドに赤い瞳である事から本物を見抜けるオベロン以外は彼らを妖精妃と認識して加護を与えていたが、騙されていたと理解した精霊や妖精達は一目散に王の元へと去っていった。
リコリスに突っかかって来ていた先王の末息子の王太子は変化した自分の姿に驚愕していた。
―――灰色の髪に、黒い瞳。
王族に嫁いだ者達も王家の花を摂取する事でプラチナブロンドと赤い瞳をしているが、嫁ぐ前の生来の色はきちんと記録されている。
彼女達は金髪、銀髪、栗色を持つものが多かった。
何処まで遡っても、灰色の髪に黒い瞳の王族に嫁いだ令嬢は存在しない。
王家の花の薬効でおよそ20代の姿かたちで250年を生きる王族の姫や妃達は月のモノも常人より遙かに長くあり、初潮を迎えてから終わりを迎えるまで200年はある。
つまり、王太子の姿はとんでもなく分かりやすい先王妃の不義の証明だった。
妖精妃さえ幸せならば国が荒れても滅んでも問題の無いオベロンはリコリスの右手の甲に口付けを落とす。
これで現在の王家が王家の花で以前の姿に戻っても精霊や妖精達が騙される事はない。
―――その様子を呆然と見ているだけのパトリックに分かった事は、これから、この国は荒れるだろう、と言う事だった。
◇◆◇
「リコたんは正統な王女様になれる可能性があるんだって?」
祖父の友人の孫だと言うエドワードの問いかけに「そうみたいですね」と他人事の様に返事をする。
妖精妃。
当代聖女発見の立役者。
「本来享受するべきだった幸せをキミは手にしても良いのだぞ」、と王妃様は言っていた。
先王妃の不貞の追及の場に呼ばれたリコリスの元には勝利の剣の加護で具現した両親の姿があった。
『弾劾されるべき方々は王妃様の他にもいるわよね、ニック?』
『死人に口なし、と考えていた様だが、今の我々には生きている人間に言葉を届ける術がある。
―――キミのお陰だよ、僕たちの愛しい娘』
マリーナの死もニコラスの死も、現在の国王の王妹達が手引きしたもの。王族が平民を害しても罪には問われないが、兄であり王太子であるニコラスの死を手引きしたとなれば話は変わる。
今、先王妃と王妹達は沙汰が降りるまで離宮に軟禁されている。
魔物達に育てられてバリバリの野生児のリコリスには当事者でもあるに関わらず「あの王妃様がいるなら大丈夫だろう」とのほほんと考えている。
そんなリコリスの傍らにはオベロンの加護で守護聖獣になった氷狼のリルル、宝石獣のルビィ、サファイア、エメラルドがいる。
「幽霊魔女の弟子で、みんなと暮らせる平民で、わたしはじゅうぶん幸せなので、王女になんてならなくても構いません」
と、言うのは建前で。
王女として必要な礼儀作法を覚えるのが面倒なだけのリコリスは今日も自分の部屋で新しい魔法を覚える事に励んでいるのだった。