第三・五話 山田爽と坂本と二宮さん
坂本の進路希望調査票を届けると、ここ数日の厄介な仕事はとりあえずおわった。
担任の西先生から安請け合いしたものの、坂本はあいもかわらず億劫屋で、現物は三日目にしてようやく取りたてることができた。まったく、催促するこちらの身にもなってほしい。
とはいえ、坂本は結局、まともな進路希望を書いてきれいなプリントを提出してきた。それでひとまずは、よしとしよう。
昼休みに職員室を去ったわたしは、すぐに教室にもどって部活のメンツと弁当をたべた。部員はSNSで流行りのスイーツとかの話をしている。わたしも興味はあるが、みんなのように騒ぐほどでもない。
ふと坂本のほうを見やると、今日もかわらず、二宮さんとふたりっきりで駄弁っている。
そういえば、調査票に書いてあった進路希望は、坂本にしてはずいぶんしっかりと考えられていた。聞くところ、どうやら二宮さんとおなじものを書いたらしい。あいつにとってその場しのぎか、それとも本命の進路なのかは知らないが、どちらにしろいい友達をもったみたいだ。
「ねー爽ちゃん、つぎの授業なんだっけ」
「うん? 体育じゃない」
「うわっ、そうだったー」
「爽ちゃん、バスケうちと組もうよ」
「え、ずるい! 爽ちゃんいたら勝ち確じゃん」
わたしは苦笑して、てきとうに受け流す。弁当を平らげたら、てきとうに時間をつぶして、更衣室に向かう。
§
「え、坂本さんと組め……?」
西先生はうんと肯いて、右頬をかく。
「坂本さんと、二宮さんね、いままで授業中の試合やってなくて……3on3で一回だけでも試合してくれないと、こっちも成績が付けられないんだけど、たぶん忘れてるみたいなんだよね」
「はぁ……」
わたしはちらりと体育館のすみを見る。バスケットゴールのひとつを使って、坂本と二宮さんはずっとシュート練習をしている。経験者である坂本が、おそらく運動が苦手なのだろう二宮さんに、雑談交じりでゆるくコーチングしているかたちだ。
たしかに、あのふたりがだれかと組んで、3on3をやっているのは見たことがなかった。ふたりとも、バスケに限らずほかの種目でも、体育の授業ですすんでなにかするタイプではない。
「先生からも声かけたんですけど、坂本さんには軽くはぐらかされちゃって」
「あいつ、口だけはうまいですからね」
「ごめんね、最近頼ってばかりで」
「いいですよ。坂本さんとは知らない仲でもないですし」
「そうだったの?」
「小学校からいっしょで――まぁ、腐れ縁みたいな」
とにかく、頼まれたなら仕方ない。さっさと片付けようと、わたしは足早に坂本たちのほうへ向かう。
体育館の目立たない場所で、ふたりはなおもシュート練習を続けていた。打つのはほとんど二宮さんで、三分の一くらいの確率でネットを揺らす。シュートのたびに、坂本はたどたどしい両手打ちのフォームを直させ、二宮さんは真剣な表情で、また打つ。はいると、二宮さんはちいさく跳ねてよろこぶ。坂本も、まるで妹を見るような目でたのしそうに笑う。
完全に、ふたりの世界だ。わたしはいまから、あれに割って入って、3on3の簡単な試合をさせなければいけない。なんというか、こころが痛む。
まぁ、躊躇していても仕方ない。わたしは決心して、
「坂本」と、軽く声をかけた。
「あれ、山田だ。どーしたの?」
坂本は、いつもの飄々とした――いや、いつもより若干愉快そうな調子で返事をする。二宮さんは、ネットから落ちてきたボールを拾って、坂本のすこしうしろに隠れるようにした。
「試合しないか? 3on3」
「なに、山田が1で、わたしたちが2?」
「3on3っていってんだろ。わたしと組めっていってんの」
「なんで?」
「先生にいわれてんだろ、試合しないと、成績つけれないって」
「あぁ、なんかいわれた気もするなぁ」
どうでもよさそうに、坂本はあくびをする。こっちは呆れてため息が出る。
「じゃ、二宮さんだけでも、どう?」
「えっ⁉」
きゅうに標的にされたのが、だいぶ驚いたらしい。二宮さんは数センチ跳ねあがった。
「あ、あの……お、お誘いはありがたいんですけど……!」
「ちょっと山田、うちの二宮を困らせないでくれる」
「ごめんごめん。でも、成績つかないのはさすがにまずいだろ」
「まぁ、それはねぇ……しかたない、一回だけ試合しようか、二宮」
「う、うん……でも、わたし、すごく足ひっぱるよ……?」
「心配ないよ。シュートもはいるようになったし、充分、上手」
二宮さんも、おずおずと承諾してくれる。よかった。これで、西先生からの頼まれごとはまた果たせそうだ。
ひとまず、ふたりを先生のところに連れていく。で、てきとうな対戦相手を見繕ってもらった。となりのクラスの女子三人だ。ひとりは、おなじ女バスの部員でもある、篠沢さんだ。
「えー、相手、爽ちゃんかー」
「うん。よろしくね、篠沢さん」
「手加減してねぇ」
審判は、ちょうど近くにいたマネージャーの柊さんに頼む。三つ編みおさげの、まじめでやさしいおんなのこだ。
坂本はともかく、二宮さんは緊張でガチガチになっている。そう気負うものでもないから、肩の力を抜いてほしい。坂本も、心配して冗談めかした声かけをする。すこし二宮さんの表情がやわらかくなる。
「よし、はじめようか」
わたしのことばに、柊さんが肯いて、ストップウォッチをかちりと押した。
試合開始。先攻は篠沢さんのチームだ。
授業でやる3on3の試合は、コートの半面も使わない。ゴール周辺でおたがいに陣取り、攻守を交代しながらやる。ボールをとられるか、点をいれるかすると、すぐに交代だ。
はじめの数ターンは、順調にいった。相手チームは、女バスの篠沢さんがメインに動きながら、簡単なパス回しとそこそこ入るシュートで点を重ねる。
こちらのチームもまた、女バスのわたしが主戦力だった。二宮さんはボールがきたらすぐにわたしか坂本にパスを出す。これはわかりやすいだろうから、事前にそう指示をさせてもらった。で、わたしにボールが回ってきたら、シュートを打つ。坂本のほうは、やっぱりやる気にならないらしい、じぶんでシュートを打つということをしない。
で、まぁおそらく全員の予想通り、わたしと篠沢さんばかりが点をとる試合になっていた。しかし、こっちとちがって相手チームは、ほかのふたりもそれなりに動けるみたいで、点差はほんのすこしある。
そうして試合も中盤くらい。わたしたちの攻める番だ。まずわたしがボールをもち、坂本にパスを出す。マークは緩いが、やはりシュートを打つ気はなさそうだ。またわたしにボールがもどってくる。
が、打てない。篠沢さんが、地味にくらいついてくる。大会ならともかく、体育の授業で無理にシュートにいくこともできないので、わたしは視界の端に二宮さんを見つけて、パスを出す。
「わっ」と、二宮さんはちいさく悲鳴をあげて、ボールを取り損ねた――で、済めばよかったが、彼女は反動でうしろによろけてしまい、そのままどしんと尻もちをついてしまった。
「二宮さん!」
「ちょ、だいじょうぶ⁉」
わたしと坂本はばっと駆け寄って、ケガがないか確認する。二宮さんは、すこし痛がりながらも、心配かけまいと笑っている。
「立てる?」と、坂本はやさしくいう。
「うん……ちょっと、こけちゃっただけだから」
よかった、心配ないみたいだ。ひとまず起こそうと、わたしと坂本で二宮さんの手を掴む。すると、
「どんくさ」と、聞こえた。「なんであんなのが爽ちゃんと組んでんの?」
わたしは反射的に振りかえっていた。さっきのは、篠沢さんの声だ。
「ちょっと、そういういいかた――」
「山田」
ぐ、とジャージの後襟を引っぱられた。首が苦しい、一瞬、死ぬかと思う。怒りをこめた瞳で犯人を見ると、坂本が肩をすくめて、苦笑している。となりでは、さっきのことばも聞こえたであろう、二宮さんが微笑んで、
「あ、あの、山田さん」と、わたしの目を見て、話す。「ご、ごめんね……パスとれなくて。つぎ、がんばるから……!」
「あ……う、うん。わたしも、ごめん。いきなりだったから、とれなくても、当然だと思うし……」
急激に、あたまが冷えた。あとすこしで、わたしは向こうに突っかかっていくところだった。
わたしは坂本を見る。うん、と肯いている。
「ねー、爽ちゃん、まだー?」
篠沢さんは、もうボールを手に、待ちくたびれていた。やれやれ、わたしはため息をついて、位置につく。
――いうまでもなく、わたしはすこし、イラついている。
篠沢さんに、ではない。短絡的なじぶん自身に、だ。たしかに、篠沢さんのトゲのあることばにはむかっときた。しかし、だからといってわたしが突っかかっても、いいことはない。
坂本は、知っていた。二宮さんは、あの程度の悪口でへこたれるようなおんなのこでは、ない。むしろ、きっと、わたしが短気に口答えするほうが、ずっと落ち込むのだろう。
イラつきながらも、ちょっと気分がいい。坂本は、やはりいい友達をもったみたいだ。
篠沢さんは、パスを出す。二宮さんがマークしている女子に。単純だ。二宮さんなら簡単にあしらえると思ったのだろう。
もちろん、パスが通ることはなかった。坂本が瞬時にパスコースにはいり、ボールを奪ったのだ。
「よし、サクサクいこう」と、坂本は笑った。「山田に頼りっきりもわるいしね」
わたしは肯く。さて、攻守交替だ。
さいしょにボールをもつのは坂本。わたしに短いパスを出す。篠沢さんともうひとりがわたしをマークしにくるあいだ、坂本は、低身長をいかしてもうひとりの守備を抜け、ぐっとゴール下まで入り込む。すきまを縫うように、わたしはそこにパスを返す。
坂本のレイアップ。ネットは派手に揺れる。坂本は、右足で着地して、ちょっとよろめいて、おどけたように後頭部をかく。二宮さんは、跳ねて拍手している。
で、坂本は、あまりの豹変ぶりに呆気にとられている篠沢さんに鋭いチェストパスをした。点をとったら、攻守交代だ。篠沢さんは、速いボールにびっくりしてよろめく。
しかし、相手ターンは一瞬でおわる。相手のドリブルしているボールを、坂本が軽くかすめ取ったのだ。
そんな調子で、ゲームはハイテンポに進んだ。おもにわたしと坂本で点を重ね、微妙にあった点差は一瞬で消え、どころかわたしたちの圧倒的な優位にかわった。
坂本は、ブランクを思わせない動きで、現役の篠沢さんを翻弄する。当然だ、じつは篠沢さんは高校からバスケをはじめたので、経験値では坂本にまったく及ばないのである。加えて、坂本はむかしからバスケのセンスがあった。身長には恵まれなかったが、いまでもそれを補えるほどの力量があると、わたしは思う。
試合中、わたしは中学時代を思いだしていた。坂本が回して、わたしが決める。そうして勝ってきた試合がいくつもある。最後の大会でもそうだった。あのとき、坂本がケガをしなければ――いまも、こんなふうにたのしくやれていたのだろうか。
「山田」と、声が聞こえる。あいもかわらずわたしたちのターンで、ボールを持つ坂本の視線は、いま二宮さんに向いていた。知らず知らずのうちに、わたしはにっと笑んでいる。その案には、賛成だ。
わたしにボールがくる。ひとり抜き去り、わたしは二宮さんに声をかける。彼女は目を瞠ったが、すぐに気を持ち直して、構えてくれる。
こんどは、パスがきれいに通った。
「二宮さん、シュート!」
「練習したやつ、やってみて!」
二宮さんに、相手はちっともマークしていない。簡単に、打てる。
彼女は息を吸って、ちいさく跳んだ。両手打ちで放たれたボールは、きれいな弧を描き、ネットに吸い込まれていく。
「や、やった……!」と、二宮さんはちいさくガッツポーズをした。
「ナイス、二宮!」
坂本はぱっと抱き着く。あいつはテンションが上がると、スキンシップが激しくなる。二宮さんは、案の定、顔が真っ赤だ。
試合は、そのまま大勝した。試合を見ていた西先生に、坂本はこれでもかと誉めそやされて、ちょっと迷惑そうにしていた。いい気味だと思う。それでちょうど授業時間もおわった。
「で、もうバスケはやらないのか?」
更衣室で制服に着替えながら、わたしは坂本にそう訊ねた。汗を拭いている坂本は当然のように首を横に振って、
「やらない」と即答する。「いまさらすぎるし、わたしの身長じゃ、中学のころみたいにはいかないだろうし」
「そうか……なぁ、右足はまだ痛むのか?」
「なんで?」
「さっきの授業中、ずっと気にしてただろ」
「まぁ、痛むっていうか……ね、二宮」
なぜか名前を呼ばれて、あまり聞いてなかったらしい二宮さんは、あいまいに肯く。わたしは、今日で何度目かのため息をつく。
で、ふと思いだして、そのまま口に出す。
「そういやあの日、おまえがケガして担架で運ばれたあとにさ。わたし、相手の胸ぐら掴みにいったんだ」
「え、そうなの。ちゃんと殴ってくれた?」
「……」わたしは眉をしかめて、「殴ってよかったのか?」
「んーん。ありがとね、我慢してくれて」
またため息をつかされる。高校にはいっても、こいつはあいかわらず、やりにくい。二宮さんも、たいへんなやつと友達になったものだ。わたしは同情に近い感慨をもって、こころの裡で、とどめのため息をついた。




