16 ひかりになって④
§
わたしたちがはいった小綺麗なイタリア料理店は、そこそこの賑わいをみせていた。プラネタリウムのシアターの、ひとつうえのフロアには、ちょっとお高いレストラン街がある。上映がおわって、余韻をひきずりながらわたしたちは、そこらをうろつきながら空腹を適度に満たしてくれそうなお店をさがし、最終、ここにきめた。
つまり、だいたい、東山さんのいったとおりのデートプランになっている。時刻をして、午後七時ほどである。八時台の電車で帰るつもりなので、今日の最終到達点は、やはりここになる。
店内には気のいいカンツォーネが流れ、赤レンガを模した壁紙を橙色の照明が照らす。活気はあるが落ち着いた雰囲気で、つい気が緩む。
通されたのは四人掛けのテーブル席で、わたしたちはずいぶん余裕のあるスペースをあてがわれたことになる。斜め前の席には親しげな老夫婦が赤ワインをたしなみながら、こぶりなマルゲリータをつまんでいた。
わたしはきのこのパスタを、坂本さんはすくなめのミートソースパスタを注文する。で、老夫婦にならって、ふたりでマルゲリータも頼んだ。黒いエプロンのウェイターさんが立ち去ると、
「たりる?」と、坂本さんは肩をすくめた。
「た、たりるよ」
うそだ。パスタ一皿とピザの数切れでは、たぶん、たりない。いま、なんだか知らないけど、いつもよりすごくお腹がすいている。気を張りすぎて、疲れているのかも。
でも、さすがに、パスタ二皿ははしたない気がする。それに、坂本さんにいっぱいたべるところを見られるというのは、これでけっこう恥ずかしいと思っているのだ。
「わたしさ、このビスマルクってのも気になるんだけど。知ってる?」
「えっと……たまごが乗ってるやつ、だよね。おいしいよ」
「なるほどね」
坂本さんはすみの呼び出しベルを押し、ビスマルクを追加で注文した。
「だ、だいじょうぶ?」
「や、たべきれないと思う。そのぶん二宮がたべてよ」
「う、うん……ありがとう」
やさしい。気を遣わせてしまった。うれしさと気まずさがごちゃまぜだ。けど、なにより、やっぱり、大食いのイメージが定着してしまっているのは……
とはいえ、いまさらだった。きめた。わたしはたべる。いっぱいたべる。もう、知らない。お腹がすっごくすいているし、しかも、坂本さんの心配りなのだ。たべないほうが、失礼だ。それに、腹が減っては戦ができぬという。東山さんのことばを借りて、最後まで気を抜かないためにも、そう。
恋は熾烈な争いらしいから。
お料理がはこばれてくるまで、わたしたちはプラネタリウムの感想戦をした。坂本さんにとってはじめてのプラネタリウムは、どうやらお気に召したらしい。よかった。
ああいう星々のきらめきは、あまり町中では観られない。わたしたちの町も、そう栄えたところでもないけれど、やはり街灯や家屋の明かりが、夜空の星を見えにくくする。めいっぱいに広がる星空は、貴重な光景のひとつだ。むかしはどうだったのだろう? もっと、家にいても、窓をみあげればそこに星がきらめいていたのだろうか。
「いつか本物も観てみたいね」と、坂本さんは笑った。「満天の星ってやつ。本物のほうがきれいかな?」
「どうだろう……いくなら、こんどは、夏がいいな。星もちがうし……」
「うん。なにより、冬だと凍えそう」
たしかに、そうだ。わたしはかなり真剣な面持ちで肯いた。冬の星は、空気が冴えてうつくしいけれど、そのぶん寒さも容赦ないはずだ。かえって夏は、虫よけ対策が肝腎だろう――
なんて思っていたら、お料理がきた。わたしたちのまえにはパスタとピザが二皿ずつ並び、もうもうと湯気を立てている。フォークとスプーンをとり、手を合わせる。
わたしが頼んだのは、きのこのクリームパスタ。シメジに、ヒラタケ、マイタケ、エリンギと、四種のきのことクリームソースが絡まって、食感も味わいもよい。ピザも、耳までほどよくこんがりで、香ばしい。気づけば食指がどんどん進む。いっぱいたべるのが恥ずかしい、なんて、われながらほんとうに思っていたのか、というくらい。
坂本さんも、こころなし、いつもよりたべている気がする。ふだんは見ているこっちが心配になるほど少食だけれど、今日はパスタに、ピザも数切れたべている。なんとなく、うれしい。ひとがたべているのを見るのは、けっこう、しあわせな気分だ。
「それにしてもさ」坂本さんは、ビスマルクをとりながら、「チケット、よくとれたね」
「あ……うん。じつは、棗さん――あ、えっと、うちのメイドさんにもらったんだけど」
「おぉ、メイドさん」
「う、うん……ほんとうは、わたしの兄さんといく予定だったらしいよ」
「へぇ、え、付き合ってるの?」
「そうみたい。でも、兄さんに急な仕事がはいったとかで……最低だよね」
「あは! そうかも」
いちおう、年明けに日を改めて、兄は埋め合わせの約束をしたとか。ならいいか、とはならない。
「でも、そうか。それなら、その棗さんにも、お礼いわないとだね」
「うん……伝えとく、ね」
棗さんには、今日のぶんだけでも大きな恩がある。帰ったら、改めてお礼をいって、あと兄さんに釘を刺しておかなきゃ。
§
食事をおえると、デパートを去るのによい頃合いだった。わたしたちはエスカレータ―で一階まで降りていく。適度な満腹感に歩調はゆるく、しかし帰りの電車までは余裕がある。
さあ、あとは帰るだけだ。駅まで戻って、電車に乗って、途中の駅で別れる。それで、今日のデートはつつがなくおわる。たのしかった。坂本さんと並んでイルミネーションを歩き、プラネタリウムを観て、食事をする。夢のようなひとときだった。
エスカレータ―の途中、坂本さんはわたしを振り返って、
「ふふ、なんか、一瞬だったな」
「一瞬?」
「うん。たのしいときは、一瞬に感じる。今日はずいぶんたのしかったから」
いわれて、はっとした。わたしも、一瞬だった。坂本さんといられる時間は、かけがえなくて、いっとうすてきで、だから時が過ぎ去るのも名残惜しいくらい一瞬だった。
それはうれしいことだ。しあわせだ。
でもおなじくらい、さみしい、と思う。もっと一緒にいたい、と思う。
でも、いえない。夜の市街地に、またわたしたちは出た。
帰り路、わたしは今日の出来事を思い返す。反省会には早すぎるが、もと来た道をもどっていくと、やはり目につくのだ、数時間まえのわたしが。坂本さんのとなりで、みとれてばかりのわたしが、思いだされていく。
あぁそういえば、行きは、手を繋いでいたっけ。人通りが多かったから、坂本さんから手を繋いでくれた。ひとごみのなかだと、わたしは目を離したすきに迷いそうらしい。でも、いまは、まだ賑わっている市街地も、あまりひとでごった返しているというでもない。
「二宮」と、声をかけられて、はっとした。「どうしたの。やっぱり寒い?」
覗き込むように、彼女は上目遣いになる。どうやら、わたしはずいぶん深刻そうな顔してひとり押し黙っていたらしい。
「あ、それとも、具合わるい? どっか座ろうか」
「う、ううん。だいじょうぶ」
はにかむように笑う。彼女は心配そうに眉をひそめたままである。
「ほ、ほんとうに、だいじょうぶだから」
「そう?……なら、いいんだ」
坂本さんはおだやかな表情にもどって、また歩きだす。わたしは、とりどりの電飾がきらめく通りに、彼女の背中を数秒、見つめて、
「あの、坂本さん」と、声をかけている。彼女はくるりと振りかえってくれる。
「どしたの、二宮」
「え、えと、その……」深呼吸、二回。「て、手を、繋ぎませんか⁉」
――しまった。思ったより、おおきな声が出てしまった。
案の定、きょとんとされる。冷汗がふきでる。
「あっ、えっと、その」弁解しようとして、舌がうまくまわらないが、「べ、べつにっ、よこしまな考えがあるとかではなくっ、ちょっと手を繋ぎたいなと思っただけでっ、や、それはそれできもちわるいんだけど、あっいやならぜんぜん断ってほしくてっ」
「いーよ」
「えっ――」
「いーよ。ほら」
手を差しだされる。しろくて、ちいさい、右手である。
「い、いいの……?」
「うん。ぎゃくに、だめなの?」
「だっ……め、かも、しれない」
「えっ、だめなの⁉」
坂本さんは目を瞠って、それからすぐに口元をほころばせた。で、わたしの左手をやわらかく掴み、となりに立つ。
「だめ? これ」
「だ、だめじゃない、です……」
「うん」坂本さんは軽く肯く。「よし、帰ろう」
心臓が、ばくばくと鳴る。距離が近い。距離を縮めようとした、これは結果なのだから、近いということはよろこぶべきなのだけど、それにしても、近い。近すぎる。鏡を見なくても、わたしはいま顔がまっ赤だ、絶対に。
イルミネーションに満ちた大通り沿いを、わたしたちはそうして、駅まで歩く。わたしの歩調はあまりにぎこちなかったが、しかし駅には余裕をもって着いた。
駅舎にはいり、わたしたちのめのまえには自動改札機が現れる。坂本さんは、手を離してくれない。
「このまま行こう」と、面白そうに坂本さんは笑った。
「ど、どうやって?」
「アドリブで」
坂本さんはフリーの左手で、ポーチからICカードをとりだす。そして、自動改札機を、ちょうど花道でアーチをつくるみたいに繋いだ手を掲げて、通り抜けるすきに、左手のICカードをピッとかざす。わたしは右手が空いているから、あまり苦労しない。
「ぜんぜん、よゆう」
「ふふ、うん……楽勝だったね」
わたしたちはそのまま、プラットフォームにたどり着いた。乗り場には、まだひとがすくない。ふたりで並んで、電車を待つ。
「今日はありがとね、二宮」
きゅうに、お礼をいわれた。わたしは首を傾げる。
「誘ってくれてありがとうってこと」
「そ、それは……こっちこそ、お礼がいいたいくらいで……いっしょに来てくれて、うれしかった」
「ふふ、どういたしまして?」坂本さんは、肩をすくめて、「あ、そうだ。これ、渡しとかなきゃ」
坂本さんは、またも空いている左手でポーチを探り、器用にふたつの小包をとりだした。うちひとつ、とれというので、おそるおそる受け取る。
「開けていいの……?」
「うん。片手でやれる?」
チャレンジしてみる。手のひらサイズの茶色い長方形の紙袋は、しっかりマスキングテープで留められていて、片手で開けるのは難しい。かなしいかな、わたしはそこまで、器用じゃない。
しかたない、と微笑んで、坂本さんはパッと手を離した。たしかにしかたない。口惜しいけど、紙袋を開けないわけにもいかないし……わたしは右手と、まだ熱の残っている感じがする左手を使って、ついに開封した。
中身は、星を模した銀色のストラップだった。ラメ入りで、ひかりに当てると本物の星みたいにきらりと反射する。
「クリスマスプレゼント」と、坂本さんはいった。「気に入ってくれた?」
「う、うん……!」
「プラネタリウムのところでさ、売ってたから。こっそり買ったんだよね」
ちなみに、わたしは三日月。坂本さんは、もうひとつの小包を開けて、中身を見せてくれる。わたしにくれたものと、種類ちがいらしい。ということは――おそろいのストラップだ。
胸がぎゅっとなる。坂本さんと、おそろい。すさまじい響きだ。絶対、たいせつにする。宝物が、くまのあみぐるみと、さらにストラップが増えたのだ。
――と、あれ。そこで、ふと思い至る。これは、坂本さんからの、クリスマスプレゼント……プレゼント。プレゼント⁉
「わたし、クリスマスプレゼント、用意してない……っ!」
「え」坂本さんは、目を丸くして、「や、じゅうぶん、もらってるって」
「で、でも……」
「プラネタリウム。最高のプレゼントだったから」
微笑みかけてくれる坂本さんのことばに、気遣いとか、なぐさめといったものはちっとも感じ取れない。じぶんが情けなくもあるけど、それ以上に、どきりとした。わたしは、彼女の、こういうところがすきなんだと思う。
「また、どっか遊びにいこうよ。そうだな。冬だし、スケートリンクとか」
「す、スケート……やったことない」
「教えたげるよ。ちょっとくらいはできるから」
そして、坂本さんは、まだ電車のこない線路の先を見やった。数秒、間があって、
「じつをいうとさ」と、苦笑をうかべながら、またわたしを見た。「今日、わりと不安だったんだよね」
「不安……って?」
「や、なんというか、さ。今日は、クリスマス・イブでしょ。それに、夜、プラネタリウムにいくってなると、完全にデートコースみたいだ」
「……っ!」
跳びあがりそうになった。一気に喉が干からびていく。
ばれてたんだろうか。気づかれてたんだろうか。わたしの片思いに、坂本さんは勘付いてたんだろうか。どくん、どくん、と心臓が鳴る。期待と恐怖で半々だ。
「それに、二宮は、すきなやつがいるっていうし」
でも、どっちも、簡単に裏切られるのが、結局のところだった。
「フラれたあとだったら、どうしようって」坂本さんは、伏目がちにいった。「でも、よかったよ。ただの杞憂だったみたいで」
坂本さんは、ひかえめに笑む。その横顔がものすごく、遠い。
――まもなく、二番乗り場に、列車が到着します……
機械質なアナウンスが流れる。もうすぐ、このデートもおわる。坂本さんは、ポーチに小包をしまって、わたしに視線を向けて、わっと声をあげた。
「ご、ごめん、泣かせるつもりは……!」
「ちがう、の、これは……」頬をぬぐう。ほんとうだ、涙で濡れている。「ふふ、あれ、なんで――泣いてるんだろ、わたし」
ちがうんだ、ほんとうに。泣きたいんじゃない。わたしは、ただ、びっくりしてしまった。やっぱり、わたしは、坂本さんにとって友達でしかないんだ。知っていた。承知のうえだ。それでも、今日、デートに誘ったのだ。
それで、ただいっしょに出かけて、ふたりきりで歩いて、プラネタリウムを観て――なにか近づけたつもりでいたじぶんに、わたしは、びっくりしたのだ。そんなわけ、ないのに。わたしと坂本さんは、となりにいても、ずっと遠いことを、その当たり前すぎる遠さを、一瞬でも忘れていた。
わたしは、ぽろぽろ流れる涙を、静かにぬぐう。視界の端に、電車が走ってくるのが見える。泣いているばかりじゃ、だめだ。
落ち着け、わたし。もう、時間がない。たとえどんなに離れていても、わたしは、あきらめないってきめたのだ。この遠い、何億光年にも見まがう距離を、星のひかりのように、きっとすくまないと。
「ね、坂本さん」わたしは、じっと、彼女を見据える。「わたしは……わたしが、誘いたいのは、ほかのだれでもない、坂本さんだけだよ」
坂本さんは、いまいちぱっとしない表情だ。これで、伝わらない。やっぱり、すごく遠い。
電車がくる。もうすこしで、プラットフォームにはいってくる。わたしは、深呼吸して、しっかりと唱えた。
「わたしは、坂本さんがすき」
アナウンスも、電車のけたたましい停止音も、いまは耳にはいらなかった。
ただ、確実に、車体は零下の風を吹きつけて、わたしたちを迎えにきていた。
今日のデートは、これでおわりだ。
「……帰ろっか、坂本さん」
わたしは、微笑みかけて、電車のステップに足をかける。坂本さんは、あわてたようすで、
「ま、待って、二宮、わたし――」
「いいの。今日は、まだ」
乗降口すぐの手すりを掴み、わたしは彼女をふりかえる。
今日はまだ、いい。答えは、聞かなくていい。聞いてしまったら、くじけちゃいそうだから。
それでも、あきらめるわけじゃない。これは、そう。いうなれば、宣戦布告のようなものなのだ。
わたしは肩をすくめて、笑ってみる。坂本さんも、こまった顔をしながら、微笑んでくれる。
そんな彼女のやさしさに、いまはすこし、甘えようと思う。




