23 きみというひかり⑦
表通りにもどって、二宮邸までの道のりをわたしたちは並んで歩いた。歩幅はちいさい。コーヒーの余韻がまだからだに残っているうちは、この寒さも、耐えしのげる。まだすこし余裕があるということだ。
「ね、二宮」と、わたしはのびやかな気分で、彼女の名前を呼んだ。「今日は、いきなり出ていって、ごめんね。ちゃんと謝っておきたい」
「ううん……いいの。わたしも、よくないいいかた、したと思うからー―」
二宮は、わたしの数歩先で、がくっと立ち止まる。わたしがきゅうに立ち止まったから。
「ど、どうしたの、坂本さん」
「謝罪したすぐで申し訳ないんだけど、いちどだけ、わたしもわがままになっていい?」
絵に描いたような困り顔をしながら、それでも二宮は肯いてくれる。わたしは、人通りのない通りの中央で、二宮に一歩、近づく。
「二宮が、わたしをすきっていったこと――忘れてくれてもいい、なんて、いわないでほしいんだ。わたしは、二宮に、そんなこといってほしかったわけじゃない。
たしかに、困ったよ。すきって伝えるだけ伝えて、いじわるだなって思った。でも、わたしはちゃんと、二宮のことばを受けとりたいから。ちゃんと、悩んで、考えてきたから。わたしの気持ちも、伝えたいから。
だから――なかったことになんて、しないでほしい」
わたしの口から出たことばは、もうほとんど、告白みたいなものだった。
昼下がりの表通りに、風はいまだけその鋭さを喪っている。
二宮は、もう目が潤んでいた。口をやや開いて、ちょっとまぬけな表情だ。それすら、やっぱり、愛おしい。
「ねぇ、二宮は、わたしのどういうところがすきなの?」
「えっ、あ、う……」涙ぐむのを、二宮は必死にこらえて、「い、いわなきゃ、だめ……?」
「うん。だめ」
「わ、たしは……坂本さんの、やさしいところがすき。ほかのひとのことを、いつも考えてて……わたしが困ったときも、いつだって手を差し伸べてくれるところが、すき。気配りができて、はじめて会ったときも、避けずに話しかけてくれて、それがたまらなくうれしかったの。それに……ふだんはかっこいよくて、でもたのしいときには無邪気に笑ってくれるところも、だいすき。そんな坂本さんがかわいくて、胸がはりさけそうになる……」
二宮は、涙をぬぐって、決意に満ちた瞳をわたしに向けた。わたしも、胸がはりさけそうで、照れてしまう。
「あの、ね。坂本さんは、わたしにとっての、ひかりだったの」
「ひかり?」
「うん。はじめて、坂本さんに会ったとき……わたしは、もう学校なんていやだと思ってた。病気で留年して、スタートも一年遅れて、クラスにはたぶん、わたしの居場所なんてなくて……二度目の合宿研修のバスでね、帰ったら、わたしもう学校なんて来ないと思ってたの。でも、そんなわたしに、坂本さんは話しかけてくれた。友達に、なってくれた。ずっといっしょにいて、わたしの居場所をつくってくれた。そんな坂本さんのことが、あたたかくて、あなたをすきになってから……すきになったと気づいてから、あなたはずっと、わたしの希望のひかりだった」
彗星のように降る雪が、二宮の頬にじんわりと融ける。彼女はすこし冷たそうに片目をつむって、それから、くすりと笑った。
「坂本七さん。改めて、いいます」
二宮は、すっと背筋を伸ばす。太陽のひかりの筋が、彼女のかたちをくっきりと縁取る。
「わたしは、あなたのとなりにいたい。あなたのひかりを感じていたい。そして、できるなら……わたしもあなたのひかりに、なりたい。なにかに悩んだときは、ちょっとでも力になりたいし、いつもあなたに、ただとなりで、笑っていてほしい。
それくらい、わたしは……坂本さんが、すきです」
――答えるまでも、なかった。
二宮は、わたしのことをひかりだといった。
わたしのひかりに、なりたいといった。
答えるまでも、ない。
高校にあがったとき、わたしには何もなかった。バスケをやめて、自堕落にアニメばかり見る、根暗でオタクなろくでなし。ちょっとした友達でもつくって、あとはもう、てきとうに三年間を流して、てきとうな進路を決めて……そんな「等身大」でいようと思っていた。
でも、わたしのとなりには、いつも二宮がいた。わたしのことをちゃんと見てくれて、ちっとも知らないアニメの話も構わず聞いてくれて、何もなくてもわたしと話そうとしてくれた。気づけば、わたしのモノクロームだった生活に、二宮というおんなのこは色彩を与えてくれた。わたしの日々の輪郭を、くっきりとさせてくれた。
ずっとまえから、二宮は――わたしのひかりだった。
「こんどは、わたしの番か」
「っ……や、やっぱりあの、こ、こころの準備が……!」
ひとりあたふたする二宮を無視して、わたしはもう一歩、彼女に近づく。距離がなおも縮まって、二宮もぎゅっと押し黙らざるをえなくなる。
わたしはあたまの片隅で、プラネタリウムのことを思いだしていた。星のひかりは遠い宇宙を駆け巡り、何年もかけてわたしたちのもとに降り注ぐ。もっともよく見える冬のシリウスですら、八・六光年の距離だったか。
あのとき見た星空は、つくりものでも、たしかに遠かった。手を伸ばしても、届かない。そんな眩しい星が、うつくしくて、こころを震わせた。
困ったな。そんな星が、いま、とてつもなく近い。
つま先立ちで、届く距離。
「――……っ⁉」
二宮は、なにをされたかわからない、というように目を瞠って、瞬間的に口元を隠した。そして今日いちばんの、ゆでだこみたいな赤さになる。やっぱり、この子はおもしろい。見ていて飽きないし、これからはもっと、そんな表情を見せてほしい。
「それにしても……」わたしは、わたしの唇に触れて、「これ、けっこうドキドキするね」
「ど、どきどき、で、済まない、です……っ!」
「あと何回くらいで慣れそう?」
「なっ、何回しても、むりっ……というか、何回も、できない……心臓が――!」
なるほど。たしかに、心臓に負担がかかるのは問題だ。わたしは堪えきれずに吹きだして、二宮の片手を掴んで歩きだす。指を絡める、俗にいう恋人繋ぎというやつだ。
「さ、坂本さん、手っ……」
「これもはやめに慣れて。今日からわたしの彼女なんだから」
そういうと、二宮はまたも一気に顔を沸騰させた。しかしいよいよ感情のキャパシティを超えたのか、かえって途端におとなしくなる。目はぐるぐる回っているみたいだけど、それでも手を振りほどこうとはもちろんしない。
陽のひかりはあたたかく、いつまでもアスファルトの歩道を照らしていた。道の端に小さく積もった雪はいまだ真白で、反射できらきら輝いている。
「もどったら、怒られるかな」
「う、うん……棗さん、怒ると、こわいよ……」
「ふふ、なんか、想像できない」
二宮も、釣られて笑う。どうしよう、さっきから心臓がうるさくて仕方ない。わたしは、ごまかすように、二宮の手をやや強く握る。
「坂本さん……?」
「うん……すきだよ、二宮」
「わ……わたし、も」
脳が、しびれる。わたしのほうこそ慣れる気がしない。
わたしは、二宮がすき。
こころの裡で、繰りかえす。こんどからは、恥ずかしがらずにいえますように。
§
家に帰ると、姉貴が夕食の仕込みをしていた。時刻をして、午後四時過ぎである。今日はたしかバイトが休みで、大学も昼までだったはずだ。
「おかえり。ちょっとはやいな」
「うん。まぁ、授業は午前中でおわってたんだけど」
「じゃあ、いままで何やってたんだよ」
「ひみつ。あ、コート、ありがと。かなり雪で濡れちゃったんだけど……」
「いいよ、明日クリーニング出しとくから。ていうか、それ、七にあげる。似合ってるし」
「え、まじ? やった」
わたしはいきなり貰えたコートを畳んで、部屋着に着替える。姉貴のおさがりでも、うれしいものはうれしい。そういえばこのあいだロングコートを新調していたし、だからぽんとくれるのだろう。
手洗いうがいをして、ソファに腰かける。テレビを点けるが、めぼしい番組はない。今日のこの時間帯は、ニュースとドラマの再放送ばかりだ。そそられないので配信アプリを呼び出して、ちょっと古めのアニメを流す。
「学校、はやめにおわったの?」と、姉貴が台所から話しかけてくる。
「うん。インフルで学校が半壊してたから。明日は休校だって」
ちなみに、休校の報せは二宮邸で聞いた。あのあと、二宮邸にもどったわたしたちは、鬼と化した棗さんにこってり絞られて、気の毒に思ったらしい東山さんに頃合いを見て救出された。それから、怒られたあとではあるが、ふたりには交際を伝える。なぜか棗さんと東山さんはわがことのようによろこんで、さきの怒られがなかったかのようになごやかなアフタヌーンティーをご馳走になった。
休校の件は、そのときに教えてもらった。学校から電話があったみたいで、今週いっぱいは休みになるらしい。二宮の学校復帰は遠のいたが、気負いせず休める日ができたということでもある。そしてわたしが二宮邸を辞するころ、二宮の熱はぶりかえしていた。また明日、お見舞いにいこうと思う。
わたしはアニメのオープニングを流し見しながら、ふと立ち上がり、冷蔵庫に向かった。コップに麦茶を注いで、そのあいだ、台所を盗み見る。今日はカレーだろうか、鍋でじゃがいもやにんじんを、これでもかと煮込んでいる。そういえば、東山さんもカレーみたいな具材を買っていたな、と思いだす。
「そうそう、わたし、彼女できた」
「ふうん」
わたしはコップを持って、ソファにもどる。もはや面積の半分が推したちの祭壇めいているテーブルにコップを置き、スマホを取りあげたところで、
「いや、待て待て」と、すぐまうしろから声がした。音もなく背後に近寄っている、姉貴の得意技だ。
「え、どうしたの?」
「どうしたの? じゃねえよ。さらっと流せる話じゃなかっただろ、いまの」
「さらっと流したくせに」
「彼女って、いきなりなんだよ。相手は?」
「二宮」
「あぁ、二宮ちゃん。いい子だよなぁ。おいしくたべてくれるし」
鍋に二宮を呼んだときから、姉貴のなかで二宮の株は上がりっぱなしである。姉貴にとっては、じぶんがつくった料理をうまそうにたべてくれる人間は、だれであろうと青天井でいいヤツ判定なのである。
「親にはいうの?」
「うーん、いったら会わせろってうるさそうだし、まだいいかな……」
「タツ姉には?」
「今晩きっと電話かかってくるでしょ。そのときに」
「そうか。わかった」
姉貴はしっかり肯いて、また台所にもどっていった。うっかり漏らさないように、わたしが二宮のことを話す範囲をあらかじめ訊いてくれたのだろう。できる姉をもつと、こういうときに頼りになる。
ほかに報告する相手は、山田くらいか。休み明けでもいいが、どうせならいま、ラインで話したほうがいい気もする。
簡単な報告文を送信して、携帯を伏せる。アニメは、絶賛Aパート進行中である。
「姉貴のほうは、恋人とかできた?」
「バカか。わたしにはジャッキーがいる」
「そうでした。ジャッキー越えの男なんて、そうそう見つかんないと思うけどな……」
「もし見つからないなら、それまでってことだよ」
「ふふ、そっか」
携帯が震える。山田かな、と思ったら、二宮だった。びっくりするほどていねいな文体で、今日はありがとうございました、体調にはお気をつけくださいとある。関係性が一気にかわりすぎたからなのか、温度感がわからなくなってしまっているのだろう。おかしすぎて、でもこういうへんなところもかわいいと思えるから、わたしもちょっとおかしくなっているのかもしれない。
わたしは返信を考えている。アニメをBGMに、二宮のよろこびそうなことばを選んでいる。そしてそれは、わたしの本心とイコールだ。
つくづく、わたしは二宮がすきなのだと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作『ひかりになって』は第五話をもって第一部の完結です。作品自体の完結ではありませんが、いったんの一区切りというかたちになります。
そのため更新自体は続きますが、ほかに書きたいものもいろいろとあるので今後は不定期更新になります。登場させたいキャラクターもやってみたいシチュエーションもいろいろありますので、これからもお付き合いいただけると幸いです。
それでは。




