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ひかりになって  作者: 維酉
第五話 きみというひかり
19/26

19 きみというひかり③

「ごめんね、きゅうに訪ねちゃって」

「う、ううん! 気にしないで……ください」


 敬語だ。このごろ、二宮が敬語になるタイミングがなんとなく掴めてきた。照れているか、恥ずかしがっているか、あるいは焦っているか。だいたい、この三パターン。どれだろうなと考えていると、二宮はあわてたように、


「あ、ご、ごめん、座って……えと、クッションは――」


 二宮は立ち上がろうとするが、わたしは手で制して、肩をすくめる。風邪引きのおんなのこはそう動くものではない。


 わたしは使っていいといわれたクッションをラグのうえに敷いて、腰と荷物をおろした。暖房が効いた二宮の部屋はフローリングの敷かれた洋室で、もはやいうまでもなくわたしの自室より一回り広い。掃除はずいぶん行き届いていて、調度も落ち着いた色合いが多く、まじめでひかえめな彼女らしい。


 なかには、わたしが以前贈ったぬいぐるみも飾られている。ごていねいにショーケースに入れられており、そこまで上等なものでもないから気恥ずかしくなる。


 まぁ気にせず、わたしは見舞いの品――答案入りのクリアファイルとコンビニで買ったチョコパイを、木目調のローテーブルに出しつつ、


「具合はどう?」と、本人にも訊いた。

「げ、元気だよ……明日には、もう、学校にいきたいくらい」

「無理しなくていいのに。あ、それとも、わたしに会えなくてさみしい?」

「うっ……」もとより赤い顔が、さらに赤くなる。「……うん」


 肯かれてしまった。カウンターパンチだ。わりと冗談のつもりだったのが、すなおに肯定されてしまうと、こちらとしてもおどけきれない。


 で、ちょっとばかし天使が通り過ぎる。


「え、えと……」先に耐えられなくなったのは、二宮のほう。「あ、そ、その、今日は、えっと」

「ん……あ、そう。先生にたのまれて、お届け物」

「そ、そうなんだ……! わざわざ、ありがとう……ござい、ます」


 二宮はベッドのふちに座るようにして、クリアファイルをうけとる。なかには冬休み明けすぐにやらされた確認テストの答案がまとまっているはずだ。


 中身をぱらぱらと点検している、二宮。それをながめる、わたし。かち、かち、と壁掛け時計の音がひかえめに響く。


「テスト、どうだった?」

「う、うん……いつもどおり、かな」


 ということは、今回もよい点数がとれているのだろう。二宮の場合、どの科目でもアベレージ八十五点ある。


「坂本さんは?」

「まだ返却されてない。ま、二宮ほどじゃないにしろ、今回は自信あるよ」


 冬休みのあいだは比較的モチベーションが高かった。課題もはやめに片づけて、三が日にもそこそこ勉強していたくらいだ。あまりのめずらしさに、家族からは気味悪がられたが。


「ひどいと思わない? まじめでかわいい末っ子が学業に精を出しているだけなのに、今年は厄年だとか、正月から縁起がわるいとかいうんだよ」

「ふふ……仲がいいよね、坂本さんの家族」

「そうかな? 姉妹仲はいいと思うけど」

「わたしは……今年も元日くらいしか、家族で過ごせなかったから。ちょっと、うらやましい」

「ふうん?……じゃ、来年は二宮もうちにくる?」

「えっ⁉」

「なんてね、冗談」

「う、うん……冗談だよね、びっくり……しました」


 また敬語だ。今日はちょっと多い気がする。


 と、棗さんがティーポットとお茶菓子の載ったお盆をもって現れた。洗練された所作で、花柄の意匠がほどこされたティーカップにお茶をつぐ。アールグレイの爽やかな香りがただよう。


「すみません、気を遣わせてしまって」

「いえ、お口にあうとよいのですが」


 いって、棗さんは淀みなく茶葉の説明をしてくれる。どこどこ産の、なになにという銘柄らしい。紅茶には明るくないのでぱっと入ってこないが、とにかくいい茶葉なのだろう。


「それでは、ごゆるりと」


 棗さんはすっと立ち上がり、綺麗な歩き方で部屋を出ていく。その背姿はまさに、アニメでしか見れないものだと思っていた本物のメイドさんだ。見ていてほれぼれする。


「……」気づけば、二宮がじぃっとこちらを見ていた。「そんなに、棗さんのことが、気になる……?」

「あは、妬いてる?」

「そ、そういうのでは……」

「ごめんごめん、今日は二宮のお見舞いにきたんだもんね」

「だ、だから、そういうのではなく……!」


 二宮はちょっと拗ねたように唇を尖らせて、ティーカップを両手でとる。で、ひとりカップのなかを見つめる。いま、この子はなにを考えているんだろう。実際、妬いてたのかな。というか……


 二宮って、わたしのことがすきなんだっけ。


 紅茶を啜る、二宮。それをながめる、わたし。やはり熱かったみたいで、目をしばたたかせて、ちいさくのけぞる。おもしろい。でも二宮はあきらめない。ふー、ふー、と息を吹きかけて、ゆるくカップを傾ける。こんどは、びっくりしてのけぞるようなことがない。紅茶はおいしかったらしい、頬が一瞬ゆるみ切って、それからわたしの熱視線に気づいて、ぱっと赤くなる。で、ぬいぐるみを抱きつぶすみたいに肩からぎゅうっと縮こまる。


 うーん。行動がいちいちかわいい。しかもこれが計算づくでなく、まったくの天然だから困る。そのうえ、じつは年上ときた。ふだんは意識しないが、そういえば二宮は十七歳である。かくいうわたしは、早生まれなのでまだ十五歳。数値のうえでは二歳差だ。


「チョコパイたべる?」

「あ……う、うん。ありがとう」


 お見舞いの品でもってきたチョコパイを、二宮は笑顔でうけとってくれる。これが年上? こんなにかわいいのに?……脳がバグってしまいそうだ。


 それにしても、二宮はチョコパイをずいぶんうまそうにたべる。病欠したとはいえ、食欲は充分あるようだ。ラインの既読もつかなかったので、けっこう心配していたのだけれど、……


「そうだ、ライン」

「え、ライン……?」

「あぁいや、なんでもないんだけど」


 二宮は小首をかしげて、それから思い至るところがあったのか、枕元にあったスマホを片手で取りあげる。で、「あっ」とちいさく叫んで、チョコパイを落としかけるのを、あわてて体勢をもちなおす。


「だいじょうぶ?」

「う、うん……ぎりぎり」ひとつ深呼吸して、「あ、ほんとだ、ライン……ぜんぜん、気づかなかった……」

「寝込んでたんでしょ。しかたないよ」

「ご、ごめんね、心配かけて……」

「いいって。杞憂だったわけだし。大事じゃなくてよかったよ」


 わたしもラインを見る。ちょうどいま、既読がついた。ラインを送っても返信どころか既読すらつかないのは、たしかにやきもきしたけれど、まぁそれはこっちの勝手だ。


 二宮はただの風邪で、熱もたいしたものじゃなかった。それがわかって、いまはもう、安堵するばかりだ。じつはがくっと体調を崩して、このまま数週間、数か月の休養に――というのは、昨年のようすを聞くかぎりではありえない話でもなさそうだった。でも、今回の風邪は、どうやらそうじゃない。ちょっとしたら、二宮はきっと、またおなじ電車の三両目に座ってわたしを待っている。


 ちゃんと面と向かって、そのことを知れた。満足だ。


「じゃ、長居してもわるいし、そろそろお暇しようかな」


 お茶をたのしんで、五時をまわったころ、わたしはそういってかばんに手を伸ばした。このあいだ買った、おそろいのストラップが吊り照明にきらめく。


 二宮は、肯いて、でもしゅんとした表情であった。わたしはカップに残った紅茶をくっと飲み干し、立ちあがる。二宮も、いっしょに立とうとする。


「や、見送りはいいって。病人なんだから」

「う、え、そう……?」

「気持ちだけで充分。じゃ、今日ははやめに寝なよ」

「うん。坂本さんも、気をつけてね」


 冷えピタの張られたおでこを見下ろして、わたしは肯く。いよいよ部屋を出ようとしたら、


「さ、坂本さん」と、声をかけられた。ふりかえる。二宮は、なぜだろう、あたふたしている。なんというか、たぶん、とっさに声をかけたことにじぶんで驚いているみたいだ。


「どうしたの、二宮」と、半分廊下に出た状態で、訊いてみる。


「あ、あの、えと……」視線を逸らす、二宮。「や、やっぱり、なんでも……」


 表情が暗い。わたしは苦笑して、


「そんな顔しないでも」と、肩をすくめた。「また明日もくるよ」

「え、あっ、ほ、ほんとう……?」

「うん。どうせ暇だしね」


 わたしは自嘲気味にいう。


 以前の二宮なら、たぶん、つぎはこうだ。「そんなのわるいよ」とか、「遠いだろうし無理しないでよ」とか。ひかえめで、わがままもなく、じぶんなんかに時間をさいてもらうのは申し訳ないみたいな、少々過ぎた謙遜すらする。


 でも、今日の二宮は頬をゆるませて、


「うれしい……待ってる、ね」

「……」


 どき、とする。二宮の、あごを撫ぜられるねこみたいなゆるみきった表情に。その声音に。


 どき、としてしまった。


 うーん……まじか。


「……坂本さん?」

「や、なんでもない。また明日ね、二宮」

「うん。また、明日」


 手を振って、ぱたん、扉を閉じる。ばれないよう、静かに深呼吸した。われながら、よくわからないところでときめいたものである。


 階段をおり、メイドさんにあいさつして帰ろう。物音の聞こえるほうにいくと、台所だった。メイドさんがふたりいる。さっきの棗さんと、彼女より、そしてたぶん二宮よりも背の高い、もうひとりのメイドさん。このひとは、たしか、以前にいちど見かけたことがある。


「あら、お帰りですか?」と、棗さんがこっちに気づいた。「今日はありがとうございました。お茶はいかがでしたか?」

「おいしかったです。ごちそうさまでした」

「ふふ、よかった。あれはお嬢さまのお気に入りでもあるんです」


 棗さんは、白いタオルで手を拭きながら、やわらかく笑む。


「もう外も暗いですし、ご自宅までお送りしますが……」

「いえ、さすがにそこまでご迷惑をおかけするのは」

「ご遠慮なさらないでください。ね、きぃちゃん、車は出せる?」

「えぇ、すぐに!」


 きぃちゃんと呼ばれたメイドさんは、快闊な返事をして、さっと台所を出ていった。ほんとうに送ってくれるらしい。


 玄関を出ると、黒く車体の光る高級そうな車が停まっていた。これも、二宮がまえ、乗っていたのを見たことがある。やっぱり住む世界がちがうな、とぼんやり思う。


「よければ、また、お見舞いにきてくださいね」と、見送りの棗さんにいわれた。「お嬢さまの体調は、むかしから気持ちの問題も大きいんです。お友達と会えるなら、そのぶん、具合もはやくよくなるでしょうから」

「もしかして、長引きそうなんですか、風邪」

「わかりません。でも、微熱が長いこと続くというのも、何度かありましたから」

「そっか。ま、それならなおさら、明日もきますね。二宮さんと約束もしましたから」

「えぇ、お待ちしております」


 わたしは高級車のふかふかな後部座席にとおされて、シートベルトを締めた。座り心地は最高なのに、最高すぎて、かえって少々居心地がわるい。運転席には、きぃちゃんが座る。わたしは座席から棗さんに会釈して、すると彼女もにこやかに手を振ってくれた。すごい。わたしはいま、メイドさんに手を振られている。


 走りだしたのかもわからないほど静かな走り出しで、車は二宮邸を出た。実家の軽自動車と較べるのもおこがましいくらいエンジンは静かで、揺れも少ない。二宮邸が見えなくなったころ、


「あ、わたしの家、わかりますか?」と、運転中のメイドさんに訊いた。彼女はこっくり肯く。

「いちど、お嬢さまのお迎えにあがったとき、そちらまでお伺いしましたから。覚えておられますか?」

「あぁ、やっぱり、あのときの。えっと……」

「東山です。坂本七さま、でしたよね」

「そう、なんですけど……その、〈さま〉っていうの、どうにかなりませんか? こそばゆいというか……」

「おや、そうですか? では……」東山さんは、しばし考えて、「七ちゃん」


 おお、そうきたか。さん付けくらいになるかと思っていたが、飛んで名前呼びだ。


 でも、年上のメイドさんにちゃん付けで呼ばれるのって、わるくない。というか、いい(ベネ)非常にいい(ディ・モールト・ベネ)。すごくうれしい。


「ぜひともそれでお願いします」

「やぁ、いいんですか? いっといてなんですが、まさか受け容れられるとは」


 バックミラー越しに、東山さんは八重歯をのぞかせる。チャーミングなひとだ。やっぱり二宮は、ずいぶんすてきなメイドさんに囲まれている。正直、うらやましい。

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