21 きみというひかり⑤
山田とふたりで、わたしは校舎を出た。雪はなおも降っている。わたしは姉貴に借りたコートの裾をぐっと掴んで、とぼとぼ歩く。山田もよこで寒そうに首を縮めている。で、われわれは昼ごはんを求めて、駅前のうどん屋にからだを投げ入れた。
わたしは天ぷらうどんの小盛を、山田は月見うどんの並盛とごぼう天を注文する。うどんはすぐに運ばれてくる。もうもうと湯気を立て、冬のいちばん寒い時期にぴったりなさまだった。
箸を割る。いただきます。一口啜って、生きかえるような心地がする。
「そういえば、山田、部活は?」
「いまさらだな……さすがに、今日は休み。部員も半分いなかったから」
「ふうん」
「おまえのほうは、だいじょうぶか? ずっとぼんやりしてたけど」
「あーまぁ、べつに、たいしたことじゃない」
わたしはつゆでしなしなになった海老天をかじり、ゆっくり咀嚼し、飲みこむ。
「ねぇ山田、朝の話なんだけど」
「ん?」
「わたしと二宮って、ほんとにうわさになってるの?」
「まぁ、ちょっとは」
「どんなふうに?」
「気にしなくていいよ」
「あっそ……やっぱおまえ、いいやつだな」
「んだよ、きゅうに」
「女バスのメンツとはうまくやってるの?」
「そこそこ。けっこー疲れるけど」
「優等生ぶるからだよ。あの、マネージャーの子とはどう」
「柊さん? 柊さんは、いい子だよ。特撮観てるし」
いい子の基準が謎だ。
「なに。わたしのこと、心配してんの?」
「べつにぃ」うどんを啜る。小盛なので、もう残りすくない。「でも、学校ではうまくやってるみたいで、安心したわ。そうだ、もういいひとはできたの?」
「おかあさんか」
わたしがうどんを完食したころには、山田もすっかり平らげていた。お会計して、また寒空の下に繰り出す。
プラットフォームで電車を待つ。方向はおなじだ。なんなら、山田とわたしは最寄り駅もおなじだ。それでも、登校時間が被らないので、めったに会うことはない。
「寒いな」と、山田がいった。
「寒いね」と、わたしは肯いた。「誤解しないでほしいんだけどさ」
「おう」
「わたしと二宮って、ほんとうに、付き合ってるわけじゃないんだ、いまは」
「いまは?」
「告白されたことがあるの。そのときは、わたし、返事しなかった――ていうか、させてもらえなくて」
オフレコで頼むよ、とわたしは口もとに人差し指を立てる。山田は苦笑して、肯く。
「どうするの?」
「なにが」
「答え、訊かれたら」
「どうしようかな。わかんない」
雪を切り裂いて、電車が来る。めのまえで停まり、あんぐりと自動扉が開く。
「なんでわたしなんだろうな」
「うん?」
ステップに足をかけて、山田がわたしを振り返る。
「いや、なんていうかさぁ」
出入口付近の手すりにつかまって、わたしは気の抜けた声を出した。山田はウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込んで、無言のまま続きを促す。
「ほら、わたしって、二宮とちがってさ。ちびだし、根暗だし、かわいい自覚はあるけど美少女ってほどじゃないし? もっといいひと、いそうじゃない?」
「そうか? わたしはべつに、ふしぎじゃないけど」
「え、そう?」
「おまえは、じぶんで思ってるよりいいやつだよ」
それきり、山田は黙って車窓の向こうをながめていた。わたしたちの住むちいさな町に、ましろい雪はしんしんと降り積もっている。きっと明日は休校だ。電車も昼までうごかないだろうし、町はひさしぶりに静謐な朝を迎えることになるだろう。
山田が降りる駅に着き、彼女は軽くさよならをいって下車した。二宮さんにも、よろしく。わたしは肯く。すぐに扉が閉まって、うごきだした。いつもよりずっと早い時間、わたしは、二宮の家に向かう。わたしをすきなおんなのこが、今日もたぶん、わたしを待っている。
浮遊感のある、すこしふしぎな気分である。
§
二宮邸への道のりは、もう慣れたものだった。コートのポケットに手を突っ込みながら、人通りの少ない道を歩く。平日の昼間だし、外はずっと雪だし、わざわざ出歩くひとはやはりいない。
寒空の下を縮こまりながらしばらく歩いて、いまや見慣れた日本家屋にたどりつく。見慣れたとはいえ、インターフォンを押すときは畏まる。二宮は、ほんとうにお嬢さまなのだと、このごろしみじみ実感するばかりである。
今日も今日とて、わたしは身の引き締まる思いで、インターフォンを押す――押そうと、する。うーん、なんだ。からだが固まる。いったん、手を下ろす。
まず、深呼吸。こころを落ち着ける。やたらざわめく胸の裡は、いままでに経験のないタイプの緊張だ。どうした、わたし。ちょっと来る時間がはやいだけで、ほかはいつもと変わらないだろう。屈伸する。ひとの家のまんまえで。傍から見ると不審者である。
あー、あー、あー。発声練習。よし、ふつうに声が出る。緊張で裏返るなんてこともいまのところは心配なさそうだ。この調子だと若干、挙動不審になるおそれはあるけど、まぁ、愛嬌だろう。よし、それではいよいよ、インターフォンを押そう。
押そう。
押すぞ。
押すんだ、坂本七……!
「あ、七ちゃん」
「うわぁっ!」
いきなりうしろから声をかけられた。二宮家のメイドさんこと、東山さんだ。
「やぁ、ごめんなさい。そんなに驚くとは……」
「あぁいえ、こっちこそ、気づかなくて」
東山さんはメイド服のまま買い物袋を引っ提げている。なかには玉ねぎ、じゃがいも、にんじんと諸々の食材が顔をのぞかせる。近くのスーパーまで買い出しにいっていたのだろう。メイド服姿のまま出歩くというのは、はじめて見たときこそ違和感まみれだったが、これもまたすっかり見慣れてしまった。
「お見舞いですか? 今日ははやいですね」
「いまちょうどインフルが流行ってて。生徒がいないから、学校も昼におわったんです」
「やぁ、そうでしたか。あ、いま開けますね」
招き入れられて、わたしは二宮邸のなかへ。玄関で靴を脱ぎ、来客用のスリッパに履き替える。
「お嬢さまはリビングにおられるかと。お昼をお召上がりになったばかりでしょうから。七ちゃんは、お昼は?」
「たべてきました」
「そうでしたか。それにしても……」東山さんは、小首をかしげて、「今日はずいぶんと、その、ベルを押すのをためらっておられましたね」
う、やっぱり見られていた。羞恥心が脳をかけめぐる。
「なんでもないので、気にしないでください」
「ふふ、わかりました。すっかり忘れておきます」
わたしと東山さんは、洗面所で手を洗って、それからリビングを覗いた。まず先に、東山さんが軽い調子で「ただいまもどりました」といい、わたしはそのうしろからぴょこんと出ていって、
「や、二宮」と右手をあげた。
「わっ、さ、坂本さん⁉」
ぱっちりした目をさらに大きくして、ダイニングテーブルの二宮は驚嘆の表情を浮かべる。サプライズ成功だ。台所からは棗さんが現れて、
「あら、七ちゃん」と、にこやかにいった。「どうされたんですか、ずいぶんおはやいですね」
「な、なにか、あったの?」
「や、学校が昼におわったの。びっくりした?」
「うん、ふふ、びっくり、しちゃった……」
頬をゆるませる二宮の向かいに、わたしは腰をおろす。いつのまにかメイドさんふたりはリビングから消えており、ふたりきりだった。ここ一週間、こういうことがよくあった。まるでふたりとも、示しあわせたように気づけばいなくなっている。
テーブルにはベージュの布と針山。二宮は縫物をしていたところらしい。それで、いきなりわたしが現れたから、作業は中断を余儀なくされている。
「なにつくってたの?」と、わたしは興味本位で訊いた。
「あ、えっと……ぬ、ぬいぐるみ。その、お休みしてると、時間がたくさんあるから」
ひとりの時間は退屈だ。二宮は、いちおう熱があるとはいえおもいのほか体調がよいし、時間を持て余しているのだろう。縫物は、そんなときにぴったりの娯楽だ。
「か、片付けてくるね」
「いいよ、続けて。見てるから」
「え、う、うん……?」
困ったように首を引っ込めて、二宮は、白くてすべらかな指にとりあえず針をもつ。ちく、ちく、切り分けられた布を几帳面に縫い合わせていく。しょっちゅうわたしの顔をうかがって、目があうたびに、すこし頬を赤らめて、あわてたように手元に視線をもどす。
どうしよう、かわいい。
「お昼は、いつもそれ作ってたの?」
「あ、うん……はじめは、棗さんに教えてもらいながら。その、ぬいぐるみ、つくるのはじめてだったから、間に合うか不安だったけど……」
「間に合うって?」
「え?……あっ、えと、ううん」
首を横に振られた。失言だったらしい。
なにかしら期限があるものなのか。ぬいぐるみはじぶん用ではなく、だれかにプレゼントするとか? たとえば、家族とか、誕生日が近いひとがいて――
「ん、誕生日?」
わたしのつぶやきに、二宮がびくっと震えた。反応を見るに、やらかしてしまったかもしれない。
気まずいおもいで、とにかくわたしは脳内のカレンダーをめくる。二週間くらい先に、二月七日という日付がある。
わたしの誕生日だ。
完全に油断していた。
「えーっと……もしかして」
「ば、ばれちゃっ、た?」二宮は、ふにゃりと笑う。「えっと、七日、だったよね」
「うん。だから、間に合うように、か」
「そ、その……まえ、坂本さん、ぬいぐるみをプレゼントしてくれたから……いつか、お返しできたらと思ってて」
「えぇ、気にしなくてもいいのに」
「き、気にするよ……すごく、うれしかったから」
二宮はやわらかく口を綻ばせる。それからすぐに目を伏せて、ゆっくり針をうごかしていった。ひとつの足跡もない雪景色のように、洗練されて、なめらかな手つきである。
そのきれいな所作で、指先で、わたしのことを思ってくれているのが愛おしい。胸の奥がざわつく。不快ではない、むしろ心地よいばかりのざわめきだ。
わたしはテーブルのうえに腕を組み、二宮をのぞきこむような姿勢をとる。彼女は上目遣いでこちらを見やり、シンビジウムみたく微笑んで、
「どうしたの、坂本さん」
「んー、や、なんていうか。二宮ってさ、ほんとにわたしのこと、すきなんだね」
――二宮の動きが、ぴたりと止まった。
一瞬で凍りづけされたのかと思うほど、まったく鮮やかな静止だった。呼吸しているのかもわからないくらい固まっている。顔のまえで手を振ってみても、反応がない。よどみなかった縫い針も、布に鋭く刺さったままうごかなくなる。
「おーい、二宮。生きてる?」
「いぅ……」絞りだすような声だ。「いっ、き、てる……、よ?」
「おぉ、よかった。心臓が止まったのかと」
濡れた犬みたいに二宮はあたまを振って、深呼吸を何度もなんどもした。手元にまた視線をもどし、針を進めていく。が、手が震えすぎて、ちっともうまくできてない。
「動揺しすぎじゃない?」
「ど、どどど、動揺って、なん、なんですかっ⁉」
意図せぬ大声が出たらしく、一気に赤くなって、二宮はうつむいた。音量の調整もミスっている。おもしろい。
「どうしたの? まえはあんなに堂々と告白してきたのに」
「こっ、こく、告白っていうか、あれはっ、そのっ……」
二宮はもはや針と布から手を離して、溺れるみたいに両手をばたばた動かしている。それで、なにか弁明しようとして、しかし言葉につまったみたいで、しだいにしゅんとなり、
「お、覚えて、たんだ……」と、顔を伏せた。
わたしは肩をすくめて、続きを待つ。二宮は、はっと息継ぎをして、顔をあげて、また伏せる。そして二度目の息継ぎは、非常にちいさく、弱弱しかった。
「あ、あのときは、その……ごめんね」二宮は、蚊の鳴くような声で、「困らせたよね、坂本さんのこと……忘れてくれて、いいから、ね」
そのとき、なんと形容したらいいのか、鋭い物質が気管をすっと滑り落ちていく感じがあった。
二宮は、うつむいたままうごかない。きゅっと口を真一文字に結んで、無機質な布に目を落としている。
気づけばわたしは、弾かれるように立ち上がっていた。
「さ、坂本さん……?」
「帰る」
わたしは一言だけそう告げて、コートを着なおし、リビングを出た。廊下でモップをかけていた東山さんとばったり出くわすが、ちいさく会釈して、とおりすぎる。そのまま二宮邸を出る。




