20 きみというひかり④
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二宮が風邪を引いて、もう一週間になる。最初に見舞いにいったときはあれほど元気そうだったのに、二宮の風邪はちっとも治る気配がない。どうやら棗さんのいったとおりの状態になったらしい。体調がいちじるしくわるいわけでもなく、うっとうしい微熱がずっと続いて、ずるずる休まざるをえないまま、今日ではや一週間である。
朝、電車の三両目に乗って、二宮は今日もいなかった。ひとりでの登校も、一週間続けばそれなりに慣れてきたところである。わたしは吊革につかまって、二宮に今日も「おだいじに」と軽いメッセージを送る。既読は、すぐに付く。泣いた犬のスタンプが返ってくる。
あれから、お見舞いには毎日いっている。ひとり登校して、授業を受けて、そのまま二宮邸に直行する日々である。週末にも土曜日は顔を出した。週六で二宮生活である。もしかしたら、二宮が元気なときより会っているかもしれない。
どうしてそんなことをしているのかといえば、端的に彼女の体調改善のため――と、いっても、まぁよい。現に、棗さんのことばを真に受けるなら、二宮のメンタルはその体調を直接左右するらしい。病は気から、ということだろうか。友達と過ごす時間は、あの子の体調にすくなからずいい影響を与えるそうだ。それがわたしみたいなかわいい友達なら、なおさらだろう。
もちろんこれは冗談で、見舞いにいくのは、単にわたしが二宮の顔を見たいだけだった。友達には、会えるなら会いたいものだ。二宮はわたしにとって、いまや無二の友人だし、風邪でしんどい思いをしているのなら見舞いにだっていきたい。だから、今日も放課後は二宮邸にまっしぐらの予定だ。
さすがに一週間も通うと、メイドさんたちとも顔見知りくらいにはなった。東山さんにはいまハマってるアニメの布教が成功したほどで、あのふたりに会うのもいまやひとつの愉しみである。そういう意味でも、わたしはなかなかよろこんで二宮の見舞いにいっていた。
降りる駅に着く。二宮とは、ラインでしばらく話していたが、いいところで「また放課後」と切り上げる。
外は雪がちらついていた。今週になって格段と冷え込み、いまの雪はそのまま明日まで続く。積雪の予報だ。たぶん数センチくらいのものだろう。
姉貴からモスグリーンのコートも借りて、防寒にはぬかりない。ちびのわたしにはオーバーサイズだが、肌着、シャツ、ベスト、ブレザーと着膨れしたところに重ねるのだから、そのくらいがちょうどよかった。
学校に着くと、校舎まえでばったり山田と出くわした。ウインドブレーカーを羽織ったすがたで、自販機とにらめっこしている。
「わたし、ホットレモン」
「奢らねえよ」ホットのブラックコーヒーを買っている。「おはよ。今日も二宮さんは休み?」
「そうらしい」
せっかくだから、わたしもホット飲料を買った。かじかんだ指先に熱いくらいのペットボトルが心地よい。
「今日、朝練は?」
「はやめに切りあげた」
「めずらしい。女バスもゆるいときあるんだね」
「だってさみーじゃん」
校舎にはいる。ひとはまだ少ない。山田はコーヒー缶を両手で包み込み、はぁと息を吹きかける。
「昨日もお見舞いいったの?」
「うん。あいかわらず元気そうだった」
「でも、熱は下がってないんだ。難儀だな」
教室にはほとんど生徒がいなかった。特別はやく登校したわけでもないのにこれとは、凄惨たるありさまだ。
ちかごろ、インフルエンザが流行っているせいで、クラスメイトの多数が病欠続きである。そろそろ休校になるだろうとはもっぱらのうわさだ。うちの学級も冬休み明け一週間はもちこたえていたのに、いまになってがくっと崩れていった。
「爽ちゃーん、今日、自習だってー」と、山田が声をかけられている。他クラスの生徒だ。三つ編みのおんなのこで、たしか、女バスのマネージャーだ。聞くところ、授業も午前中でおわるらしい。
「明日には休校じゃない? 校長もかかったってうわさだよ」
「パンデミックだね」
「もう、ほんと!……あ、坂本さん、おはようございますっ」
「おはよ」
敬語であいさつされた。面識はないはずだが、なぜか名前も知られている。
マネージャーちゃんはそれから山田とてきとうな世間話をして、じぶんのクラスに戻っていった。その間にも、うちのクラスのメンツはちっとも増えない。こうもひとがすくないと、むしろ元気に登校してきたわたしたちのほうが異常に思える。まるで補習授業にきたときみたいな感覚だ。
「おまえはずっと元気だよな」と、荷物を置くなり山田はいった。「風邪もうつされてないっぽいし」
「むかしから、病気にはなりづらいほうだから」
「あぁ、なんとかは風邪を引かないっていう」
「だれがバカだ、だれが」
というか、風邪を引かないという話なら、山田だってそうだ。こいつは断然わたしよりも健康優良児だから、インフルみたいな流行り病にかかったことは、おそらく一、二度くらいしかない。
「ま、おたがい、バカの烙印を背負って生きていこうよ」
「巻き込むな。勝手に背負っとけ」
それにしても、自習か。面倒だ。ふだんならおとなしく授業を聞いているだけで五十分過ぎるのに、なにもなく、ぽんと自由な時間を与えられると、ぎゃくに困る。サボるにしても、今日は話相手がいない。山田はどうせ、ほんとうに勉強するし、付き合ってくれそうな二宮は今日も欠席だ。
「はーあ。二宮がいればなー……」
愚痴がこぼれる。ホットレモンを開ける。あまりの寒さに、もう冷めつつある。
なんだかいろいろ億劫になってきた。机に溶けるように寝そべって、無茶な姿勢でホットレモンを飲んでみる。山田は、あきれ顔で腕を組み、それからふと思いついたように、
「なぁ、まえから気になってたんだけど……」と、中空を見ながら、いった。「おまえと二宮さんって、付き合ってるの?」
むせた。それはもう、盛大にむせた。
教室のどまんなかで、もはや吐く勢いだった。思いがけないことばに驚いて、ホットレモンはわたしの気管で暴れまわり、不健康な咳が雪崩のように出た。
「だいじょうぶか、おまえ」山田が背中をさすってくれる。「すまん、まさかそこまで取り乱すとは」
「と、取り乱すっていうか、や、その、さぁ」
うまく喋れない。ペットボトルの蓋を閉じて、わたしは肋骨のあたりを叩く。しばらく経って、ようやく落ち着いてくる。
山田はほっとしたような顔をして、ちがう、ほっとしたような表情を偽って、
「そんなにあわてるってことは」と、にやり。「やっぱり、そうだったのか……」
「や、ちがうから。びっくりしただけ」
「そうなのか? でも、おまえらのこと、ちょっとうわさになってるぞ」
「え、うそ。なんで」
「だってほら。いつもいっしょにいるし」
「そりゃ友達なんだし、ふつうでしょ」
「このごろ毎日お見舞いにいってるし」
「友達なんだから。心配になるよ」
「デートにもいくし」
「や、デートっていうか、あれはぁ……」
「え、ほんとうに?」
「え?……あっ」
はめられた。デート云々は、どうやらまったくうわさになってなかったらしい。
「え、いつ? どこいったの? おそろいのストラップとは何か関係が?」
「うあー、うるさいうるさい」
ていうか、ストラップのことまで気づかれているのか。意匠違いだし、パッと見では気づかなさそうなのに。
「で、ほんとのとこ、どうなの?」
「ふたりで出かけたことくらいあるよ。友達なら当然でしょ」
「そうか、キスまでしたか……」
「いってないだろ」
「どこまでいったんだ?」
「聞く耳なし子ちゃんめ……」
今日にかぎって、やたらと山田はうるさかった。わたしがへたにぼろを出してしまったせいだ、面倒くさいことこのうえない。それにしても、こいつ、恋バナとか興味あるタイプだったっけ?
わたしは頬杖ついて、山田による芸能記者ばりのインタビューを雑に受け流す。やれデートではどこにいったんだ、付き合っているといううわさは真実なんですか……はたしてほんとうにうわさになっているのか、まったく知らないが、まぁ今日はひとがほとんどいないから、こういう話もわりとラフにできる。そこは唯一救われているところか。
さっさと予鈴が鳴って、この記者会見ごっこもおわってくれと思う。現実、わたしと二宮の関係性は、あのクリスマスからちっとも変わっちゃいない。わたしは二宮の友達だし、二宮はわたしの友達だ。キスもしないし、ハグもしないし、えっちなこともしていない。デートにだって、誘っても誘われてもいない。
「でも毎日ラインはしている」と、山田はメモを見ながらいった。「お見舞いにも毎日通っている、と」
「や、あやしくないでしょ。そのくらいで付き合ってるとか、小学生じゃあるまいし」
「じゃ、仮におまえが熱で寝込んだとする。わたしが毎日、放課後、なんなら週末にも家に寄ってたらどう思う?」
「わたしのことすきすぎて気持ちわるい」
「ほらな、そう思うだろ」
「う、うーん……もしかして、わたし、キモいことしてる?」
「いや、そうことではないぞ。つーかわたしもキモくねえよ」
山田は、結局なにも書いていないメモをブレザーにしまって、
「そのくらい、おまえは二宮さんのこと、すきになってるんじゃないの、って話」
「え……」
わたしが、すき?
二宮のことを?
「……あれ、坂本? おーい」
思考が止まった。考えたこともなかった、から。
すごく遠い場所で、予鈴が鳴る。山田は肩をすくめて、じぶんの席に帰っていく。
わたしが、二宮を、すきに。
まさか。わたしはあたまを抱える。たしかに、二宮のことはかわいいと思う。ひかえめなところも、意外と食いしん坊なところも、じつは芯のあるところも魅力的だ。顔もいい。それにわたしにとっては大事な存在で、高校でもなんとか腐らずやっていけているのは、二宮のおかげだ。でもそれは、いままでもずっと、あの子がわたしの友達だったから。
「おい坂本、ホームルームおわったぞ。筆箱ぐらい出しとけよ」
二宮のことは、そりゃあ、すきだ。だいすきだ。恋愛的な意味では、ないけれど。
できればいっしょに歩いて話をしたいし、わたしの冗談に困っていてほしいし、たまにカウンターを喰らわせてほしい。わたしはあの子と、気兼ねない友人でありたいはずだ。わたしには、そのくらいの距離感ですら、ぜいたくに思える。
「休憩時間だぞ。ぼーっとしてたけど、だいじょうぶか?」
鴨南蛮をたべにいったときも、わたしと姉貴と二宮とで鍋を囲んだときも、わたしはきっと二宮に恋愛感情を抱いてはいなかった。となりにいることがたのしかった。二宮は、口下手なのに一生懸命にわたしと話そうとして、わたしが声をかけたらよろこんでくれて、するとわたしの冷えた血液もあたたかく、めぐりはじめる。うまく走れない右足のことを打ち明けた日も、おなじだったと思う。
ずっと胸の核に、二宮という友達の存在がゆっくりと近づいていく感覚があった。二宮はわたしを励ましてくれた。わたしの面倒な悩みをちゃんと聞いてくれた。わたしに、真正面から向き合ってくれた。二宮はそういうおんなのこだ。そういう、親友だ。
わたしは二宮のことを大切に思っている。彼女がわたしを大切に思ってくれているように。
それは恋愛感情だろうか?……腹の奥がむずむずする。そもそも、付き合うってなんだ? あたまがこんがらがってきた。はっきりわかるのは、二宮のことが、大切だっていうことくらい。
はたしてこの大切は、恋なんだろうか。
「うあぁ~……」
「どうした、ゾンビみたいな呻き声あげて」
気づくと、山田がウインドブレーカーを羽織って、すぐそこに立っていた。時刻は昼過ぎ。今日は午前授業でおわりと聞いていたから、なるほど、もう放課後らしい。
「帰らねえのか」
「帰る」
「二宮さんの家には?」
「寄る、けどぉ……」
わたしはこころなし重いからだを、うえに引っぱりあげる気持ちで動かして、そのままスクールバッグを背負う。そういえば、今日は机になにも出していなかった。




