18 きみというひかり②
§
放課後、職員室に呼び出された。こころあたりはない。
SHRがおわり、さっさと荷物をまとめて帰ろうかと思っていたら、うちの担任が職員室まで来いというのである。いったいなんだ、と思っていると、山田がやってきて、
「なにやらかしたんだ?」と、冷やかしである。
「覚えがない。いっただろ、わたしは清らかさで売ってるんだ」
会話は双方てきとうに切り上げて、山田は部活に、わたしは職員室に向かった。
職員室は、教室棟の一階、東詰めである。校門とは真反対で、わざわざいくのは億劫だが、呼び出されたてまえ、いたしかたない。東階段をくだりつつ、わたしは怒られの候補をいくつか挙げてみるが、やはりパッとしない。学級委員に怒られる理由がちっともないように、担任に怒られる理由もどうようにないはずである。
とにかく、わたしは職員室のドアをノックした。張り紙通り、二回ノックして、「失礼します」とあいさつしてみる。ちょっと離れたあたりにデスクがある担任は、すぐ気づいて、こっちこっちと手招き。
「来てくれてありがとう、坂本さん」と、担任はにこやかにいった。あれ、怒られるような雰囲気ではない。担任のデスクには、少々分厚いクリアファイルがあり、「二宮さん」と付箋がある。
「二宮案件ですか?」
「ふふ、そうです。ちょっとへんないいかただね」担任は、そういうと申し訳なさそうに、「わるいんだけど、これ、二宮さんのお宅まで届けてくれないかな」
「いいですよ。電車賃をくれるなら」
「もちろん。このなかに隠しています」
担任、にやり。クリアファイルに挟まれたプリントから、ちらっと茶封筒を覗かせる。お茶目なひとだ。まぁたしかに、教師が生徒に現ナマをわたす図は、数百円といえどあまり好ましくないかもしれない。
「さすが、話がはやいですね」と、わたしもノってみる。
「えぇ、無理なお願いですから。返さなくてもいいですよ」
いって、茶封筒をまたしっかり隠す。
「たしか坂本さんは、二宮さんと仲がよかったですよね」
「友達です」
「よかった。もっと家の近いひとに頼もうかと思ったのですが、仲のよい子のほうが、二宮さんもうれしいでしょうから」
「二宮の具合はどうなんですか?」
「家政婦さん……ですか? おうちの方がいうには、そこまでひどくはないみたいです。でも、大事をとって、二、三日はようすを見ると」
「あぁ、じゃ、これは……三日分の課題?」
「まさか。そこまで鬼じゃないですよ」担任は苦笑して、「返却物がいっぱいあるんです。ほら、冬休みの確認テストがあったでしょう。あれ、明日から教科ごとに返されますからね。それに、授業参観のお知らせとか、もろもろ」
クリアファイルを受け取る。なるほど、ということはいま、二宮の成績がわたしの手の中にある。
「覗いちゃだめですよ」と、釘を刺された。「すみません、本来はわたしが届けるべきなんですが、このあと会議があって」
「たいへんなんですね、教師って」
「いえ、まぁ……すみません」
低姿勢がすぎて、ちょっとやりづらい。気にしなくてもいいのに……うちの担任は陸上部の顧問だったはずだし、会議がおわってもしばらく解放されないのだろう。それなら、多忙をねぎらって、わたしがちょっとした労苦を引き受けてもよい。
「というか、電車賃、ほんとにもらっていいんですか?」
「えぇ、ぜひ」
「くれなくてもいくのに。二宮のことは気になりますし」
「いいんです。わたしが落ち着かないから」
いうと、そろそろ時間らしい。「お願いしますね」とにこやかにいって、担任は会議の支度をはじめた。わたしもあいさつして職員室を出る。
校舎のそとで、スマホを開く。やはり既読はついていない。寝込んでいるのか、ほんとうに忘れられているのか――どちらにしろ、いまから家に向かうのだから、答え合わせはすぐだ。
二宮の家がどのあたりかというのは、なんとなく知っている。担任も住所をメモ書きしてわたしてくれた。たぶんどうにかなるだろう。
わたしは電車に乗り、いつも降りる駅を過ぎ、二宮邸の最寄り駅に着いた。途中、思いだして、姉貴に帰りが遅くなることをラインする。こっちは既読がすぐについた。返信はない。
改札を抜け、駅舎を出る。寒風吹きすさぶ一月である。赤いマフラーの穂先が風に揺れ、進むべき方角のまぎゃくを指した。そっちにはうまそうな揚げ物屋がある。見舞いついでに買っていくか、なんてあたまをよぎったが、まさか病床の友達に手土産としてもっていくものでもない。気にせず、二宮邸の方角に歩きだす。
しかし、手ぶらでいくというのも面白くない。いつものくせが出てICカードで乗ったから、担任にもらった電車賃もそのまま残っている。返さなくていいといわれたし、コンビニでお菓子でも買っていくことにした。こういうあぶく銭は、はやめに始末するに限る。
お菓子のはいったレジ袋をひっさげ、わたしはなおも歩いた。途中、踏切があり、そのさきに肉屋があった。コロッケのいいにおいがする。二宮はここで買い食いするということがあるのだろうか。ブレザーのポケットには、まだすこし小銭がある。せっかくなので、買った。
ついでに道も訊ねると、小柄な肉屋のおばちゃんはまくし立てるように教えてくれた。二宮邸の場所、道順、それからメイドさんと二宮がよくコロッケを買って帰ること、もうそれがおいしそうにたべてくれるから、おばちゃんうれしくってぇ……長くなりそうだったが、うしろにつぎのお客さんが来て、たすかった。いいかんじに切り上げる。コロッケはうまかった。
そこから五分くらい歩くと、二宮邸が現れた。白塗りの塀に囲まれた、荘厳な日本家屋である。門前に立ってもその全容はうかがい知れないが、見たところ二階建てらしい。メイドさんのいる家は、やっぱりすごい。正直気後れするが、木組みの門扉に「二宮」と達筆な表札を見つけて、腹をくくる。インターフォンを押す。
「はい」と、おだやかな声がマイク越しに聞こえた。「どちらさまでしょうか」
「二宮さんのクラスメイトの、坂本です。お見舞いにきました」
「あら、まぁ!」
すぐに参りますね、と聞こえてきたのとほとんど同時くらいに、玄関がひらいた。黒と白のクラシカルなメイド服を着た女性が、飛び石を優雅にわたってくる。わたしよりすこし背が高く、髪は肩のあたりで整えている。
秋のおわりごろに二宮を夕食に招いたとき、迎えにきたメイドさんとは別の人だ。たしか、二宮の家にはメイドさんがふたりいると聞いていたが、ならもうひとりが彼女なのだろう。メイドさんはうやうやしく一礼し、すぐに門を開けてくれる。
「お寒いなか、ようこそおいでくださいました」と、メイドさんはいった。「使用人の棗と申します。坂本さま、どうぞ、こちらへ」
さ、坂本さま……
うまれてはじめての二人称にどぎまぎしながらも、わたしは促されるままに敷居をまたいだ。そしてそのまま、二宮邸にあがりこむかたちとなった。
二宮邸は、わたしの実家より二回り以上は大きかった。まずリビングに通されたが、そもそもこのリビングだけで、わたしの一家は住めそうである――というのは誇張しすぎだが、じつのところ、実家の居間を二個つなげてもここより狭そうだ。
「すみませんが、こちらで少々お待ちください」
棗さんは、そういって二階にあがっていった。二宮の私室があるのだろう。ま、いきなり押しかけたのだし、待たされるのは当然だ。
ただ、なんというか、落ち着かない。はじめてきた家というのもあるが、なによりわたしの場違いっぷりがすさまじい気がする。ここのリビングにはずいぶんと格式高そうな調度品ばかりが揃っていて、わたしのような庶民にはちょっと畏れ多い。
たとえば……堂々と鎮座する木組みのダイニングテーブルである。年季がはいっているものの、そのぶん威光を蓄積して黒々と輝きを放つ。ちいさな傷ひとつですらさまになっている。似た材質の椅子も同様で、それなりに年月を経たものなのだろうが「古さ」を感じさせない。むしろ使い続けられたことによって真に洗練されていったというような、そういう趣がある。
とはいえ、かしこまってばかりでは、かえって失礼かもしれなかった。ずっと突っ立っているのも不自然だし、とりあえず、クッションの装着された椅子のひとつに腰かけてみる。なんだろう、わたしが座ると、さまにならない。ちんちくりんな感じがする。でも座り心地がよすぎる。
と、いうか、こうして家にあがってしまったが、そもそも二宮はひとに会える状態なのだろうか。スマホを見る。まだ既読はつかない。うーん、やっぱり、たいへんそう? 顔を見れたらとは思っていたが、つらいようなら、お届け物だけ置いて帰っても――
「お待たせいたしました、坂本さま」と、棗さんがおりてきた。二宮の部屋まで案内してくれるという。
「体調はどんな具合なんですか」
階段をのぼりつつ、訊いてみる。先行する棗さんはなごやかに、
「お元気、とまではいいませんが、あまり深刻ではないのですよ」
「二、三日は休むって聞きました」
「えぇ、お嬢さまは、明日にでも登校するつもりみたいですけどね」
おもったより元気そうだ。そういう調子なら、あまり心配することもなさそうである。
二階の廊下のてまえ側にある部屋を、棗さんは数度ノックする。聞き馴染みのある、ちょっと焦ったような返事が聞こえてから、棗さんはドアノブを捻った。
「お連れいたしました、お嬢さま」
うやうやしい態度の棗さん。わたしはそのうしろから顔を出し、
「や、二宮」
「さ、坂本さん! いらっしゃい……!」
パジャマ姿の二宮は、ベッドに上体を起こし、はにかむような笑みを浮かべた。おでこには冷えピタシートがある。頬はふだんよりやや紅潮している。
「では、お茶をお持ちしますので」
「あぁいえ、お構いなく」
棗さんは階段をおりていく。気を遣ってくれなくてもいいのに。
ふたりきりになった。突っ立っていてもしょうがないので、わたしはかしこまって二宮の部屋に足を踏みいれる。




