14 ひかりになって②
いつものように、棗さんが出迎えてくれる。うちでお手伝いをしてくれている、もうひとりのメイドさんだ。温和で、背が低いけれど力持ちで、料理も手芸もプロ並み。
リビングまでいくと、東山さんは、
「というわけで、シノ。例のアレを」
「どういうわけで……?」
買い物袋を受け取って、棗さんは、怪訝そうに眉をひそめた。とはいえ、なぜか「例のアレ」については心当たりがあったらしい。卵を冷蔵庫にしまうなり、棗さんと東山さんの共用の私室まで歩いていった。わたしはリビングで待つことにする。
棗さんはすぐに戻ってきた。手には横長のカマス封筒。A4を三つ折りしたくらいのサイズだ。
「夜に渡そうと思っていたのだけど……」
「やぁ、早い方がいいと思いまして。お嬢さまの決心が揺るがないうちに!」
ふたりはにこやかに会話する。だのに、わたしだけ、ついていけてない。封筒の中身も知らないし、わたしの決心って、どういう……
「お嬢さま」と、棗さんはおだやかな声音でわたしを呼び、封筒を手渡してくれる。おそるおそる、開けてみると、なかから二枚一組のチケットが出てきた。
「プラネタリウムのペアチケットです」はにかむように笑んで、棗さんは続ける。「えぇっと、その……都合で、チケットが余ってしまって。それで、はじめはきぃちゃんといこうと思っていたんですが……」
「せっかくなので、お嬢さまにどうかと話していたのです。使用人がふたりとも暇をいただくのは気が引けますし」
「そ、それは、問題ないと思いますけど……」
「わたしたちのことは、よいのです」と、棗さんは唇をゆるめて、「わたしたちは、お嬢さまに、ぜひともたのしんできてほしいのですよ」
「えぇ、そうですとも! それで、お嬢さまはいったいどなたをお誘いするんですか⁉」
い、いわせたいだけだ――!
そして、わたしは気づいた。東山さんも、棗さんも、人間をおもちゃに見立ててもてあそぶ小悪魔のような表情を浮かべている。東山さんはちょっとばかし強引で、棗さんは奥ゆかしくふるまっている、そんなちがいはあるけれど、でも、たぶんわたしは遊ばれている。タイプのちがうおねえさんふたりに、面白がられている。
しかし、わたしはもう、引くに引けなかった。チケットは受け取ってしまい、それ以前に、東山さんには「がんばってみます」と宣言した手前、ここで断るのはうそだ。
それに、ふたりはただ遊んでるだけじゃなくて――応援してくれているのも、きっとほんとうだとわかるから。
だから、わたしは、坂本さんと、ふたりきりで、プラネタリウムに……わたしが、誘う?
考えただけで、あたまがぽーっとする。それって、つまり、その、デート……じゃないですか? ぐるぐる。混乱気味。慣れないことばが脳内を駆けずりまわり、前頭葉やら海馬やら、ひっかきまわしていく。
「あ、あの……」声がかすれる。「ひ、日付とかは……」
「十二月二十四日、午後六時からです」
く、クリスマス・イブ……!
クリスマス・イブの、夜……!
「む、むむむ、無理ですっ! それは無理です、いくらなんでもわたしには時期尚早というか……っ!」
「いいじゃないですか! ふたり並んでプラネタリウムを観て、その後は小洒落たレストランでディナーとなれば、そう無理のないプランですよ」
「街中におでかけするんですし、はやめに合流してショッピングというのもいいですよね。すこし疲れたらカフェでひと心地、というのも――」
「そ、そんなの、なんか、完全にデ、デートっていうか……!」
「あら、ちがったのですか? わたしはてっきり、うわさに聞く坂本さんといっしょにいくのかと」
「さっ、坂本さんは、その!」喉が乾きすぎて、痛いくらいだった。「さ……誘いたい、ですけどっ!」
「よくいいました、お嬢さま!」
ばん、と東山さんに肩をたたかれる。わたしはもはや、なにがなんだかわからなかった。
「いいですか、お嬢さま。恋とは戦争です! 攻勢に出なければ、勝てるものも勝てないのです!」
物騒なたとえだ。東山さんはずいぶんたのしそうにはしゃいでいる。
反面、棗さんは、呆れたようにため息をつき、
「まぁ、きぃちゃんのことは放っておいて、お嬢さま。あれこれいってしまいましたが、デート、なんてへんに意識しなくてもいいのです。ただお友達とふたりで遊びにいく、というだけでも充分なのですよ。お嬢さまには、お嬢さまなりのペースがあるでしょうから」
「は、はい……」
わたしはいまいちど、手元のチケットに目を落とす。滑らかな紙の手ざわりは、胸の奥をざわめかせてみょうに落ち着かない。
それでも、このざわめきは、やっぱり心地よいと思う。
「あ、あの、どうお誘いすればいいか……いっしょに考えてくれませんか」
わたしのことばに、決心に、ふたりはしっかりと肯いてくれた。
§
あっというまに冬休みになり、そして二十四日になった。
世のなかは、クリスマスムード一色。テレビを点けても、スマートフォンをとりあげても、きらびやかなお話ばかり流れてくる。きれいなイルミネーションとか、夜景の見えるレストランとか、夜のおでかけにはよく着込んで、とか――今夜は例年より冷え込むらしい。ホワイト・クリスマス、ってことも、あるんだろうか。
天気予報のアプリを立ち上げて、ちょっと眺めて、かばんにしまった。降らないみたい、すくなくとも、わたしたちの町には。
それで、わたしは姿見のまえで、うえからしたまでじぶんを見つめなおす。新調した白のニットに、チェック柄のロングスカート。これに厚めのカーディガンを羽織って完成。髪は編みこみのハーフアップに、化粧も棗さんに教わって――だいじょうぶ、たぶん、だいじょうぶ。
今日、着替えてから、こうして鏡を見るのは何度目だろう。五分のうちに、百回はそうしているような気がする。自信がない。これで外に出て、わたし、恥ずかしくない? となりを歩いて、迷惑じゃない? 身震いする。今日は、失敗できないんだ……
十二月二十四日。
坂本さんと、プラネタリウムを観にいく日。
棗さんからペアチケットを貰ったあと、わたしはすぐにお誘いのラインを送った。翌日に、直接会って――というつもりで考えていたけれど、東山さんにラインがいいといわれた。
「だってお嬢さま、面と向かってデートしましょうなんて、まさかいえるんですか?」
いえるわけがなかった。東山さんの小悪魔めいた笑みに、わたしは返すことばもなく、すなおに文章を打ち込むことにする。それでも、さすがに、デートしませんかとは書けない。チケットがあるんだけど、どうですか?……ひかえめな文章になってしまった。
しあわせなことに、坂本さんは乗り気だった。すぐ返信がきて、とんとん拍子に話は進む。そして時の流れはすさまじく、いまや冬休み、どころかおでかけ当日、よもや家を出なくちゃいけない時刻まで、あと十分もない。
「お嬢さま」
東山さんがドアをノックしている。車の用意ができたという。わたしはオレンジの鞄を手に、深呼吸して、ゆっくりドアを開ける。
「やぁ、お似合いじゃないですか!」わたしを見るなり、東山さんは手を叩いていった。「やっぱりお嬢さま、もとよりかわいいのが、おめかしすると信じられないほどのかわいさになりますね!」
「う、や、やめてください、東山さん……」
「シノにも見せましょう。あ、ついでに、写真も撮りましょう!」
「な、なんで写真⁉」
なすすべもなく、わたしはリビングまで引っ張りだされ、棗さんと東山さんにさんざん騒がれ、もてあそばれ、棗さんの構える一眼レフのまえでピースする羽目になった。撮られてしまった写真は見返さなかった。そんなことしないでも、わかる。茹でだこみたいにまっ赤な顔をしたわたしが、泣きそうになりながらピースサインしているさまなんて……見ないでも、へこむ。
「やぁ、いい写真ですね。あとで額に入れて飾っておきましょうか」
「それなら、ちょうどいいのが物置にありましたよ」
落ち込むわたしをよそに、恐ろしい計画を立てている。わたしはふたりをきっと、精一杯に睨んで、
「そ、そんなことしたら……」と、いって、どうしよう。「えっと、か、帰ってきませんから……!」
「あら、朝帰りでもよろしいですよ! 旦那さまたちがお帰りになられるのは、明日の夕方だそうですから」
「もちろん、わたしたちは秘密にしておきますから」
「そっ、そういうっ、ことじゃなく――か、からかわないでください!」
おなかの奥から声が出た。じぶんでもびっくりするくらい、ぽんと空まで飛んでいくような声で、またちがう恥ずかしさがこみあげてくる。
「やぁ、ちょっとからかいすぎましたか」東山さんは、とくに反省の色のない笑みで、「どうです、緊張はとれましたか」
「え……」
いわれて、気づいた。あまり緊張していない。いまから坂本さんとふたりきりでおでかけするというのに、ふしぎと心臓は落ち着いている。
わたしは丸まった背中を伸ばして、何度か深呼吸した。
「ありがとうございます、東山さん、棗さん」
「いいんですよ、半分からかっていただけですし」
「もう、きぃちゃん」肘で東山さんを小突いて、棗さんは、「ところで、電車の時刻はいつでしたっけ」
「あ、まずい!」
叫んだ東山さんは、そしてもちろんわたしも、弾かれたようにリビングの振り子時計を見る。四時三分。約束の電車は四時二十分に出る。すぐに出発しないと間に合わない。
「お嬢さま、すぐ車に!」
「う、うん!」
わたしと東山さんは競うように家を出た。こうもあわただしいと、今夜のおでかけにドキドキする暇もない。玄関先の飛び石を、わたしはアレグロのテンポで駆けた。




