第二・五話 東山乙とお嬢さま
お嬢さまに、気になるひとができたらしい。
後部座席でぬいぐるみを抱いて眠るお嬢さまをバックミラー越しに見ていると、わたしはすこし不思議な気分になる。
二宮家のメイドとして雇われてから、もう五年。はじめて見たときには想像できないほど、お嬢さまは大きくなられた。小学生のころのあどけなかった顔立ちはいまやずっとおとなび、背丈もわたしに追いつかんとしている。
でも、ただ背が高くなられたわけでは、もちろんなかったらしい。さきほど教えてくれた恋のことを思いだして、わたしはついつい、にやけてしまう。
お嬢さまを待つエントランスの外で、わたしも、意中のお方をちらりと見た。物腰のやわらかそうな女の子で、涼し気な目元とさわやかな笑顔はどちらかといえば同性の子に人気そうだ。中身はともかく外見については、なるほどお嬢さまのタイプはどうやらああいうおひとらしい。
「着きましたよ、お嬢さま」
邸宅に着き、わたしは後部座席でぐっすりのお嬢さまを揺する。ちいさく唸って、お嬢さまはぱちぱち瞬きする。寝顔と、目を醒ましたばかりの寝ぼけ顔は、まだ幼さがあっていじらしい。
「よく眠っておられましたね」
「あぅ……ありがとうございます、東山さん」
「わたしは車をいれてきますから、お嬢さまはお先にお入りください」
お嬢さまが肯いたちょうど、シノが出てきた。玄関先で淑やかにお辞儀している。お嬢さまのことはシノに任せて、わたしはまた運転席に乗り込む。
§
お嬢さまがお休みになられてから、わたしとシノは居室でちょっとした報告会を開く。
報告会といっても、そう畏まったものではない。今日あったことをおたがいに話して、小一時間の雑談をするだけだ。ようは休むまえの息抜きみたいなものである。
備え付けのシャワー室から、シノが出てくる。さきにシャワーをいただいていたわたしは、やかんのお湯をマグについで、ふたりぶんのココアをつくっていた。すこしのお菓子も用意して、準備は万端だ。
「ありがとう、きぃちゃん」と、シノはおだやかに笑む。「今日もおつかれさまでした」
「えぇ、おつかれさまでした」
ココアを口にしながら、今日のふりかえりと明日の予定を事務的に確認していく。それから雑談にシフトしていくまではすぐだ。
最近は、もっぱらお嬢さまの話題がおおい。とりわけ意中のおひとができたというのは、話題性において右に出るものがない。お嬢さまの浮いた話なんて、ここに五年勤めてはじめてである。昨年はともかく、中学校に通われているときにも、そういう気配のひとつもなかった。
それがいきなり、恋のうわさがでてきたのだ。気にするなというほうが無理である。
「そういえば、向こうのお顔は見たの?」
「もちろん、ばっちりと! 遠目でしたが、カッコよかったですよ」
「へぇ……やっぱり、話を聞くと気になってくるな。わたしもいけばよかったかしら」
「さすがに怒られるでしょうねぇ。いっそのこと、こんどはお嬢さまがご招待なさるとか」
「ふふ、どうだろう。お嬢さまにも、お嬢さまのペースがあるだろうから」
「とんとん拍子にいくかもしれませよ。ずいぶん仲がよさそうでしたから」
夕食に招かれたと聞いたときには、あがり症のお嬢さまのことだ、どうなることかと思ったが、今日のようすを見るかぎりではうまくいったようである。
もちろん、家を出るときはガチガチで、スカートを表裏まちがえて履いたり、かばんを忘れかけたりと不安は募るばかり。それでも、お迎えにあがった際に例のお方と現れたお嬢さまはいっとうすてきな笑顔で、お昼の緊張感がうそみたいだった。
「あの調子なら、思いのほかすぐにくっついちゃうかもしれませんよ」
「あら、それはたのしみ。それにしても……」
スプーンでココアをかきまぜながら、シノはにこりと笑う。ちょっといやな予感がして、わたしはべつの話題をあたまの隅々からさがす。
「そうだシノ、豆菓子はどうですか?」
「ありがとう。いただくね。それにしても、きぃちゃん」
「あー、えっと……」粘ろうとしても、無駄だろうな。「なんです?」
「ううん。ただ、ちょっと、意外だなと思って。お嬢さまにたくさん助言してたし、なんだか恋愛上手みたいな雰囲気だもの」
「からかってるなら素直にそういってくださいよ……」
「ふふ、からかってるよ」
ローテーブルに突っ伏して、わたしはうめく。
「はいはい、どーせわたしは万年独り身ですよー」
「どうしてなんだろうね。こんなにいい子なのに」
「シノはあいかわらず性格わるいです」
「えぇ、本心なのに……まだ未練あるの、高校時代のこと。白馬に乗った王子さま」
「王子さま、じゃなかったんですけどねぇ。いろんな意味で」
オスミウムより重いため息が出た。もう八年くらいまえの話だから、いまのいままで引きずっているのは情けないとわかっている。
それでもなかなか吹っ切れないのは、単にわたしの至らなさだ。こういう仕事をしていると出会いもかぎられるし、そのせいか余計に学生時代を引きずりつづけて、わたしはちっとも成長できていない気がする。
「なーんて、ちっとも気にしてないですけどね! いまは恋愛とかキョーミないですし」
「そんなこといって、このあいだ飲みにいってたじゃない。例の王子さまと」
「た、たまたまこっちに帰省してたから、時間があって、それで……それだけですから。べつになんもなかったですしぃ」
「ふふ、とっても悔しそう」
「べつに悔しくなんて……あれ?」
「どうしたの?」
どこからか、ごそごそと物音がする。一階の、物置のほうだろうか。お嬢さまはすでにお休みになられているはずだし、時計を見ても、もとよりひとのすくないこの邸宅はふだんなら静まり返っているころだ。
「聞こえませんか?」
「うん。きぃちゃんほど、耳はよくないから」
「すこし見てきます」
「わかった。気をつけてね」
わたしはカーディガンを羽織って、居室をあとにする。足音を立てないように物置まで向かう。
わたしは、ひとより耳と目がいい、らしい。居室と物置はそこそこの距離があるのに、シノと話していても音が拾えたのも、そのおかげだ。そしてわりかし夜目がきく。ふだんはあまり役立たない特技だが、こういう夜分には重宝する。
がさごそと、なにかを探るような音は物置に近づくにつれはっきりとしていった。腕には多少の覚えがある。もし不埒なやからがいれば――わたしは腕まくりして、一歩一歩、たしかに進む。
物置のある廊下は、はたして照明が点いていた。肝腎の部屋はドアが中途半端に開き、白々しい照明が漏れでている。
いよいよ、ご対面だ。扉の隙間から、わたしはついに物置のなかを見た――
「……」ひとり、小首を傾ぐ。「なにをされているんです、お嬢さま」
「っ……⁉」
お嬢さまは驚いたねこみたいに跳ねあがる。その拍子で、棚の上から空き箱が落ちてきた。お嬢さまにぶつかりそうになる。わたしはぱっと箱を掴んで、とりあえず、ことなきを得る。
「あ、ありがとうございます、東山さん」
「いえ、こちらこそ驚かせてしまって……」
狭い物置では、ちょっと派手にうごいただけで物とぶつかる。危険なものはほとんどないが、ほんのすこしの衝撃ががらくたの雪崩を生んだことも一度や二度ではない。
今日のところは、ほかに余波もないようだ。わたしが空き箱をしまおうと棚に近寄ると、
「あ、あの、それ……見せてもらっても、いいですか」
「はぁ。構いませんが……」
空き箱なんか、どうするつもりだろう。サイズとしてはそう大きくない、もとはタオルでも入っていたのだろう贈答用の箱だ。こんどまとめて処分しようと、ほかの空き箱といっしょにシノが隔離していたシロモノである。
お嬢さまは、空き箱を点検しながらほこりを払い、中身のないことをまじまじと確認している。
で、気が済んだのか、箱のふたを閉じ、
「あの、これ、もらってもいいですか?」
「えぇ、処分するものですし、問題ないとは思いますが」
肯くものの、少々解せない。夜分遅くに、わざわざ部屋を抜けだして、この物置まで空き箱ひとつをさがしにきたのだろうか。
すると、わかりやすく怪訝な顔をしていたのだろう、お嬢さまは首をすぼめて、
「えっと、やっぱり、貰うのはまずかったですか……?」
「やぁ、そんなことは。ただ、なにに使うのか気になりまして……それにほら、もう夜も遅いですし、明日にでもいいつけてくだされば、こちらでご用意しましたのに」
「それは、その……いますぐ、ほしかった、というか……」
お嬢さまは恥ずかしそうに口をとがらせて、いいよどむ。
「あぁいえ、無理にお答えしなくて結構ですよ。とくに詮索もしませんので」
「う、ううん、べつに、へんなことに使うとかじゃないんですっ……!」
必死そうに弁明された。お嬢さまのことだし、なにも疑ってないのだけど……
「ふふ、びっくり箱でもつくるんですか?」
「い、いえ……ぬいぐるみを、いれようかと……」
「ぬいぐるみ?」
そういえば、思いだす。たしか想いびとから、お嬢さまはクマのぬいぐるみをプレゼントされていた。サイズもたしかに落ちてきた空き箱くらいで、しまうのならぴったりだろう。
「そうでしたか。でも、せっかくなら、お部屋に飾られてはどうですか? かわいいぬいぐるみでしたし」
「わ、わたしも、そのつもりだったんですけど……なんというか、その、封印しようと思って……」
「え、封印?」
「ふ、封印というか……保存! きれいに、保存してあげたいなと……!」
「はぁ、なるほど」
よくわからないが、お嬢さまは非常にあわてている。とはいえ、箱にしまうという意志が固いのなら、わたしがどうこういうことでもない。
「ぬいぐるみは、いまどちらに?」
「あ、持ってきてます……」と、お嬢さまはきれいな場所に安置していたぬいぐるみを持ちだし、箱に収まるか試してみる。ぴったりだ。
「空気孔とか、いるんでしょうか……」
「だいじょうぶでしょう、ケサランパサランでもあるまいし」
「けさ……?」
「わたしもよく知らないのですが、むかし、流行ったそうですよ。幸運を呼ぶいきものだとか」
「へぇ……そんないきものが」
「まぁ都市伝説のたぐいですよ。もう遅いですし、お部屋までおともいたします」
照明があっても薄暗い廊下を、わたしはお嬢さまのお部屋までごいっしょする。お嬢さまは、箱に寝かせたクマのぬいぐるみを大事そうに抱えて、わたしのすこしまえを歩く。
「保存というなら、ショーケースに入れておくのはどうですか?」
「え、ショーケース、ですか?」
「えぇ、よくフィギュアとか人形をいれたりするでしょう。そのぬいぐるみのサイズでしたら、明日にでもご用意できますが」
「た、たしかに、見るだけならだいじょうぶ、かな……」
「見るだけ?」
はっ、と肩を震わせ、お嬢さまは顔をまっ赤に燃え上がらせる。
「やっ、その、ぬいぐるみって、やっぱり、抱きしめたくなるじゃないですか……!」
「えぇ、わかりますよ」
「で、でもそのっ、このぬいぐるみは、坂本さんがつくってくれたもので……そう考えると、へ、へんな気分になるといいますか……」
「おやおや」
わたしは口元を隠すようにして、吹きだしてしまう。
「お嬢さまも、お年頃ですもんねぇ」
「ち、ちがっ、べつに、そういう話ではなくてっ……」
「そうですねぇ。どういう話なんでしょうねぇ」
「も、もうっ、東山さん……!」
白い寝巻の裾を引っぱられる。そんな子どもっぽい抗議がいじらしい。お嬢さまは、やっぱりかわいいおひとだ。
お嬢さまの機嫌を直すのには、すこし苦労した。それでもどうにか宥めると、わたしはまた、吹きだしてしまう。
「ま、まだ笑ってる……」
「やぁ、ちがうんです、お嬢さま。じつはわたし、ちょっぴり親近感を覚えて」
「親近感……ですか?」
「はい。以前お話したわたしの高校時代のこと、覚えておられますか?」
「あ……はい。白馬に乗った男の子がいた、っていう」
「えぇ、そうです。乗馬部のエースだった子で、その子も、苗字が坂本なんです」
「わぁ、そうなんですか……?」
話しながら、脳裡にさっと彼――というか、彼女の顔が思い浮かぶ。名前も恰好もまぎらわしくて、最初はずいぶんな勘違いをさせられた、いまではたいせつな友達の顔だ。
「そのひととは、いま……?」
「北海道にいるんですよ。つぎは沖縄にいきたいとか抜かしてて、とにかく自由人なんです」
「北海道……?」
お嬢さまはふいに考えこんで、しかしすぐに顔をあげた。お部屋に着いたのだ。
「今日は、なにからなにまで、ありがとうございました」
「いえ。ゆっくりお休みくださいね」
「東山さんも……おやすみなさい」
ぱたん、とやさしくドアを閉める。すこし遅くなってしまった。シノも待ちくたびれていることだろう。
足早に居室に向かいながら、お嬢さまのことを考える。きっと恋が実るといいし、できることがあるなら、なんでもしてあげたい。お嬢さまは、おこがましいけれど、五年もおそばにいるともはやかわいい妹のようだ。それに、うぶでひたむきなさまを見ていると――ちょっと、勇気づけられる。
わたしもすこしぐらい、がんばってみようと思う。




