13 ひかりになって①
坂本さんとの関係になんの進展もないまま、とうとう一か月が過ぎた。
いまは十二月も中旬。冬休みが、もうすぐそこだ。つまり――坂本さんと学校で会えない日々が、待ち受けている。
電車を降り、家までの道をとぼとぼ歩く。今日も今日とて、坂本さんはかわいくて、わたしなんかにやさしくて、それでもすごく遠かった。ずっととなりにいたのに、最近は、坂本さんの笑顔が遠景に映る。
どうしてだろう? 坂本さんは、行きの電車で合流してから、帰りの電車でお別れするまで、ずっとわたしの目を見て話しかけてくれていたのに。わたしは、うまく返せないのに、それでも気にせず笑いかけてくれる。わたしは、そんな彼女が単純ながらほんとうにすきで、胸がぎゅうと締めつけられて……苦しかった。
このあいだ、坂本さんはわたしのことを「すき」だといってくれた。会話の流れで、ごく自然と。でも、その「すき」が、わたしの「すき」とちがうことは考えるまでもなかった。
それきり、思うように坂本さんと話せない。そりゃ、いつも、きちんと話せてるわけではないし、口数がもともと少ない自覚はあるし、それからさらに喋れなくなったって、ちっともかわりはしないんだけど。でも、そうしてずっと喋れないなら、うまくいかないばかりだと、わかってる。そうこうしているあいだに、わたしと坂本さんの距離は、どんどん開いていく気がする。
めいってしまう。わたしはやっぱり、こういうだめな人間なんだ――なんて、いつものループ。気が落ち込んで、ネガティブなことを思って、さらに気が落ち込む。そしてまた、ひとと、友達と、坂本さんと喋れなくなる。人見知りスパイラル……
あーだめだ。こんな調子じゃ、いつまで経っても――わたしの気持ちは、かなわない。でも、それがいいのかもしれない、と近頃は思う。わたしと坂本さんは、友達。いまの関係に満足して、わたしのおもいも、伝えないままそっと胸の裡にしまいこむ。足るを知れば、坂本さんはきっと、わたしのそばにいてくれる。わたしが本心を伝えたら、簡単に壊れてしまうだろういまのふたりの距離感を、だいじに、だいじに生きていく。そのほうが、わたしにとっては――
「お嬢さま」
横から声をかけられて、はっとした。道すがら、最寄りのスーパーから、買い物袋を提げた東山さんが出てくる。おうちのお世話をしてくれているメイドさんのひとりで、八重歯をのぞかす快闊な笑みがチャーミングだ。
「あ、東山さん……お買い物?」
「えぇ、今日もおつかいでした」と、東山さんは腰に手をやり、「シノが卵を買い忘れたというので。まったく人遣いが荒いですよねぇ」
「お疲れさま、です」
おどろいて強張っていた肩をゆるめる。東山さんはわたしのとなりに立ち、
「お荷物、お持ちしましょうか」
「いえ、だいじょうぶです」
「今晩はオムライスにしました。しかし、それで卵を買い忘れるなんてどういう了見なんでしょうねぇ」
東山さんは不服そうに唇を尖らせて、それからすぐ、いつもの、夏の陽射しみたいに朗らかな表情にもどった。
「それにしても、お嬢さま、浮かない顔をされていますね」
歩き出すなり、そういわれた。浮かない顔。わたしは手袋にはぁ、と息を吹きかけて、
「そんなこと、ないですよ」
「やぁ、そうですか? それならいいんですが」
スーパーからすこしいって、踏切、サイレンがけたたましく鳴る。四時過ぎでも日が落ちるのは早く、ただでさえ凍える季節に、寒さはだんだん拍車がかかっていく。この踏切は、わたしがいつも登校につかう路線のものとはまたちがう。
「この踏切、たしか長いんですよね」
「うん……開かず、ですから」
「こういう時間って、もどかしくありませんか? わたし、こう見えて短気なタチなんですよ」
「じっと待つのも、たのしいですよ」
「おとなですねぇ。わたしはいまにも走りだしたいのに」
「わたし、待つのは、構わないんですけど……」ぶるっと身震いしてしまう。「東山さん、寒くないんですか?」
このごろ、冬もずいぶん深まり、ちょっとやそっとの重ね着では歯が立たない気温になりつつある。だというのに、東山さんは、ふだんのメイド服の恰好で出歩き、とくにジャケットを羽織るなどしていない。
一方のわたしは、マフラー、ロングコート、厚手のブーツ、耳当て、使い捨てカイロと、念入りに装備を整えて登下校している。寒さには弱い。どれかひとつでも欠けると、わたしはたぶん、衣服の隙間から瞬間的に凍えて学校にも家にもたどりつけない。
どうあれ、この寒風吹きすさぶなか、東山さんは不敵な笑みを浮かべる。そして、
「メイドは風の子といいます」と、人差し指を立てながら無茶なことをいった。「ご心配には及びません。この衣裳は意外と温かいのです。シノが冬用に仕立ててくれてますからね」
「へぇ、棗さんが……」
「快適ですよ。こんど、お嬢さまも着てみますか」
気になる。すなおに肯くと、ちょうど電車が向こうからやってくるところだった。すぐにわたしたちの目のまえを通りすぎて、鉛のような寒さを押しつけて去る。踏切は沈黙し、おとなしく遮断機が上がる。
「それで、なかなか考えたのですが……」東山さんは歩き出し、「やはり、フラれましたか」
「ふ、フラれてはないです!」
反射で答えてしまった。にんまり、と擬音が聞こえるほどに東山さんは目と口を細める。わたしはさっきまでの寒さが嘘だったみたいに、全身から汗が噴き出して、ぐっと喉に息が詰まり、それからうつむいて、
「な」と、どうにか声を出せた。「なんの話ですか?」
「いえ、お嬢さまがどうにも浮かない顔をされてらしたので、もしや最悪の結果に――と恐怖いたしまして」
東山さんは若干弾みのついたステップで踏切を渡る。わたしも、そうするしかないので、うしろをついていく。
「しかし、もしそういう結果なんでしたら、気分が沈むていどでは済みませんよねぇ」
「……」ちょっと涙が出てくる。「す、すみません、想像しただけで……」
「おわっ、泣かないでください、お嬢さま!」すぐさまハンカチを出してくれる。「申し訳ありません、悪ふざけがすぎました」
「い、いえ、その……ごめんなさい」
「どうしてお嬢さまが謝るんです」
困ったようにわたしの目を見つめて、東山さんはやわらかく微笑んでくれる。まるでほんとうのおねえさんみたいだ。ちょっぴりうれしくなる。
「すみません、だいじょうぶ、ですから」
肩をすくめてみせる。ちいさく深呼吸して、また歩き出す。家までもう十分もない。
「ほんとうに、なにもないんです。なにもないから、だめ、なんですけど……」
「ははぁ、なるほど。アプローチがうまくいってない?」
「そう、です。はい」こくこく、肯いて、「あの……このあいだ、すき、といわれたんです」
東山さんは目を瞠って、わたしを見る。でも、わたしはかぶりを振って、
「友達として、だと思います。うれしかった、ですけど、でもやっぱり……遠いなぁと思って。
最近は、このままでいいような気も、しています。わたしのすきと、坂本さんのすきは、ぜんぜんちがうし、それでへんに告白しても、困らせちゃうだけだろうから。それなら、いっそ――」
その先は、うまくことばにならなかった。ことばは喉に詰まる。そして息も詰まる。わたしはまた、うしろむきなことばかり考えている。フラれるだけなら、ずっといい。わたしがおもいを伝えたら、きっと坂本さんはわたしから離れていく。友達のままでも、いっしょにいられる時間がわたしにとってはなによりも代えがたいものに思える。いま以上ちかづけなくても、坂本さんのとなりを喪うのは、想像するだけで身を裂かれるようだ。
ひとりぼっちの気分で、日の落ちる歩道を歩いている。でも、
「また浮かない顔をされていますね」と、東山さんはからっとした声でいった。「とはいえ、お嬢さま。お嬢さまのおっしゃりたいことは、このようなことでしょう――脈アリか脈ナシか、どっちなんだい!」
「え」
わたしはびっくりして、東山さんの顔をぶんと振り返る。自信に満ち溢れた表情だ。
「みゃ、脈があるか……」考えてみる。もちろん、すごく気になることではある。「そ、そう、なのかも……?」
「お嬢さまはものごとを深く考えられるおひとです。しかし、だからこそ、悩みすぎているのですよ。お嬢さまが気になさっている、お相手の性別、指向、いまの関係性――ふむふむ、なるほど、どれも重大なファクターです。それらいかんによっては、結果的にうまくいかないかもしれません。
でも、じつのところ、お嬢さまはまだ、そういった判断をできるほどお相手に詳しくないのではないでしょうか? あ、勘違いなさらないでください。ここでの詳しい、というのは、ひととなりをいうのではないのです。たとえば――お嬢さま、お相手のタイプなどはご存知ですか?」
タイプ――いわれてみると、わからない。坂本さんはどういうひとがタイプなのだろう。ひとのどういう部分に惹かれて、どういうふうにすきになるのだろう。想像できない。坂本さんと恋のお話なんてめったにしないし、そういう話題もやっぱり出にくいから。
「恋愛というのは、情報戦です」ぴし、と東山さんは人差し指を立てる。「日頃の会話から情報を引きだし、断片的なそれらを総合することで、つぎのステップにいくための手掛かりを得られるのです。そして、情報はお嬢さまの自信ともなります。なにより尊ぶべきものなのです、情報というのは」
「む、むずかしそうですね……」
「えぇ、もちろん! これがうまくいくなら、だれだって苦労はしません。現実というのはいつだってつらく、厳しいものなのです」
世の真理を得意げに語り、東山さんは胸を張った。そして、にかっと八重歯をのぞかせて、
「ま、あまり深刻になりすぎないことです。なにごともうまくいかぬと決まったわけではありません」じぶんで何度か肯いて、それから続ける。「それに、あぁこれは仮の話ですが、もしわたしがシノに告白されたら、としましょう。そうなると、わたし、かなりまじめに考えると思うのです」
「えっと……それは、どういう」
「友達という結びつきは、いまお嬢さまが思っているよりも、きっと強いものなのです。もし、お嬢さまとお相手がぎゃくの立場だったとして、お嬢さまはその告白を無下に扱いますか?」
「そ、それは、しないと思います、けど……」
「そうでしょう。友達の真剣なことばは、真剣に受けとめるべきものです。お嬢さまの意中のお方はそれほど薄情なのですか? 聞くかぎり、そんなことはなさそうですけどねぇ」
「う、うん……」
わたしは、あいまいに肯く。たしかにきっと、坂本さんは、わたしのことばを無視したりなんてしない。はっとしたけれど、それでも、心臓のどこかがもどかしい。
「その……きっと、そうなんだろうと思います。坂本さんは、やさしいから。でも、そのやさしさに、わたしは甘えていいんでしょうか?」
「もちろん、いいのです」東山さんは力強く首肯する。「お嬢さまは、甘えるということを、すこし勘違いなさっていますね。甘えるというのは、ただ向こうにじぶんの都合を押しつけることではありません。それは我儘というものです」
「わ、わがまま……」
「えぇ、わるい言い方です。しかし、甘えるというのは、もちろんこれとはちがいます。甘えることは、コミュニケーションなのです。相互的な行為なのですよ。甘えるというのは、信頼を伝えるということです。あなたを信頼しているとすなおにいうことであり、だからあなたにわたしのすべてを委ねてよいという意志表示なのです。そして、ただの意思表示であるからこそ、どう反応しようが相手の自由なのです」
甘える。わたしは東山さんがいうみたく、割り切って坂本さんとお話できるだろうか。そんな上手に、甘えられるだろうか。まったく、自信がない。
でも、挑戦してみたい、とは思える。このままだと、らちが明かないし、それにいつでも明るい口調の東山さんと話していると、なんとなく勇気がわいてくる。やれるだけのことは、やってみたい。
「わ、わたし、がんばってみます……!」
「えぇ、応援してますよ!」東山さんは八重歯を光らせる。「と、着きましたね」
気がつくと、もう家のまえだった。メイド服のポケットから鍵を取り出し、東山さんは玄関を開けてくれる。




