22 きみというひかり⑥
陽は雲に隠れ、外はちょうど猛烈な吹雪だった。モスグリーンのコートをぐっと押さえ、わたしは切なさとも悔しさともいえない不出来な感情を抱えて、駅までの道を急ぐ。凍える雪と風がわたしの頬をぶんなぐって、痛かった。
衝動的に、飛びだしてしまった。こんな気分になったのは生まれてこの方はじめてだ。最近は二宮に調子を狂わされてばっかりで、ちょっと、すごく、むかつく。いまは一刻もはやく、二宮から遠ざかりたかった。逃げたかった。どうしてかは、わからない。感情がぐちゃぐちゃで、ほどいてもほどいても絡まりつづけるあやとりみたいに、じぶんでじぶんがわからなくなる。
吹雪の先に、横断歩道の青信号が見えた。点滅しているのを見て、わたしはたまらなくなって、走りだした。でも、だめだ。右足のないはずの痛みがぎゃあぎゃあ喚いて、心臓が冷えて、すぐに不格好なフォームになる。信号には間にあわない。わたしは、ぐっと吐きそうなのをこらえて、雪で埋まりつつあるアスファルトに屈む。
「面倒くさいな、わたしって……」
頬をぬぐって、しゃんと立つ。他人から見ると、ちっともしゃんとしてなくても、心持ちはそうする。横っ面を激しい雪が叩いて、信号が変わるのを待って、わたしはまた涙をぬぐった。
わたしは、わたしがきらいだ。
ちびだし、根暗だし、ちっとも素直になれないし、思い通りにいかないとすぐ腹が立つし、あとさき考えずに走りだすし、そのくせうまく走れなかったら、ひとりで泣いて悲劇ぶる面倒くさいやつだ。わたしは、そんなわたしが、きらいだ。だいきらいだ。
信号が青にかわる。凍えて鉄のようになった足を、わたしは横断歩道に向ける。今日はこのまま帰って、どうせ明日は休校だし、ゆっくり寝て、アニメでも観て、あたまを冷やそう。それからまた一晩寝て、もういちど会いにくる。こんどは、へんな期待なんかせずに。意地のわるいこともいわない、ふつうの友達として。ぜんぶ、ぜんぶ、忘れてしまおう。今日のことは、あの日のことは、ぜんぶ――
「さっ、坂本さんっ!」
凄まじい引力に、わたしは振り返った。
吹雪のなか、二宮が、息を切らして立っている。
部屋着のままで、なにも羽織らず、肩を上下に揺らして、わたしと目があえば安堵したように微笑む。
「よ、よかった、追いつけて――」
「ばっ……――かじゃないのっ⁉」
喉が痛むくらいの大声が出て、わたしはわたしにびっくりした。いわずもがな二宮も、目を丸くしている。
「あ、あの、坂本さん……」
「っ……な、なんで、そんな恰好なわけ?」
「え、あ、これは、その、急いでたから……」
「……」
わたしのせいだ。
わたしが、いきなり出ていったから。
ぐっと唇を噛んで、でも、そうしていたって仕方ない。きゅうに肩の力が抜けた。横断歩道を渡るのをやめて、わたしはスクールバッグをおろし、コートを脱ぐ。
「とりあえず、このコート着て」
「えっ、で、でも……」
「いいから。ていうか、これでまた熱がひどくなったらどうするの」
むりやり姉貴のコートを二宮に着せる。わたしにとってはオーバーサイズだが、二宮の背丈ならちょうどいいくらいになる。
二宮の痛々しいくらいに赤くなった頬に手を当てると、冷たすぎる。このまま外にいると、風邪をぶりかえしてあたりまえだ。
「やっぱり、すごい冷えてる」
「さ、坂本さんも……」
「あ、ごめん。冷たかったよね」
「ううん……あったかい、よ」
とろけるような笑みを浮かべて、二宮はわたしの手をつかんだ。息が詰まる。
しかしひときわ強い風がわたしたちを横殴りに吹いて、突っ立っているわけにもいかなかった。あまりの寒さに二宮はひとつくしゃみをする。
「どっかはいろうか」
「あ……それなら、近くによくいく喫茶店があって……」
「そっか。迷わない?」
「も、もう! このあたりなら、迷わないよ……たぶん」
たぶん、なんだ。まぁこの子の方向音痴はあまりに芸術的だけど、いまは信じるほかにない。二宮に手を引かれて、わたしたちは路地にはいる。表通りよりは風雪もやわらかい。
すこし歩くと、たしかに壁掛けの木製看板が見えてきた。喫茶『テト』とある。よかった、この猛吹雪のなか町中で遭難するという事態だけは避けられた。
扉をあけると、からんとレトロ感のあるドアベルが鳴る。店内は落ち着いた雰囲気の純喫茶という出で立ちで、大学生くらいだろうポニテ姿のウェイトレスさんが席に通してくれた。窓際の、晴れなら日当たりがよかっただろう席である。
「え、えっとね、たまごサンドがおいしくて……」
「お昼ごはん、たべたばっかりじゃないの?」
「う……そう、なんだけど……ここに来たら、たべたくなるというか……」
わからないでもない。わたしもサイゼにいったら辛味チキンを注文しないと気が済まないし、似たようなものだろう。
わたしたちはそれぞれコーヒーを注文して、結局、二宮はたまごサンドも注文した。
暖房の効いた店内では古いボサノヴァが流れ、心持ちをおだやかにさせる。窓の外ではかわらず雪がふぶいて、近年まれにみる大荒れの天気だった。とはいえ、これもずっと続くわけではないだろう。十分、二十分もしたら、雪は弱まって歩けるようになるはずだ。
「あ、あの、坂本さん……」おずおずと、二宮がわたしの顔をうかがうように、「その、もしかして、お、怒ってる……?」
「……怒ってないよ」
「う、うそだ……! ぜったい、なにか怒ってる……!」
悲壮感に満ちた声を出して、二宮は顔を青ざめさせた。わたしは、しばらく悩んで、
「怒ってる」と、ため息まじりにいった。「でも、追いかけてきたことにじゃないよ」
「う、うん……」
沈黙が降った。ちょうどウェイトレスさんがコーヒーとたまごサンドを運んできてくれて、場が持つ。
コーヒーに口をつける。苦味と酸味のバランスが絶妙だ。香りもよくて、なるほど、二宮が通うというのも納得である。
かくいう二宮は、両手でコーヒーのカップを包み込み、ぼんやりと黒い水面を見つめていた。どうしたものか、わたしは思案しながら窓の外をながめ、またコーヒーを一口啜った。カップをソーサーに置くと、耳心地のいい無機質な音が鳴った。
「二宮はさ、わたしのことがすきなんだよね」
「……」二宮は、ぎゅっと唇を結んで、それからゆっくりとほどく。「……うん」
「それは、つまり……わたしと付き合いたいってこと?」
「えっ……?」
二宮はぱっと顔をあげて、瞠目した。照れとか羞恥とかではない、いきなり意識外のことをいわれたというような純然とした驚きだった。
それでわたしも同様にびっくりしたのは、いうまでもない。
「あれ、ちがった?」
「え、い、いや、ちがわ、ない……の、かな?」
いつにもまして歯切れがわるかった。二宮は、視線を右に左にうごかして、さいごはコーヒーカップに目を落とした。数秒経つ。はっと息をして、なにか確認していくように、ぽつり、ぽつりと語りだす。
「クリスマスの日に、ね。わたし……告白するつもりはなかったの。その、わたしは、デートのつもりでいったけど……坂本さんは、そういうわけでも、なかっただろうし。ただ、距離を縮めたくて、はりきって、おしゃれもして……」
また、止まる。しかし二宮のことばを待つのは、わたしにとってはもう慣れたことだった。二宮は、いちど話しはじめたことを、きっと途中で放りだしはしない。
そして二宮は、またゆっくりと、ことばを紡いでいく。
「あの日は、わたしにとって、ずっと夢みたいで……坂本さんのとなりを歩けるのが、うれしくて……でも、帰りのときに、ね。わたしが、フラれたんじゃないかって、坂本さんがいうから、ちょっと悔しくなって。いま、フラれちゃってるんだよ、と思って」
「あ……そっ、か」
心の奥底が、ぞっと冷たくなるのを感じる。思えば、二宮に浮いた話が出てきてから、わたしはずいぶんと無神経なことをいってきたはずだ。クラスのだれかに片思いしているのだろうとあてずっぽうしたり、クリスマスデートを断られたんじゃないかと邪推したり。
そのたびに、わたしは二宮を傷つけていたのだ。
「サイテーだな、わたし……」
「え、ううん、坂本さんはわるくないよ……! わるいのは、はっきりさせなかった、わたしのほう。いじわるしようとしたのも、わたしだし……」
二宮は目を伏せて、ようやっとコーヒーを飲んだ。そのようすを見つめながら、わたしはいくらか、合点がいっていた。
あのときの告白は、二宮にいわせれば「いじわる」だったらしい。わたしがちっとも二宮の気持ちに気づかないから、傷つけるようなことばかりいうから、ちょっとした意趣返しだったのだ。
ちっとも答えさせる気のない、「すき」と伝えるだけのことば。あれは告白めいていても、告白ではない。だから、二宮は今日、あんなことをいったのだ。
――忘れてくれて、いいから、ね。
途端、わたしは全身の空気を一切抜く勢いで嘆息した。どうやらわたしは、ひとりで勝手に相撲をとって、ひとりで勝手に土俵から転げ落ちたつもりだったのだ。脱力するのと同時に、胸をなでおろすような気持ちがあって、なおさら――ムカついてくる。
「そ、それに、その、答え聞いたら、くじけちゃいそう、だったし……だから、ごめんね。わたしのわがままで、坂本さんを、困らせた」
「うん……すごく困った」
「だ、だよね……」二宮は泣きそうな目をして、作り笑いを浮かべる。「その……付き合いたいか、っていうのは、だから、あんまり考えてなかったの……いまも、そうなんだけど……わたしは、ただ、坂本さんといっしょにお話ができて、ごはんをたべて、となりを歩かせてもらえるだけで……しあわせ、なの。坂本さんが、わたしのこと、ただの友達だって思ってくれるだけでも、充分すぎるくらい。だから、ね、お付き合いしたい、とか、そういうのはぁ……」
いいながら、二宮はぽろぽろ泣いていた。わたしはびっくりさせられて、あわててスクールバッグからポケットティッシュを引っぱりだす。
「ご、ごめん、なんで……泣いてるんだろ、おかしいね」
「いいから。ほら、ちーんして」
「うぅ……子どもっぽい……」
年下みたいな年上のおんなのこは、泣きながら、照れながら、ほがらかに笑っていた。わたしもつられて笑ってしまう。いつのまにか、窓から陽が射している。雲間は晴れ、雪は勢いを弱めている。
「たまごサンド、たべなきゃ」
「う、うん……いっこ、たべる?」
「そうだね。いただこうかな」
四切れあるてのひらサイズのたまごサンドを、わたしはひとつだけいただく。二宮はまるでひまわりの種を抱えたハムスターみたいな恰好で、サンドイッチにかじりつく。涙のあとが鈍くひかるのを見て、わたしの胸はすくような感じがする。
口あたりのいい食感のたまごサンドは、まさしく絶品だった。ドがつくほど小食のわたしでも、これなら一皿いけそうな気がする。からしがアクセントの昔ながらの味わいに、コクの深いコーヒーはよくあう。
わたしが一切れたべるあいだに、二宮は三切れきっかり平らげた。あいかわらず、気持ちいいくらいのたべっぷりだ。わたしたちは伝票をとって席を立つ。
「あ……わたし、お財布もってない……」
「いいよ、奢るよ」
「で、でも……」
「ちょっとくらいイイカッコさせてよ。今日、わたしダサすぎだから」
きょとんとした表情の二宮を差し置き、わたしは手早く会計を済ませて、喫茶店を出た。二宮も、あわててついてくる。寒風吹きすさぶ屋外はおそらく零下の気温だが、先ほどの吹雪がうそのように晴れ間が広がり、睫毛もちょっぴり上を向くような気がする。




