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ひかりになって  作者: 維酉
第三話 ゆめのしるべに
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08 ゆめのしるべに①

 カキフライ、と二宮がつぶやいた。だれにいうでもない、きっといった本人ですら気づいていないだろう、心の裡から漏れ出たような声。いつものひとりごとである。今日は「カキフライ」ときたか……更衣室でほとんど汗の染みていないジャージを畳みながら、わたしは「カキフライ?」と訊きかえす。


 二宮は大きく肩を揺らして、目を瞠った。それから、頬を赤らめて、こくりとちいさく肯く。


「その……カキ、旬だから」


 控えめなボリュームで答えて、はにかむように笑う。いまは十二月、そとはしんと冷え、いつ何時もカイロが手放せなくなった。たしかに、そろそろ旬のカキが出回る時期だ。


 わたしたちは更衣室を出、がやがやとした波にまぎれて教室まで歩く。道すがら、


「帰りにどっか寄る?」と訊いた。二宮は真剣な顔つきで、うーん、うーんと数度うなってから、

「ううん、我慢する」と、気だるげに首を振った。

「なに、体調わるいの?」

「えっ、う、ううん。そうじゃなくて……」二宮は体操服の入ったバッグをぎゅっと抱えて、バツがわるそうにいいよどむ。こころなしか、耳も赤い。「は、はずかしながら、ダイエットというか、その……」


 こんどはわたしが目を瞠る番だった。ダイエット? 二宮はいま、たしかにそういったのだろうか。


 わたしは二宮の恰好をうえからしたまでまじまじと眺めた。特段、かわりない。ひっこむところはひっこんでいるし、出るところはかなり出ている。背中を丸めて歩く以外に、これといって指摘するところが見当たらない。いわんやダイエットが必要な箇所というのは一見しただけではないように思える。


「え、えぅ……」と、二宮がちいさく鳴いた。「そ、そんなに見られると……」

「や、ごめん」


 教室に戻ると、わたしたちは弁当を広げ、午後の授業に向けて英気をやしなう。二宮の弁当は量じたい、さほどかわらないが、注意してみるとたしかに緑がおおめに思える。ダイエット、というよりは食生活の見直しに近いのだろうか。


 ま、どうあれ、日々体重計とバチバチにやりあうのが我々の日課である以上、じぶんでじぶんのコンディションが気に入らなければ多少のダイエットぐらい日常茶飯事だろう。ただ、いままで二宮が気にしているのをあまり見なかったから驚いただけで――それもそれで、失礼な話ではあるのだが。


 とにかく、わたしはつとめて気にせず、二宮と軽い昼食を済ませた。わたしは量がすくないので、二宮よりずっとはやくたべおわる。それですぐに暇になるから、メイドさんお手製だという惣菜をぱくぱくたべる彼女をぼんやり眺めるか、てきとうに駄弁るかして時間をつぶすのが日常だ。


 が、今日はそうもいかなかった。というのは、見知った顔がわたしのとなりに腰かけてきたからである。


「おい坂本」と、空いている席に腰かけ、山田はぶっきらぼうにいった。背が高く、すらりとした体型で、艶のある肌に、繊細な筆で描いたような眉、切れ長の目、すらりとした鼻――まぁ、顔はむかつくことに美人のたぐいだ。高めの位置で結ったポニーテールは首筋までゆったり伸び、ぴったりなサイズの制服をかっちり着こなす。こう見ただけでは清楚な女子高生である。


 急な山田の来訪に、わたしはともかく、向かいの二宮はびっくりして縮みあがっていた。流れるように動かしていた箸を止め、親がけんかをはじめた子どものように落ち着かないで、わたしと山田の顔を交互に見ている。


 それも仕方のないことだろう。山田は、わたしたちとは違って、校内ではそれなりに名の知れた人間である。成績優秀で主席入学、女子バスケ部では一年生ながらレギュラー入りし、夏の大会ではインターハイの舞台を経験した。その存在感はもちろん、このクラスでも存分に発揮されている――先ほどの体育でやったバスケでは、次期エースの才をいかんなく発揮し、注目の的。学級委員とかいうけったいな任を拝命しており、成績はトップ、生徒のよき模範として日々、文武両道の道をゆく。わたしたちとは、かなり縁遠い。


 そんなやつが、急にとなりに腰かけてきたのだ。二宮はたぶん、こいつとまともに話したこともないのだろうし、慌てふためいても無理はない。


 とはいえ、山田相手におどついたところで意味がないことも、また事実である。


「なにか用?」と、わたしは頬杖ついて訊いた。ついでにあくびも出てしまった。梅おにぎり一個しかたべないのに、いつも満腹感がすさまじいのだ。


 山田は呆れたようにため息をつき、それから右手を差し出した。お手をしろということだろうか? やれやれ、めずらしく声をかけてきたかと思ったら、このわたしを犬扱いするとは……眠気を噛みころしながら、わたしは丸めた右手をぽんと置く。


「ちがう」と、山田は噛みつくようにいった。「進路希望調査だよ。おまえ、まだ出してないだろ」

「うん」

「提出期限、一週間まえだっただろうが」

「うん?」

「取りにきてやったんだ。出せよ」

「提出したい気持ちはあるんだ」と、わたしは口元を覆いながらいった。またあくびが出そうだったからだ。「でも白紙の調査票しかないんだ。わたしの未来は真っ白なカンバスのように無限の可能性を秘めているから、あながち間違いではないんだけど」

「調査票はカンバスじゃないんだよ。仮にカンバスだとして、かくためのものだろ、それは」山田は腕を組み、膝もまた組んで威圧的な態度をとった。「いますぐ書け。おまえが書いて渡してくれるまで、ここを動かんからな」


 それきり山田はふんぞり返って、口も利かなくなった。午後の授業まであと三十分、ほんとうに居座るつもりらしい。


 わたしは困った。そもそも調査票をもっていない。たしか昨日、いよいよ書こうと思って自室の机に広げたが、ちょうど追っかけていた深夜アニメがはじまってから、ほっぽりだしたままだ。


 わたしは横目で二宮を見た。あいかわらず縮こまって、気まずそうにわたしたちから目を逸らしている。


「山田」と、睨みつけているままのやつに視線を戻す。「明日じゃだめ?」

「だめだ」と、きっぱりとした口調である。

「しかしわたしはないものを書けない」

「この際、進路希望なんててきとうに書けよ」


 それでいいのか学級委員、と思わなくもなかったが、


「ないものを書けないというのは」と、わたしは顔のまえで二本指を立てた。「希望する進路が決まってないことと、そもそも調査票を持っていないことのふたつを指します」

「……」山田は繕いもせず、顔をしかめた。「明日持ってくるのか? ほんとうに……」

「二宮に誓って」と、わたしはいった。いきなり名前を呼ばれた二宮は、死神に肩を叩かれでもしたのかというくらいに、からだをびくっと震わせた。

「そうか、じゃ、明日な……」


 山田は腕と膝をほどき、眉間のしわを揉みながら立ち上がった。どうやら、今日のところはあきらめてくれたらしい。去り際、二宮に、


「すまん、邪魔した」

「え、あ、う」挙動不審だった。「い、いえっ……」


 目も合わせてくれない同級生に、山田は目を丸くして、しかしすぐ微笑んだ。で、最後にわたしをきっと睨みつけたあと、さっさと教室を出ていった。


 山田が立ち去ったのを認めると、二宮はおそるおそる顔を上げた。なにか訊きたそうにこちらの顔を見つめるので、わたしは苦笑して、


「ちょっとした知り合い」と簡潔にいった。「や、気にしないでよ。調査票出すの、サボってただけだから」

「う、うん」二宮は素直に肯いた。「その……進路、きまらないの?」

「なにを書いても違う気がする」と、わたしは後頭部をかいた。「よくある悩みでしょ、じぶんは何者になりうるのか……アニメの見すぎかな」

「わかるよ。わたしも……時間、かかったから、調査票を書くの」


 そういってやわらかく微笑み、二宮はまた箸をうやうやしく動かしはじめた。

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